黒髪の女
「何を見てるの?」
女の声だった。
シーザーは、最初それが自分に掛けられた声だとは思わなかった。
「ひょっとして、イルカを見てるの? 私は船の上で見たわ」
シーザーは双眼鏡を見るのをやめ、声の方を見た。
黒髪のきれいな女の人がシーザーのすぐ横に立っていた。
一瞬、シーザーはその女性に見とれた。
きっとスティナも大きくなったらこんな感じになるんじゃないか、なんてまたスティナのことを考えてしまった。
シーザーは女性の黒髪を見た、
スティナと同じ黒い髪。残念ながらスティナのような赤紫の不思議な光沢はなかった
「船の上?」
シーザーは、この女性が旅行者かな、なんて思った。
「やっぱり、あれ、イルカだったんだ」
「うん」
黒髪の女性は、シーザーが見ていた辺りを見た。そしてシーザーの方に向き直る。
「イルカってこんな寒い海にもいるのね」
「今は夏だよ。寒いけどね。お姉さんは観光客?」
「まあね」
それを聞いて、シーザーは少し安心した。
ひょっとしたらまた異世界から来た人かと思った。
観光客なら別れてもまた会えるだろう。少なくても異世界よりは可能性はある。
「私、次のバスまで時間があいちゃって……」
「そうなんだ」
頷きながらもシーザーは困った。
暇つぶしで声を掛けられたようだが、初対面の女性とどう会話したらいいんだ?
「双眼鏡、見てみる?」
シーザーはそう提案してみた。
「いいの?」
女は嬉しそうにシーザーから双眼鏡を受け取った。
慣れてないのか、最初は目的の物を見つけられなかったようだ。
双眼鏡覗いたり、肉眼で見たりを繰り返し……
「はっきり見えるー」
と、楽しそうだ。
「こうやって見るのもいいわね」
「昔はね、よく水中散歩したものよ。水をきれいにする仕事してたんだから」
双眼鏡を見ながら、女がそんなことを言った。
それってどんな仕事だろう? とシーザーに疑問に思った時だった。
「あ! 潮吹いた!」
と、女が嬉しそうに、シーザーの肩をつかんで揺さぶった。
シーザーの肉眼でも、遠いながら潮が吹き上がるのが見えた。