リリアーナとラニア、その日
リリアーナとラニアは薬草かごを手に、森へと歩みを進めていた。冬になれば採取できない薬草も多い。薬を調合したいリリアーナにとって、今日の採集は欠かせないものだった。
そんな折、ラニアがふいに言った。
「エドモンドと結婚したら、リリーは幸せになるの?」
「…生活は、あまり変わらないと思うけど、きっと幸せなんだと思うよ?」
リリアーナは幸せそうに笑った。
それを見て、ラニアは一瞬動きを止めた。
「…ねえ、リリー。ぼくの生まれたところ、行ってみたい?」
「うーん……気にはなるけれど、遠いならやめておくわ。」
リリアーナは薬草を摘みながら曖昧に答える。するとラニアは即座に言った。
「そんなに遠くないよ。ねぇ、行こうよ」
押しの強さに、リリアーナは肩をすくめる。
「……そんなに言うなら、ちょっとだけ、ね」
「こっちだよ」
そう言うなり、ラニアはリリアーナの手をぐいと引っ張った。
「ちょ、ちょっと。速いってば」
リリアーナは慌ててついていく。二人はどんどん森の奥へ、陽の光も届かぬ深い場所へと入っていった。さすがに不安が胸をよぎる。
「ねえラニア……戻ろうよ。ここ、危険だよ」
「もう少しだよ。ほら、見えた」
ラニアが指さす方を見た瞬間、リリアーナは息を呑む。
そこは森の中にぽっかりと開いた空間――澄みきった泉が静かに湧き、水面が淡く輝いていた。
だが、リリアーナはその光景に背筋が凍りついた。
……魔力溜まり。
普通の動物は本能で避ける、強大な魔力の吹き溜まり。
「……もう、いいでしょ?帰ろう?」
震える声で言う。
ラニアは泉を見つめたまま、低く呟いた。
「待って。泉の中に、どうしても必要なものがあるの」
その必死な声に、リリアーナは眉を寄せる。
ラニアが泉を覗きこむのを真似して、リリアーナも泉をよく見ようと近寄った。
「……必要なもの?」
リリアーナはラニアに聞いた。
ラニアの目が、どこか哀しく揺れた。
瞬間――
トンッ…
「きゃっ!」
リリアーナは足元が消え、水の中へ落ちた。
冷たさが全身を打つ。視界が乱れる。その上から、ラニアの声が落ちてきた。
「……あのね、この泉は魔力溜まりの中心なんだ。」
ラニアがゆっくりとリリアーナを見る。
その表情には、どこか決意と、諦めと――罪悪感が滲んでいた。
リリアーナは必死に水面へともがきながら、震える声を絞り出す。
「ラ……ニア……? どうして――」
泉の魔力が、彼女の身体を絡め取っていった。
リリアーナの身体が冷たい水に沈む中、ラニアは静かに囁いた。
「リリー。この身体は、もっと魔力が必要なんだ。それは……ここでしか得られない。」
その声は、どこか幼く、そして底知れず暗かった。
「でもね、ぼく……ひとりでいるのは嫌なんだ。だから、一緒に眠ろう?」
水面に映るラニアの瞳は、闇を吸いこんだように深く沈んでいる。
「……大丈夫。リリーも眠れるように、ちゃんと準備しておいたから。」
そう言って微笑む顔は、以前の愛らしいラニアとは全く違う。
リリアーナは必死に意識を繋ぎ止めようとする。
しかし――力が、抜けていく。
「……ラ、ニア……?」
手も足も、思うように動かない。
まるで魔力に神経を奪われていくようだった。
ラニアはそっと彼女の頬を撫で、まるで恋人に語りかけるように言う。
「リリー、目が覚めたら……ぼくだけを見て。ぼくだけに笑って。ぼくだけを抱きしめて。
……大好きだよ、リリー」
その声音は甘く、狂気を孕んでいた。
ラニアは、リリアーナの持っていた物を全て泉に投げ入れた。普通なら浮くはずの物が、全て不自然に沈んでいく。
そして、ラニアも、泉に足を入れた。
意識が薄れゆくリリアーナの手を、ラニアは自分の身体に抱き寄せ、
包み込むようにその腕を絡めた。
「もう離さないよ。」
ラニアは静かに目を閉じる。
泉の魔力が二人を飲み込み――
深く、深く。
底などないかのように。
二人の姿は、光なき水の奥へと沈んでいった。
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ラニアは、ずっと前から準備を進めていた。
自分の身体に、魔力が足りていないことには気づいていた。
精霊は――濃い魔力溜まりの中で、長い時間を過ごし、生まれる。それが条件。
リリーの魔力は心地良いけれど、それだけでは足りない。
このままでは、ラニアの存在が保てない。
だからラニアには、魔力溜まりで眠る必要があった。
けれどその事実は、ラニアの胸を重たく締めつけた。
リリーの腕に抱かれて眠るとき――心があたたかく満たされていく。あの優しい腕に、ずっと包まれていたい。
「ずっと、このままがいい」
そう願った。
…でも。
エドモンドと結婚する話が聞こえてきてから、リリアーナは少しずつ、変わってしまった。
彼女の笑顔は相変わらず優しくて、見ているだけで嬉しい。けれど――その瞳の中に、ぼくはいない。
遠くの未来を夢見て、笑うリリー。
ぼくの知らないところで、誰かに向けて笑うリリー。
「ねぇ、リリー……」
ラニアは胸の奥で問いかける。自分の声が、震えているのが分かった。
あの子みたいに、ぼくのいないところで笑うようになるの?ぼくじゃない誰かを見て、誰かに抱きしめられて――ぼくを忘れてしまうの?
それだけは、嫌だ。
「リリー……ずっと一緒にいよう?」
ラニアは、考えた。どうすればいいのか、何が正しいのか――そんなことは分からない。
ただひとつだけ、確かなのは。
リリーと離れるなんて――絶対に、嫌だった。




