リリアーナ、エドモンドに問う
リリアーナは城へ戻った。
頭の中は、ラディンが今度渡してくれる「知らない魔獣避け」のことで一杯で、妙に浮き足立っていた。
だが、目にしたエドモンドの姿に、あの光景、……町で女性と抱き合っていた……、が鮮やかに蘇る。胸の奥がきゅっと痛み、足は自然と彼から遠ざかっていった。
一方、エドモンドの方も落ち着かなかった。リリアーナと金髪の男のことを、どうしても確かめたかったのだ。
夜。
リリアーナは机に広げた薬学の本に手を置いていた。
少しだけなら、気が大きくなる、という文面を指でなぞる。……ほんの一舐めで、臆病さを払いのけられる?
震える指で作った薬の瓶の口を開け、慎重にすくい取ると、そっと舌先に載せた。
苦味が広がる。同時に胸の奥に勇気が灯る気がした。
……今しかない。
静まり返った廊下を歩き、エドモンドの部屋の扉を叩く。
「……誰だ」
「リリアーナです」
音を立てるほどの速さで扉が開いた。
彼は目を見開き、すぐに彼女を招き入れる。
「話があって来ました。いいでしょうか?」
「……扉は開けておく」
「? はい……」
「入って」
戸惑いつつ足を踏み入れるリリアーナ。蝋燭の灯が、二人の影を壁に揺らしていた。
彼女は息を吸い込み、勇気を振り絞る。
「昼……町で女性と抱き合ってましたよね」
「……いや、違う。あれは、向こうから抱きついてきただけだ」
リリアーナの瞳はじとりと、射抜くように彼を見つめる。
「どういう人ですか」
「昔、会ったことがあるだけだ」
「それで、あんなにくっつくのですか」
「突然だったんだ」
「言い訳は……何とでも出来ます」
沈黙。
エドモンドは彼女を見つめ、声を低く落とした。
「……怒っているのか」
「当然です……」
声が震え、唇が噛みしめられる。
「横に居ていいのは……私だけです」
その言葉とともに、堰を切ったように涙がこぼれた。
「リリアーナ……」
エドモンドは戸惑いながらも、迷わず彼女を引き寄せた。
「すまん」
「……もう、しないでください」
「わかった」
彼の胸に抱かれ、リリアーナの小さな体は震え続けていた。
心臓の鼓動が、互いの胸板越しに響き合う。
彼女は顔を埋め、声にならない嗚咽を漏らす。
「……そんなに、俺が大事か」
「……っ、当たり前です……」
彼はその答えに言葉を失い、ただそっと彼女の髪を撫でた。時間が止まったように、二人は寄り添い続ける。
涙が乾いていくまで。
翌日。
エドモンドは執務室に腰を下ろしていた。
机の上には領地関係の書類が山のように積まれている。
……だが、目は紙に落ちていても、頭の中は全く別のところにあった。
(……昨日のリリアーナ……泣きながら「横に居ていいのは、私だけです」……)
脳裏に、潤んだ瞳と震える声が何度も再生される。無表情を装っているが、胸の奥では何かがぐるぐると暴れていた。
(可愛い……いや、可愛すぎる……!)
無駄にペンを握り直し、無駄に背筋を伸ばす。
表情は領主らしく固く据えたまま――だが中身は完全に悶絶中だった。
(あんなこと、普段なら絶対に言わんだろうに……。はぁぁ……)
こめかみを押さえ、深呼吸。
しかし、数行読んだだけで、また脳内リリアーナが現れる。
「横に居ていいのは、私だけです」リピート再生。
……もう仕事どころではなかった。
一方その頃。
リリアーナは廊下の角でひとり縮こまっていた。
両手で頬を押さえ、真っ赤になっている。
(ど、どうしよう……あんなこと言うなんて……。 あれは薬のせい、薬のせい……!)
何度もそう言い訳しようとするのに、胸の奥では「本音だった」ことを知っている。
だからこそ、エドモンドの顔を見るたびに、全力で赤くなってしまうのだ。
そう、廊下でエドモンドと鉢合わせした瞬間
「……リリアーナ」
「……!」
彼女は顔を真っ赤にして、そそくさと逆方向へ走っていく。残されたエドモンドはきょとんとし、それから小さく笑った。
(……やっぱり、可愛いな)
彼の胸の内では、再び昨夜の記憶が流れ出す。
表情は変わらぬまま、しかし内心では「可愛い」で執務室の半分を埋め尽くしていた。
そんな二人の様子は、周囲に筒抜けだった。
「ねぇねぇ、リリアーナ様って、領主様と顔合わせるたびに逃げてない?」
「うんうん、でも領主様の方は全然怒ってなくて……むしろ顔が柔らかい」
「わかる! あれ、絶対……」
「……絶対、そうよね」
廊下の陰や執務室の外で、使用人たちがこそこそ話してはニヤニヤ。
厨房でも話題はもちきり。
「領主様、昨日から書類ほとんど進んでないって」
「うちの領主様、珍しく恋煩いかしら」
「やだぁ、青春ねぇ」
本人たちは必死に隠しているつもりなのに、城中にはもう、あたたかい噂がじわじわ広がっていた。




