付喪神と天狐
少し肌寒い秋の夕暮れ。枯れた芝生が広がる庭に、緑の和装がよく映える。その目立つ背中に、白い和装の少女が駆け寄った。
「……瀾。そろそろ、帰ろう」
「あぁ、分かった。わざわざ呼びに来てくれてありがとう、燐」
振り返った青年は、それまで眺めていた大木に一礼した。開けた高台にあるこの庭はとても広いが、その中央に生えている大きな老木だけが恐ろしい異彩を放っている。一本だけ佇むその桜は、またの名を『尸櫻』と呼ばれていた。
「ねぇ、瀾」
「なんだい?」
「どうして、そんなに尸櫻好き? 瀾、いつも、ここにいる」
瀾は少し考えて、柔和な笑みを浮かべた。
「燐が迎えに来てくれるから、かな。それを楽しみにしているんだ」
「むぅ……なんで、隠すの」
「全く、拗ねないの。本当はね、この櫻がいつ咲くのか見たいからだよ。僕が生きている内に、咲いてくれるのを待ってるんだ」
美しく乱れ咲き、見るものを魅了して喰らうと言われる妖樹。それこそが言い伝えにある尸櫻だった。それなのに、実際にこの木が咲いたところを見たという伝承も、言い伝えも残ってはいない。青年は、そこに希望を見出だしていた。
「僕は、死ぬことを赦されていない。もう、何百年も彷徨って、やっとここへ辿り着いて……考えずにはいられないんだ、この櫻は僕を殺せるのか、と」
「……瀾、死んじゃう? 燐のこと、一人にするの……?」
「いや、そんなつもりはないよ。ただ少しだけ、ほんの少しだけ、ありふれた伝承の一つを信じてみたくなっただけだから」
涙目になった燐の頭を撫で、歩き出す。立ち竦んだままの彼女は、暫くして自らの姿を変えた。真っ白な狐が庭を駆け、瀾の肩へ飛び乗る。もう馴れているのか、青年は姿勢を崩すこともなく狐を撫でながら歩を進めた。
「燐も天狐だから、死ねないって意味で仲間だね」
「そういう瀾も、付喪神。死ねない」
「本体が分からないのは、もう仕方ないよ」
普段なら尻尾で撫でるなどの反応を返す燐は、何故かこの時は何もしなかった。違和感を覚えたのか、青年の足が止まる。
「どうかした?」
「…………ううん、なんでもない」
「そっか、じゃあ帰ろう」
屋敷への帰り道は穏やかな下り坂が続く。紅葉した木々の落ち葉吹雪や、さわさわと揺れる音は爽やかだ。普段の見慣れた光景。その中で、いつもより力無く垂れる尻尾だけが、景色への変化をもたらしていたのだった。