ナザリフ・アルバ・ドルスボネ侯爵子息という男 3
シャトランガは9×9の盤面を用いて行うんだけど。
名前からして、チェスや将棋と類似している。将棋やチェスのルーツは古代インドのチャトランガやそれが変化したペルシャのシャトランジだったはずだけど、どちらもルールすら知らないけど、見事に足して二で割ったような名前は、前世のゲームクリエイターが作中に出すミニゲームに適当な名前をつけたと想像できる気がする。
最初の並びも将棋やチェスに似ている。
手前から見て一列目中央に王。動きも将棋の王。
その両脇に将軍。動きは全方位一マス。
その横に城塞。動きは将棋の飛車。
その横に騎士。動きは将棋の桂馬、チェスのナイト。
その横に戦車。動きは将棋の角。
そして、前列から三列目に剣が五、槍が四、剣を中央として交互に並んでいる。両端が剣となり、交互に剣槍剣槍と並んでいる訳だ。
剣は将棋の歩と同じで、槍はチェスのポーンと同じだ。
そして、成りはなく、奪った駒のうち、剣と槍だけは盤面に戻して使うことができる。
正直、かなり攻略難易度が高い。成りは無いが、歩やポーンと同じ剣と槍だけは盤面に戻せることでパターンはかなり増えるはずだからだ。
なのにだ。攻略している定石の形が少なすぎるし、反対に詰将棋のような、決まった盤面から詰みきるようなゲームは盛んなんだ。
恐らくはゲーム内でCPU相手に特定の盤面から勝つことでストーリーの進行の補佐としたり、進行上有利なアイテムなどが手に入るといった形で最初から打つモードがないか、あってもオマケ扱いでプレイヤー同士の対戦などは無かったんだと思う。
とは言っても一応の戦型はある。
開始から数手と進んで、僕の戦型は前世の将棋なら穴熊と呼ばれる囲い、シャトランガでは「要塞」と呼ばれる戦型へと明らかに進んでいる。
将棋のおける穴熊同様に王を後手盤の九筋九列目、盤面の隅へと持っていき、周りを固める堅固な形で、攻め手のバリエーションも多い。とは言え、穴熊は攻略され尽くして弱点の多い戦型でもあったけど、この「要塞」も受け方を間違えれば、将棋同様に頓死もあり得る戦型で、詰将棋的な問題でも良く出てくる。
ナザリフの方はと言えば、矢倉囲いに近い形でこちらの王とぶつけるように八筋二列目へと移動している。
違いは穴熊ほど引き込もっておらず、囲っている駒も少ない。より攻撃的な形なのは、早々に穴熊へと移行するこちらの手を見て、早い段階で切り崩して囲いを成立させないつもりだろう。
「古典的な手ですね」
ナザリフはそう言ったあとは騎士を跳ねさせ、巧みに囲いを崩すべく駒を動かしていく。お手本のような攻略だと思うが、なればこそ、そこにつけいる隙もある。駒損も気にせずに槍や剣を奪い、反対に守りにつては騎士以外は相殺を狙い、うまくかわしていく。
盤面の変化で穴熊から王が少しづつ中央へと戻っていくことにナザリフは驚いたようだが、こちらの方が駒を多く失い、攻めに関して手駒が少なくなっていることで、余裕がありそうだ。
「粘られていますが、この局は私がとれそうですね」
「えぇ、お強いですね。ですが、残念ながら勝ちは私のほうのようですよ」
盤面の有利そのままに発した言葉を否定されてナザリフは少し怪訝な顔をしたけど、盤面を見直して気付いたようだ。
「……詰めない、えっ駒が足りない」
なんでという顔をしているが、当たり前だろう。敢えて歩に相当する駒より強い駒ばかり取らせたんだ。僕の方が駒損している分で僕が不利と感じとるのは当然だろう。
でも、それは囮、本命は剣や槍だ。確かに相手の脇にある駒置きには僕から奪った戦車や将軍などがいるが、シャトランガではそれは使えない。対して僕の駒置きには替わりに奪った剣や槍が並んでいる。
強い駒を奪い囲いを崩したことで勝ち筋にいると思わせて詰み筋自体は消し、反対に盤面に戻せる駒をじわりじわりと奪い取る。既に攻め一辺倒になっていた相手の王の守りは薄い、残して守備と攻め両面で効かせてある騎士や戦車を有効に活用しながら剣や槍で王手をかけていくだけだ。
「えっ、ちょっと待って。えっ」
ナザリフは取り繕うことも忘れて焦っているが、それでも流石にこちらも駒をとらせ過ぎた。詰みきるかどうかはギリギリのラインだ。正直、うまく大駒を排除しつつ王手を維持出来なければ負けだろう。余裕を演じてはいるけど、結構厳しいな、これは。
ナザリフの顔があれこれと動いている。貴族家の嫡男としてはポーカーフェイスのひとつもと思うが、いくら優秀とは言え、まだまだ子供だ、そこは仕方ないだろうな。冷静さを取り戻してしまう前に終わらせたいところだけど、何気に粘られている。
「定石破りにここまで対応されるとは思いませんでしたよ」
敢えて驚いて見せるが、実際には定石なんて対して無いのだから定石破りも何もない。言ってみたかっただけと、あとはすこし余裕ぶってみただけだ。
お互いの大駒をほぼ失い、剣や槍を展開しあって詰み筋を探るも、盤面がループし始める、これはあれだな。
「ナザリフ殿、残念ながら千日手のようだ」
決着はつかないか、つくとして何時間かかるか分からなくなったことで、僕は引き分けとしようと提案してみる。ナザリフは困惑した顔をして首を傾げている。あー、もしややっちゃったかな。
「申し訳ない、素晴らしい勝負に水をさすようなことを訊いてしまいますが、千日手とはなんですか。無学で申し訳ない」
本当に申し訳なさそうに訊いてくるが、これは僕が悪い、千日手なんて言葉がこの世界にないのだ。
「これは申し訳ない、千日かかっても決着がつかないほど、盤面が膠着して堂々巡りとなった状態だなと思いまして、言葉が足らずに申し訳ない」
そう答えた僕の苦しい言い分を、ナザリフは破顔して受け入れた。素直で真っ直ぐな子供のようで、微笑ましい限りだ。
「そういうことですか。素晴らしい表現ですね。確かにこの局は決着をつけるのは難しいでしょう。残念ですが引き分けですね。ですが、敢えて不利を装うなんて凄いですね」
ナザリフはキラキラした顔で嬉しそうに話しているが、こちらとしては些か釈然とはしない。まさか子供相手に勝ちきれないとは思わなかった。とは言え、これも目的には叶ったかと懐におさめて笑顔で返すことにしよう。
「いえいえ、結局は引き分けに持ち込まれてしまいましたから、ナザリフ殿の腕前もたいしたものだ」
嬉しそうに照れるナザリフを見ながら、まずはひとつ成功と内心でほくそ笑んだ。