クリスマスには花束を(7):出発準備
支度の時間は三十分もなかった。
望は急いで部屋に戻り、調達任務用の頑丈な服に着替えた。それから武器係に行き愛用の八九式小銃と拳銃、予備の弾薬を受け取った。腕時計を確認し、小針との待ち合わせまで少し余裕があったので音楽室に寄った。石坂に指導中の千尋に事情を説明すると「気分転換で休めと言ったんだけどわざわざゾンビと戦いに行くの? 私を残して?」と色々不満そうだったが、「気をつけて」と口を尖らせながら送り出してくれた。
音楽室の入って居る資料館の外に出ると、ヘリコプターのエンジン音が聞こえた。飛行場は建物の影に隠れているので機体は見えなかったが、訓練か出撃かもしれない。空気を切り裂くヘリのローター音に耳を傾けていると小針がやって来た。服装は先ほどとほぼ同じだが、薄手のバックパックを背負い、腰には手斧を吊している。彼女は望の格好を見てくすりと笑った。
「ずいぶんとちぐはぐな格好ね。小銃は自衛隊、拳銃は警察、ベストは官給品じゃなさそうね……米軍のかホビー用品かしら。服はアウトドア用? 自衛隊の戦闘服は借りれないの?」
「借りれますけど、誰も使ってませんよ。靴を磨けとかアイロンをかけろとか本職の人に小言を言われますし、ゾンビ相手に迷彩はほとんど効果無いですから。登山服の方が気楽です。頑丈で動きやすいですし、温かいです。小針さんの武器は、それだけですか?」
小針は腰から一本の斧を刀のように下げていた。柄の長さが五十センチほどある長めの手斧で先端の金属部分には革製のカバーがかけられている。
「千葉市の金物店で拾ったの。輸入品でアメリカのハンターが使ってるヤツよ。ゾンビの頭なら一発だし、刃のついてない部分でニンニクを潰したりもできるわ」
「……ゾンビを叩き切った斧で料理は、ちょっと……」
「安心して。試した事はないから。さて、行きましょうか」
望は小針と並んで歩き出した。集合地点である正門まではそれなりの距離がある。周りに建物は少なく、人影も無い。ひそひそ話をするにはうってつけだ。
成田について聞こうとした時、聞こえていた航空機のエンジン音が一際大きくなった。足を止めて目を向けると巨大な格納庫の向こうから白いヘリコプターが浮かび上がるところだった。確かUH―60とかいう多目的ヘリコプター機体だ。機体の横に黒い筒を二本吊しており、それを見た小針が目を細めた。
「あんな物まで持っているのね」
「ヘリコプターですか? 何機かありますよ。館山は元々海上自衛隊のヘリコプター基地でしたから。いずもにも積んであるみたいですし」
「そうじゃなくて、あのヘリの装備。遠くからだから確かじゃ無いけど対艦ミサイルを積んでた」
「タイカンミサイル? 寒さに強いんですか?」
「艦船、つまり船を攻撃するためのミサイルよ。戦争でもする気なのかしら」
「俺達の援護じゃないですか? 先に現場に行って偵察してくれるとか、後でゾンビの大群が出たら攻撃してくれるとか」
しかし望の予想に反しヘリは北に機首を向けた。
「木更津方面の支援だったみたいですね。向こうでゾンビとの戦闘が起こったんだと思います」
「ゾンビとの戦いにミサイルがいるの?」
「たまに怪獣みたいなゾンビも出ますから」
「……」
小針は何か言いたそうに遠ざかる白い機体を見つめていた。
ヘリの音が消えると代わりに車のエンジン音が聞こえてきた。トラックやマイクロバスが正門近くの広場に集合している。
「まるで軍隊ね」
小針の声には険があり、表情も少し固い。
集合場所である正門の横、警備隊の建物の裏側にある運動場に六台の車両が待機してた。陸上自衛隊の高機動車、海上自衛隊のバンとトラック、さらに民間人の乗用車、トラック、マイクロバス。かなりの大所帯だ。海自のトラックの荷台には三脚に載った機関銃が備え付けら、陸自の隊員が高機動車に無反動砲を運び込んでいた。周囲にいる人も自衛官から民間人までほぼ全員が小銃で武装している。確かに軍隊か傭兵団のように見えた。
「本当にあんな重武装がいるのかしら」
「ゾンビは数で襲ってきます。武器は多ければ多い方がいいんです」
「斧や金属バッドでも倒せるゾンビを相手に機関銃? 別の目的があるんじゃないのかしら。そういう話、聞いたことない?」
「心配しすぎじゃありませんか? 武器は隊員の身の安全を守るためですよ」
「そうかもしれない。でも冠木君、覚えておいて。今は大丈夫かもしれない。必要なことかもしれない。でも、館山がさらに人と武器を増やしたら野心を持たないとは限らない」
「野心ですか?」
「日本を支配したいとか」
冗談めかしていったが小針の目は笑っていなかった。
望は真庭や和浦がそんなことを目論んでいるとは思わなかった。ただ地下に籠もった日本政府の存在に気づいた時、共存の道を選んでくれる自信はなかった。館山に来る前、真庭達は潜水艦と戦ったと聞いている。最近まで熱心に「いずも」の訓練をしていたが、参加した人に聞くと水上艦や航空機、潜水艦と戦う訓練をしていたらしい。少なくとも館山キャンプのリーダー達は敵がゾンビだけだとは考えていないようだ。
「そんな事、誰も考えていないですよ」
望にはそういうことしかできなかった。
二人は若干気まずい雰囲気のまま集合地点に到着する。自衛隊は何か作業や打ち合わせをしたいたので民間人のグループの所にいく。そこにいたのはほとんど顔見知りだった。まず医師の中里と助手の小笠原の二人。それと調達隊の本張隊から隊長の本張以下八名が参加していた。全員武装した戦闘員で普通の調達隊員は参加していない。望はまず本張の所に行き挨拶をした。ベースボールキャップにサングラス、長身に狩猟用のベストを身につけハンターのような出で立ちで相変わらず強そうな女性だ。雰囲気はどこか小針に似ていた。
「こんにちは本張さん。館山にいたんですね」
「ローテーションで休暇中だったところを真庭達に呼ばれてね。緊急の案件ってことで仕方なくさ。館山に残ってる調達隊でまともに戦えるのはウチらだけだからね。ガチで戦闘になるかもなんだろ? 冠木君がいてくれて心強いわ。ところで、そちらの方は新人さん? 見ない顔だけど」
「小針さんです。最近キャンプに来た方で今回の調査に参加してもらいます」
「ゾンビと戦いに行くのに?」
本張の疑問に小針が先ほどから一八〇度変わった陽気な態度で豪快に斧を叩いた。
「どうも。小針です。ここに来るまでに両手じゃ足りない数のゾンビを倒してる。足手まといにはならないわ」
「本張よ。調達達の隊長をしているわ。大丈夫? 危険な任務になるかもしれないのよ」
「覚悟の上。私はまだ新人だからね。役に立つって事を見せたいのよ。冠木君も守ってくれるって言うしね」
そう言って小針は望の肩に腕を回した。気負った所は見えなかったからか本張はある程度安心したようだ。
「そうなの。参加してくれるなら助かるわ。回収できる物資がたくさんあったら人手が必要だからね。小針さん、もし所属が決まっていないならウチに来ない? 戦える女性は大歓迎よ」
「お誘いありがとう。考えさせてもらうわ」
小針と本張はしっかりと握手を交わした。それから望は小針を本張隊と小笠原や中里に紹介した。それが終わったタイミングで高機動車の近くにいた真庭が全員を呼んだ。
「みなさん集まってください。出発前に簡単な打ち合わせを行います」
民間人が多めだからか口調は丁寧だ。望は小針や他の民間人からの参加者と共に高機動車の近くに移動した。集まったのは総勢で二十名。調達隊一部隊の規模とほぼ同じだが、ほぼ全員が銃で武装している。
「みなさん、急な調査任務にご参加いただき感謝します。まずは参加者の顔合わせから始めましょう。我々陸上自衛隊からは四名が参加します。私、真庭に、上岡、関根、そして星野です。海上自衛隊からは新木二尉以下八名が参加します」
青い迷彩服を着た海上自衛隊員の新木という二尉が部下の紹介をする。普段は「いずも」で勤務していて、望はその内の数人と訓練で一緒になったことがあった程度でほとんどの顔と名前は初めてだった。
「そして調達隊から本張隊の皆さんと冠木君に小針さん、さらに医療隊から中里先生と小笠原さんにも参加してもらいます」
まず中里が挨拶し、本張が自分の隊のメンバーを紹介し、最後に小針が新人として一言挨拶をさせられた。それから関根という陸自の女性隊員が色々な写真の貼られたホワイトボードを転がしてきて真庭が野外で作戦会議を始めた。
「ご存じの通り、今朝漁に出ていた漁船が布良港でフェリーを発見ました。」
ホワイトボードにはそれなりに大きなフェリーの写真が貼られていた。船首側がコンテナ用の甲板になっており、船体の中程から船尾に掛け旅客スペースらしい四階建てくらいの構造物があった。真っ赤な文字で「スリーナイン汽船」と数字の九が三つ書かれている。小さな港に対して船は明らかに大きすぎ、無理矢理入港したようだ。防波堤に船体を擦りながら侵入し。、十分な深度がないため船体を浮かせながらスロープに乗り上げて停船したようだ。
「こちらの写真は先ほどの先行偵察隊がドローンで撮影したものです。全長百五十メートル、全幅二十五メートル、八千トンクラスのカーフェリーです。最大乗員数は六百名から八百名程度と推測されます。発見した漁船は呼びかけを行いましたが反応はありませんでした。ただし、船尾にある車両を積み下ろすためのランプが防波堤に下ろされていました」
関根がドローンが上空から撮影した写真をホワイトボードに貼った。布良港は小さな港で、防波堤で外と内が区切られている。フェリーは港の内側に強引に入り、せいぜい全長百メートルほどしかない港の主要部分に斜めになって停船していた。フェリーが突っ込んだことで港は完全に封鎖された形だ。船の後部からは巨大な板が出ており、防波堤の一部に接してる。それがランプらしい。
「ランプ周辺に十数体のゾンビが確認されました。状況から見て、生存者が何とか船を港まで着け、脱出するためにランプを下ろしたようです。フェリーの規模から推測するに、最大で一千体近いゾンビが中にいる可能性はあります」
望の近くにいた海上自衛隊の隊員が息をのんだ。真庭達とは違い、護衛艦「いずも」にいることの多い彼らはゾンビとの実戦経験に乏しいと聞く。一方で本張達の民間人は実戦経験が豊富なので比較的落ち着いているし、陸自隊員に至っては全く表情が変わらない。
「ただし、現在のところその可能性は低いと思われます。漁船及び偵察隊の報告のいずれも大量のゾンビを示唆するものはありませんでした。ただ船内に閉じ込められている可能性はあります。今回の第一目的は船内にいるゾンビの殲滅です。最悪のケースでは千体を超えるゾンビが既に半安全地帯になっている房総半島の南端部分に広がり、それに他のゾンビが引き寄せられることです。館山キャンプの存続に関わりますので、今回の調査で可能な限り全てのゾンビを排除します。手に負えない規模だった場合、一度引き返し木更津に展開している部隊を戻して対処します。第二目標は生存者の捜索です。少なくとも船を動かした誰かはいたはずです。既に死亡している可能性もありますので生存者の捜索救助は可能範囲でのみ行います。発見した場合に備えて医療隊の中里先生に同行してもらいます」
紹介された中里が軽く頭を下げた。
「またもしフェリーに生存者集団がおり、交渉となった場合、中里先生がキャンプの代表者として交渉を行います」
それから真庭は参加する各員の役割を確認した。
真庭を含めた陸上自衛隊四名が第A班、海上自衛隊四名が第B班となり船内に進入し調査を行う。海上自衛隊の残りは第C班として機関銃を載せたトラックで突入部隊を援護する。民間人は、医者の中里と助手の小笠原が第D班として生存者の治療、本張隊が第E班で中里達の護衛と船内の安全が確保後の物資調達を担当する。望と小針は第F班で、基本的に本張隊と一緒に行動し、必要に応じて真庭の指示で動く遊撃隊的なポジションが与えられた。
調査の流れは、まずABC班が港町の安全を確認、次にフェリーのランプが降りている防波堤の入り口を確保する。その後、民間人のDEF班がC班と合流し退路を確保。AB班が船内を調査する。船内に大量のゾンビがいた場合、ゾンビが船室などに閉じ込められている場合は関根が爆薬を設置し洋上まで移動させた後爆発、少数の場合はAB班のみ、あるいは外におびき寄せ機関銃で一網打尽にする。調査隊責任者は中里、戦闘指揮官を真庭だ。
いくつか質問が出て、それに真庭がこたえる。それを見ていた小針は館山キャンプの軍隊じみた様子に隠れて眉を顰めていた。
打ち合わせが終わると各自が車に乗る。望は小針と一緒にマイクロバスに席をもらった。
そして即席の漂着船調査隊は館山キャンプを出発した。