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第9話:ギャル 一番下、ナメてた



「……説明いたします」


 紬はそう言って、静かに歩き出した。


 めいは慣れない着物の裾を見下ろし、小さく息を吐く。


「……歩きづら」


 重いし、足も出しづらい。


 いつもの感じで歩けないだけで、妙にイラつく。


「これ、まじで効率悪くない?」


「そのように申されましても……」


 紬は困ったように言いながらも、足は止めない。


「御広座敷は、表使の下働きにございます」


「……だからそれがわかんないんだけど」


 めいが眉をひそめる。


「下働きって、雑用ってこと?」


「……雑用も含まれます」


 紬は少しだけ言葉を選んだ。


「諸大名の女使を迎える場にて、支度、案内、整え、片づけなどを担う役目にございます」


「……つまり、モブってこと?」


 めいが言う。


 紬が、わずかに足を止めた。


「……もぶ、とは」


「いや、なんていうか」


 一拍。


「目立たない人たちっていうか、背景っていうか」


 紬は、少しだけ眉をひそめる。


「……そのように申すべきではございません」


 声音は静かだった。


「御広座敷は、表には立たずとも、この奥を支える役目にございます」


「ふーん」


 めいは気のない返事をする。


 でも、紬の声がいつもより少しだけ硬いことには気づいていた。


「諸大名の女使は、大奥の外より参ります」


 紬は続ける。


「そこで不手際があれば、この奥全体の恥となります」


「え、そんなデカい話?」


「はい」


 きっぱりと返る。


「迎える前に乱れがあれば失礼。出すものが遅れれば無作法。置くものを違えれば不調法」


 淡々としているのに、言葉が重い。


「ひとつの粗相が、奥全体の粗相にございます」


 めいは、少しだけ口を閉じた。


(……めんど)


 心の中ではそう思う。


 思うけど。


 紬がこういう言い方をするときは、たぶん本当に大事なのだ。


「……はいはい」


 投げるように言う。


 それ以上は言わなかった。


 やがて、二人はひとつの広い座敷の前で止まった。


 障子の向こうから、ぴんと張った空気が伝わってくる。


 話し声はない。


 聞こえるのは、布の擦れる音や、器の小さな触れ合う音だけ。


「……なにここ」


 めいが小声で言う。


「空気、しんど」


「私語は慎んでくださいませ」


 紬も、声をひそめた。


 障子が開く。


 中には何人もの女たちがいた。


 誰もが無駄なく動いている。


 運ぶ者、拭う者、整える者。


 そのどれもが静かで、早い。


 めいが一歩足を踏み入れた瞬間、何人かの視線が向いた。


 けれど、すぐに視線は外される。


 興味というより、警戒だった。


「紬」


 低く、落ち着いた声がした。


 座敷の奥から、一人の女が歩いてくる。


 年は紬より上に見える。


 派手さはない。


 だが、姿勢も目つきも、隙がなかった。


「その者にございますか」


「……はい」


 紬がわずかに背筋を伸ばす。


「御園様より申しつかりました、春宮めい様にございます」


 その女の目が、めいを見る。


 頭の先から足元まで、静かに。


 品定めするように。


「……様、にございますか」


 一瞬だけ、間が落ちた。


小萩こはぎにございます」


 女は名乗った。


「この御広座敷を預かっております」


「……へえ」


 めいは小萩を見る。


 なんか怖い。


 静かなのに、怖い。


「春宮めいです」


 小萩の眉が、ほんのわずかに動く。


 たぶん、めいの言い方が軽いからだ。


「ここが、御広座敷にございます」


 小萩は感情を見せぬまま言った。


「表使の下働きの場。諸大名の女使を迎えるため、支度と整えを行う場にございます」


「……下働きってことだよね」


「はい」


 小萩は即答した。


「ただし、軽んじてよい仕事はひとつもございません」


 その声に、座敷の空気がさらに締まる。


「迎える前に乱れがあれば、この奥の恥」


「出すものが遅れれば、無作法」


「置くものを違えれば、不調法」


「ひとつの粗相が、全体の粗相にございます」


 めいは口をつぐむ。


 なんかもう、全部重い。


(……めんど)


 心の中でだけ言う。


「本日より、まずはこの場の務めを覚えていただきます」


 小萩の視線が、まっすぐに刺さる。


「ここで覚えられぬ者に、先はございません」


 その一言だけで、背筋が変な感じになった。


 言い方は静かなのに、逃げ道がない。


「紬」


「はい」


「手順は入っておりますね」


 一瞬。


 紬が、答えるまでにわずかな間を置いた。


「……まだ、すべては」


「でしょうね」


 小萩が遮る。


 淡々と。


 でも、それが逆にきつい。


「この場は、見て覚えるほど甘くはございません」


 紬の表情が、少しだけこわばる。


 めいはそれを見た。


(……あ、この人、紬にも普通に圧かけるタイプか)


 なんとなく分かる。


「では、まず茶器の支度を」


 小萩が告げると、近くの女がすっと一式を運んできた。


「その盆を、こちらへ」


 言われて、めいが受け取る。


「重っ」


 思わず声が出た。


 周囲の空気が止まる。


 何人かの手が、一瞬だけ止まったのが分かった。


 紬が息を呑む。


 小萩だけが、表情を変えない。


「音を立てぬよう」


「……はいはい」


 言いながら、めいは盆を運ぶ。


 でも、着物に足を取られて歩幅がいつもと違う。


 しかも、どこにどう置けばいいのかもよく分からない。


「そこに」


 小萩が言う。


 めいは、言われた場所に盆を置こうとして――


「違います」


 ぴたり、と声が飛んだ。


 手が止まる。


「……は?」


「向きが逆にございます」


 小萩が一歩近づく。


「柄は外ではなく内へ。置く順も違います」


「いや、知らないし」


 反射で返す。


 その瞬間、座敷の空気が凍った。


 誰かが、小さく息を呑む。


「知らぬのであれば、なおさら口より先に目を使いなさい」


 小萩の声は低くも高くもない。


 ただ、冷たかった。


「この場で知らぬことは罪ではございません」


「知らぬまま雑に扱うことが、罪にございます」


 めいの眉がぴくっと動く。


(……なにその言い方)


 むかつく。


 ふつうに。


 めちゃくちゃ。


「めい様」


 紬が、小さく呼ぶ。


 その声で、めいははっとした。


 紬の顔が、硬い。


 かばいたいのに、かばえない顔。


 言い返しかけた言葉が、喉で止まる。


(……だる)


 でも。


(ここでやったら、また面倒になるやつ)


 分かる。


 めいは唇をかんで、盆を持ち直した。


「……どう置けばいいわけ」


 ぶっきらぼうに言う。


 けれど、一応、聞いた。


 紬の目が、わずかに揺れる。


 小萩は数秒めいを見たあと、静かに言った。


「まず、盆はまっすぐに」


「柄の向きは内」


「置く前に、座敷の正面を乱さぬよう」


「音を立てず、手を離す」


「……細か」


 めいがぼそっと言う。


「すべてに意味がございます」


 小萩は即座に返した。


 その言い方に、妙な揺らぎはない。


 本気でそう思っているのだと分かる。


(……そういや)


 こういうの、今まで気にしたことなかったかも。


 座り方とか、置く順とか、見え方とか。


 めんどいし、だるいし。

 別によくない?で生きてきた。


 それでなんとかなってたし。


(……ここ、なんなん)


 めいは、言われた通りにもう一度置く。


 今度は、どうにか止められなかった。


「……」


 小萩は何も言わない。


 でも、許されたわけじゃないことは空気で分かる。


 そのまま、次の支度、次の動き、と休む間もなく指示が飛ぶ。


 めいはついていくだけで精一杯だった。


 ひとつ覚えたと思えば、次が来る。


 立つ位置、下がる順、手を出す間。


 何もかもに決まりがある。


(いや、無理なんだけど)


 心の中で吐く。


(こんなの初見でできるわけなくない?)


 でも誰も、そんなことは気にしない。


 できる者は動く。


 できない者は、置いていかれる。


 それだけだ。


 やっとひと息ついたころには、肩が妙に重かった。


 慣れない着物のせいだけじゃない。


 この場の空気そのものが、重い。


「……しんど」


 つい、小さくこぼれる。


「聞こえております」


 すぐに小萩の声が飛んだ。


「うわ、こわ」


 反射で漏れた一言に、また空気が止まる。


 めいは、はっとして口を押さえた。


 やばい、と思った。


 けれど。


 小萩は怒鳴らなかった。


「怖くて結構」


 静かに言う。


「緩みは、すぐに乱れとなります」


 その言葉に、座敷の者たちの背筋がさらに伸びた気がした。


 めいは黙る。


(……やりづら)


 でも同時に、少しだけ分かってしまう。


 この人が怖いから、この場は回っている。


「本日はここまでにございます」


 しばらくして、小萩が言った。


「覚えたとは申しません。ただ、見たことは忘れぬように」


「……はい」


 めいは気のない返事をした。


「返事は短く」


「はい」


 今度はちゃんと返す。


 小萩が、ほんの少しだけ目を細めた。


「御広座敷は一番下にございます」


 静かな声が、広い座敷に落ちる。


「ですが、軽んじてよい場ではございません」


「この場を知らずして、上を知ることは叶いません」


 めいが、顔を上げる。


 上。


 その言葉だけが、少し引っかかった。


「奥で上へ行く者も」


 小萩は続けた。


「まずは、この場の重みを知るのです」


 それだけ言うと、小萩は、かかとを返した。


 また、静かな忙しさが座敷に戻っていく。


 めいは、その場に立ったまま小さく息を吐いた。


 誰ひとり、無駄口は叩かない。


 笑う者もいない。

 目を合わせれば、すぐに逸らされる。


 ここにいる者たちは皆、息をひそめるように働いていた。


 重い。


 座敷の空気だけじゃない。


 いる人間ごと、もうそういうふうにできあがっているみたいだった。


(……無理)


(こんな空気で毎日とか、ほんと無理なんだけど)


「……なにあれ」


 ようやく出た言葉だった。


 紬が隣で、少しだけ肩の力を抜く。


「小萩様は、あのようなお方にございます」


「いや、圧すごすぎなんだけど」


「……ですが」


 紬が、珍しくすぐには続けなかった。


「誤りは、申しておりません」


 めいは黙る。


 言い返したい。


 でも、言い返せない。


 それが、いちばんだるかった。


「……だる」


 結局、それだけが口から出た。


 紬は、そんなめいを見て、ほんの少しだけ困ったように目を伏せた。


 けれど次の瞬間には、また教育係の顔に戻る。


「明日も、御広座敷にございます」


「……は?」


 めいが顔を上げる。


「まだやんの?」


「務めを覚えていただくまでにございます」


「うそでしょ」


「……本当にございます」


 めいはその場で天井を見た。


(終わった)


 心の中で、そうつぶやく。


 けれど――


 逃げるわけにはいかないことも、もう分かっていた。

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