クリスマスには花束と(3):作戦説明
歌でゾンビを集める、そのバカバカしい発想に望は思わず立ち上がり年上の自衛官に喰ってかかった。
「理解できません。どうしてそんな危険な作戦に千尋や水島さんを巻き込むんですか。囮なら自衛隊がやればいいじゃないですか。大きな音を出せばゾンビは寄ってくるんでしょ」
「もっともな意見だ」
真庭があっさりと合意したので意気が削がれ、ゆっくりとパイプ椅子に戻る。
「あの、真庭さんも反対なんですか……?」
「気乗りがしないのは確かだが作戦には賛成だ。確実に作戦を成功させるにはミウの力が必要だ。ミウの歌には、」
「ストップ! 真庭一尉、そこから先は僕に説明させてくれないかな。せっかく資料を準備してきたのだからさ」
和浦が机上のパソコンをノックした。真庭がため息をつく。
「先日の調達隊向けの説明で使ったからもういいだろ。評判も今ひとつだっただ。また恥をさらすことはない」
「だからブラッシュアップしたんだよ。マニュアルを引っ張り出してアニメーションと音楽を追加したんだ。前よりわかりやすくなっている。冠木君や西山さんもきっと納得してくれる。任せてくれないかな?」
親指を立てた和浦に真庭は「……好きにしろ」と投げやりに返した。館山キャンプにいる自衛官で真庭と和浦よりも階級が高い人物は郡司のみなのでもう誰にも止められない。和浦は白い制服の胸ポケットからプレゼンテーションの操作機能が付いたレーザーポインターを出した。
「さて、改めて僕が説明しよう」
和浦がポインターをペン回しの要領でくるりとさせるとスクリーンが暗転した。勇ましい音楽が流れスクリーン上に「Operation MiU Christmas Live」の文字がフェードインしてきた。
「……これをわざわざ作ったんですか?」
呆れる望に和浦は自慢げにウインクを返す。真庭は目をそらし、他の自衛官も苦笑いをしている。千尋はむすっとしていたが真剣にスクリーンを見ていた。そんな観客の反応にかえって勢いづいたのかプレゼンテーターの和浦はいつもよりも高いテンションで説明を始めた。
「では! まずは作戦の名称から説明しよう。この作戦はミウ・クリスマス・ライブ作戦、略称はMCL。その名の通り、クリスマスイブの十二月二十四日にミウのライブを木更津駐屯地の近くの運動場で開催する。目的は駐屯地内のゾンビの誘導と殲滅。ミウの歌は誘導路に設置されたスピーカーで駐屯地内に届けられ、歌に惹きつけられたゾンビは駐屯地から会場に移動する。そしてある程度集まったところであらかじめ仕掛けておいた爆弾で一網打尽にする。シンプルな作戦だろだろ?」
「あの、和浦さん。一ついいですか」
望は困惑しながら挙手した。はっきりと抗議をしたかったのだが、パソコンから流れる戦争映画のオープニングのような壮大なBGMにテンションと感情が混乱する。
「ええと、その、ですから、どうしてそこにミウが必要なんですか。音が必要ならスマホでもCDでも他の手段がいくらでもあるじゃないですか」
「あると言えばあるが無いといえば無いんだ」
和浦がポインターを左右に振る。
「順を追って説明しよう。冠木君、木更津駐屯地の状況は聞いているかな」
「……ゾンビがたくさんいてヘリコプターの回収に手こずっているとか。詳しくは知りませんが」
「概ねその通りだ。バレッド・アンド・チョッパー作戦、つまり木更津で弾薬とヘリコプターを確保する作戦は目下遂行が困難な状況にある。理由は単純。ゾンビが多すぎた。これが三日前にドローンで撮影した駐屯地内部の様子だ」
音楽がホラー映画の森の中のようなおどろおどろしいものに替わり、スクリーンの上部には「JGSDF Camp Kisarazu」の文字、そして高い高度から撮影された木更津駐屯地の全景写真が表示された。L字型に並んだかまぼこ形の航空機格納庫、コンクリート製のビル、管制塔、滑走路などが見える。駐屯地は館山基地よりも一回り大きく、大きな入り口は二つあるようだった。また滑走路傍の空き地に何ヶ所か仮設住宅の区画があった。数十軒が集中して設置され、周囲をフェンスで囲われている。
音楽が盛り上がり、それに合わせて新しい写真が横からスライドしてきた。それぞれの建物のアップ、ビルや格納庫周辺、正門など駐屯地の様々場所の写真が表示されていく。どの画像にも民間人や自衛隊の格好をしたゾンビが大量に写っていた。激しい戦闘があったらしく、ゾンビの一部は大きな損傷を負って中身を晒していている者いる。また施設にもかなりのダメージがあるようだった。
「木更津駐屯地の敷地内には大量のゾンビがいる。画像と生存者の報告から推測するに、その数はおよそ二万から二万五千」
「ちょっと数が多すぎませんか?」
「それには理由がある。ここにいる広田三曹は数少ない生存者の一人だ。彼に当時の状況を説明してもらおう」
和浦はポインターを操作しBGMを止め、再びスクリーンに木更津の全景を写し出した。広田は頷くと固い表情のまま話しを始めた。
「木更津駐屯地では富士山が噴火する前、特別演習として関東大震災を想定した訓練を行っていました。東京からの被災者を受け入れる名目で駐屯地内に数千人が暮らせる仮設住宅を設置し、検疫所や簡単な病院施設も用意していました。そして富士山の噴火後、木更津駐屯地はそれらの施設を利用して直ぐに避難場所として敷地を開放しました。地元の病院と協力して医療能力を強化し、ゾンビ化が確認されてからは感染者を隔離し、外からの脅威に対しては駐屯地に残っていた戦力と地元警察が力を合わせて防衛体制を敷きました。最初の一週間はそれがうまく機能していました」
スライドが切り替わり地上から撮影した仮設住宅の区画が表示された。コンテナ型の仮設住宅を背景に多数のゾンビが闊歩している。次の写真は整然と駐車された大量の車だった。白や黒、青や赤と色とりどりのカラーなので避難してきた人々の車なのだろう。文字が読めるナンバープレートには「千葉」や「木更津」だけでなく、「品川」、「さいたま市」、「水戸」と他県の物も多かった。
「木更津は安全だという噂を聞いた人が関東中から集まりました。しかし、それが良くなかったんです。通常、ゾンビ化までは発熱などの症状が出てから半日から一日程度の猶予があります。しかし発症までの潜伏期間がない特殊なウイルスに感染した人々によって駐屯地内に爆発的にゾンビ化が広がりました」
広田によると富士山の噴火から十日余り経った頃、千葉市の方から四十人くらいの集団が到着したのだという。怪我も無く健康だったのに、翌日、何の予兆も鳴く突然ゾンビ化して人々を襲い始めた。集団の中には警視庁の幹部がおり、その人物が木更津駐屯地の指令官と会議中にゾンビ化したため真っ先に指揮系統が潰されてしまったそうだ。
「木更津には陸自と海自の施設があり、正門も二つありました。駐屯地が混乱に陥った時、生き残った人々は車に乗って二つの出口に殺到したんです。ですが、正門は外からの侵入を防ぐためバリケードが何重にも設置されていて、とても大人数が同時に通れる構造にはなっていませんでした。結果として二つの門とそれに続く道は逃げだそうとした車同士が事故を起こし、封鎖されてしまいました」
スライドが正門の写真を表示した。子供がミニカーを部屋の隅に押しのけたように大量の車がぶつかり合い正門やそこに続く道路を埋めていた。
「他の出口や駐屯地を囲む塀を乗り越えて脱出しようとした人もいましたが、ほとんどが途中でゾンビに捕まって命を落としました。木更津は元々外からの侵入を防ぐためのフェンスや堀がありましたが、噴火後にバリケードを増設して要塞化していたのです。それが結果として中で発生した二万以上のゾンビを閉じ込める事になりました」
「ちょっといいですか」
しばらく黙っていた千尋が顰めっ面のまま質問した。
「木更津は自衛隊の基地だったんですよね。戦闘のプロな自衛隊員が何百人もいたのに対応できなかったんですか?」
「残念だけど陸自の隊員がみんな真庭さんみたいに戦えるわけじゃ無いんだ。木更津は航空機部隊の駐屯地で、普通科、つまり戦闘職の人はほとんどいなかった。それにアメリカで行われる予定だった大規模な訓練に参加するために対戦車ヘリコプターや特殊部隊用のヘリコプターの要員はほとんど出払っていたんだ。駐屯地に残っていたのは旧式の大型ヘリコプターや連絡機、そのパイロットや整備士ばかり。実戦経験という意味では今の西山さんにも及ばない」
広田はスライドに表示されているゾンビに目を向けた。
「それに、相手は見知った顔だった。我々が保護した民間人やさっきまで一緒に働いていた同僚だ。その人達に銃を向けて正確に頭を打ち抜ける覚悟のある隊員はほとんどいなかったよ。自分は、一発も撃てなかった」
「覚悟の問題だけではない。アレが殺す以外に対処のしようがないと判明するまで時間が必要だった」
真庭がフォローを入れる。
「今でこそ、ゾンビは頭部を撃ち抜けばいいと言える。だが噴火の直後は、時間が経てば正気を取り戻すと考える者も多かった。治療薬があれば助けられると信じる者も。それが全て不可能だとわかるまでに多くの犠牲者が出た」
「真庭一尉のおっしゃる通りです」
広田が説明を続ける。
「一部の民間人の方はゾンビ化した家族を守る為に我々に攻撃を加える事もありました。結果、生存者は分断され、私は数人と共に建物にこもりました。外はゾンビで埋め尽くされ、救援も期待できず。他にも建物や部屋に逃げ込んだ人達からの連絡も日に日に途絶え……。覚悟を決めようとした時、運良くミウさんの放送を聞いたんです。何とか『いずも』に連絡を取り、和浦一尉のヘリコプターで脱出することができました。ですが生き残れたのはわずか数十人でした」
真庭が広田の肩を叩く。
「通信科のお前があの状況で何十人もの民間人を守り切ったんだ。もっと自分を誇っていい」
「……ありがとうございます」
「というわけなんだ。冠木君に西山さん、状況は理解してもらえたかな」
和浦が再び話し始める。
「木更津駐屯地の敷地は広大だが、ゾンビは南東の一角、つまり最後に生存者が立てこもっていたのは格納庫や本部棟のビルに集中している。そして僕達の目標の一つであるCH-47ヘリコプターも南東にある格納庫にある」
スライドが切り替わる。CH-47というヘリコプターの写真と図面、大きさや牽引する場合に必要な車両の情報などが何枚かに渡って表示された。
「これは調達隊に説明した時の資料だ。ゾンビを一掃した後にヘリコプターを運び出す計画の概要だが今は関係ないので省かせてもらうよ」
和浦がポインターを操作すると突然音楽と共にヘリコプターの解説動画が始まった。広田の話の後でその場の雰囲気は重かったので、流石の和浦もタイミングではないと判断したらしく、『陸上自衛隊のCH-47チヌークヘリコプターは、』と爽やかな男性の解説が始まった瞬間に次のページに移った。
スクリーンに格納庫とその中にある大型ヘリコプターの写真が映し出される。扉は開いたままで、中はゾンビでいっぱい。ヘリコプターはゾンビの海に浮かんでいるようだった。
「我々は格納庫から機体を出し、車で館山まで牽引する予定でいる。機体だけでなく予備エンジンなどの交換部品、航空燃料、弾薬なども必要だ。だが現状、周囲に大量のゾンビがいて作業は不可能だ。かといって全てを排除しては弾薬の無駄だし、交戦すれば流れ弾でヘリが破損する可能性が高い。そこでゾンビを他の場所に誘導することにした」
和浦が自信に溢れた目で部屋にいる全員を見渡した。
「ここからが力作なんだ。改良を重ねて視覚的にわかりやすい資料にしたつもりだよ」
スライドが切り替わり、「MCL特別ステージ」のタイトルと共にサンミーのアイドルソングが始まる。
『だから〜♪ この恋は、甘酸っぱいレモネード〜♪』
「……」
会議室になんともいえない空気が流れた。人の死について話した後にアイドルソングは場違い極まりない。だが妙に明るいBGMは続き、やがてスクリーンに長方形を組み合わせただけの事務的なイラストで描かれた巨大な塔のようなものが現れた。長方形には「コンテナ」と書かれている。コンテナは五段積まれ、その上に「ステージ」と表示される。さらにコンテナの天辺に小さな人間のイラストが五つ登場した。
「木更津駐屯地の周辺には港がある。そこで集めた海運用の大型コンテナを積み上げて高さ十メートルの特設ステージを作る。ミウや君達にはこのコンテナステージの上で歌ってもらいたい」
BGMのボリュームが下がり、コンテナステージの上にいた五つのシルエットがぴょこぴょこと跳ね、音符のアイコンが飛び出した。どうやら歌っている場面のアニメーションのようだ。
「このように、ミウ率いるアイドルグループがパフォーマンスを開始する」
望や千尋がコメントに困っていると、スライドの左右からゾンビのイラストが群れで現れ、コンテナタワーの下に集まっていった。次々と現れたゾンビは短時間で下面を埋め尽くした。
「ゾンビが一定数集まったところでミウ達はヘリで脱出する」
画面の上からヘリコプターのイラストが下がってきた。丁寧にローターが空気を切り裂く効果音までついている。ヘリコプターがコンテナタワーの上に着陸すると、上にいた人型のシルエット達が動きを止めた。BGMが消え、シルエットがヘリコプターに乗り込む。そしてヘリが離陸し画面外に飛んでいった。
「全員が安全圏まで移動したら、会場に設置した爆弾を爆発させる」
スクリーンに「BOOOOM!」という文字と共に爆発が起こり、地面を埋めつくしていたゾンビがコミカルに吹き飛んだ。続けてファンファーレが鳴り「Mission Complete!!」の文字がキラキラしたエフェクトと共に表示された。
「どうかな? 作戦のイメージは理解してもらえたかな、冠木君?」
「……ええ、まあ」
「それは良かった。作った甲斐があたっよ。このプレゼンを完成させるために三日は深夜まオフィスに残っていたのだからね」
「それは、お疲れ様です。でも、集まったゾンビは二万五千体ですよね。それを吹き飛ばせる爆弾があるんですか?」
望が知っている爆弾は手榴弾や音葉を助ける時に使ったグレネードランチャーだけだった。上手くすれば十体くらいは巻き込めるだろうが万単位を吹き飛ばすのなら何百発もいるだろう。それよりは高速道路で調達隊がやったようにガソリンで焼き尽くす方が効率的に思えた。
「その点は問題ない。関根士長、君から説明してもらえるかな」
「はい和浦一大尉。では、初めまして二人とも。正確には何度か顔を合わせているけど話すのは初めてね。私は関根飛鳥。気楽にアスカさんって呼んでちょうだい」
関根は楽しそうに和浦からポインターを受け取るとスクリーンに運動場を真上から見た地図を出した。ごく普通の四百メートル陸上トラックで中央に先ほどのコンテナステージがあり、周囲はゾンビのイラストでいっぱいだった。
「今回は護衛艦『いずも』にあった二千ポンド爆弾、まあ要は大きな爆弾を使います。この爆弾の殺傷半径は約三百七十メートル。つまり運動場の四百メートルトラックのど真ん中に一発落とせばそこに集まったゾンビは一掃できるの。その爆弾を運動場を囲むように配置します」
地図の上下左右に黒い丸に導火線の着いた爆弾のイラストが現れ、同時に爆発する。それぞれから弧状の波が発生し、中央でぶつかった。
「こんな風に爆風の方向をコントロールして運動場の中央でゾンビを押しつぶす。残ってしまったゾンビは銃で倒さなくちゃいけなくなるから、弾薬を節約するためにもできるだけたくさんを集めて欲しいわ」
関根はポンターを和浦に返した。
「以上が作戦の概略だ。だいたいの事はわかってもらえたかな」
「和浦さん。いいですか」
話しが終わりそうな雰囲気だったので望が慌てて発言を求める。
「まだ最初の質問に答えてもらっていません。俺も音でゾンビを引き寄せた経験があります。その時は録音した音声でした。この作戦だって録音した音楽をスピーカーで流せば十分じゃありませんか? ミウや千尋は必要ないはずです」
「もっともな質問だ、冠木君。それについてはデータがある。我々はどんな音がゾンビを引きつけるか研究を行った。これが結果だ」
今度は文字と数字ばかりのスライドが現れる。「対ゾンビ誘導検証報告」と題されていた。ポップス、ジャズ、クラッシック、演説(男性)、演説(女性)、ラジオ体操、会話(男性)、会話(女性)、悲鳴(男性)、悲鳴(女性)、歌(男性)、歌(女性)、クラクション、銃声と様々な音源とそれに対するゾンビの誘導率が棒グラフで示されていた。誘導率は階段型に増えていったが、最後の一つだけ他よりも一回り高い誘導率を記録していた。そこには「ミウ(生声)」とある。
「ここに示した通り、様々な音源を使ってゾンビの誘導について調査した。その結果、まず生きた人間が発する声が有効だということがわかった。さらに悲鳴が最も効果的だが、同じ悲鳴を数分続けると誘導率が極端に下がることもわかった。会話や歌の場合、悲鳴よりも初期数値は劣るものの数十分後でも同様の誘導持続性が確認された。さらに単なる会話よりも音域の変化が大きい歌の方が効果的であることもわかった」
表の下の部分が拡大される。やはりミウ(生声)だけが他よりも抜きん出て誘導率が高い。というか百パーセントだ。
さらにスライドが切り替わる。
「次に効果の高かった女性の歌声とミウの歌声について誘導率と姿の有無について調査を行った。このように、百メートル離れた目視可能な位置において、およそ百体のゾンビ集団に対する関根士長の歌声は七十五パーセントを誘導した。一方、ミウの場合はほぼ百パーセントだった。次に二人に姿を隠してもらいマイクとスピーカーでどれだけのゾンビが誘導できるかを確認した。関根の歌は三十四体、ミウの場合は九十八体がスピーカーの方へ誘導された」
「じゃあ録音で十分じゃないですか。ミウの歌を録音して自衛隊の皆さんがスピーカーを持って動き回ればいいんですよね」
「ところがそうもいかないんだ。何パターンが実験した結果、興味深いデータが得られた。まず録音音源の場合、ループしていないにもかかわらずゾンビが興味を失う現象が確認されている」
「興味を失う?」
「そうだ。誘導を続けるには最低でも一定時間内に音の発生源を目視させる必要がある。ゾンビがお互いに何らかの方法で情報交換をしている事は知っているね?」
望は頷いた。狭い建物の一室でゾンビと戦っていると、別の部屋からゾンビがやってくる事がある。またハイウェイオアシスでは建物付近にいたゾンビが視界の遙か先にいた群れを呼んだこともあった。仕組みは不明だがゾンビが何らかの遠隔コミュニケーション手段を持っていることは確かだ。
「ゾンビの知能は高くは無いが、獲物が発する音とそうで無い音があることは理解しているようだ。人間の姿を見せずにミウの歌だけを流し続けた場合、およそ四十五分でゾンビは興味を失った」
さらにスライドが切り替わる。今度は関根とミウの顔写真が表示されていた。
「これは別の日に行った実験だ。録音したミウの歌で誘導したゾンビに関根が歌う姿を見せた。その結果、集団の二割ほどが別の方向に移動をはじめた。どうやら聞こえている歌の歌い手と目の前の人間が違うことを気づき、最初のターゲットを探そうとしているようだ。他にもいくつか実験をし、最終的に我々が出した結論は、実際にミウに歌を歌ってもらうことがベストだということだ」
「誘導率が七割の場合、およそ六千体のゾンビが駐屯地内に残ってしまう。それらを排除する弾薬と時間が惜しい。ミウの助力があれば、およそ九割のゾンビを誘導、殲滅できると考えている。残り二千体は多いが、対処できない数ではない」
真庭が和浦に続ける。望は納得できず反対を続けた。
「そんな上手くいくんですか? そもそも、その実験だってミウが原因じゃなくて別の条件があったのかもしれないじゃないですか」
「その可能性はある。だが我々は広島から脱出する時にミウの歌に救われている。拡声器を使っただけの彼女の歌に数千体のゾンビが注目し、彼女一人に向かっていった。近くにいたゾンビだけじゃない。遠くの街や建物の中にいたゾンビもだ。お陰で私や和浦は避難民と共に安全に『いずも』に乗り込むことができた。彼女の声にはゾンビを惹きつける何かがある。それは確かだ」
「だからって……」
望が顔をしかめると、和浦が「まあまあ」とポインターを手のひらでポンポンと上下させた。
「もちろん冠木君の言うとおり、別の理由があったのかもしれない。でも広島での経験も、ここでの実験も、両方がミウの歌にゾンビを惹きつける状況証拠を示している。僕達には同じ作戦を繰り返す余裕はない。できるだけ成功率の高い方法を選びたいんだ。だからステージにミウ本人に立ってもらい、歌ってもらう。そうすれば、それを見たゾンビから木更津駐屯地中のゾンビに通信が行くはずだ。「ここに人間がいるぞ」ってね」
「でも、水島さんが危険に」
「もちろん安全には最大限の配慮はする。ステージは十メートルは地上から離すし、そこの上岡二曹ら戦闘能力に優れた自衛官を護衛をつける。ゾンビを近づかせないためのトラップを用意する。さらに、もしもに備えて君と西山さんにも参加してもらう。万が一の時は君達がミウと他のメンバーを守って館山まで脱出してもらう」
「でも……」
何か反論の糸口はないかと考えていると千尋が質問をぶつけた。
「護衛するのは構いません。ゾンビと戦えるみたいですし。でもバンドメンバーでしたっけ? ミウ以外にも演奏するメンバーが必要なんですか? ミウが歌って、私達が近くにいればいいんじゃないですか?」
「君達に参加してもらう目的はミウのモチベーション維持なんだ。二万体以上のゾンビを一ヶ所に集めるには時間がかかる。想定では二時間から三時間。いくら歌が好きなミウとはいえ、一人で歌い続けるには限界がある。彼女が持っているサンミーの伴奏音源はそれほど多くないしね。そこでミウのやる気を保つためのためバンドを用意することにした。生演奏なら気分も上がるし、好きな曲を演奏できるだろ?」
和浦が別のスライドを表示させた。それは何かの名簿で、上の方には千尋の名前と「学校の軽音楽部に所属。ギター経験あり」とあった。
「記録によると西山さんと冠木君は楽器経験があるそうだね。二人がバンドとして加わればミウが気持ち良く三時間歌ってくれるというわけだ。納得してくれたかな」
「……この作戦を手伝えば調達隊に戻してもらえるんですよね」
「当然だ」
「わかりました。私はやります」
あっさり、そして力強く返事をした千尋はひどく大人びていて一人前の兵士のようで望はなんとも言えない気分になった。妹分の成長は嬉しいが姉の千明に胸を張って伝えられる気がしない。とはいえ、彼女が参加するのであれば望もしないわけにはいかなった。そうすると別の懸念が出てくる。
「あの、俺は楽器は弾けないし歌も下手ですけど」
「このリストによると冠木君はピアノの経験があると書いてあるが?」
「どうやって調べたんですか……。中学に入る前には止めてます。今はさっぱりですよ」
「そうなのか。だが問題無い。メンバーについては代替案があるんだ」
和浦が先ほどの名簿にポインターを当てた。十五名ほどのリストが並んでいる。
「これは館山キャンプの音楽経験者のリストだ。各部隊長経由で間接的に確認したものなので冠木君のように不正確だったり、他にも経験者がいると思うがまずはこの人達に協力を頼んでみてほしい。ミウが気持ち良く音楽する環境を整える、君達にはまずこの任務を任せたい」
和浦がスライドを操作すると作戦決行日までのカウントダウンが表示された。あと三週間と少し。時間はあるようでない。
「各部隊長にはできるだけ君達に協力するように伝えてある。練習場所として資料館の音楽室はクリスマスまで君達の専用施設だ。君達の所属はこれから作戦終了まで本部直属扱いとする。進捗については毎日一六〇〇に本部棟の私まで報告に来ること。以上だ。何か質問は?」
「ありません」
望が何かを言う前に千尋が断言した。
「では最後に作戦の主役であるミウから挨拶をしてもらう」
和浦が指を鳴らすと会議室の扉が勢いよく開いた。
「やっほー! 千尋に望君!!」
ライブの衣装のままのミウが飛び込んできた。和浦がポインターを操作すると先ほどのライブで耳にしたサンミーの曲がBGMとして流れる。ミウは満面の笑顔で千尋の手を取った。
「一緒にアイドルができるなんて、さいっこーだよ千尋! 頑張ろうねっ!!」
「……アイドルは無理。バンドなら、まあできると思うけど」
「どっちも同じだよ! 千尋も歌う? 歌おう? 一緒に! あと踊ろ?」
「私はバンドだけでいいよ。ギターは少し弾けるけど歌は得意じゃない」
「そんな事無いと思うけどなあ! 千尋もいい声してるよ!? お客さんも喜ぶと思うけどなあ」
「お客って、ゾンビでしょ?」
「歌を聞いてくれる人達はみんなお客さんだよ!」
ミウは千尋の手を掴むとミウがぶんぶんと上下に振った。契約成立の握手なのだろうか。それから望の方にぐいっと顔を寄せてきた。
「望のピアノも楽しみにしているね! これでやりたい曲が歌えるー。あれも、これも、歌いたい曲が一杯あるからすっごーく嬉しいよっ!! ありがとサンミィ!」
望が自分は無理と伝える前にミウが指を三本立て笑顔を浮かべた。ローカルアイドル、サンミーの決めポーズだ。
「それ私もやるの?」
戸惑う千尋を望は人ごとの様に眺めていた。ピアノが弾けない自分はバンドメンバーに加わる必要は無い。戦闘員として千尋やミウを守るだけならいつもの仕事だ。
2024年5月16日 全体的に文章を整理