ナザリフ・アルバ・ドルスボネ侯爵子息という男 2
唐突だけど、この世界で精霊術やら魔術、闘気術なんて言葉を聞いたときは正気を疑ったよね、実際。
ただまぁ、転生何てしてるわけだし、あの悪魔様も魔法があるって内容の話をされてたわけで。
そして僕は「魔神の加護」なんてもんを持って産まれたことになってる。
これが何を意味するのか、しないのかは兎も角として、持ってる以上は活用しなければいけない場面が来ることを想定すべきだよね。って思ったわけだよ。
斯くして、僕は家庭教師たちから教わる、聖力、魔力、闘気の基礎とそれらを扱う技術についての講義と実践を交えた練習の傍らで、これらの事柄について考察し続けたんだよね。
はっきり言えば、聖力も魔力も闘気も同じものなんじゃって思ってる。もしかしたら違うのかも知れないけれど、其々が果たすとされる役割や得手不得手を踏まえて、体外の聖気や魔素、体内で生じるとされる聖力、魔力、闘気、本質的に同じで、それを変換しているようにしか思えないんだよね、感覚的な話で根拠なんてないんだけど。
ただ、結局全て同じなんじゃって思う根拠は実はほかにもあったりするんだけどね。
その上で、何らかのエネルギー源として漂ってる、かりに幻素って名付けるとして、幻素を様々な形に変換して起こす事象が「精霊術や魔術」であり、体内で闘気に変換し、肉体の強化や痛みの鈍化に作用するものが闘気術なんではと結論づけたんだけど。
こうした技術は詰まる所「概念の具現化」ではないかと当たりをつけた僕は、まずは様々な実験から仮説を「正解では無いかも知れないが、正解の途上にある一つの可能性」として認識している状態だ。
で、加護や祝福と呼ばれるものと、見た目の相関性について言えば、結局は良くわからないんだよね。
ただ、常識による思い込みなのか、本当に体質的に向き不向きがあるのか、とは言え精霊術、魔術、闘気術は確かに「才能」に左右されるらしい。
そして、僕は保有できる「幻素(仮)」の保有量の違いと、それを変換できる方向の違いが祝福や加護の本質だと思っていて、過去には「其々の見た目」と「持っている資質」はイコールだったかも知れないけれど、世代を経る毎にそれも混ざっていったんじゃないかと、貴族たちは祝福や加護を囲むために一族で寄親、寄子として固まり血が薄まることを防いでいたりするみたいだけど、此方にも遺伝病があるのか、「血の災い」を防ぐ目的と政略的な意味合いで派閥を超えた婚姻も存在するようで。
「神の祝福を受けた血」を自称してるのに「血の災い」って言っちゃうあたりは笑っちゃうんだけど、まあ、長い時の中で形質はあちこちに広がっているんだと思うし、特徴的な見た目と資質の相関性は確かにあるのかもしれない。少なくとも「幻素(仮)」の保有量には相関性はあるんだと思う。
ただ、うちの家系みたいに「特に目立つ見た目」で無くても資質が高いとされる家柄は存在しているし、庶民の中にも高い資質を持つ人もいる。
何より、聖職者なんかは「信仰」によって後天的に資質を高められるとしているしね。
で、結論、「幻素(仮)」の保有量は個人差があり、増やすことも出来るけれど、上限にも個人差がある。そして、基本的にこの世界のそうした「奇跡」は概念に干渉して具現化するもの。
ただ、やっぱり制約や限界はあるようで、そこら辺は良くわからない。
それでも、こうした解釈のおかげか、僕は魔力保有量が多いとされる一方で、聖力や闘気もかなり高い資質があるとされたんだけど。
実のところは「精霊術」とされるもの「闘気術」とされるものを「魔術」で代用しているだけだったりする。
精霊の助けを借りて様々な事象を起こすのが「精霊術」だそうで、使役する精霊によって使える属性が変わるとか言われたけれど、僕の精霊ってよくわかんない奴だし。
精霊は使役? しているけど、結局は助けなんか借りずに「魔術」で済ましてるし、闘気も魔力を身体に纏わせて代用してると思う、正直、魔力だって、良くわかって無いんだよね。
理屈をつくって納得したつもりになって運用してるだけで、だから僕が正しいとも思ってない。
それでも、そんなアバウトな使い方でも、「天才」と言われる資質は悪魔様がくれた「チート」なんだろうね。
そして、それはきっと、殿下との拝謁のさいに集められた子息たち全てに言えるんだと思う。
みんな転生者ということじゃないけど、転生者が他にいないとも言われてない以上は警戒すべきだろうし、悪魔様の目的がわからない以上は、僕もあらゆる可能性は考えるべきだろうしね。
僕がナザリフに向けて返書を送ってから、一ヶ月ほどが経っている。その間に殿下との交流会が、前回同様の面子で一度行われている。
今日は王都のドルスボネ邸へと招かれて、ナザリフとの歓談の予定なんだけど、同じく王都にいて、まだ実務もない子供の交流にここまで時間がかかったのは
単純に時間が足りなかったからだ。
殿下との二度目の交流会を前にまだまだ各家とも準備に時間を要したこと、まだ殿下との交流が一度しか行われていないうちから、あまり頻繁に侯爵家の子息だけで縁を深めることへの遠慮もそこにはあったとは思うんだよね。
とは言え、将来の臣下、側近候補、要職候補どうしで交流を深めることは悪いことではないはずで、両家の調整があっての今日と言うわけだ。
そうして、ドルスボネ家の邸宅の庭、美しい庭園の雰囲気に合わせて設えられた四阿にて、ナザリフと対面している訳だ。
「本日はお招きいただき、ありがとう御座います、ナザリフ殿」
「招待に応じてくださりまして、此方こそありがとう御座います。さぁ、お掛けになってください」
促されるままに席につくと、テーブルには見事な彫刻を施された玉でつくられた駒と黒檀で作られた盤が置かれており、盤上戦戯の準備は万端のようだ。
然り気無く飾られた花や脇に置かれた調度品などの感想を述べている間に、ドルスボネ家の侍従たちがせっせと茶を淹れて菓子を並べていく。
交流会での話題と礼を当たり障りない言葉を選んで互いに交わすと、話題を変えると共に来訪の目的となっているテーブルの上、初めからセットされていた遊具へと意識を向ける。
「素晴らしい意匠ですね。流石は軍務においては我が国の要、ドルスボネ家。遊具とはいえ、戦術に関わるものなれば、と言うことなんですか」
「ああ、お褒めいただきありがとうございます。これはスルド地方のもので」
スルド地方、ドルスボネ家に連なる家柄のひとつ、マルデルド方伯家が治める辺境領周辺だな。
「東部国境に聳える霊峰の麓には広大な森林が広がっているとか、その木材と、流域に流れる河からもたらされる軟玉の中でも黒いものと、そしてこちらは硬玉ですか、美しい翡翠の駒、ですが、どちらも彫るのは大変な技術がいるでしょうに、素晴らしい職人ですね」
あまり詳しくは無いが軟玉には色のバリエーションがあった筈で、目の前の後手駒は明らかに黒色軟玉だと思う。
反対に本来なら白が使われる先手駒は翡翠色の彫刻で、そのまま翡翠輝石が使われているとわかる。
隣国との国境を隔てるヤルムルガ山脈より流れ出る河川周辺から産出されており、領収となるために、厳しく管理されているものだ。無許可で拾ってくれば死罪になる。
「流石はお詳しいですね。ミストレイン侯爵家の慈愛の神童のお噂は、むしろ過小評価のようですね」
「いえ、まだ何も無し得ない子供に過大な評価ですよ。寧ろ、先日から思っておりますが、殿下は勿論のこと、侯爵家のご子息方は皆、歳に合わぬ優秀さで驚いておりますよ」
事実、驚いている。僕は転生してるんだから、内面は大人だ。だいぶ、こちらの体に引き摺られて幼くなっている部分もあるにはあるが、それでも子供ではない、精神の面では。幼少から厳しく躾られる貴族家だから良いものの、一般の家庭なら気味悪がられただろうと思う。取り繕う必要がないから楽でいいけど。
たいして、同年代である筈の殿下は、まあ、事情が事情だけに大人びて隙を見せなくなっているのは分からなくはない。なんせ、いつ殺されてもおかしくない程度には不穏な状況で育ってしまった訳だから、子供らしさが抜け落ちても仕方ない。
ただ、他の侯爵家の子息たちも、まだ完璧とは言い難いが年齢で考えれば、随分と確りし過ぎていて、まだ小学生低学年くらいなのに、上位貴族の家ではこういうものなのか、それとも、こいつらも転生者だったりするのか。訝しいところではあるんだよね。
「それこそ、過大な評価でしょう」
やや苦笑いを浮かべて話すナザリフは、侍女の淹れた茶の葉や、用意した菓子について過不足ない程度に説明して、そのあとは少しばかり、他愛もない話をする。
「さて、折角誘っていただいた上に、こんな素晴らしいセットもあるのですから、一局差しましょうか」
中々と誘う機会がお互いに掴めず、元よりそのつもりであるのだからと、回りくどいことはやめて直接話題を振ってみると、ナザリフもええ、そうしましょうと応じてくれる。
さて、シャトランガは将棋、チェスなどと同じように最初の駒の配置は決まっていて、そこから先手後手に別れて盤面を動かしていく。
実はこのシャトランガも、その実、この世界の奇跡とされるものが、全て同じ力に集約されると思っている原因でもあったりする。
この世界には前世と同じ物が多すぎる。多少は名前が変わっているもの、全く同じものと違いはあれど、共通するものが多く、魔道具があるといっても、文明の発展度合いが歪で、水洗トイレがあったりする。
いや、中世相当であってもおかしくはない。下水道自体は古来からあったりはするんだから、ただ、前世なみの水洗トイレはおかしいだろう。
このシャトランガもこの世界独自のゲームというより、やはり将棋とチェスを混ぜてつくったような雑さがある。伝えられている歴史に比べて、攻略の研究がどう考えても浅く、定石が少ない、そもそも、名手と謳われるような打ち手が歴史上におらず、タイトル戦のようなものはあれど、歴代の王座に連なる名前すら、ろくにないのだ。
統合して考えられることは、転生ものをよく読んでいた、かつての同級生の言葉を借りるなら「ゲーム転生」なんだろう。この世界はあの悪魔様が気紛れに作った、何らかの「ゲームのような世界」の可能性が高い。
実在するゲームなのか、それとも、そういった要素を参考にした世界かはわからないが、この世界で語られる歴史に対しては、実際には下手をすれば僕の誕生と共にこの世界が出来た可能性すらある。
そして、神話に語られる神々など存在せず、あの悪魔様が全て作っていると仮定すれば、聖力だ闘気だなんてのが、別物だという方がおかしいことになる。
四柱の神、其々の力など存在しないということになるのだから。
目の前ではナザリフが八面ダイスを振るため、賽の受け皿へと投げ入れている。
出た目を確認して、僕も振る。目が大きかった方が先行だ。
「それでは、いきますね」
ナザリフの先行で、シャトランガが始まる。