のんきな猫をモフりました
嘗て、ミュリエル・ガーランドは15歳を過ぎるまでは王宮で王妃の侍女として仕えていた。
艶のあるブルネットの髪をきっちりと結い上げ、まだ少女の面差しが色濃く残る緑の瞳を輝かせて働く彼女は、しばしば王妃の愛玩犬に例えられていたものだ。
そんな彼女だが生まれはガーランド伯爵の次女であり、れっきとした伯爵令嬢でもあった。
そんな昨今の令嬢たちは結婚前の箔付けと行儀見習いを兼ねて2〜3年間ほど王宮へ出仕することが、ある種のステイタスであり憧れでもある。
だがある時、姉が起こした醜聞により約2年間に渡り勤め上げた職を突然に辞する次第にとなってしまった。
婚約者も未だ居らず、訳あって伯爵邸には帰りたくない彼女は幼馴染であるヴィンスを頼り、ちょうどその頃夫を亡くして実家であるダリモア家の邸へと出戻って来ていたヴィンスの叔母エライザ・ランバート元伯爵夫人の侍女に、幸いにも納まることが出来た。
「エライザ様を紹介していただいた時は、本当に感謝したし嬉しかった。でも、今回の悪ふざけは少々度が過ぎているのではないかしら?」
ミュリエルの愛猫カフェオレの正体が幼馴染のヴィンスだと判明し、当惑のうちに話し合う二人だが当人であるヴィンスことカフェオレはまだ猫の姿のままであり、椅子の上に置かれたバスケットの中に逃げ込んでいた。
「ウニャー、すまない。事情を説明するから聞いてくれないかな。」
猫はバスケットの中から蓋を頭で持ち上げて、チラリと上目づかいで哀願をしてきた。
その、どうにも申し訳なさげに詫びる猫の愛らしさに、思わず顔が緩みそうになりながらも堪えつつ話を聞くことにした。
今から1年ほど前のこと、高位の魔術師であるヴィンスはとある高貴なお方から直接、何とも風変りな解呪の依頼を受けたらしい。
その時ヴィンスは、その場での解呪には時間がかかり過ぎると判断をして、その「呪い」を「身代わり」として我が身に引き受けてから、じっくりと時間をかけて解くことにした。
その呪いは、姿が猫に変化した上に更に魔力の著しい低下を引き起こすオマケ付きで、他の魔術師が「身代わり」をした場合は日常生活すら覚束なくなるような呪いらしい。
幸いにも、元から魔力の高い彼にとっては魔力の低下の度合いは然程問題にならない程度らしく、姿も必要な場合のみ得意の変化の魔術で「本来の自分の姿」にわざわざ変化してやり過ごしているのだそうだ。
この国でただ一人、高位の魔術師のくせに宮仕えをしていないヴィンスだからこそ、選択できた選択肢だったのだろう。
だが、ただ一つの思惑違いはこの呪いが思いのほか頑固で厄介なものだったと言う事で、彼が当てにしていた解呪を得意とする魔術師にも直ぐには解くことが出来ず、そのまま現在に至るらしい。
「だったら、常日頃から自分の姿に化けて過ごせば良いのではないの?」
と、質問を投げかけてみたのだが。
「呪いには、魔術を使うと著しく体が怠くなる効果も付与されていたニャ。」
だからと言って、私にまで内緒で猫のまま過ごすのはどうなのだろうか。
そんな私の表情を読んだのか。
「それと、ミュリエルが淹れてくれたカフェ・オレが飲みたかったニャ。」
確かにヴィンスは幼い頃、私の淹れたカフェ・オレが大のお気に入りだった。
しかし、この国ではカフェ・オレは女性や幼い子供が飲むものであり成人男性が飲むものではないとの風潮がある、16歳になる彼は仕方なしに我慢をしていたのだろう。
因みに、この国では15歳で成人と見做される。
可愛い。思わず、何時もの様に頭を撫でると、膝の上にのせて彼の全身をモフってしまった。
「ああ、ごめんなさい。つい猫のカフェオレのつもりで。」
私の、もふテクに全身が脱力して、ぐにゃりとなりながら。
「ミャーン、ううん、気にしないで。ミュリエルが猫好きなのは良く知ってるからね。」
それよりも、人間だと知られた事だから此れからはクッキーやスコーンやプディングも欲しいとおねだりをして来たので、幾らでも作ると思わず約束を交わしてしまった。
思い返せばヴィンスは幼い頃から、甘いものを好んでいたのだ。
ふと気が付き、この流れのまま詫びようとミュリエルはヴィンスに白状する事にした。
「ごめんね。今朝、猫の姿の時に飲ませたカフェ・オレにカモミール・ティーを少しだけ混ぜたの。猫のカフェオレは野良猫だと思っていたから、眠らせでもしないと嫌がって引越し先に連れて行けないだろうと考えたの。」
「何故そんなに、思い詰めていたの?以前、幼い僕が眠れない夜にミュリエルが淹れてくれたミルクカモミール・ティーと同じ香りが混ざっていたから、そう言う飲み物なのだと思っていたんだけど。」
違ったの?と小首を傾げる彼に罪悪感がつのる。
彼曰く、なかなか目が覚めなかったのは引越しの準備と魔術の研究で三徹してしまった後だったからじゃ無いかなと暢気に笑っていた。
続いて、この屋敷の幽霊対策にと魔を払う青猫を欲した事と、猫のカフェオレが可愛くてどうしても離れたく無かったのだと正直にうち明けた。
「じゃあ、僕の方も色々片付けがあるから行って来る。今夜の夜食を楽しみにしてるね。」
人間のヴィンスの姿になると、魔法で服を纏いそのまま堂々とドアから歩いて出て行ってしまった。
そう言えば、玄関から入らなくても家人に怪しまれないのだろうか。いや、転移魔法を使える彼の事だ、その辺は上手く誤魔化し切るに違いない。そう、信じることにした。
読んでいただき、ありがとうございました。
まだ、続きます。