リリアーナ手紙を書く
公爵家に滞在して5ヶ月が過ぎた。
勉強の時間も、作法の時間も、リリアーナは真面目に取り組んでいた。
アデライドや公爵から褒められることも増えた。
――けれど、夜ひとりきりの部屋に戻ると、心の中にぽっかりと空白が広がる。
机の上に紙とペンを広げる。
「お父さん、お母さん……」
書き始めたはずが、手が止まる。
会いたい。
元気でいるだろうか。
少年は、無事だろうか。
その想いが胸を満たし、文字にしようとすると、涙がぼたぼたと紙に落ちてしまった。
「……おかしいな。元気でやってるよ、って書きたいだけなのに」
何度も紙を取り替えては、言葉が続かない。
親にも、少年にも、弾き語りにも――結局、手紙は書けなかった。
ただひとり、調合師の師匠にだけ、便りをしたためることができた。
『師匠へ
私は公爵家に滞在し、勉強をしています。立派な人たちに囲まれて、背筋を伸ばす毎日です。
けれど、本当は、森に好きな時に入って薬草を集めたい。
煎じ薬の香りに包まれて、瓶を並べるあの時間が恋しいです。
リュートも、もっと自由に弾きたい。
そして、少年と剣を交わしてみたい。
……でも今は、こちらで頑張ります。
弾き語りの人に会ったら、どうか伝えてください。
“私は元気にしています”と。
リリアーナ』
-最後に名前を書き終えた時、インクににじむ涙の跡がいくつも残っていた。
手紙をたたんで封をする。
(帰りたい。でも、ここで頑張らなくちゃ)
胸の奥で、寂しさと覚悟がせめぎ合う。
リリアーナはそっと息を吐いた。
数日後。
勉強と作法の日々に追われるリリアーナのもとに、一通の手紙が届いた。見覚えのある、師匠の筆跡。
封を開けると、懐かしい薬草の香りがふわりと漂った。
> リリアーナへ
元気だよ。お前は頑張っていてえらい。
でも、辛くなったら帰っておいで。いつでも歓迎するから。
少年は冒険者になったらしい。随分強くなったと聞いた。
お前と同じで、きっと努力してるんだろう。
いくつか薬草を同封する。好きな香りだったろう?
自分でブレンドして、香り袋でも作りなさい。
便箋の中には、丁寧に包まれた色々な種類の薬草の小袋と綺麗な布が入っていた。
「師匠……」
指でそっと薬草を撫でる。
乾いた葉の手触り、森で一緒に摘んだ時の光景が甦る。
胸が熱くなり、気づけば涙がぽろぽろと零れ落ちた。
「……うれしい。まだ、私は……頑張れるよ」
リリアーナは小袋を開け、机の上にハーブを広げた。
ラベンダーのように甘い香り、ほろ苦い草の香り――組み合わせて、小さな香り袋を作る。
完成した袋を胸に抱くと、心の中にふんわりと温かさが広がった。
涙はまだ止まらない。けれどそれは、寂しさだけの涙ではなかった。
「森にも、家にも帰りたい。でも……ここでもう少し、やってみよう」
香り袋を枕元に置き、リリアーナは微笑んだ。
公爵家の広い屋敷の中、たったひとりの部屋で。
けれどその夜は、ひとりきりではないように思えた。




