オルフェウスの話
翌日。
エドモンドとリリアーナは、オルフェウスの寝室に通された。
そこにはマルグリットと、ベッドに横たわったオルフェウスが待っていた。
昨日は笑っていた彼も、今日は顔色に疲れがにじんでいる。
「父上、無理をなさらずに……」
エドモンドが言うと、オルフェウスは手を振って制した。
「大丈夫だ。寝ていても舌はまだ動く。……さて、エドモンド、リリアーナには“渡り”について話してあるか?」
「まだです」
息子の答えに、オルフェウスはゆっくりとリリアーナに視線を移す。
「リリアーナ」
低い声が響いた。
「これから話すことは、楽しいことではない。しかし、この地で暮らしていくには必要なことだ。聞けるか?」
「……はい」
リリアーナは背筋を伸ばし、真剣な面持ちで答えた。
オルフェウスはひとつ息を吐き、言葉を継ぐ。
「この土地は――夏には“渡り魔鳥”の襲撃を受ける。一週間位にわたり群れをなして飛来し、家畜を襲い、時に人も襲う。身長は二メートル位か。大型の凶暴な肉食魔鳥だ。
そして冬には、北から狼型の魔獣の群れが押し寄せる。長い雪に閉ざされた時期だ」
リリアーナは思わず息を呑んだ。
魔獣は、ここでは現実の脅威として語られている。
オルフェウスの目は鋭く、しかし誇りを帯びていた。
「その期間――農民も兵士となり、皆で家族と家畜を守る。
今までは、この身が領主として指揮を執ってきた」
ベッドの上の拳が強く握られる。
「だが……もう、前のようにはいかぬ」
オルフェウスは、深く息を整えたあと、言葉を続けた。
「……エドモンド。渡りの指揮は、お前に頼む」
「はい」
息子は即座に返答する。だが、その声音にはわずかな緊張がにじんでいた。
「父上」エドモンドはためらいながらも問う。「怪我を負った時のことを、聞かせてください」
ベッドに横たわるオルフェウスの眼差しが鋭さを増す。
「……いつも恒例の、西の森の視察中だった。背黒斑が出たのだ」
室内の空気がわずかに張り詰めた。
「一匹ならば余裕だった。しかし……番がいた。気づかぬうちに背後を取られ、肩から背中にかけて抉られた。……この左腕は、もう動かん。大弓も二度と引けぬ」
静寂を破るように、エドモンドが低くつぶやく。
「……背黒斑は、もっと西の深い森に棲むはずでは……」
「そうだ」
父の声は苦い。
「だから油断した。境まできているとは思わなかったのだ」
そこで、リリアーナが思わず口を開いた。
「……背黒斑とは?」
エドモンドは彼女に視線を向け、説明する。
「背に黒い斑模様を持つ、熊に近い形の魔獣だ。大熊よりは小さいが、動きが素早い。牙も鋭く、肉を裂く力は熊以上……。それが出るなら、西の森はもう危険だ」
「ええ」マルグリットが頷く。
「昨日は斥候が戻ってきたの。西の森に出した者たちが、やはり“魔獣の動きが不自然”だと言ってきたのよ」
「不自然?」リリアーナが問い返す。
「ええ。数が多すぎる。棲み処を追われて移動しているのか、それとも――隣国の部族が何かを仕掛けたのか」
マルグリットの声には、かすかな憂いがにじんでいた。
「大弓は……練習は続けます。しかし、父上の技量には到底及びません」エドモンドは言う。
「それでもやらねばならん。魔鳥は群れで来る。大弓が無ければ兵士を何人も失うだろう」
重苦しい沈黙が部屋を満たす。
夏を前にして、この地に迫る影は確かに広がりつつあった。




