ナザリフ・アルバ・ドルスボネ侯爵子息という男 4
中々に長丁場となった対局のあと、僕とナザリフは淹れ直された茶を飲みつつ歓談する。
「流石にお強いですね。完全に崩したと思いましたが、誘導されていただけだったなんて」
ナザリフは興奮気味に話していて、前々から思っていたが、こうしたあたりは年齢相応に子供っぽい、口調や仕草が幼少からの仕込みで洗練されているが、まだまだ素が顔を出すあたりは幼いね。いくらなんでも小学生のうちから転生したわけでもないだろうし、ナザリフは転生者では無いんだと暫定的に結論づける。
もし、この全てが演技だとすれば、そこはもうどうしようも無いと諦めよう。
「ナザリフ殿こそ、奇策に嵌まることなく乗り切るあたりは流石でしょう」
「結局は勝てませんでしたけどね」
「それはこちらもですよ」
お互いに謙遜しあって自然と笑みが溢れる。まぁ、こっちのは演技だけど。ナザリフは対局についてあれこれと捲し立てて凄い凄いと嬉しそうだ。
「よろしければ、これからも定期的にお相手しますよ」
「本当ですか。是非とも。……それにしても、マークス殿はお噂通りに魔神様の加護が厚いだけでなく、四柱神様すべてに寵愛されておいでのようですね」
なんの疑問もない一言だが、これはこの世界であれば誉め言葉なのはわかるし、元大人としては笑って流してあげるべきだけれどね。
嫌いなんだよね。この考え方。それにこの話題こそ、彼が僕を呼んだ理由のはず。
僕はわざと少し顔をしかめて躊躇いがちに話しだした。
「確かに四柱神様の恩恵に与る者として、この国の貴族としては四柱神様への尊崇の念も感謝の想いも当然とあるのですが、それとは別に、個人の能力が四柱神様の賜る才のみに限定して語られることは違和感があるのですよ」
ナザリフは困惑した表情をしたあと、少しづつと色を失うようにして明らかに狼狽えてる。返す言葉が吃りがちで震えてるのは、僕の気分を害したと思ったかな。
「マークス殿、何かお気に障ること言ってしまいましたでしょうか」
「いえいえ、ナザリフ殿の言われたことは一般的な事柄ですから、それで気分を悪くなどしません。ただ、如何に四柱神様の恩恵があろうと、それを活かすも殺すも己自身のはず、優れた鉱石も磨く者がいて初めて価値が万民に見えるように、優れた才も努力を重ねなければ意味を為しませんし、例え生まれ持った才が無かろうと、それを努力と研鑽で補うのもまた己自身であるはずです。決して天上より付与された神の愛では無いはず。結局のところは神の寵愛厚いと誉めることは、神に与えられし力にすがるだけと言っているに等しいと、……あぁ、いや、勿論のこと、ナザリフ殿ならば、加護を得た上の研鑽もまた含めての称賛とは思いますが、そもそも加護や祝福を持たない者を蔑むような者も影にはいるようですし、外付けの力で気を大きくして研鑽を怠るなど論外ですから、神の寵愛もまた、感謝と使命感を持って賜るものだと思うのですよ」
「感謝と使命感ですか」
「わざわざと四柱神様がこうした力を与えてくださるのは、人が弱いからでしょう。外敵から国民を護り、繁栄させる使命を託されていると思えば、傲ることも堕落することも増長することもなく研鑽に励めると」
「素晴らしいです。私は思い違いをしていました。弟たちが闘神様の祝福を持つなかで我が家門にあって闘神様の加護をいただけなかった自分には価値がないのではなどと。
そうです。四柱神様より与えられた試練と使命を果たすことが何よりも大切なのですね。そして、私自身の研鑽努力の実が結ばれることを一心に励み続けるのみなんです」
おー、目がキラキラしている。大丈夫だろうか、悪い大人に騙されそうで心配になる。
ただ、もう少しばかりお節介を焼いておこう。これは先行投資だからね。
「ナザリフ殿、少しばかりお遊びにお付き合い願えますか」
僕が訊ねると、ナザリフは小首を傾げて生返事となってる。
「はぁー、お遊びですか。……かまいません」
「では、そこのお嬢さん、お手伝い願えますか」
ドスルボネ家に仕える従者の家柄か、それとも寄子の家柄か、傍らに控える侍女の一人に声をかけると、流石は名門家の侍女だけあって、然程も動じることなくこちらへと来てくれる。
「何で御座いましょうか」
丁寧に頭を下げる侍女はまだ年若い感じがする。今の僕よりは年上だけれど、十代後半程度って感じかな。
「申し訳ないけれど、少し手を貸してください。と、その前にナザリフ殿、此処にかけて貰えますか」
そう言って、僕は自分が座っていた椅子から立ち上がってテーブルから少し引き離す。
「ええ、構いませんけど、何をされるんです」
こちらの椅子へと移動したナザリフに椅子へと深く座り背凭れにしっかりと背をつけるようにお願いする。大丈夫、ちゃんと両足はついてるな。
「申し訳ないが、お嬢さん、ナザリフ殿の額に軽く人差し指を当てて貰えますか、こんなふうに。ナザリフ殿、よろしいですか」
僕はナザリフの前に立って額に右の人差し指を伸ばして軽く当ててから、ナザリフと侍女の二人へと話し掛ける。二人から了承を貰うと、侍女は困惑気味にナザリフの額に指をあててる。
「ナザリフ殿、額にあたっている指はどんな感じです」
「ただあてているだけのようですから、どう、ってこともないんですが」
ナザリフは戸惑いがちに返してくるけど、まぁ、そうなるよね。
「ではお嬢さんは力を入れずにそのまま腕を伸ばして指をあてていてください。ナザリフ殿、手を使わずに椅子から立ってみてください」
僕が言うと、侍女はやっぱり困惑していたが、ナザリフへと宜しいですかと伺いを立て、ナザリフはそれに勿論と答えてから立ち上がろうとして。
「あれっ、……えっ、立てないっ……えっ、なんで」
椅子に縛り付けられたように立てずに焦りだした。
そろそろ種明かしといこう。此処まで上手くいくと思わなかったけど、どうやらナザリフは僕と重心の位置が同じらしい、内心で助かったと息を吐く。
「ナザリフ殿、人はそんな風に深く腰掛けた状態から立ち上がろうとすれば、まずは重心を前へと出すために体を前傾させる必要がありますよね。その時、額にほんの僅かでも障害物があれば、その動きを阻害されて、うまく立てなくなるんですよ」
「そうなんですね。驚きました。まさかあんな僅かな力で動きを抑えられてしまうなんて」
侍女にありがとうと伝えて下がらせてから、種明かしをしてやれば、ナザリフは成る程と納得すると同時に何かに気付いたようだ。
「ナザリフ殿、人は骨があり、間接があり、肉がありますが、当然、その動きは骨の形、間接の向き、肉の付き方で制約を受ける訳です。ほんの僅かな力でも相手を制することも出来れば、反対に自らの力や体重をより強く相手へとかけることも、体を知り、それを理解すれば可能なんです」
「それは魔獣や野生の獣たちにも言えるんですね」
聡いねー。先回りしてくるんだから。
「ええ、それに私たちの体に宿る力もまた使い方しだいです。闘気のように聖力や魔力を纏って身体を強化することも出来るようですよ。先日お見せしたように」
ナザリフは大きく目を見開くと、気付いていましたかと恥ずかしそうに笑っていた。
ナザリフ・アルバ・ドルスボネ、実直で真面目ゆえに家族に引け目を感じていた子供は、矢継ぎ早な質問と共に、自らを強化する術と、自信を取り戻したようだ。
取り敢えずは一人めの駒は手に入ったようで、今日のミッションはコンプリートって所かななんて、内心で毒づいてみた。




