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第16話 白い天井



 朝、目が覚めた瞬間から、胸のあたりが妙にざわついていた。


「……だる」


 そうつぶやいて、めいは布団の中で目を閉じ直す。けれどもう一度眠れる感じはなく、まぶたの裏に残る妙な白さだけが、いやに気に障った。


 白い、何か。


 思いかけて、すぐに眉を寄せる。


「は? なにそれ……」


 独り言ちて、起き上がる。寝不足なだけ。たぶん。昨日だって別に何かあったわけじゃない。少し疲れているだけだ。そういうことにしてしまえば、それ以上考えなくて済む。


 実際、考えたところでどうにもならないことなんて、この場所へ来てからいくらでもあった。


 着替えを済ませ、髪を整え、いつも通りに見える顔を作る。

 鏡の代わりみたいに水面へ映った自分は、少しだけ青い。けれど、じっと見なければ分からない程度だ。


「春宮様」


 背後から落ち着いた声がして、めいは肩を揺らした。


「……びっくりしたんだけど」

「申し訳ございません」


 紬だった。いつもと変わらぬ静かな顔で、こちらを見ている。


「もう支度のお時間です」

「分かってるし」


 言い返しながら立ち上がる。

 紬はそれ以上何も言わなかった。ただ、ほんのわずか、めいの顔色を見たような気がした。


 その視線が気になって、めいは先に歩き出す。


「今日は何やんの」

「奥書院へ入る前の支度場で、布の整理を」

「布ぅ?」

「はい」

「地味すぎ」


 いつもなら、もう少し紬が呆れたように返してくる。だが今日は「左様でございますか」だけだった。


 なんか、調子狂う。

 いや、狂ってるのは自分の方かもしれない――そんな考えがよぎって、めいはすぐに打ち消した。


 支度場には、きちんと畳まれた白い布がいくつも重ねられていた。

 湯気のぬくもりがまだ薄く残っていて、晒した布の乾いた匂いに、何か別の匂いが混じっている。薬草に似たような、鼻の奥に少しだけ苦く残る匂い。


 その瞬間だった。


 ひゅ、と息が浅くなる。


 白い。

 白い天井。

 近すぎる光。


 冷たい空気が肌に触れている。

 喉がひりつく。

 耳の奥で、一定の間を置いて鳴る乾いた音。


 ――ピッ、……ピッ、……ピッ。


「っ……は」


 めいは思わず、目の前の布から手を離した。

 畳みかけた端が崩れ、白が視界いっぱいに広がる。


「春宮様」


 呼ばれてはっとした時には、息がうまく吸えなくなっていた。


「え、なに、ちょ……」


 自分でも何を言っているのか分からない。胸の奥だけが勝手にせり上がってきて、心臓が変な打ち方をする。手の先が冷たい。なのに背中には嫌な汗がにじむ。


 今の、何。


 渋谷じゃない。

 街の光でも、人の声でもない。

 あんな静かな白さ、知らない。……いや、知らないはずなのに、どうしてこんなに嫌なのか分からない。


 布を見ただけで、こんなふうになるなんて。


「春宮様」


 もう一度、紬の声。

 静かなのに、妙に遠く聞こえた。


「顔色が優れません」

「いや、別に。なんでも……」

「手が震えております」

「は?」


 言われて、自分の手を見る。

 指先が、ほんのわずかに揺れていた。


 笑い飛ばそうとして、失敗する。

 喉が乾いて、声が出しづらい。


「……まじ最悪」

「こちらへ」


 紬は騒がなかった。

 誰かを呼ぶでもなく、慌てて肩を抱くでもなく、ただ自然な顔で布の陰になる方へめいを促した。

 人目の少ない、廊下に近い場所。風が少し通る。


「少し、お座りください」

「平気だし」

「左様でございますか」

「いや……」


 平気だと言ったくせに、足にうまく力が入らなかった。

 めいは舌打ちしたい気分のまま、壁際へしゃがみ込む。みっともない。最悪。こんなの、誰にも見られたくない。


 紬は少し離れた位置に膝をついた。

 近すぎず、遠すぎず。手も出してこない。


「お水をお持ちいたしましょうか」

「……いらない」

「かしこまりました」


 断っても、気まずい顔ひとつしない。

 それが逆に、めいの逃げ道をなくした。


 沈黙が落ちる。

 責めるでも、急かすでもない沈黙。


 耐えきれなくなったのは、めいの方だった。


「……なんか」

「はい」

「変なんだよね」


 声にした瞬間、それが思ったよりずっと情けない響きになって、めいは顔をしかめた。


「別に、頭おかしくなったとかじゃなくて」

「はい」

「なんか急に、知らないのが来るっていうか」

「……」

「知らないはずなのに、知ってるみたいなやつ。意味わかんないけど」


 紬は笑わなかった。

 眉ひとつ動かさず、ただ聞いている。


「白いのとか」

 めいは自分の膝を見たまま、途切れ途切れに言った。

「冷たい感じとか。あと、音。なんか、一定で鳴るみたいな……」


 そこで言葉が止まる。

 あの音を口にした途端、また耳の奥で鳴りそうで嫌だった。


 紬は少しだけ間を置いてから、静かに言った。


「今、すべてを話されなくても結構です」

「……は?」

「話したくないことまで、無理に言葉にする必要はございません」


 めいは顔を上げた。

 紬の表情は、いつものように落ち着いている。けれど冷たいわけではなかった。


「ですが」

 紬は続ける。

「お一人で立っていられぬ時は、どうぞお呼びください」

「……」

「隠し通せぬ時まで、無理をなさらず」


 その言い方が、妙に胸に刺さった。


 大丈夫なふりをするな、とも。

 全部話せ、とも言わない。


 ただ、無理な時は呼べと、それだけを置いていく。


 簡単な言葉のはずなのに、めいはうまく返せなかった。


「……なにそれ」

「何か」

「いや、なんか……ちゃんとしてんなって話」

「左様でございますか」

「褒めてないし」

「存じております」


 いつも通りみたいなやり取りなのに、少しだけ息がしやすくなる。

 めいは膝に額をつけそうになって、寸前でやめた。


「でも、きもい」

「何がでございましょう」

「こんな急に、意味わかんないの来るの。渋谷歩いてた次がここ、ってだけでもだいぶ終わってんのに」

「……はい」

「その間に、なんかあったみたいな感じすんの、もっと無理」


 そこまで言ってから、めいは口をつぐむ。

 自分で言ってしまったことに、自分が一

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