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『宵照村の出来事』2



「弟切草が沢山あります。此処まで歩いた甲斐があったというものですね」


 弥生は満足げに草を摘んでいた。

 八人(やひと)は其れを冷ややかに見詰める。


 此処は森の奥深く。

 少なくとも半刻程は村から離れた場所にあった。

 噂の真偽は分からないが、危険を語っていたのは何処の誰なのか。目的の薬草が近場で見つからなかったとはいえ、幾ら何でも阿呆の所業だ。


「喜んでるところ悪いが、帰り道は分かってるんだろうな」


「当たり前です。しっかりと印は付けて進みましたからね、問題ありません。私の事を何だと思ってるんですか」

 

 不満に口を尖らせた彼女に対して八人は「薬馬鹿」と一言、吐き捨てるように冷たく告げる。


「む、それは否定出来ませんね。薬は私の総てですから。八人だって何度も救われているでしょう? 薬は凄いんですよ」


 そう語る弥生の頭の中は恐らく弟切草の効能やら調合やらで埋め尽くされているのだろう。

 八人には理解出来ない世界である。

 もう好きにしてくれと、天を仰ぐ。

 視界に映るのは鬱蒼とした木々、斑模様の薄い陽光…


 不思議と懐かしさを感じた。

 こんな奥地まで来るのは久しぶりだ。

 だが、浸るような気分にはなれない。今の八人は勝手気ままな狩人ではなく、責任伴う彼女の護衛であるのだから。


「…はぁ」


 短い溜息が森に染み渡った。


「なんです? 幸せが逃げますよ」


 しゃがみ込み、熱心に草弄りへ精を出していた弥生が面を上げる。思いの外、大きな呆れが篭ってしまったようだった。


「誰のせいだと思ってる」


 刺々しい感情が硬い声を像作った。

 さしもの彼女にも其れはきちんと伝わったらしい。

 さっと立ち上がり、可愛らしく腰に手を当てた。


「さっきから凄く不機嫌ではありませんか? 文句があるならはっきりと言ってください」


 危機感のない物言いに少しだけ、むっとした。


「じゃあ言わせてもらう。無鉄砲に森の奥まで潜るな」


 嘲りと怒りの籠る淡々とした指摘に対し。

 弥生は特に驚いた様子もなく。


「そんな事ですか。別にいいじゃありませんか。守ってくれるのでしょう?」


 何を言うかと思えば…

 確かに任せろとは言った。然しものには限度がある。

 八人は呆れを強めては吐き捨てる。


「だからといって危険に飛び込むのは違うだろう」

 

 噂の影に山立、野武士やら。

 不確定な不穏も然る事(なが)ら、森は危険に満ち満ちている。

 熊一匹ならまだしも其れが番であれば?

 狡猾な狼の群れに出会してしまったら?

 不意を付かれて毒蛇に噛まれる事だってあるかもしれない。


 幾ら八人が()いているからとはいえ、必ずしも総てから守ってやれるとも限らないのだ。


「それは… そうですね」


 納得してくれたのか弥生は小さく俯いた。

 それで良いのだと八人は不機嫌にそっぽ向く。

 普段は賢いというのに、薬が絡むとどうにも危なっかしくて仕方がない。


「分かったら、とっとと終わらせろ」


 暫くは無言で薬草を摘む彼女を見守っていた。

 燥ぐのを止めた懸命さを認めて、文句には一段落を着けた。心配から来ただけの戯言なのだから、これ以上は無粋だと理解している。それなのにどうにもおかしい。どうしてか落ち着かない。嫌な予感が内で蠢き続けている様な感覚だろうか。気持ちが晴れてはくれず、何処か釈然としなかった。


 剣呑に辺りを警戒しながらふと気付く。

 獣の気配も、虫の騒めきも、木々の葉音さえ。


 しん、と凪いでいる。


 思えば、此処は静か過ぎた。

 あぁ… 懐かしさの正体が分かった。不思議と苛立ち、落ち着かない感情の奥底が知れた。


 八人はかつてを想う。

 独り蹲っていた不安の終わり。

 声を掛けられた、その瞬間。


 思えば、あの時と同じ。


 森全体が怯えていた。

 何かを恐れている。

 圧倒的な捕食者が近くにいる。

 だけれど彼女は村に居る筈で。


「…おい、そろそろ帰るぞ」


「え? でもまだ、こんなに残って」


 渋る弥生の腕を掴む。

 冗談ではない。

 こんな所は一刻も早く離れたかった。

 気付いてしまえば深刻な焦りが募る。

 それ程に状況は緊迫していた。


「噂の影かは知らんが、何かいる」


 八人は小声で告げる。

 短く、端的に、真剣な眼差しで。


 彼女も状況を理解した様子だ。

 無言で頷き、急々と支度を整える。


「帰り道は分かるんだよな?」


「任せてください」


 二人はその場を離れていく。


 早々と移動しながら、八人の研ぎ澄まされた五感が追跡者を捉えていた。


 此奴、でかい…

 熊など造作もない巨体、足取りは猪よりも軽やか。

 そんな化け物が辺りをぐるりと動き回っている。

 どうしてもっと早く気付けなかったのかと、八人が己を恥じるほどに其の存在は脅威的だった。


「もう少し、急げるか」


「追われているのですか?」


「…あぁ、恐らく」


 襲い来る気配はなかった。

 ただじとりと粘着質な視線が向けられている。

 どういうつもりか分からないが、化け物の気が変わる前に、一刻も早く村まで弥生を送らねば話にならない。


 せめて彼女を逃がせる程の距離までは。


 がさ、がさ。

 ざっ、ざっ。


 低木を掻き分けて、成る可く直線に進み行く。

 半刻も経たずして村が見えてきた。

 薬に関わる浅慮を除けば、矢張り弥生は器量が良い。


「まだ、居ますか?」


 やや緊張した声が掛かる。

 村に近付けば近づくほど、化け物は其の存在を隠そうともしなくなっていた。

 けたけたと嗤い声を(どよ)めかせ、蒼白い眼光を爛々と光らせ、周囲をぐるりと大きく揺らす。

 何よりも距離感が絶妙で、八人が紡ぐ言霊の範囲内には決して入ってくれず。相応の知性を嫌でも感じさせられた。


 危害を加えるような事も、進行を妨げる事も無かったが、酷く不気味で恐ろしい所業は延々と続き。


 村が見えてきた今になって、化け物の奇妙な挑発は鳴りを潜めた。

 然し気配だけは間違いなく近くに感じる。


「すぐ傍に居る。村に入るまでは油断するな」


 弥生はこくりと頷いた。


 あと少し、村までの辛抱だ。

 そこまで辿り着けさえすれば良い。

 少なくとも八人だけは其れを確信していた。


 また暫く、緊張の時間を過ごし。

 漸く村の入口に辿り着いた所で、気配は跡形もなく霧散した。


「…もう、大丈夫でしょうか」


 不安そうな弥生にはっきり告げる。


「あぁ、ここまで来れば安全だ」


 ───何せ、母さんが居るのだから。


 日が暮れ掛けていた。


 今日の仕事はこれにて終わりだ。










 οO独語りOο


 宵照村は山間の集落であり、成り立ちをして山の民が基となっている。年貢を納める為の畑が広くあるものの、未だに猟師として生活をする者も多く。

 そしてこれは薄れつつある習わしではあるが。

 山の民ならではの薬草知識に明るかった、祈祷師の者が村を治める長──この頃でいう乙名(おとな)を代々継いでおり。弥生は村長(おとな)の娘として、その道にのめり込んだという背景がある。




ここまでお読み戴き誠に有難く思います。

ブクマ、評価、感想なども御願い出来れば幸いです。

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