冬の小屋と魔獣避け
冬の間、リリアーナは毎日のように調剤師のおばあさんの小屋へ通った。
最初は水汲み、掃除、器具洗い。
「薬を作るなら、まずは清潔に。ここを怠ると死者を出す」
おばあさんはそう言って、何度もやり直しを命じた。
そして文字。
「字は絵じゃない。形をなぞるな。線の一本まで丁寧に。読める字は、綺麗に書ける字だ」
リリアーナが震える手で紙に並べた文字を、おばあさんは細かく指摘し続けた。
リリアーナは悔しさに唇を噛み、家では毎晩遅くまで練習した。
やがて春が近づく頃。
リリアーナはなんとか文章を読み、意味を理解し、書き写せるようになった。
ようやく、おばあさんは調剤の棚を指差した。
「乾燥した薬草なら、この時期でもある。……教えてやろう」
まずは名前と効能、そして使用法。
リリアーナは真剣な目で、次々にメモを書き写す。
そして、初めて魔獣避けの薬のレシピを教えられた。
「……最後に、魔力を加える。そうして薬は完成する」
おばあさんが示す通りに手をかざすが――リリアーナの薬瓶には、何の変化も起きなかった。
「……できない」
リリアーナはうなだれた。
おばあさんは静かに言う。
「調剤というのは、スキルだ。八歳の時に鑑定を受ければ、誰にどんなスキルがあるか分かる。おまえに調剤のスキルが無いなら、魔力を通しても薬にはならん」
リリアーナは唇を噛んだ。
だが、おばあさんは小瓶を取り上げ、淡々と続けた。
「……もっとも、これは魔力を通さずとも、ほんのわずかに効果はある。せいぜい鼠の魔獣くらいなら避けるだろう」
その声音は冷ややかだったが、どこか救いの色が混じっていた。
リリアーナは涙をこらえ、小瓶を胸に抱いた。
たとえ僅かでも、自分の手で作れた魔獣避けだったから。
春に近づくある日、リリアーナは乾いた小瓶を抱えて少年に駆け寄った。
「魔獣避け、作れたの。でも……効果は弱いの」
少年は驚いたように目を見開き、それから首を振った。
「子供が確かめるのは危ないな。……魔獣狩りに行く大人たちに試してもらおう」
翌日、町を発つ前の男たちに事情を話し、魔獣避けを一つ託した。
数日後。戻ってきた男の一人が、からからと笑いながら言った。
「……小さい魔獣なら確かに寄ってこなかったぞ。効き目は薄いが、あるにはある」
リリアーナは思わず小瓶を抱きしめた。
――本当に、効いたんだ。
隣で聞いていた少年の顔がぱっと明るくなる。
「これなら少しでも深く森に入れる! 薬草も木の実も、もっといいのが採れる!」
リリアーナも胸の奥に熱いものを感じた。
自分で薬草を集め、また魔獣避けを作りたい。
そして、魔獣避け以外の薬も覚えたい。
なにより――
調剤師のおばあさんの傍らに立って分かったことがある。
その手つきは年齢ゆえに震え、火を扱う時や刃物を持つ時に危うさが見え隠れする。
「……弟子にしてください。薬を作れなくても、調剤のことをもっと学びたいんです」
リリアーナが頭を下げると、おばあさんは目を細め、しばし黙り込んだ。
やがて、ため息混じりに言った。
「……弟子を取る金なんて、ないよ。教えるにも、余計な労力がかかるだけだ」
リリアーナは迷わず答えた。
「それでも構いません。お金なんていりません。ただ、学ばせてください」
老いた目が、ほんの僅かに柔らかくなった。
「……まったく。物好きな子だ」
それは承諾の言葉だった。
リリアーナは拳を握りしめた。
小さな一歩だが、確かに未来へ繋がる道を踏み出したのだった。