宴②
人々が、周りの精霊に目を奪われていた時だった。
「……うそ、嘘よ!」
一人の少女が叫んだ。
その瞬間――お雪様を除いたすべての精霊の光が、すっと消えた。
夜の静けさが、再び広場を包み込んだ。
少女は――セレナだった。
青ざめた顔で、唇を震わせながら呟く。
「そんな……」
「セレナ、あなた……」
セラフィーネの声が途切れる。言葉が喉で凍りついたようだった。
ざわめきが広がる。
「セレナ様が……?」
「愛し子なのでは……?」
「でも、セレナ様の能力は……“王”だったはずだ」
「王、だから……抑えつけていたのか?」
「我々の願いを……?」
「まさか……」
「しかし……」
低く渦を巻くような人々の声が、広場を満たしていく。
誰もが真実を掴めず、誰もが恐れていた。
突然だった。
「お前が、母さんを殺したんだッ!」
鋭い声が響いた。
細い体の少年が、涙に濡れた顔でセレナに向かって走り出す。
「待て!」
大人たちが叫び、手を伸ばす。
だが少年は振り払うようにして走り抜け、
その手には光を反射するナイフが握られていた。
一瞬のことだった。
セラフィーネがセレナの前に飛び出した。
「だめ!」
刹那――鈍い音とともに、ナイフが深々とセラフィーネの胸に突き刺さった。
世界が、息を止めた。
セラフィーネが口から血を吐いた。
紅い滴が地面に散る。
少年は震える手でナイフを引き抜いた。
その瞬間、ラディンが飛び出す。
鈍い音が響く。
ラディンは、少年の頬を殴りつけた。拳の勢いで、少年は遠くまで吹き飛ばされた。
「セラフィーネ!」
リリアーナが駆け寄る。
セラフィーネの体から血が止めどなく流れていく。
セレナも、人々も――呆然と立ち尽くしていた。
「リリアーナ、血を止めろ!」
ラディンの怒鳴り声が響く。
「……できない……」
リリアーナの声は震えていた。
足も、手も震えた。頭が真っ白になる。
ラディンは歯を食いしばった。
彼は見ていた――リリアーナが以前、傷を癒やした光景を。
彼女には治癒の力があると確信していた。
ラディンはリリアーナの手を掴み、セラフィーネの傷口に押し当てる。
「願うんだ!」
白くなっていくセラフィーネの顔。
手に触れる血が、熱い。
リリアーナの頬を涙が伝う。
「……治って……お願い……!」
だが、力が出ない。
先ほどの歌で、魔力をほとんど使い果たしていた。
「――あの玉を出すんだ!」
ラディンの声に、リリアーナははっとした。
そうだ。セラフィーネから渡されていた、あの玉。
自分の魔力を込めた玉――。
リリアーナは震える手でそれを取り出す。
玉に込められた魔力を、全て解き放つ。無我夢中だった。
淡い光が玉を包み、ひとつ、またひとつと透明になっていく。
汗と涙が止まらない。
それでも、リリアーナは手を離さなかった。
すべての玉が透明になった。
――それでも、まだ血が滲んでくる。
ラディンの顔に焦りが浮かぶ。
流れ出る血が多すぎる。
「お願い、助けて……!」
リリアーナは声を震わせて祈った。
そのとき、耳の奥で、かすかな声が響く。
「……イイモノ、クレタラ……」
リリアーナは即座に答えた。
「あげるから……助けて!」
次の瞬間――
リリアーナの手が、まばゆい光に包まれた。
白い閃光が一瞬、夜を照らし出す。
そして、リリアーナはそのまま崩れ落ちた。
ラディンは素早くセラフィーネの傷口を確認する。
血が……止まっている。
リリアーナのもとに駆け寄り、脈を確かめる。
その手に、かすかな鼓動。
「……生きてる」
ラディンは小さく息を吐いた。
焚き火の火が揺れ、静寂が戻る。
夜の空気の中、二人の息づかいだけが聞こえていた。
ラディンは、ゆっくりと周りを見渡した。
人々は誰も動けず、ただ静まり返っていた。
焚き火の音だけが、ぱち、ぱちと夜気を裂いている。
ラディンは深く息を吐き、セレナのもとへ歩み寄った。
彼女は立ち竦んで、蒼白な顔でセラフィーネとリリアーナを見つめている。
「……謝れ。人々に、精霊に」
その言葉に、セレナの肩が震える。
「わたし、は……」
かすれた声が、喉の奥から漏れた。
「精霊がいなければ、セラフィーネは死んでたんだ!」
ラディンの声が強く響く。
「謝り、感謝しろ。そして――“いて欲しい”と願うんだ」
セレナの目が大きく見開かれる。
視線の先には、血の海の中に横たわるセラフィーネの姿。
「でないと、あの二人が……」
ラディンの言葉は途切れた。喉が詰まり、声にならない。
「……できない」
セレナの唇が震える。
「できる。俺が、信じてやる」
ラディンは静かに言い切った。
セレナの瞳が揺れる。
「……こわい」
「目を閉じてろ。そして、願うんだ」
その言葉に、セレナは震える手で胸を押さえ、ゆっくりと膝をついた。
冷たい地面の感触が、現実を突きつける。
セレナは両手を胸の前で組み、ぎゅっと閉じた瞳の奥で願いを紡ぐ。
――セレナは今まで、一度も精霊を見た覚えがなかった。賊の襲撃があった時は、あまりにも幼なすぎて。凄惨な事件が精霊の記憶を消していた。
だから、信じられなかった。
父も、母も――
確かに精霊の加護を持っていたのに、
それでも死んでしまった。
“精霊なんて、意味がない”
そう、心の奥深くで思い込んでいた。
だから、信じることをやめていた。
けれど――その拒絶こそが、精霊との絆を断ち切っていたのだ。
精霊の愛し子でありながら、
その存在を否定したことが、精霊たちを遠ざけた。さらにセレナの中に眠る能力――“王”本来なら、人々をより高みへと導く、しかし、支配すらする―が、強かった。
“王”の力は、人々の願いを押し伏せる。
その意志が、知らぬ間に島の祈りさえもねじ伏せていたのだ。
……セレナの魔力は、島の中では一番大きかった。
セレナは、いつしかそれに気づいた。
けれど――もしそれが真実なら。
あまりにも恐ろしくて、誰にも言えなかったのだった。




