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『猟師の陸郎』



 宵照村の隅、白蛇川が隔てる北の開けた隣森の地にて。


 猟師頭の自称一番弟子… だったのは過去の話。

 とある男にその座を奪われ、名実共に二番弟子へ降格した陸郎は、悔しさに持て余した日常を過ごしていた。


「喜助のやつは何故ああも弓が上手いんだ…」


 辛うじてやさぐれ掛けと言ったところ。

 近頃の不猟の影響から、狩りの戦果としての目に見えた大差が表れていないことが奏し、陸郎の矜持はすんで絶えずの瀬戸際を彷徨っている。

 今もこうして矢をつがえ、形だけではありながらも修練は欠かしていなかった。


 ─────(ひゅ)


 四十間(70m)先にある切り株の上、狙った木片(まと)の中央へ。

 綺麗な直線の軌道を描きながら、吸い込まれるように矢が刺さり、木片は勢いがまま弾け飛ぶ。

 軅、地に落ちた其れの周囲には、同様に矢が刺さった木片が数多に散乱していた。


 (ぼぅ)として覇気のない修練の中であっても、陸郎にとってはこの程度、造作もない所業だった。

 並の猟師ならば自慢に思える実力でも、その表情は一切にして、曇模様から晴れることはなかった。

 喜助はこの倍であろうとも百中、更には素早く動く的ですら正確に射抜いてみせる。遥か彼方の技と比べ、自分はなんとちっぽけなことか。

 惨めになるばかりで、喜びが生まれよう筈もない。


「はぁ…」


 大きく溜め息を吐いて、陸郎は再び木片を設置するべく切り株の方へと向かった。

 足取りは重く、鈍く、沈んだ心情が動作の節々から滲んでいるようである。


 それから十数回と無為な時間を過ごした頃だ。


「おーい陸郎、真昼に何やってんだ?」


 狩人仲間の一人が怪訝な目つきで声を掛けてきた。

 猟師は朝から夕方にかけて狩りへと勤しむ。特に半ばとなる真昼時は森にいる事が殆どであり。幾ら不猟の近頃にあっても、こんな時間まで村に留まっている猟師など、有り体に言えば穀潰しの不労者に他ならない。


 とはいえ此方を貶す彼だって同じ状況な訳で。


「おらは弓の修練だぜ? 暇に甘んじてる訳じゃねぇぞ。お前の方こそどうしたんだよ」


 そっくりそのまま返してやれば、男は下劣に笑いながら「俺は暇に甘んじていた」と平然、応えを寄越してきた。


「まぁそんな事はどうでもいいんだよ。今日はとっておきの面白い話があるんだが、聞きたいか?」


 なんなんだ此奴はと眉をひそめていた陸郎は、続く男の言葉に耳を僅かに傾ける。

 彼は狩人仲間の中でも、不思議と情報通な人物だった。

 森の変化、獲物の減少傾向や不審な死骸、黒い影の噂やら何やらと、初めて聞くのが彼の口からである話は数知れず。

 猟師として尊敬に値しない男に肖るのは悔しいが、それだけで無為にするのは些か惜しいと感じてしまう。


「…話くらいなら、聞いてやらねぇこともないぜ? 」


 渋々に興味を告げてやれば、男はきひひと口の端を歪めて傍まで駆け寄ってきた。


「断られても話すつもりだったんだけどな。その為にここまで来たんだからよ」


「その言い草だと、弓の修練をしてる事も知っていたんじゃねえか…」


 再び眉をひそめながらも、一度言った興味を引き下げる事はしない。


「ほら、早く話せよ」


「へへ、じゃあ早速…」


 男は陸郎の耳許に掌を翳し「ここだけの話」と囁いた。


「あの、森の主が村の近くまで降りて来ているらしい」


「…なに?」


 陸郎は目を見張る。


 森の主とは、体長が優に二間(3m)を超える化け物のような巨熊の事であった。

 かつて猟師頭が森の奥にて遭遇し、脚を一本持っていかれながらも命からがら逃げ延びたというのは、猟師間では有名な逸話である。

 そして森の主を仕留める事はこの村の猟師にとって何よりも誉となる事の一つとして、考えられていた。

 尤も、森の奥深くに棲息している巨熊なんぞ、遭遇すること自体が奇跡のような話であり。誰もが頭の片隅に入れながらも、挑もうとする者は一人たりともいなかったのだが。


 然し、課題の前提である遭遇が容易に叶う。

 少なくとも手の届く所にある、と男は言ったのだ。


「何処から聞いたんだよ、そんな話」


「んまぁ、喜助が先刻に猟師頭と話していたのを少々な」


「盗み聞きじゃねぇか」


 呆れた奴だとじとり見てやるが、当の本人は気にした様子なく、下品な笑みを維持し続けている。


「まあまあ、良いじゃないか。そこで提案があるんだが…」


 言葉を区切り、周囲をちらちらと見回してから、再び耳許へ隠すように。


「俺とあんた、二人で森の主を狩りにいかないか?」


「…はぁ?」


 陸郎は正気か此奴、と少しだけ距離を取って睨みつけてやる。


「まさか、獲物を横取りしようってのか!?」


「ちょ、ちょ…!! 声が大きい!!」


 慌てる男に、陸郎は呆れた視線を向けた。


「あんた、何考えてんだよ…」


「そらぁ、幻だった話が現実味を帯びたんだ。挑んでみたくなるのが猟師魂ってもんだろう?」


 確かに、逸話を聞いた猟師は誰もが一度は頭を過ぎる。羨望の的となりうる偉業、栄誉、憧れるのは猟師として、いや男として当然の思考だろう。


 陸郎だって例外ではない。

 然し、猟師集の掟として『獲物の横取りは禁止する』とある。最初に発見した者が狩りの権限を所有し、手離さない限りはその者へと譲ることになっている。血気盛んな猟師の諍いや揉め事を減らす為には必要な決まりであり、罰も相応に重いものが用意されていた。


 悩む陸郎に男は妖の如く囁いた。


「まあ聞けよ。この話はな? まだ猟師集の皆には伝えられてない。誰も知らないのだから、最初に見つけたのが喜助だと、あの野郎の獲物だと証明する奴はいない。猟師頭は昔に狩りの権限を手放してるから、そこだって問題ない」


 陸郎は息を飲む。


「つまり、知らぬ存ぜぬで先に仕留めちまっても、今なら大丈夫って寸法だ」


「…それなら、確かに」


 心に魔が差した。

 森の主ほどの獲物を仕留めたとなれば、だ。

 喜助に劣る二番手などという不名誉を覆し、更には猟師頭をも超える最高峰と箔が付く。

 技術に劣ろおうとも、結局は戦果がものを言う。

 猟師とは往々にしてそういうものだ。


「へへ、俺は陸郎の手伝いしか出来ないけどな。栄誉の一端には預かれる。周りの奴らから一目置かれる棚から牡丹餅、それさえあれば充分だ。

 どうだ? やってくれる気にはなったか」


 他に何の企みがあるのかは分からない。

 彼はあまり信用のおける(たち)ではないが、それでも今は欲が陸郎の視界を濁していた。


「…いいぜ。おらが森の主を仕留めた村一番の猟師になってやるよ」


 きひり。

 男は下劣を深めて笑う。


「流石、陸郎だ。話の分かるやつで助かった」


 陸郎は大一番の勝負に出掛ける事を決めた。

 急がねばならない為、今直ぐから。


 そういえば、この男の名前はなんだったか…。

 名の知れぬ彼、何処か黒い印象を受ける彼と。

 何故か、なんの不安も浮かんではこなかった。









 οO独語りOο


 一分は約3mm。

 一寸は約3cm。

 一尺は約30cm。

 一間は約3m。


 これは尺貫法と呼ばれる指標で、大宝律令《701年》から使われている日本古来の計量法である。

 他にも一(もんめ)(3.75g)、一両(37.5g)、一斤(600g)、一貫(3.75kg)と重さを表せたり、面積や体積も表す事が出来る。




ここまでお読み戴き誠に有難く思います。

ブクマ、評価、感想なども御願い出来れば幸いです。

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