カイルスの矢
マルグリットが、再び床から起き上がれなくなった。リリアーナはマルグリットの傍を離れず、世話をしたいと言った。セラフィーネは用事があると言って城を出ていった。結果、矢の職人に会いに行くのは、エドモンドとカイルスの二人になった。
エドモンドとカイルスは馬を駆る。先頭を行くのはエドモンドで、カイルスも慣れた手つきで手綱を操っていた。
やがて、街から離れた小屋へと辿り着く。矢の職人の住まう場所だった。
「すまない。会いたいという人物を連れてきた」
エドモンドが告げると、中から不機嫌そうな声が返る。
「……なんだ」
職人の前に進み出たカイルスは、期待に目を輝かせながら取り出した。職人の作った、魔石付きの矢だ。
「貴方が、この矢を作った人ですか?」
「……ああ、そうだ」
「貴方が? 一人でですか? 師匠はいないのですか?」
「師匠はいない。一人で作った」
「凄い!」カイルスは抑えきれぬ興奮で声を上げる。「教えも無しでこれを作るなんて!」
「……だから、なんだ」
職人の男は訝しげに目を細める。
「貴方なら、これが分かるでしょう」
カイルスは矢筒から一本の矢を取り出した。矢じりには魔石が据えられている。
男はじっと矢を凝視した。
「……膠と、木……? 何だこれは」
カイルスは答える。
「考えうる限りの最良の矢です。膠は猪型の野獣から、木は魔獣の死骸から芽吹く特殊な木を使っています」
「……な、何だと?」
カイルスは自信に満ちた笑みを浮かべる。
「見てみたいでしょう?」
三人は小屋の外へ出た。そこには古びた的が据えられている。
「まずは、貴方の作った矢から」
カイルスが弓を構え、職人の矢を番える。放たれた矢は鋭い音を立て、真ん中を正確に撃ち抜いた。深々と突き刺さり、矢羽根まで震わせる。相変わらずの威力に、エドモンドも思わずうなずく。
「次は、これを」
今度はカイルスが自ら持参した矢を取り出す。魔石の輝きを宿した矢を弦に掛け、ゆるぎない動作で引き絞る。そして、放った。
矢は真ん中からわずかに外れて刺さった。だが、その瞬間――的を貫き、背後の杭にまで突き立った。木片が飛び散り、重い衝撃音が響く。
「……!」
エドモンドが息をのむ。職人の男も目を見開き、言葉を失った。
明らかに、破壊力はそれを上回っていた。
男はぽつりとつぶやいた。
「……俺の矢は、遊び程度か……?」
カイルスは首を振る。
「違います。独学でここまで作れるのなら、天才に近いでしょう。いや、努力の賜物と言うべきかもしれません。この形になるまで、何度も失敗したはずです。……私の矢は、国の歴史と積み重ねられた研究の産物なのですから」
「どうして……俺に作れと?」
職人の声には戸惑いが混じっていた。
カイルスは静かに問い返す。
「この矢、作りたいでしょう?」
男は黙したのち、低く答える。
「……材料が、無い」
「材料があれば、作れるのですね?」カイルスの眼差しは真剣だった。
「……まあ、多分、な」
「もし、私がここに残る事になったら。……材料は何とかします。だから、用意できたら必ず作って下さい。次の魔鳥の来襲には、それを使いたいのです」
エドモンドが黙って二人を見つめる中、男の胸に新たな火が灯っていくのが分かった。
帰り道、二人は馬を並べ、ゆっくりと走らせていた。
カイルスが口を開く。
「この国では、魔力の使い方を勉強しないのですか?」
「……使い方とは?」とエドモンド。
「私の国では、物心ついた時から魔力操作の訓練が始まります。魔道具を作るのも、弓を射るのも、剣を振るうのも、魔力を使うのが当たり前なのです。しかし今朝、兵士たちの弓の訓練を見ましたが――誰一人、魔力を使っていませんでした」
エドモンドは小さく首を振る。
「この国では、魔力操作を教えてくれる人に会ったことがない」
「……だから、なのですね」
カイルスは深いため息をついた。
「本当は、私はここに来たいと思っていませんでした。……セラフィーネ様がどうしても、と頼むから来たのです」
そう言うと、カイルスは真っ直ぐにエドモンドを見た。
「私のように、弓を射てるようになりたいですか?」
エドモンドもその視線を受け止め、静かに答える。
「当然だ」
カイルスはわずかに視線を逸らし、言った。
「素質は、あると思います……。セラフィーネ様がリリアーナ様とシルヴァルナに発ってからなら、教えてもいいでしょう」
「……俺でも、できるのか?」
「約束は、できません。魔力操作は、結局本人の努力次第なのです。それは、貴方以外の兵士でも、同じです。……本来は、幼い頃からすべき訓練なのです」
「……何故、そこまで、してくれるのだ?」
「兵士達が、真剣だったから。矢の熱意が、凄かったから。……では、不十分でしょうね。……私は、死ななくて済む人を、死なせたくない、だけです。」
カイルスは遠い目をして、過去と未来の狭間を見つめるように静かに言葉を紡いだ。
その横顔を見つめていたエドモンドは、自らの内に眠る可能性の広がりを感じ取り、震えるような感情が込み上げてきた。