第一話 旅のはじまりと、不味い世界
「……風、うまっ」
最初に異世界の地に降り立って、マコトが感じたのは、澄んだ風の香りだった。
草の青さ、木の匂い、そしてどこか、わずかに漂う……出汁になりそうな空気。
「これは……鶏ガラ系の湿度、いや、木の樹皮の香りだな。燻してみたい」
目の前には、なだらかな丘と小川、小さな吊り橋、遠くに見える石積みの壁――村だ。
「よし、じゃあまず“開店場所”の視察から、いきますか」
背中に寸胴鍋、肩には製麺機、腰にはラーメン丼。
それらはすべて、ラーメン神から授かった“携行アイテム”である。
地球製ながら、神の手入れによってメンテナンス不要・衛生完璧・素材補完機能つきのありがたい一式。
スキル《麺識眼》も発動中。
目に映る素材や植物に、まるでARのように小さな吹き出しが浮かぶ。
【クァリ草:茹でると粘り気が出る。とろみ系スープに適性あり】
【バル根:繊維質が強く煮崩れしにくい。チャーシューに混ぜ込め】
【オルマ鳥:あっさり系。鶏清湯スープに適した骨構造】
「こりゃすごい……異世界味の開拓、行けるぞ」
そう呟いて、マコトは村へと足を踏み入れた。
◆ ◆ ◆
村の名前は【エルバの集落】。
丸太小屋が並び、中心に共同井戸と小さな広場がある。建物は質素で、煙の上がる屋根はどこも煤けていた。
マコトが入っていくと、まず視線が突き刺さる。
目を丸くした子ども。顔をしかめるおばあちゃん。石を投げかけようとする若者(寸前で止められる)。
「す、すみません、怪しい者じゃ……ないです。ラーメン屋です」
その言葉に、ざわめく村人たち。
「ラ、ラメ……ン屋?」
「なんだ、魔物の名前か?」
「もしかして……呪い師?」
(なんで“ラーメン”が“禁忌呪術”みたいな扱いなんだ……?)
しかも、通りすがりの子どもが手にしていた木の皿には、灰色の粥が盛られていた。
塩気もなければ香りもない。マコトが見ても、**何味なのかすら分からないレベルの“無味”**だ。
《麺識眼》が警告を発する。
【エネルギー値:極小/味覚刺激値:皆無/幸福度:測定不能】
「……まさか、これが“普通の食事”なんですか……?」
その声を聞いた老婆が、ぽつりと答えた。
「数年前までは、野菜や鳥も手に入ったんじゃがね……最近は瘴気のせいで、畑も狩りもまともにできんのさ」
「瘴気……って、まさか空気が悪くなってるとか?」
「そうじゃ。食い物の味も薄くなり、子どもらは腹を下してばかり……」
マコトの中で、何かがカチンと音を立てた。
(……こんなもんを“食事”と呼ばせちゃ、いけねぇだろ)
「すみません、村長さんっていらっしゃいますか?」
「わしじゃが……あんた、旅人か?」
「いえ、ラーメンの伝道師です」
「なにその宗教っぽいの!?」
驚く村長に、マコトは寸胴をとん、と掲げる。
「この村に、一杯の希望を炊かせてください。できれば、村の素材を少し分けていただければ……」
「……材料があれば、の話じゃが。川魚と、木の実と……オルマ鳥なら、まだ数羽いる」
「十分です。――あ、あと、井戸の水だけお借りしても?」
「……火も、燃料もあるぞい」
マコトは微笑んだ。
――それは、“開店前の店主の顔”だった。
「それじゃあ、早速……始めましょうか」
そして、寸胴に火が入り、異世界で最初の湯気が、ふつふつと立ち上がる――!