イリヤ族
――北の領地の西、草原と森が交わる辺りに、イリヤ族の焚き火が赤々と燃えていた。
粗野な言葉が飛び交い、焚き火の炎に照らされた顔は野心と獰猛さに満ちている。
「おい。オルフェウスは重症じゃなかったのか」
「息子が帰ってきたんだ。そいつが鎧鷲を退けた」
「エドモンドが戻ってきたの? やった!」
「シルビア、お前は黙れ」
焚き火を囲む男たちは、互いの顔を見合って歯を鳴らした。
「ちっ。弱った所を襲う予定だったのにな」
「何のために、わざわざ背黒斑をけしかけたんだ」
「まだ、冬の雪豹紋がいるぜ」
「息子、強いのだろう」
「裏から襲えば行けるだろう。まだ若い」
「そうだな」
焚き火の明かりに揺れる影の中で、シルビアだけは楽しげに目を輝かせていた。
「エドは殺さないでよ。夫にするのだから」
「シルビア、いい加減黙れ!」
怒声が飛ぶと、他の男たちがどっと笑い声を上げる。
「一回見ただけで、のぼせ上がるんじゃねえよ」
「失礼ね!何回も盗み見してるわ」
その輪の外れ、闇の中に潜むひとりの若い男は黙して座っていた。
彼はかつて北の森で、リリアーナと出会った者――。
仲間の言葉をただ聞きながら、胸の奥に小さなざわめきを覚えていた。
若い男は、思い出す
ある日のことだった。山を歩いていて、足を踏み外した。
ガツン、と鈍い音が響き、視界が闇に包まれる。
目を覚ましたとき、土の匂いに混じって、別の香りが鼻をくすぐった。
近くに袋が落ちている。
「……魔獣避けか?」
だが自分たちイリヤ族の調合ではない。
微妙に甘く、草の苦味を含む香り。気になって仕方がなかった。
翌日から、若い男は森を探った。
彼は狩人として一流だった。
風に混じる匂いで獣の種類を言い当て、足音の響きで人か魔獣かを見分ける。
気配を探れば、獲物の動きさえ読める。
そんな彼にとって、その「魔獣避けの匂い」を追うことは難しくなかった。
数日後。
森の奥で――その匂いをまとった小さな影を見つけた。
「……ん? 動きが変だな」
何かを探すように、きょろきょろしている。
「何を、しているんだ」
声をかけると、少女が振り向いた。
年が若い。澄んだ紫の瞳。紫の髪。珍しい色だ。
「…探してるの」
――その答えに、妙に腑に落ちた。
なるほど、この子が魔獣避けの主か。
「知ってるよ」
遠い、と言ったのに少女は嬉々として、ついてきた。……危機感が無いのか。
「枝か、種が欲しい…」
「取ってきてやる」
そう言って、少女が欲しがった枝を採ってきてやると、
彼女はぱっと顔を輝かせた。
森の小動物のように、無邪気に。
「ありがとう! お礼に」
差し出されたのは、鎧鷲の鱗。
若い男は思わず目を剥いた。
……待て。これは、すごい高価なものだぞ。
だが少女はその価値を知らぬらしい。
枝を大事そうに抱えて、にこにこと笑っている。
……おかしいやつだ、
だが、嫌ではなかった。
若い男は彼女を見つけた場所まで送り届けた。
帰り際、ふと心の奥で思う。
(また、会えるだろう)
森の風が吹き、匂いがかすかに残っていた。
しかし、彼女は北の森には来なかった。




