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劉縯  作者: 橘遼治
5/11

小長安

 (がっ)して二万近くとなった舂陵・新市・平林の同盟軍は、勢いのまま長聚(ちょうしゅう)を攻め、唐子郷を(ほふ)り、湖陽の尉(長官の補佐)を斬り、棘陽(きょくよう)を攻め取った。これは小さい集落から徐々に大きな村を攻める流れで、この順番も劉縯と劉仲があらかじめ計画していた通りである。

「数がそろってもまだまだ烏合の衆だ。だがどんなに小さなものでも勝利を重ねてゆけば自信となり実力となってゆく」

 事実、長聚や唐子郷などは数に任せて抜き去ることができ、その自信があって棘陽という比較的大きな町を獲得することに成功している。

 そしてこの過程で自信をつけたのは兵だけでなく劉縯たち指揮官も同様だった。

「まだまだ細かいことは無理だが、全体の動きや流れは制御できるようになってきたな」

 棘陽で兵を休めながら、劉縯は明るさの中にひそかな凄みを込めた笑みで語り、劉仲もうなずく。

「この勢いのまま苑を攻め取りましょう」

 彼らにしても兵団の指揮など初めてのことである。これまで二人で様々に討議を重ね、盤や駒などを使い指揮や策戦の模擬訓練もおこなってきたが、実戦はやはり勝手が違う。それでもここまでの戦闘で仮想と現実のすり合わせや修正も続けられ、それらの齟齬も解消されつつある。勝利の勢い、自信、昂揚感。それらをもってすれば苑を攻め取れる。

 苑はこの近辺でも堅城であり、規模も充分で、大軍を駐屯させ、根拠地とするに最適の場所であった。

 苑さえ確保できれば、ここを足掛かりにさらなる政戦両略を練ることができる。それは劉兄弟の志望達成の足掛かりともなるのだ。



 だがその目論見は、ものの見事に粉砕された。

 苑へ攻め込むために進軍していた同盟軍は、小長安で、甄阜(しんふ)梁丘賜(りょうきゅうし)ひきいる新軍に、木端微塵にされたのだ。

 このときは霧が深く、南下してきた新軍も北上する同盟軍も互いの存在に気づかず、いきなりの遭遇戦となったことが劉縯たちには不運だった。

 この状況ではいかに勝利を重ねたとはいえ、まだまだ素人同然の同盟兵はあっという間に恐慌状態に陥り、逃げ出す以外のことができなくなってしまう。遭遇戦に驚いたのは新軍も同様だが、彼らはまがりなりにも正規兵であり、また先に悲鳴をあげて逃げ出したのが同盟兵だったことも幸いする。逃げる敵を見て自らの恐怖心を抑え踏みとどまった彼らは、指揮官の命令とともに突撃を仕掛ける。新軍は数そのものも同盟軍を凌駕しており、勝敗はあっという間についてしまった。



 濃霧の中、兄と馬を並べて進軍していた劉仲だが、前方から怒号のような悲鳴とともに兵が崩れさってくるのを見ると目を見開く。さらに逃げてくる自兵の背後から無数の喚声が押しよせてくるのを聞くと、瞬時に状況を察し、蒼白になって叫んだ。 

「兄上、お逃げください!」

 弟に半瞬遅れて事態を察した劉縯は、それでも表情を硬化させて踏みとどまろうとする。しかし自分たちへ向かってくる味方の兵はすでに波濤のようで、どうすることもできない。劉縯も抗戦をあきらめざるを得なかった。

「……おぬしも逃げよ! 必ず生き残れ。棘陽で会おうぞ!」

 この状況ではそれが最善であり、これ以外の策は講じようがない。弟と馬を並べて逃げたいところだが、返って互いの逃亡をさまたげることになりかねず、はぐれたときでもすでに確保してある棘陽へたどり着けば再会できるはずである。

 劉仲も同じことを考えていたようで、兄へややひきつった笑みを見せると、そのまま馬首を返し、必死に逃走をはじめる。周囲に無数の兵が駆け抜け、二人の馬も流され、返事をする余裕もなかったのだ。

 劉縯も弟にならって棘陽めざし、愛馬を駆けさせる。二人の姿も飲み込むような逃走兵の巨波と、彼らを追い立てるさらなる巨大な波が、北から南へ向けてあふれかえっていた。



 惨敗であった。

 劉縯系の劉氏が兵を挙げてこれほどの惨敗を喫したのは、後にも先にもこのときだけである。だがこれを「劉氏」の惨敗とするには理由があった。

 なんとか棘陽へ逃げ込むことができた劉縯は、転げ落ちるように愛馬から降りると、その場に倒れ込んだ。身体は疲労の極みにあり、呼吸すらままならない。彼は逃げ続ける間も兵たちに「棘陽をめざせ! 棘陽へ逃げ込め!」と叫び続けており、声が()れ切っていたのは疲労だけが理由ではなかった。

 それでもなんとか身体を起こすと、近くにいた兵に水を持ってこさせる。それを一息に飲み干し、さらにもう一杯を胃に流し込むと、ようやく人心地つく。

「…皆は無事か」

 そこで彼は、ようやくハッと気づいたように顔を上げた。皆とは兵のことだが、同時に彼の家族、一族のことでもあった。このときの同盟軍は兵だけでなく、彼らの家族も引き連れて行動していたのだ。それぞれの集落や村に置いていっては新軍のいい餌食になるだけであるし、そうでなくとも男手がなくなった家族に自らを養うことは難しくなる。兵もそのことがわかっているため家族を置き去りにしては士気の保ちようがない。それゆえ彼らの家族も全員連れてゆき、少なくとも苑のような防備のしっかりした城で保護しなければ、そこから先の展望も描きようがなかったのである。それは指導者層も同様で、劉縯は自らの家族や一族も引き連れてこの戦いにのぞんでいた。

 だがこの惨敗であり、さすがに劉縯も魂が怖気(おぞけ)るほどの不安があったが、それでもふらつく足で立ち上がると、下級指揮官や兵たちに指示を与えはじめる。家族の安否は気になるが、自らの名をもって兵を挙げた以上、彼には責任があり、すべきことをおろそかにすることは許されなかった。



 劉縯が家族の一部と再会できたのはそれからしばらくしてだった。

 棘陽の役所を接収して設けた指揮所で、同じく生き残った王匡らと分担して逃げ込んでくる兵たちを収容し、傷を負っている者を治療させ、とにかく休息させる。同時に兵たちから様々な話を聞き、可能な限り情報を集め、今後のためとする。

 その中には訃報もあり、劉縯の心身を蒼白にさせるものも混じっていた。

「伯兄上!」

 そこへ聞き覚えのある声が届き、劉縯は我に返ると表情をゆるめた。

「叔、生きていたか、よかった」

 指揮所に入ってきた劉秀も他の兵同様戦塵に汚れ、疲労しきっていたが、怪我はしていないらしい。そのことに安堵しつつ、劉縯は弟の肩をねぎらうように叩いた。

「よくぞ帰ってきた、よかった、よかった」

「ありがとうございます、兄上もご無事でよかった。仲兄上は?」

 自分の無事を心底から喜んでくれる長兄に、劉秀もようやく笑みを浮かべながらわずかに瞳を潤ませ、常に兄のかたわらにいる次兄について尋ねた。が、その問いに弟の肩を叩いていた劉縯の手が止まる。

「…死んだ。先ほど遺体が運び込まれたそうだ」

 劉秀はひゅっと息を飲み、劉縯と同じく蒼白になった。

 劉仲は逃げきれなかったのだ。肉親、それもある意味最も近しい兄弟という血縁の一人が永遠に失われた。その真の悲哀はこの二人にしか共有できなかっただろう。



「…私は後で会いに行く。お前は先に行ってやってくれ」

 自分には敗残兵たちの収容という仕事があり、それを一段落させてからでなければ行くことは許されない。そのような思いを言外に感じさせる劉縯の表情だったが、荒ぶる気持ちをまだ抑え込むことができていないのだろう。それを多少なりとも鎮める時間を求めるように平板な口調で弟に告げる。が、劉秀は返事をせず、立ち去ろうともしない。その弟にいぶかしさを感じた劉縯だが、彼の言うことに再度蒼ざめた。

「…(げん)姉上が行き方知れずです。姪の三人もです。私たちを逃がすために」

 劉秀は逃げるに際し、妹の劉伯姫(りゅうはくき)を見つけ出していた。劉秀は急ぎ妹を馬上に引き上げて逃走に入ったが、そこでさらに姉である劉元(りゅうげん)と彼女の三人の娘(劉兄弟にとっては姪)を見つけてしまったのだ。馬一頭に六人も乗れるはずがなく、それを見て取った劉元は弟を叱咤し、自分たちを残して二人だけで逃げるように命じた。

「しかし姉上!」

「お前は伯升(はくしょう)に従って新を打倒するために立ち上がったのでしょう! ならばまずは生き残ることを考えなさい。私たちは私たちでなんとか逃げますから、早く!」

 伯升とは劉縯のあざなで、劉元は彼にとっても姉だった。厳しく、やさしく、誰よりも弟を大切にしてくれた姉だった。それは劉秀にとっても同様で、そんな姉と姪を彼は結局見捨てることしかできず、未練と無念と罪悪感を引きちぎるような想いで棘陽まで逃げてきたのだ。が、劉縯にそれをとがめるつもりはない。

「そうか、伯姫は無事なのだな」

「はい、他の親族を見つけたのであずけてきました」

「そうか、それならよかった。姉上たちもきっと無事だ。だからお前もまずは仲に会いに行って、それから休め。よいな」

「…はい」

 馬に乗っていた劉仲でさえ逃げ切れなかったのだ。女四人の足で逃げられたとは到底思えなかったが、それでも二人は心底からそう願い、劉秀は短くうなずくと、兄の指示に従って指揮所を出て行った。

「……」

 指揮所に一瞬、空白のような時間が訪れ、劉縯はしばしその場にたたずんだあと、重い足取りで椅子に座り、天を仰ぎながら両手で顔を覆った。



 結局、劉元母娘は助からず、彼女たちを含め劉一族は数十人を失った。

 


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