魔法医師カルミアの嘆息 『物盗り』
王都に限ったことではないが、人の多いところには物盗りがいる。
彼らは物陰にジッと潜み、身なりや所作を総合して、もっとも効果的な窃盗を行うのだ。どんな卑しいことでも数をこなせば自然と感覚が養われるものであり、熟練の物盗りとなると一夜にして家を持つに至るのだ。
ジャスティンという男はその中でも群を抜いた実力を持ち、今この瞬間にもその妙技が人知れず披露されようとしていた。
物陰には卑しい連中がいるというのは通念事項であり、誰も好き好んで路肩には寄らない。つまり通行人の意識は路肩に寄っているのだ。
ジャスティンはこれを逆手に取る。
古着を纏った彼は道行く馬車と並走し、馬丁を装った。そうして堂々と街路を歩き、擦れ違い様にするりと糸を手繰るが如く、財布を抜きせしめた。
彼が平凡な物盗りであれば焦って路地裏に逃げ込んだことだろう。
しかし彼はこの道の達人。その胆力は生半可なものではないのだ。
財布を上着の内側に隠すとそのまま馬丁を装う……もちろん、本来の馬丁に気付かれないよう、彼は通行人をも装っていたのだ。そのまま曲がり角まで来ると、彼は馬車の脇から離脱し、路地裏に入る。その場で戦果を改めることなく、幾重にも迷走した上で巣穴に帰った。
「へへへ! 全くチョロいもんだぜ!」
舌なめずりをしながら財布を改めるが……なんということだ! びた一文入っていないではないか!
「なにいっ⁉」
ジャスティンは大いに動揺した。この自分が獲物を見誤るなんて……一生の不覚!
その時だった。
ガチャガチャガチャ!
表に通じるドアのノブが、乱暴に動かされる。施錠していなければ何某かが押し入ってきたことだろう。
ジャスティンは訝しんだ。なぜだ? どうしてここが?
「まさか!」
慌てて財布を確認すると、隅の方に小さな金属片があった。金属片には不思議な紋様――ルーンが刻まれている。
「なんてこった!」
魔導具というものがある。特殊な金属にルーンを刻むことにより、火を起こしたり、水を湧かせたりと、様々な効果を得られるのだ。つまりこの金属片は魔導具であり、発信器と呼ばれるものなのだ。
バギイ!
ドアが破られ、男が入ってくる。ジャスティンが財布をスッたあの男だ。嫌らしい笑みを浮かべて、迂闊な物盗りを見つめている。
「よう、盗人さんよ? 追い詰められてどんな気分だい?」
「くそ!」
ジャスティンは窓を割って逃げようとしたが、襟首を捕まれて倒される。男はそのまま彼に馬乗りになり、顔面が醜悪に歪むまで殴り続けた。それは計30発にも及び、ジャスティンが気を失わずに済んだのが不思議なくらいだった。
男は起き上がり、おまけに蹴りを喰らわせ、唾を吐き捨てた。
「ふう……スッとしたぜ」
「う、うう……」
「俺はな、盗人をボコすのが趣味なんだよ。人知れず正義を執行する……こんなに愉快なことはないだろう?」
そう言いながら男はジャスティンがこれまでに奪ってきた金品を漁り始めた。
「衛兵には突き出さねえでやるよ」
「なんで……だ…………」
「んなの、オモチャが減るからに決まってんだろ? そんじゃあな」
男が去って行くと、巣穴には静寂が蘇った。しかし、その性質は全く違う。以前は欲望と歪な愉悦とが酒気の如く怪しく漂っていたが、今は悲哀の一言に尽きる。
「うう……」
ジャスティンは乱暴された生娘のように悔し涙を流した。
しかし彼に同情する者はいない。
なぜなら彼は卑しい盗人であるからだ。
その夜、ジャスティンは収奪を免れた金銭を片手に酒場にやって来ていた。場末の小汚い酒場ではない。繁華街の中にひっそりと居を構える小洒落たバーだ。
こう言った場所は来る者拒まず、余計な詮索をしないのが鉄則である。無論、客同士も例外ではない。だから彼のように方々から恨まれている人間にとっては、まさに憩いの場なのだ。
「とびきり強いヤツを」
ジャスティンがそう口にした時、掟を破り待ったを掛ける者が現われた。
「やめときなさい」
「なに?」
振返ると、スツールをひとつ飛ばして女が腰掛けていた。
白い肌に、絹のような淡い色の髪を持つ美女だ。全体的に白い彼女において口紅の紅は目立つ。そのバラのように情熱的な唇はまさに魔性のものであり、ジャスティンは憤りも忘れて唇がグラスを受け止めるのに見蕩れていた。
女は酒で舌を湿らせると、うっとりと酒気を吐き出す。
「ケガをしてるのだから、酒を飲んだら悪化するわ」
「……は! 余計なお世話だ!」
「こう見えて私は医者なのよ? けが人を見過ごすなんてできないわ」
「医者だって?」
ジャスティンは訝しんだが、彼女の美貌を前に、その正体に思い至るのにはさほどの時間を要さなかった。
「まさか、カルミアか」
「ふう……私も有名になったものね」
カルミアは酒を飲み干すと銅貨を置いて立ち上がった。
「ついていらっしゃい。治してあげるわ」
「……金はねえぞ?」
「あら? バーに来ておいてそれはないんじゃない? マスターもそう思うでしょう?」
「全くですな」
初老のバーテンは淡然と、しかし微かな茶目っ気を窺わせて同意する。
「……わかったよ」
患者を伴い自宅兼診療所に帰って来たカルミアは、魔法のランプで室内を照らし、治療の準備に掛かった。
「そこへ横になって」
ジャスティンは言われるままに寝そべった。
「殴られたのは顔だけかしら?」
「ああ、そうだよ」
彼は腹を蹴られていたが、顔の痛みにそれをすっかり忘れていたのだ。
「そう……」
問診をしながらも準備を終えたカルミアは早速治療に掛かった。
「口を開けて……そう」
ライトを翳して口内を確認する。頬の内側に僅かな切傷がある。出血は治まっていて、傷も浅い。縫合の必要は無さそうだ。歯の方もあれだけ殴られたというのに破損が見られない。
「これだけ酷く痛めつけられたのに、運の良い男ね」
脱脂綿に消毒薬を染み込ませて洗浄する。それから歯が触れないように別の脱脂綿を歯茎との間に詰める。
次に顔だ。
皮膚が破けていて、腫れと軽い内出血を起こしていた。消毒をして、20分ほど冷やす。
「今日はこのまま休んで行きなさい」
「か! こんな薬臭いところにいて堪るか!」
「寝てしまえば気にならないわよ。さあ」
カルミアは指先を彼の頭部にあてがうと魔法を掛けた。
するとジャスティンは抵抗する間もなく眠りに落ちていく。
それから一夜明けた。
ジャスティンは薬品臭さに顔を顰めつつ、頭を抱える。魔法で眠らされた弊害で多少の頭痛を感じていたのだ。
「あら。ようやくお目覚めのようね」
衝立ての陰からカルミアが現われる。その手には湯を張った桶があり、手拭いが浸されていた。彼女は淡然とした眼を患者に向ける。
「具合はどうかしら?」
「最悪だよ……」
「傷の具合を聞いているのよ」
「……大して痛まねえよ」
魔法で眠らされたジャスティンであったが、さほど憤りを感じていなかった……否。この女に対する畏怖のせいで、感じることが出来たなかったのだ。
「そう……なら早く終わらせてしまいましょう」
「ああ、そうしてくれ」
カルミアは傷口を消毒すると固く絞った手拭いで顔を温めた。
「こうして血行を良くすると効率良く治せるのよ」
「さいですか」
手拭いをもごもご動かしながら言う。
そうして数十分が経過すると手拭いをどけた。
「それじゃあ、始めるわよ。楽にしてちょうだい」
「ん」
カルミアは昨夜彼を眠らせたときと同様、顔に手を添えた。そのまま目を瞑り、指先に意識を集中する。
「…………」
すると、蜂に刺されたかの如く赤く腫れ上がっていた顔が、徐々に元の状態へと戻っていく。途中、消毒を挟みつつ、魔法を何度も掛けていく……そうして20分が経過した時には完治していた。
「……すげえな」
ジャスティンは鏡を見つめながら感嘆した。彼は魔法医師の治療を受けたのはこれが初めてなのだ。
「これに懲りたら二度と物盗りなんてしないことね」
カルミアは机に向い、一筆したためながら言う。
「アンタ……どうして俺が物盗りだって……」
「貧相な身なりをしながらも、バーにやって来るほうがおかしいと思わない?」
「……そんなの、服に頓着がないだけかも知んねえだろ?」
「方々に恨みを買っているから、他者に干渉しない不文律があるバーにやって来たと考える方が自然だわ」
ジャスティンが閉口していると、カルミアが手紙を差し出した。
「……どういうつもりだ」
「採集ギルドへの紹介状よ。これからは足を洗って、真っ当に働きなさい」
「ふざけんな!」
「ふざけているのはあなたの方よ」
2人は睨み合う……目を背けたのはジャスティンの方だった。
「あなたが金を盗ったせいで苦しんでいる人間が大勢いるのよ? あなたは呑気に酒を飲んでいるから知らないでしょうけれどね?」
「…………」
「あなたの事情は知らないけど、誰かを苦しめることだけは絶対にやめなさい」
カルミアはこの時、初めて感情を見せた。それは強い正義感であり、怒りであった。
「……優れた胆力と繊細な感覚を持つあなたには採集家が向いているわ。ここで働く事を贖罪としなさい……いいわね?」
言い終ると、厳かな沈黙が訪れた。それは糸のようであり、両者の間を縫い、微風に乗ってジャスティンに絡みつく。幾重にも巻き付き、やがて重厚になり、彼の胸を締め付けた。優れた胆力を持つ彼とて、この嫌らしい、湿っぽい緊張は不得手であった。
「……け! 他人のくせに偉そうに言いやがって」
絶えかねた彼は喘ぐように悪態をつくと、紹介状を掠め取って診療所を出て行った。
カルミアの目が届かなくなったところで捨てようとした彼だが、カルミアの言葉を思い出す。一歩。また一歩と彼女から遠のくほどに惨めになっていって、捨てようとした時には敗北感で胸がいっぱいになった。それはあの男に嬲られたとき以上にのものであった。
「…………ああ、わかったよ! やれば良いんだろ!」
突如叫びだした彼の姿に通行人から視線が集まる。ひそひそとウワサをされるも意に介さず。彼は紹介状を手にしたまま、採集ギルドへ駆け込んでいくのだった……
それから一月が経った。
カルミアは日頃から薬の材料の一部を採集ギルドから仕入れているのだが、それを届けに来た青年が他愛もないことを言う。
「最近ジャスティンっていう若いのが入ってきたんですけどね、彼の仕事ぶりは凄いんですよ。ひとりで秘境まで行って、珍しい薬草とかをバンバン採ってくるんです。あれはもはや探検家ですよ。ははは!」
その話を聞いたカルミアは満足げに溜め息をついた。
「ふう……採集家を紹介したはずなんだけどね」
ご精読いただきありがとうございます。
拙作のほかにも長編も連載しておりますので、ご都合がよろしければ是非、お読みいただければと思います。