リリアーナ、北国へ行く
リリアーナとエドモンドは、都を発ってから二週間、果てしなく続く草原や森を越え、馬車に揺られ続けていた。
窓の外には次第に見慣れぬ景色が広がり、空気は澄んで冷ややかになっていく。
「この地の気候は、一年を短い夏と、雪に閉ざされる長い冬とで形づくられる」
揺れる馬車の中で、エドモンドは穏やかに言葉を紡ぐ。
「夏は短いから、農作物は限られている。肥沃な土地ではないゆえ、羊や牛、山羊を放牧しているんだ。
ミルクや羊毛、そして肉――生活を支えるのはそれらだ」
リリアーナは頷きながら耳を傾けた。
彼の声は淡々としているけれど、そこには生まれ育った土地を誇る響きがある。
「年中、魔獣が現れる。特に冬は数が増える。……それでも人はここで暮らしている。
だから、リリアーナにはまず、この土地に慣れてほしいと思っている。まだ婚約の期間なのだから」
大切に守ろうとするような口調に、リリアーナの胸は温かくなる。
都育ちの自分には、雪に閉ざされる冬も、魔獣の出没も、まだ遠い世界の話。
けれど――未知のものに触れることへの怖さよりも、新しい生活を始められる期待の方がずっと大きかった。
どんな景色が広がっているのだろう。
どんな人々が暮らしているのだろう。
そして、自分はこの土地でどんな風にエドモンドと歩んでいけるのだろう。
そんな思いを胸に、リリアーナは窓の外へ視線を向ける。
ふいに馬車が丘を登り切ったとき――目の前に、灰色の石造りの巨大な城が姿を現した。
白い雲を背に聳え立つその城は、都の華やかな宮殿とは違い、堅牢で威厳に満ちている。
遠目にも分かる厚い城壁と塔は、長い冬と魔獣から人々を守るためのものだろう。
「厳しい土地だけど――」
隣でエドモンドが静かに言った。
「ここが、私の家だ。そして……君の新しい居場所でもある」
リリアーナの胸はどきどきと高鳴った。
旅の終わり、そして新しい生活の始まりが、いま目の前に迫っている――。
リリアーナとエドモンドは、長い馬車の旅を終えてようやく城門をくぐった。
目に入ったのは、玄関前に並んで待っていた二人の人物。
ひとりは立派な体格だが、今は分厚い毛布にくるまれた車椅子に座っている。
エドモンドの父――オルフェウス辺境伯。金色の髪に青い瞳。
その隣に寄り添うように立っているのは、穏やかな雰囲気をまとった母、マルグリット夫人。エドモンドと同じ灰色の瞳と白みがかかった金髪。エドモンドに似ている。
「ただいま帰りました。父上、母上」
エドモンドが馬車を降りて駆け寄る。「こちらが、手紙でお伝えしたリリアーナです」
「リリアーナです。初めまして。よろしくお願いいたします」
リリアーナは深々と頭を下げた。
オルフェウスは大きく頷き、「こちらこそ、遠いところ来てくれて嬉しい」と笑う。
……笑った、が、その声は少し大きすぎてリリアーナは思わず背筋を伸ばした。
「父上、傷は大丈夫なのですか」
エドモンドが心配そうに覗き込む。
「大丈夫だとも!……起き上がるくらいはできる。死にかけはしたがな!」
父は自慢げに胸を張るが、直後に「うっ」と咳き込んだ。
「父上!」
「いや、ほら。王が“まだ死なれては困る”と、王宮から治癒師を派遣してくださったのだ。第三位の治癒師だぞ! あれがいなければ、今頃わしは棺桶の中で――」
「はいはい!」
マルグリット夫人がぱん、と手を叩いた。
「外で棺桶の話などしないの! リリアーナ嬢が怖がるでしょうに。ほら、中へ入りなさい」
「母上……」
「いいから。風邪をひくわよ!」
あれよあれよという間に、公爵夫人はリリアーナの手を取って屋敷の中へ引っ張っていく。
横で「死にかけたのは本当だぞ!」とまだ言っている父。
「はいはい、父上」と宥めるエドモンド。
リリアーナには、そのやり取りが妙に息の合った夫婦漫才のように見えて、思わず口元が緩んだ。




