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第10話:ギャル モブじゃない



「本日も、御広座敷にございます」


 朝。


 支度を整えた紬が、いつものように静かに告げる。


 めいは眠そうな目のまま、ため息をついた。


「……はいはい、モブ仕事ね」


「……そのような言い方は」


「だってそうじゃん」


 めいは立ち上がりながら言う。


「昨日ずっとやってたの、運ぶ、整える、片す、みたいなやつでしょ」


「それら一つひとつが、奥を支えております」


「はいはい」


 軽い返事。


 でも昨日みたいに、強くは言い返さない。


 あの座敷の空気を思い出すだけで、ちょっとだるいからだ。


――


 御広座敷は、今日も重かった。


 障子が開いた瞬間、空気が違う。


 私語はない。


 笑う者もいない。


 器の触れる音、布の擦れる音、足音さえ静かで、誰もが息をひそめるように動いている。


(……朝からしんど)


 めいは心の中でつぶやく。


「遅うございます」


 低い声。


 小萩だった。


「……いや、間に合ってるし」


「言葉ではなく、動きにございます」


 ぴしゃりと言われ、めいは口をつぐむ。


(うわ、今日もいた)


 いるに決まっているのだが、毎回ちょっと嫌になる。


「本日は昨日より、ひとつ先を覚えていただきます」


 小萩の言葉に、周囲の女たちの動きは止まらない。


「盆の扱い、茶器の並べ、下げる順、声をかける間」


「……多」


「覚えてください」


「はいはい」


「返事は短く」


「はい」


 即座に返すと、小萩は何も言わなかった。


 たぶん、それでいいらしい。


――


 その日の務めも、重くて細かかった。


 盆を運び、器を整え、布を替え、下がったものを片づける。


 たったそれだけのことに見えるのに、決まりが多すぎる。


 置く向き。


 下がる順。


 手を出す間。


 人の前を横切らぬ角度。


(……むず)


 めいは眉を寄せる。


 でも今日は、昨日より少しだけましだった。


 まったく分からない、ではない。

 なんとなく、流れが見えてきている。


 めいは、いかにもだるそうにしている。


 実際だるい。


 けれど昔から、覚えは悪くなかった。

 ちゃんと聞いてないようで見ているし、適当にやっているようで流れは掴む。


 要領がいい。


 教師にも、バイト先でも、よくそんなふうに言われた。


 だから今回も、文句は多いくせに、昨日より手は止まらない。


 自分でも気づかないうちに、

 目と体が少しずつ、この場の順を覚えはじめていた。


「鈴、そちらを先に」


 誰かの声がした。


「は、はい……」


 小さな返事。


 その声の主が、少し離れたところで盆を持ち上げる。


 手が、わずかに震えていた。


(……あの子、昨日もいた気がする)


 めいはぼんやり思う。


「千代、それは奥へ」


「承知いたしました」


 今度は別の声。


 きびきびした返事。


 動きも速い。


(こっちは、なんか強そう)


「お雪、布を」


「……はい」


 短い声。


 ほとんど表情がない。


(え、みんな名前あるんじゃん)


 当たり前のことを、めいは今さらみたいに思った。


 昨日はそんな余裕もなかった。


 ただ空気にのまれて、怒られて、終わっただけだったからだ。


――


「きゃ……っ」


 小さな声。


 さっきの鈴が、盆を傾けた。


 茶器がかすかに鳴る。


 近くの空気が一瞬で張る。


「ちょ、危な」


 めいは反射で手を伸ばした。


 盆の端を支える。


 鈴が目を見開く。


「……す、すみません」


「いや別に。てか鈴、それ重くない?」


 一瞬。


 空気が止まった。


 鈴も固まる。


「……え」


「え?」


 めいも一瞬きょとんとする。


「名前、鈴でしょ?」


 鈴は、何を言われたのか分からないような顔をした。


「……な、なぜ」


「さっき呼ばれてたし」


 めいはあっさり言う。


「落とさなくてよかったじゃん。気をつけな」


 軽く言って手を離す。


 でもその場の空気だけが、妙に静まっていた。


 少し離れた場所で、千代がちらりとこちらを見る。


 お雪も、無言のまま視線だけを向けていた。


「私語は慎みなさい」


 小萩の声が飛ぶ。


「はーい」


「返事は短く」


「はい」


 めいが言い直すと、鈴はますます戸惑った顔をした。


――


 それからしばらくして。


 今度は布の位置が少しずれているのが見えた。


 言われた通りの形じゃない。


 でも誰も手を離せず、直せないままになっている。


「……千代、それたぶんそっち先」


 めいが小さく言った。


 千代が眉を寄せる。


「何?」


「いや、それ終わってからだと間に合わなくない?」


 千代は一瞬むっとした顔をしたが、すぐに目だけで周りを見た。


 そして、はっとしたように布へ向かう。


 遅れずに済んだ。


 言われた千代自身が、それに気づいた顔をする。


「……」


 でも礼は言わない。


 ただ、さっきよりは明らかに強く睨んではこなかった。


(こわ)


 心の中で思いながら、めいは次の盆に手を伸ばす。


――


 また少しして。


 お雪がひとりで重ねた器を運んでいるのが見えた。


 量が多い。


 手元は安定しているけれど、少し持ちづらそうだった。


「……それ、半分持つ」


 めいが言う。


 お雪が目を上げる。


「……結構」


「いや、落としたらだるいし」


 めいはもう片方を勝手に持った。


 お雪の目がわずかに見開く。


 でも拒まない。


 二人で運ぶほうが早い。


 置き終えたあと、お雪はほんの少しだけめいを見る。


「……ありがとう、ございます」


「どーいたしまして」


 そのやりとりを、紬が少し離れたところから見ていた。


 不思議そうに。


 驚いたように。


 でも、どこかで納得しているようにも見えた。


――


「春宮めい様」


 不意に呼ばれる。


 小萩だった。


 めいは一瞬、また何かやったかと思った。


「……はい」


「先ほど、鈴に声をかけましたね」


「え、ダメだった?」


「私語は不要にございます」


「はい」


 めいは素直に返す。


 でも小萩は、そのまま少しだけ視線を動かした。


 鈴の方へ。

 千代の方へ。

 お雪の方へ。


 そして、まためいを見る。


「ですが」


 一瞬の間。


「周囲は、見えているようですね」


 めいは目をぱちっとさせた。


「……え」


「口数は多うございますが」


 小萩の声は相変わらず淡々としている。


「目は、回っております」


 それだけ言うと、小萩はくるりと向きを変えた。


 めいは数秒、その背を見たまま固まる。


「……今の、褒めた?」


 ぼそっと言う。


 紬が、すぐ隣で小さく息をついた。


「かなり珍しいことにございます」


「まじで?」


「はい」


 めいは小萩の背中を見る。


 相変わらず怖い。


 けど、昨日よりはちょっとだけ、意味不明じゃなかった。


 そのとき。


 少し離れたところで、鈴がほんのわずかにめいを見た。


 目が合うと、すぐそむけられたけれど。


 その前よりは、少しだけやわらかい目だった。


 重たい空気は、まだ変わらない。


 御広座敷は今日も静かで、厳しくて、息が詰まる。


 でも。


 その中にほんの少しだけ、人の温度が混じった気がした。

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