職人の男
職人の家は驚くほど整然としていた。
壁に掛けられた道具は、用途ごとにきちんと整列し、作業台には余計な埃ひとつない。
木の香りが漂うその場所で、壮年の男が一心に手を動かしていた。
「矢の話をしたいんだが。今いいか?」
エドモンドが声をかける。
男は手を止め、顔も上げずに低く答えた。
「……なんだ」
「領主に試作品の矢を置いていっただろう? あれは何だ?」
沈黙。
木屑が舞い落ちる音だけが響いた。
「……」
「その矢をもっと作ることはできるのか?」
食い下がるエドモンドに、ようやく男は顔を上げた。
精悍な顔立ちと、鍛え抜かれた肉体。
眼光は鋭く、黙々と作業をしていた先程の姿からは想像できぬ迫力がある。
「……何でだ」
「その矢を使うと、的中率が上がった者がいる」
「誰だ」
エドモンドはわずかに視線を横へ動かした。
「……この娘だ」
男の瞳がぎらりと光る。
しばしリリアーナを射抜くように見つめ――やがて低く言った。
「……外に出ろ」
職人に導かれるまま、三人は家の裏手へ出た。
そこには簡素な射場があり、粗削りの木の的が立っていた。
男は狩猟用サイズの弓をリリアーナに渡した。
そして矢筒から一本を取り出す。
――青と銀色の羽根。
――石を削ったような矢じり。
城でリリアーナが見た、不思議な矢そのものだった。
「娘。この矢で的に当ててみろ」
緊張に息を詰めながらも、リリアーナは弓を構えた。
指先が震える。だが、矢をつがえた瞬間、脈打つような魔力が自然と矢に馴染んでいく。
(――流れる。矢が、私の中の魔力を吸い込んでいく……!)
一気に弦を引き絞る。
ヒュッ。
風を切る音と共に、矢は一直線に飛び、木の的の真ん中へ深々と突き刺さった。
沈黙。
次の瞬間――
「――ハッハッハッハ!」
職人は腹の底から笑い声を響かせた。
笑いは荒々しく、けれど誇らしげで、長年抱えてきた鬱屈を晴らすかのようだった。
「矢が欲しいんだろう? 作ってやろう!」
笑い声の余韻を残したまま、男の顔は険しくなる。
「そして――魔鳥を狩り尽くしてくれ」
男は暫く興奮している様だった。やがて、ゆっくりと腰を下ろし、遠くを見つめるようにして語り始めた。
その声音は低く、押し殺しているようでありながら、胸の奥底から溢れ出す怨嗟を抑えきれていなかった。
「……俺はな、嫁と二歳の女の子がいたんだ。牛を飼い、畑を耕し、貧しくはあったが……それでも十分に幸せだったんだよ。
三十年前の、あの夏が来る前まではな」
リリアーナは息を飲み、耳を傾けた。
エドモンドもただ黙って拳を握りしめる。
「初めの襲来の時、俺は畑を耕していた。嫁は、かろうじて歩けるようになった娘の手を引きながら、大声で呼んだんだ。『お昼ご飯よ』ってな。……その声が最後だった」
男の声は、微かに震えていた。
「……凄い風が吹いた、と思ったら……嫁が消えてた。もう一度風が吹いた、と思ったら……今度は娘が消えてた。
羽音だけが、空に残ってな……。飛び去る魔鳥の姿を、俺はただ見上げてたんだ。
嫁は……身重だったんだよ」
沈黙が重く降りる。
リリアーナは胸の奥が締めつけられるようで、言葉が出なかった。
「……それから俺は、弓を手に取り、矢を作った。魔鳥を殺そうと、ひたすらに。
だがな……俺には弓の才がなかった。……届かねえんだ。
いくら矢を作ろうが、的を射抜けねえ。空を舞う魔鳥に、届かねえんだよ……」
男は拳で膝を打ちつけ、呻くように続ける。
「だからこそ、矢に力を込めてみた。矢じりには魔石を、羽根には魔鳥の羽を使った。
あの化け物どもを狩るための矢だ。使える奴を待っていた。……娘。どんな魔鳥でもいい。狩って来い。矢の数は少ない。
お前が持ち帰る羽根を魔石を、俺が矢に変えてやる」
彼はリリアーナを真っ直ぐに見据えた。
その瞳は、悲しみを燃やし尽くした灰のようでありながら、深い憎悪の火を宿していた。
「矢を作るのは……重労働だ。すぐには出来ねえ。だが、二ヶ月後には渡りが来る。……急げ」
風が吹き抜けた。
まだ少し冷たい冷たい風が、リリアーナの髪を揺らした。
リリアーナは拳を握り、決意を宿した目で頷いた。




