幕間 僕めの御坊っちゃま
僕めはミストレイン侯爵家に代々仕える従者の家門ザック家の長男として生を受け、ミストレイン侯爵家の次代当主の専属従者となるべく育てられました。
名をトールと申します。
父上ベルトスは旦那様であるミストレイン侯爵家今代当主ディートン・アルバ・ミストレイン侯爵閣下の専属従者であり、父上より次代当主に仕える者として幼少より厳しく躾られ、教育を施されて参りました。
そんな僕めが生涯の主君と忠節を誓うミストレイン侯爵家嫡男マークス様と出逢いましたのは、御坊っちゃまが生誕為されて直ぐのことに御座いました。
極端な加護持ちや祝福持ちはあまり産まれることはなく、しいて言えば賢神様や神聖神様の祝福持ちが産まれることが多いミストレイン侯爵家にあって、御坊っちゃまは明らかな魔神様の加護持ちでした。
墨を溶かしたように艶やかな黒髪に、黒曜石のように煌めく漆黒の瞳をされていたのですから、一目瞭然と云うものです。
ミストレイン家門は祝福持ちではなくとも、神聖神様や賢神様の寵愛を受けているとされる家柄で、その血縁者はそうじて聖力に優れ、精霊術に長け、知においても非常に高い能力を示すことで知られております。
ですが、魔神様の強力な加護を持ってお産まれになられた御坊っちゃまは、その為に精霊術の才や知力については訝しがられてもおりました。
特定の祝福や加護を持って産まれると、それ以外の才が伸びにくくなるか、ややもすると全く育たないこともあるからです。
それでも、ミストレイン侯爵家の代々の方針に基づいて幼少より開始された家庭教師による嫡男としての教育は、御坊っちゃまの非凡さをミストレイン侯爵家及び、使用人一同に存分に見せつけて下さりました。
貴族家や従者階級の家柄の子供に幼少より教育を施すことは、何も十を教えて十を身につけさせようというものではなく、その後の習い事の土台を作る目的とされます。
馬術や剣術を身につける土台に基礎鍛練で身体そのものを鍛えるように、様々な素養の土台を作ることで、長じるに従い、より深く、より早く習得出来るようにと考えたもので、十を教えて、そのうちの一つでも身につけば良しというものなのです。
実際、語学や音楽、物の真贋の見分けなど、幼少より触れていることで、耳が育ち、目が養われ、鼻は鋭くなり、口は流暢になると言われております。
物心つく前の幼子であれば、一つ覚えれば自慢をし、拙いそれを披露しては微笑ましくも誉められて得意になる、そんな年頃でしょう。
それでも、そうして愛情をかけて伸ばしてあげることが肝要だと、蝶よ花よと大切にされるものなのですが、御坊っちゃまは十を教えれば、そのまま十を身につけてしまう天才でありました。
いえ、そんなものではありません。
数えで六つになる頃には、一つ教えれば、十の質問が飛び出し、それらの答えを聞く頃には百の事柄を理解する、正しく天才だったのです。
御坊っちゃまは既についていた家庭教師の他に興味のある事について、詳しい者を邸内で見繕っては教えを乞い、話し好きな使用人に対して、外の噂を無邪気を装い聞いて回るようになりまして、そうして、王都やミストレイン領内へと視察へ向かわれる旦那様にせがんで、随伴するようにもなられました。
視察に随伴されると、積極的に自ら民へと話しかけられるのです。
陶器人形のように可愛らしく、美しい容貌にして、高位貴族の令息となれば、話しかけられたところで庶民は萎縮するものですが、御坊っちゃまは敢えて砕けた口調で話しかけられて、いつの間にやら、あれこれと話を聞かれては、旦那様へと報告為さったのです。
暫くすれば、御坊っちゃまが重要な案件から順に陳情のような形で纏められていると、旦那様や領政を任される代官は驚くようになりました。
更には、それらを解決するために旦那様方が動くようになれば、民たちからすれば「御坊っちゃまを通すと事の解決が早まる」との認識となり、そしてそれは「御坊っちゃまが民を第一とし、心を砕いてくださる、心優しい次期侯爵様」との認識へと変わったのです。
これは、悪し様に魔神様の加護を貶める者たちへの牽制となりました。
残念なことに古き悪習がまだ残る我が国には、魔神様を邪神と蔑む者が少ないながらおります。魔人や魔獸を徹底的に排斥することを教義とする邪教も影に隠れて存在するのです。
御坊っちゃまの活躍にミストレイン家が将来の明るい展望に輝いていた中で、王家では正妃殿下のお子である第一王子モルドルード殿下が御逝去されるという悲劇がおこってしまいます。
突然の熱病に御殿医や神官たちの奮闘虚しく儚くおなりになられ、側室のお子、第二王子ガレンリッド殿下が改めて第一王子へと繰り上げられたのです。
このことにガレンリッド殿下が魔神様の加護持ちだというだけで、魔神の呪いなどと噂する不届き者がおりました。勿論のこと、そうした噂を流した者は処罰されましたが、ガレンリッド殿下の周辺は大変難しい状況だったようなのです。
それが好転したのが、民の人気を得て、ミストレイン家の慈愛の君と噂された御坊っちゃまの評判だったそうなのです。
口さがない者が悪意の噂でガレンリッド殿下を貶めようにも、魔神様の加護を同じく持つ御坊っちゃまの評判が頗る良いと来れば、そう上手くはいかなくなり、あまつさえ、御坊っちゃまに助けられたと思っている者から通報される始末、王宮内でも、正妃殿下の二番目のお子であるセルバンド殿下を推す正妃派の者による工作もまた、鳴りを潜めるようになり、ガレンリッド殿下を取り巻く環境はかなり改善したようで、それをもって、此度の顔合わせへと繋がりました。
王宮への参内は初めてでは無かったのですが、旦那様の侍従である父上に連れられ、後々のためにと影に控えて付いて回ったのみ、今回も従者として影に控えることはかわりないものの、主役は旦那様でなく、御坊っちゃまなのです。御坊っちゃまの専属従者に取り立てていただいた僕めの失態は御坊っちゃまに責が及びます故に、僕は緊張と不安を隠すのに必死で御座いました。
そんな僕めとはやはり根本からお違いなのでしょう、御坊っちゃまは普段通りのご様子で気負られる風もなく、案内された客殿の控えで予定の確認、殿下や共に顔合わせとなるご令息方についての情報の確認をされると、王宮の侍女の淹れた茶を優雅に嗜んでおられました。
旦那様が来られると、略式ではありましたがきっちりと礼をもって迎えられ、王宮の使用人たちも、まだ数えで十となったばかりの御坊っちゃまの姿に感心しておられるようにみえました。
ですが、旦那様はすこし寂しく思われたのか、御坊っちゃまの慇懃な態度に苦言を呈され、僕めが緊張していることも、同時に見咎められたのです。
半ば御坊っちゃまの優秀さに呆れたような旦那様の発言に、父上はしっかりとフォローをされており、旦那様は引き合いにされた僕をフォローしてくださり、当の御坊っちゃまはその成り行きを当然のことと微笑んでおられて。
僕は役に立っているのでしょうか。優秀な旦那様と父上の信頼関係と同じく、これから御坊っちゃまとの間に結んでいけるのでしょうか。
そんな不安を感じてしまう不明を恥じていれば、用意が出来たと王宮の使者が来られました。
顔合わせでは、御坊っちゃまの機転におどろかされました。旦那様への異種返しにも思える砕けた挨拶も結果を見れば、侮られることもなく、むしろ懐に入り込んだように見受けられましたし、王族の威風を纏い、ご立派な殿下相手にも臆する様もなく礼をもって接せられ、更には殿下とご令息方との橋渡しをされて、顔合わせの儀を滞りなく果たされたのです。
王都の侯爵家屋敷へと戻る馬車の中、僕は御坊っちゃまの堂々としたお姿を思い返して誇らしくある反面、やはり自分はと落ち込んでもおりました。
「今日の拝謁、それから令息方との会合は成功したようで安心したよ」
御坊っちゃまが僕めにそのように声をお掛けになられたのは王宮の敷地を出た辺りのことでした。
「えぇ、流石はマークス様です。皆様、ご了承で御座いましたが、その縁を繋ぐ助けとなられたのは間違いなくマークス様で御座いました」
僕が本心から同意をして、そのように返しますと、御坊っちゃまは破顔して話しはじめられました。
「疲れたからね。真面目そうな顔でいるのも、許してくれよ。……しかし、本当に有意義だったよ。僕を含めて殿下やご子息殿たちの大凡の人柄も長じる所も足りない所も良くみえた」
年相応と言える満面の笑顔で、親しい友人に話すように語る御坊っちゃまでしたが、内容は驚愕のものです。あの短い時間で初対面といえる方々の人品を見定めたと仰有ることもですが、何よりも御坊っちゃま自身が自らに「足りない」ことがあると考えておいでであるということに僕は足元が崩れ去るような思いをしたのです。
だからでしょう。思わずと口を出た言葉はあまりに不適格で用を成さぬ言葉足らずなものでした。
「……足りないですか……」
口をついて出てしまったことに後悔いたしましたが、これだけならば、本日面会しました方々の不得手についての御坊っちゃまの見解を御伺いしたととられる内容だと、取り乱すことのないよう、努めて冷静になろうといたしますが、御坊っちゃまは僕のことを良く存じてくださっておられるようでした。
「トール、いいかい。この『私』にも間違いも、不得手も、足りぬこともある。人間なのだから当たり前だ。だからこそ、側に仕えるトールにも、私を見定めていて欲しい。人は一人で完結するものではないのだよ。お互いを補い合うためにたくさんの人がいるんだ。
喩え国王陛下であれ、ただお一人では生きてはゆけぬし、たった一人では仕留めることの出来ぬ野生の大型の獣も、集団を組めば倒せるやも知れんだろ」
この瞬間、僕は救われたのです。
何を思い違いしていたのか。優秀でなければいけないなんて、お役に立てなくてはなんて、気負うばかりで不安を溜め込むなど、初めから、御坊っちゃまは僕の為すことに、功に報いるおつもりで、責を被ることを厭う気持ちなどありはしないのです。
共に歩む道行きで、お互いを支え合う相棒のように思ってくださっているのだと。
「僕のため、ありがとうございます」
そう、頭を下げる僕にマークス様はとても自然な笑顔で、当たり前さと返してくださるのでした。




