乙女ゲーム世界の女子生徒Aですが、ヒロインがイベントを進行してくれないので私が攻略します
新作です。
世界の終わりは唐突に、そしてあまりにも理不尽に訪れる。
予兆となる隕石の落下もなければ、魔王の復活を告げる雷鳴もない。
ただ、ヒロインが校門の壁に埋没し、世界の理が停止するという、静かな絶望と共にやってくるのだ。
私、ミリーナ・ローウェルは、王立魔法学園に通う一介の生徒に過ぎない。
成績は可もなく不可もなく、容姿は人並み。魔力量に至っては、測定器の針がようやく振れる程度。
特徴がないことが特徴である私は、この学園という巨大キャンバスにおける『背景』としての役割を全うしている。
だが、私には誰にも明かせない秘密がある。
この世界が、乙女ゲーム『エターナル・ローズ』という虚構の舞台であり、私自身が『名もなき女子生徒A』であるという、前世の記憶を有していることだ。
モブとしての私の処世術は徹底した『傍観』にある。
物語の歯車には決して触れない。
メインキャストの視界には映り込まない。
正ヒロインである男爵令嬢レーナと、彼女を巡る煌びやかな攻略対象たちの恋模様を、校舎の窓越しに眺めて学園生活を終える。
それこそが、私が望んだ平穏にして、幸福な学園設計だった。
今日は記念すべき入学式であり、ゲームのオープニングイベントが発生する、運命の起点となる日。
本来のシナリオであれば、遅刻寸前のレーナが朝食の食パンを口に疾走し、曲がり角で第一王子ジークフリート殿下と衝突する。
そこから始まる王道にして伝統的なボーイ・ミーツ・ガール。
――そう、なるはずだった。
「……何をしておられるのですか、レーナ様?」
私は通学路の片隅で、理解の範疇を超えた光景に立ち尽くしていた。
ヒロインのレーナ様が、民家のレンガ塀に向かい、前進を続けていたのだ。いや、正確には『走る姿勢で壁の内部へと物理法則を無視して干渉している』。
「ち、ちこ、ち、ちこく……」
彼女の口からは、壊れたレコードのように断片的な音が高速で紡がれている。美しい金髪は不自然な角度で凝固し、スカートは重力に逆らうように揺らぎ続ける。
「バグだ……」
背筋を冷たいものが伝う。
これは『処理落ち』、あるいは『座標欠損』。
この世界の神とも呼ぶべきプログラムが、致命的なエラーを吐き出し、彼女を進行不能の牢獄へと閉じ込めてしまっていたのだ。
関わってはいけないと、本能が告げている。
私は視線を逸らし、足早にその場を離れようとする。
だが、数歩進んだところで世界が変わる。
ブォン、という重低音が大気を震わせ、視界の端から色彩が剥落し、鮮やかな青空が、鉛色の虚無へと変貌していく。鳥のさえずりはノイズ混じりの不協和音となり、私の網膜に無機質なシステムウィンドウが現れた。
『警告:重要イベント【運命の曲がり角】未実行』
『警告:シナリオ進行不可。3分後に世界のリセット、及び強制終了を実行します』
「嘘でしょ……?」
強制終了。それはつまり、この世界の消滅。私の意識も、肉体も、明日への希望も、すべてが無に帰すということ。
冗談ではない。私はまだ学食の限定プリンすら味わってないし、老後の安寧のために積み立てた貯金を使うことすら許されないのか。
私は踵を返し、レーナ様の元へ駆け寄る。
彼女は相変わらず、壁と融合したまま痙攣している。肩を揺すろうが頬を叩こうが、彼女は硬質なオブジェクトのように微動だにしない。
「ダメだ、完全にフリーズしてるよ……」
空のひび割れが、蜘蛛の巣のように広がっていく。
残された時間は僅か。
システムは冷酷にイベントの実行を求めている。
条件は一つだ。『食パンを咥えた女子生徒が、曲がり角でジークフリート殿下と衝突すること』。
私の視線がレーナ様の右手に吸い寄せられる。
そこには、イベントのキーアイテムである『こんがり焼けた高級食パン』が、不自然なほど輝きを放って握られている。
「……私がやるしかないのよね」
モブであるこの私が、世界の命運を背負ってヒロインの代役を?
だが、迷っている猶予はない。足元の石畳がデータのように明滅し、通り過ぎる人々の顔がのっぺらぼうへと風化していく。
私は覚悟を決め、レーナの硬直した指をこじ開ける。
「お借りしますね! 必ず新品でお返ししますから!」
奪い取ったパンを口に咥えると、スカートの裾を掴み、私は駆け出す。
目指すは五十メートル先の曲がり角。
標的は、第一王子ジークフリート・フォン・アークライト。
「間に合ってえぇぇぇ……!」
私は石畳を蹴った。
女子特有の目立たない走りではない。
全存在を懸けた全力疾走だ。
角が迫る。その向こう側から、圧倒的な存在感――王族のみが纏う覇気が近付いてくるのを肌で感じる。
(……今だ!)
私は減速することなく、遠心力に身を任せてコーナーへ突入する。
そして、シナリオ通りのセリフを叫ぶ。
「いっけなーい! 遅刻遅刻ぅぅぅッ!」
それは恋愛フラグが立つような可憐なぶつかり合いではない。
ドンッ、という衝撃音を伴う、単なる事故だ。
私は制御不能の砲弾と化し、輝く金髪の美青年、ジークフリート殿下の鳩尾へ頭から激突した。
「ぐふっ!?」
気品ある殿下の口から、野太い苦悶の声が漏れる。
反動で私の体は宙に浮き、無様に石畳へと叩きつけられた。
宙を舞った食パンが地面に落ちる寸前、私は這うように手を伸ばし、空中で鷲掴みにして再び口元へと運んだ。
キーアイテムの紛失は、イベント失敗を意味するからだ。
その瞬間、脳内で『パンパカパ〜ン♪』という軽薄かつ祝福に満ちた音が響いた。
『イベント達成:【運命の曲がり角】』
『シナリオ進行を確認。世界の崩壊プロセスを停止します』
鉛色に沈んでいた空に、色彩が奔流となって戻ってくる。ノイズは消え、小鳥のさえずりが、人々の喧騒が、鮮やかに蘇る。
世界は、私の頭の激痛と引き換えに守られたのだ。
「痛っ……」
安堵で力が抜け、その場にへたり込む。
だが、最大の危機は去ったものの、眼前には別の破滅が横たわっていた。
石畳の上に優雅に、しかし確実に伸びている王国の第一王子である。
「……いったい何があったのだ?」
ジークフリート殿下が、ふらりと上体を起こす。
宝石のごとき青い瞳が、私を射抜く。
その端正な顔立ちには、困惑と、隠しきれない怒り、そして奇妙な興味の色が混在していた。
――不敬罪。その言葉が脳裏をよぎる。
本来ならレーナ様が上目遣いで謝罪し、甘い会話が交わされる場面。
だが、今の私はただの暴走したモブ。
「も、申し訳ありません!」
私は食パンを握りしめたまま、額を地面に擦り付ける勢いで平伏した。
「急用がございまして! 前方不注意でございました! お怪我はございませんか!?」
「……急用だと?」
「はい! 入学式への遅刻が目前でして! では、私はこれで!」
これ以上の接触は、私の『平穏な学園生活』にとって致死性の毒だ。
世界は救った。あとは私が消えれば、歴史の修正力が働いてすべて丸く収まるはず。
私は脱兎の如く、その場を去ろうとした。
だが。
ガシッと殿下が、私の手首を捕らえた。
私を見下ろすジークフリート殿下。
そして頭上に浮かぶ不可視のUI『好感度メーター』が、本来なら『0』であるはずの数値を『10』へと跳ね上げ、ピンク色のハートを灯していた。
「待て、私にこれほど見事な体当たりを見舞った令嬢は、お前が初めてだ。先ほどの食パンを咥えて疾走する脚力、護衛の目を欺いて懐に入り込む胆力。面白い……実に興味深いぞ」
出た。乙女ゲームにおける呪いの言葉、「おもしれー女」認定。
「お待ちください、殿下の相手は私ではないのです。私はただの背景A、ミリーナ・ローウェルなのです」
「何を言っているのかよく分からないが、探していたのだ。君のような、私の退屈な日常を破壊してくれる存在を」
殿下の瞳が、熱を帯びて輝きだす。
(どうして、こうなるの……!?)
遠くの壁では、未だレーナ様が「ち、ちこ、ちこく」と虚しく痙攣を続けている。
世界を救うために奔走した結果、私はあろうことか、メインヒーローである王子ルートへ突入してしまった。
◇
私の学園生活は、綱渡りという言葉さえ生ぬるい、地獄のデスマーチへと変貌した。
あれからヒロインのレーナ様は、順調にバグり続けている。
廊下を直角にスライド移動し、空中を歩行し、時にはテクスチャが裏返り、存在そのものがあやふやになることもある。
彼女がエラーを起こすたびに世界は「警告音」が鳴り響く。
私は世界の崩壊を防ぐため、彼女の代役として奔走せざるを得なかった。
ハンカチを落とし、手作りクッキーを渡し、図書室で同じ本に手を伸ばす。
ベタなイベントをこなすたびに、ジークフリート殿下の好感度は異常な数値を叩き出していく。
「ミリーナ、今日の放課後は空いているか? 王家の別荘に招待したい。君以外には見せたくない景色がある」
教室の私の席は、殿下の指定席と化していた。
周囲の女子生徒からの「なんであの子が?」という視線が突き刺さる。
「違います。私は好きでやっているわけではないのです。これは世界を守るための無償、かつ過酷なボランティアなんです」と、そんなことを言ったところで理解されるわけがない。
そして今日、物語の前半における最大の山場、『新入生歓迎舞踏会』の夜が訪れた。
煌びやかなシャンデリアが輝き、優雅なワルツが流れる大広間。
貴族の子息たちが談笑する中、私はホールの観葉植物の陰に身を潜めていた。
ここなら殿下の目にも止まらないはず。
今日のメインイベントは『悪役令嬢によるヒロインいじめ』。
悪役令嬢ローズが嫉妬に駆られ、レーナにワインを浴びせて「身の程を知りなさい!」と罵倒する。
そこへ殿下が颯爽と現れ、ヒロインを庇うことで二人の絆が深まる……という、お約束の流れだ。
私は祈るような気持ちで会場を見渡す。
お願いですから、今日くらいはレーナ様がまともに動いてくれますように、と。
……しかし、この世界は残酷だ。
ブォン……聞き慣れてしまった絶望の重低音が、ワルツの旋律を侵食していく。
視界が灰色に濁り、無慈悲なシステムウィンドウが虚空に浮かび上がる。
『警告:重要イベント【悪役令嬢の洗礼】未実行』
『警告:ターゲット喪失。シナリオ進行不可』
「……ターゲット喪失?」
嫌な予感と共に、私は悪役令嬢ローズ様を探す。
――いた。彼女は会場の中央で、なみなみと注がれた赤ワインのグラス片手に、怒りの形相で立ち尽くしている。
だが、その殺気の矛先には誰もいない。
まさかと思い、私は恐る恐る天井を見上げる。
巨大なシャンデリアの中心部を貫通し、高速で回転しているヒロイン、レーナ様を見つけた。
グルグルグルと、彼女はドリルと化し、煌びやかなクリスタルを粉砕しながら、天井のテクスチャへと潜り込もうとしていた。
会場の人々は彼女に気付いていない。
システムが彼女の存在判定を消しているからだが、このままではイベントは発生せず、世界が終わる。
『警告:崩壊まで残り60秒』
「また、私がやるしかないのか……」
私は深呼吸をし、観葉植物の陰から飛び出す。
目指すは会場の中央、悪役令嬢ローズ様の目の前。
ローズ様は、振り上げたグラスを下ろす場所を失い、プルプルと震えている。プログラム上の殺意が行き場を失い、暴走寸前なのだ。
「ローズ様!」
私は叫んだ。本来なら決して交わることのないモブの声に、ローズ様の目がこちらを向く。
「だ、誰なの!?」
「今は私が誰かはどうでもいいので、そのワインを私にかけてください!」
「はあ!? 何を言って――」
ローズ様が困惑している。
当然だ。シナリオにはない展開なのだから。
だが、今は強引にでもフラグを回収しなければならない。
私はローズ様の神経を逆撫でする言葉を選ぶ。
「今日のドレスも随分と前衛的だこと! まるで茹で上がったロブスターみたいで素敵ですわ!」
会場が凍りついた。
ローズ様の顔がドレスと同じ真紅に染まる。
「……この無礼者がぁぁぁぁッ!!」
システムが反応した。
殺意のターゲットが、レーナ様からミリーナ様へと書き換わる。
ローズ様の手から、深紅のワインが放たれた。
私は目を閉じる。
これでいい。ワインを浴びて惨めに笑い者にされれば、イベント判定はクリアされ、世界は守られる。
だが、液体がかかる冷たい感触は、いつまでも訪れなかった。
代わりに感じたのは、包み込まれるような温かさと、鼻をくすぐる高級なコロンの香り。
「……で、殿下?」
恐る恐る目を開けると、そこには漆黒のマントを翻し、私を庇うように立つジークフリート殿下の背中があった。
彼の背中には、私に向けられたはずの赤ワインが、生々しい染みを作っている。
「私の大切なパートナーに、何という真似を……」
怒りを露わにした低い声。
ローズ様が「ひいっ!?」と短い悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちる。
会場中が静まり返る中、殿下はゆっくりと振り返り、私の肩を抱いた。
「ミリーナ、怪我はないか?」
「は、はい……ですが、殿下の御召し物が……」
「構わない。君が汚れることに比べれば、こんなものは些事だ」
殿下の頭上の好感度メーターが、ついに測定不能の虹色に輝いた。
『イベント達成:【真実の愛の目覚め】(ルート変更)』
『シナリオ再構築完了。メインヒロインを【ミリーナ・ローウェル】に変更します』
脳内に響くファンファーレは、かつてないほど盛大なものだった。
崩壊しかけた世界が、強固に再定義されていくのを感じる。
世界は救われたのだ。
ただし、私というモブの平穏な日常と引き換えに。
「さあ、行こうか。今夜は君を離さない」
殿下の甘い囁きと、熱を帯びた瞳。
本来なら国中の令嬢たちが羨む最高のシチュエーション。
だが、私の耳には優雅なワルツの調べの裏で、天井から響く『ギュルルルル』という無機質な掘削音が聞こえている。
見上げれば、シャンデリアと一体化し、高速回転を続ける元ヒロイン、レーナ様。
見つめれば、好感度カンストで瞳を輝かせる第一王子。
『メインシナリオ:【女子生徒Aのシンデレラストーリー】を開始します』
脳内に無慈悲な通知が表示される。
私は悟った。
このバグだらけの世界で、私の『平穏なモブ人生』が送れることはないのだと。
「そんな……」
私の愕然とした小さな呟きは、祝福のファンファーレと、ヒロインの回転音にかき消されていった。
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