ラディンとラニア、裏庭にて
裏庭は、屋敷の喧騒から切り離された静寂に包まれていた。石壁に囲まれ、冬枯れの蔓が絡むその場所は、秘密を語るにはちょうどいい。
ラディンとラニアは、肩が触れそうなほど近い距離で向き合っていた。声は自然と、ひそめられる。
「それで、何がしたいんだ」
低く、短い問い。
ラニアは一度、ロキの耳を撫でてから口を開いた。
「あのさ、その部族が使役している魔獣、解放したいな、と思って」
ラディンの眉が、わずかに寄る。
「無理だ」
即答だった。
「あれは、過去に幾度も倒そうとした者たちがいたらしい。しかし、全部失敗したと聞いてる」
冷静な現実。狩人としての判断。だがラニアは、怯まない。
「あのさ……もし、魔獣に埋め込まれてる魔石が、傷ついていたら?」
「どういうことだ?」
ラディンの声が、さらに低くなる。ラニアはロキをそっと抱き上げた。腕の中で、ロキは静かに目を細めている。
「これ、がね。確かに魔石に傷をつけた、って。……熊は、解放を望んでた、って」
言葉は途切れがちだった。視線は地面に落ちる。ラディンはラニアを見つめる。
「信じてるのか?」
問いは静かだが、試す響きを含んでいた。
ラニアは顔を上げる。
「ロキは、嘘は、ない」
ラニアは声を落とした。
「縛られ続ける。それは、魔獣でも、人でも……可哀想じゃない?」
そう言って、ロキを高く持ち上げる。陽光の中で、その金色の瞳で、じっと見つめる。
「一瞬だったって。その時は。でも、少しずつ魔石の傷は、広がるかも?」
希望とも、願いともつかない言葉。ラディンは小さく息を吐いた。
「放っておけよ」
冷たい、と言われても仕方のない声音。
「その時は、自業自得だろ」
ラニアは、何も言わなかった。ロキを抱いたまま、ただ黙る。沈黙が二人の間に落ちる。遠くで風が枝を鳴らした。
やがて、ラディンが口を開く。
「……でも、部族に戻ったら、何か情報があるかもしれない」
ラニアが、はっと顔を上げる。
「本当に?」
期待に満ちた瞳。
ラディンは視線を逸らした。
「……期待するなよ」
ぶっきらぼうな言い方。だが、拒絶ではない。ラニアはふわりと笑った。
「待ってる」
その無邪気な笑みに、ラディンは思わず苦笑する。
……どうして自分は、こうして巻き込まれていくのか。ラディンは、思った。
裏庭へと消えていった二人の背を、ローデンは柱の陰から見ていた。
自分でも、何をしているのかわかっている。
女の後をつけるなど、男として最低な行為だ。
——そんなこと、いつだったか自分は、誰かに言った。
それなのに。今まさに、その「最低」をやっているのは自分だった。石壁の陰に身を潜め、呼吸を殺す。胸の鼓動だけがやけに大きい。
……近すぎる。
ラディンとラニアの距離が、やけに近い。肩が触れそうで、声を交わすたびに顔が寄る。ひそひそと囁き合う姿は、まるで秘密を共有する恋人のようにも見えた。
しかも、物陰だと。どうしてわざわざ、人目を避ける。
ローデンは唇を噛みしめ、最大限に聞き耳を立てた。だが、届くのは風に紛れた断片だけ。
低い男の声。言葉の意味までは拾えない。やがて、はっきりと耳に届いたのは、たった一言だった。
「待ってる」
ラニアの声。
柔らかく、弾むような響き。それ以外は、ほとんど聞こえなかった。十分だった。
ローデンの視界が、ぐらりと揺れる。
膝から崩れ落ちそうになるのを、必死で堪えた。石壁に手をつき、指先に力を込める。
待ってる、だと。
誰を。何を。
胸の奥が焼けつくように痛む。自分は何を期待していたのか。
笑い合う二人の姿が、脳裏に焼きつく。
ローデンは歯を食いしばった。崩れ落ちるのは、簡単だ。だが、それを許すほど、まだ弱くはない。
そう言い聞かせながら、彼は物陰で、ただ静かに耐えていた。




