表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
男爵家の六人目の末娘は、○○を得るために努力します  作者: りな
第5章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

236/286

ラディンは、ラニアを訪ねる

ラディンは、あの裏庭での密談の後、自らの部族のもとへ帰っていった。季節はさらに巡り、冬は深まる。

例年であれば、魔獣の襲来に備える時期だった。

城では対策のための人員が配置され、見張り台には昼夜を問わず兵が立つ。薪が積み上げられ、矢羽の補充が進み、緊張が静かに張りつめていく。

オルフェウスは、ラニアの言葉を思い出していた。

「魔獣はもう、来ない」

あの時の、妙に確信に満ちた声。だが、万が一があってはならない。彼は例年通りの対応策を命じた。油断はしない。それが領主としての責務だった。

しかし——

魔獣は、なかなか現れなかった。

雪を踏みしめる音は風のものばかりで、森の奥も静まり返っている。偵察隊が戻るたび、報告は同じだった。

「異常なし」


そんな束の間の平穏の中、城門に見慣れた影が現れた。毛皮を纏い、雪を払う男。

ラディンだった。

「ラニア、いるか?」

低く通る声が中庭に響く。その声を聞いた瞬間、廊下の窓辺で外を眺めていたローデンは、静かに思った。

……来たな。

予感は、外れない。次の瞬間、扉が勢いよく開く。ラニアが小走りで駆けていくのが見えた。冬の冷気も気にせず、一直線に。

「どうだった? ねぇ?」

まるで何かをねだる子どものような声音。期待を隠そうともしていない。

ラディンは肩をすくめる。

「待て。落ち着いてからだ」

容易くあしらうその態度。慣れている。距離の取り方を知っている。

ラニアはむっとしながらも、結局はその隣に並ぶ。


その光景を遠目に見つめながら、ローデンは理由のわからない感情に胸を締めつけられた。

言い合いでもない。触れ合ってもいない。

ただ、自然に並んでいるだけ。

それなのに。

なぜか、敗北したような気がした。

まだ何も始まっていないはずなのに。

ローデンは視線を逸らし、拳を握る。

束の間の平和は、どうやら彼の心には訪れていなかった。


「裏庭だと、寒いな」

吐く息を白くしながら、ラディンが言った。

確かに、冬の裏庭は冷えきっている。立ち話をするには向かない。

「暖かいのは、暖炉の部屋かな?」

ラニアは指先をこすり合わせながら答える。軽い調子だが、目は真剣だった。

ラディンは横目でラニアを見る。

「他の人が聞いてもいいのか?」

低い問い。ラニアは少しだけ視線を落とした。

「うーん。リリアーナに、隠し事はしないって約束したから」

その声は小さいが、迷いはない。ラディンは一瞬だけ黙り、それから肩をすくめた。

「まあ、噂だけだしな」

深刻に構えるほどの確証はない、という含み。二人は並んで廊下を歩き出す。

石の床に靴音が響く。窓から差し込む冬の日差しが、長い影を作る。

距離は自然に保たれているはずなのに、どこか近い。

城の奥、暖の入った部屋へと向かいながら、二人の足取りは静かに揃っていた。


暖炉の部屋は、外の凍てつく空気とは別世界のようだった。北の領地の冬は長い。吹雪に閉ざされる日も多い。

だからこそ、この季節は“内”を整える時期でもある。

マルグリットは、帳簿と羊皮紙を広げていた。

春に備えた備蓄の確認、織物工房の進捗、塩漬け肉の在庫、燃料の配分——領主不在時の城を回すのは、彼女の役目でもある。

リリアーナはその隣で、籠いっぱいの薬草を広げていた。

北方では冬の間、女たちは手を止めない。

雪に閉ざされる前に摘み、干しておいた薬草を選別し、葉と茎を分け、傷んだものを取り除き、効き目ごとに束ねていく。

兵の凍傷に使う軟膏用の葉。咳止めに煎じる細かな花。熱を下げるための根。

乾いた葉が擦れるかすかな音が、暖炉の火の弾ける音に混じる。


そこへ、扉が叩かれた。

「ラディンとラニアじゃない? どうしたの」

顔を上げたリリアーナが、驚き半分、興味半分で言う。ラディンは一礼し、言葉を選ぶように口を開いた。

「いや、ちょっと良くない噂を聞いて。忠告に来たんだ」

慎重な声音。暖炉の火がぱちりと弾ける。

「良くない、噂?」

リリアーナの手が止まる。

「そうだ。俺たちの部族は、お前たちとは違う。情報網もな」

森を渡る狩人たちの噂は、城の伝令より早いこともある。

「それで、どんな話なの?」

ラニアが身を乗り出す。期待を隠さない目。

ラディンは一瞬、彼女を見る。それから視線を戻した。

「とある部族は、魔獣を使役している。しかし、最近……命令に逆らうことがあるとか」

リリアーナは小さく息をのんだ。

初めて耳にする話だ。

「ふうん、それで?」

ラニアは思いのほか落ち着いている。

「魔獣を従える方法を、必死に探してるとさ」

ラディンはそこで言葉を切った。部屋に、わずかな緊張が落ちる。

「それは、何か関係してくるの?」

リリアーナが静かに問う。その問いは、領主家の嫁としてのものだ。脅威か否か、それだけが重要。

ラディンは首を横に振った。

「今のところ、接点はない。お前たちの領地とは離れている。だが——」

言葉を飲み込む。

「魔獣を無理に従わせる方法が見つかれば、何が起こるかわからない」

暖炉の火が揺れる。マルグリットは静かに帳簿を閉じた。

「つまり、火種はまだ遠いけれど、風向きは読んでおけ、ということね」

その声音は落ち着いている。北の冬を幾度も越えてきた女の強さが、そこにあった。

ラニアはロキを抱き寄せる。

小さな鼓動が、腕に伝わる。


暖炉の火が揺れる中、ラディンはわずかに視線を彷徨わせた。言うべきか、迷っている顔だった。

だが、結局は口を開く。

「それが……どうしてか、ラニアが魔獣使い、ロキが魔獣だっていう噂が流れているらしい」

一瞬、部屋の空気が止まった。

「……はい?」

リリアーナの声が、素で裏返る。

どうしてラニアが魔獣使いになるのか。

——いや、ロキが魔獣なのは、まあ、そうなのだけれど。

マルグリットは眉をわずかに上げただけだった。

「おかしな噂ね」

静かな評価。ラディンは肩をすくめる。

「何も起こらなければいい。だから、噂だけ伝えに来たんだ」

表向きは、それが理由。

だが——真実は、違う。



あの裏庭で。

ラニアは、まるで思いつきを口にするような顔で言ったのだ。

「もし、魔獣の制御が弱くなっていたら、噂を流して。魔獣使いがいる、って」

「何だと……?」

ラディンは眉をひそめた。ラニアはにこりと笑う。

「僕が魔獣使い。ロキが魔獣。そうすれば、彼らは来る、でしょ?」

まるで、かくれんぼの鬼を誘い出すような言い方だった。

「真実だろうが、嘘しか見えんな……」

ラディンは額を押さえ、深いため息をつく。

危険だ。だが理屈は通っている。

魔獣の制御に困っている部族がいるのなら、“新たな魔獣使い”の存在は無視できない。

「よろしく」

軽い声。

「どうして、俺がするんだ」

ラディンは即座に返す。

「だって、魔獣の使役。周りは誰も望んでない……違う?」

その言葉は、静かに突き刺さった。

他の部族も、誰も魔獣を縛る未来を、望んではいない。

ラディンはもう一度、ため息をついた。

断る理由は、ある。だが、否定できる理屈は、なかった。



暖炉の前。

何も知らないリリアーナが、まだ首を傾げている。ラニアは、ロキを抱いたまま、どこか楽しそうに火を見つめていた。

噂は、ただの噂ではない。それは、撒かれた餌だ。本当に、食いつくのか。

それを待っているのは——おそらく、ラニアだけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
魔獣が来ないどころか、王妃もリリアーナを呼び出さないしで、助かったよね?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ