彼女の腫瘍
翌日、アグネッタとリリアーナの前に現れたのは、まさに“絶世の美女”と呼ぶにふさわしい女性だった。
整った目鼻立ちに、しなやかな立ち姿。絹糸のような長い髪はストロベリーブロンド、瞳もよく似た色をしている。だが、その美貌に似合わぬ沈痛な影が、その表情には落ちていた。
彼女は隣国の高貴な立場――と紹介された。深い色のドレスを首元まできっちりと留めたまま、静かに口を開いた。
「ある時から、皮膚の色が変わり、そこが醜く膨れ上がるようになりました。その部分は徐々に大きくなっていきます。薬草も効かず……一度、皮膚ごと削いで治癒を施したのですが、暫くすると再び再発するのです」
アグネッタは真剣な表情で頷いた。
「見せていただけますか?」
美女はわずかにためらうような息を吐き、首元のきっちり閉じられていたボタンを一つずつ外した。そしてうつむいてうなじをさらす。
そこには――赤黒く変色し、ぶよぶよと膨れた肉塊のようなものが、皮膚に貼り付くように広がっていた。
リリアーナは息を呑んだ。
アグネッタは低い声で尋ねた。
「……削いだあと、どれくらいでこの大きさになったのですか?」
美女は眉を寄せて答えた。
「……半年ほどです」
その答えを聞くと、アグネッタは明らかに眉をひそめ、ただならぬ気配を感じ取ったように沈黙した。
「……それは、他の場所には移らないのですね?」
アグネッタが慎重に問いかけると、美女は静かに首を振った。
「はい。私の身体では、この部分にだけ現れます。周囲の者に移ったこともありません」
アグネッタはわずかに考え込み、それから言った。
「触ってみてもよろしいですか?」
「ええ、かまいません」
アグネッタは許しを得ると、指先でそっと患部に触れた。皮膚よりは少し硬く、かといって簡単に剥がれるようなものには見えない。アグネッタは表情が引き締まる。
「……用意してきます。ナナ、患部をよく確認しておきなさい」
その言葉に、リリアーナはすぐさま深く頷いた。
アグネッタが調合室へ向かったあと、リリアーナは彼女の背にそっと近づき、うなじの患部をじっと見つめた。
赤黒いぶよぶよした塊はまるで違う生き物みたいで、皮膚との境目には不自然な凹凸がある――リリアーナは息を詰めた。
……おそらく腫瘍なのだけど、除去しても再発するなんて。今、切除しても同じ結果になりそう――。
リリアーナは唇を噛んだ。そっと魔力を全体に薄く流してみる。
……違和感は、ない。
腫瘍が身体の一部として認識されている……?明らかに異常なのに?
初めての腫瘍への対応で、リリアーナは思考が固まってしまった。
……どうしよう、わかんない。
そんな時、調合室からアグネッタが戻ってきた。低い声で、リリアーナだけに問う。
「……どうなの?」
リリアーナは小さく首を横に振った。アグネッタはほんの一瞬だけ眉を寄せ、すぐにいつもの落ち着いた表情に戻った。
「……少し、範囲が広がりすぎていますね。患部に薬を塗る前の下準備をします。ナナ、これを最初に塗って」
アグネッタは瓶を差し出した。そしてリリアーナの耳元で、小さく鋭く告げた。
「これで“確定”しなさい」
……え。
無理。できません。
心の中で叫ぶリリアーナ。しかし、声には出せない。渡された薬草水を手に、リリアーナはそっと彼女の背中へ近づいた。
「良い香り……ですね」
美女は不安の中にも、少し安堵したように言った。
……多分、香りの良い薬草水なんだろうけど……。リリアーナはちらりとアグネッタを見る。
アグネッタの表情は真剣そのもの。その厳しい眼差しに、リリアーナの背筋に冷たい汗が伝った。
……やらなきゃ。
決意を固め、リリアーナは薬草水を患部へそっと塗り広げ、もう一度魔力を流し込んだ。
今度は腫瘍へ意識を集中させる。
……あれ?ほんの僅かに、魔力の反応が違う――。
けれど、その違和感は表面だけではない。
身体のさらに奥へ、根を張るように広がっているのが分かった。
リリアーナは顔色を失った。
――これでは、表面の腫瘍だけを除去しても、内部からまた、新しく生えてくる。
……どうしよう。
完全に見抜いてしまったからこそ逃げられない現実に、リリアーナの手が震えた。
リリアーナは薬草水を塗り終えると、すぐにアグネッタのもとへ戻り、さらさら筆を走らせた。
《即効性の眠り薬、麻痺薬、布が必要です。彼女には、少し寝てもらいます》
その文字を目にしたアグネッタは、一瞬だけ眉根を寄せたが、何も言わず棚から最も効果の強い薬瓶を三つ取り出し、静かに机へ置いた。
「これから、薬の“処置”を行いたいのですが──」
アグネッタは周囲の者たちに向けてゆっくり口を開いた。
「他の方々には席を外していただけますか? 特殊な処置ですので、見られたくないのです。もちろん当の本人には眠っていただきます」
美女と付き人は、互いに不安げに顔を見合わせる。
「もちろん、無理強いはしません。ただ──」
アグネッタは静かに言葉を続けた。
「一番効果が望めるのは、おそらく、この方法なのです」
短い沈黙が落ちた。重い空気を破ったのは、美女の震えを含んだ声だった。
「……お願いします」
「……よろしいのですか?」
付き人はまだ不安を隠せずにいる。
「わざわざ来たのです。このままにしても自然に治るとは、思えませんから」
美女はきっぱりと言った。
「……では、進めますね」
アグネッタは、静かにそう告げた。




