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クリスマスには花束と(2):ミウ・ミニ・ライブ

館山キャンプに十二月が訪れた。

 空は相変わらず分厚い火山灰に覆われ地上に届く日差しは弱々しい。冷たい風は時折灰でざらつき、雨が黒や灰色に濁ルカともあった。噴火からもうすぐ四ヶ月になるが自然環境が改善する兆しはない。

 一方で館山キャンプの生存者達はゆっくりとかつての生活を取り戻しつつあった。冬に備えて集めた食料や燃料は十分な量になり、当初は毎週出ていたゾンビによる犠牲者もほぼゼロになった。生活に余裕が生まれ、余暇や休日の概念が戻ってきたがそれはそれで新しい人間関係の悩みを生んだ。


「やばい、遅れる!」


 12月最初の日曜日の昼前、冠木望はキャンプの敷地を息を切らせながら走っていた。普段の作業着にブーツでは無く、パーカーにジーンズ、スニーカーと私服で、髪が少し濡れている。すれ違う人達と挨拶を交わしながら目的地までの数十メートルを全力疾走すると、厚生棟の入り口で西山千尋が大きな荷物を脇に置き、険しい目つきで仁王立ちしていた。望は到着するなり頭を深々と下げる。


「ごめん、待った……待たせた、待たせましたですね?」

「ねえ望君。私、十二時五十分に集合って言ったよね? 今何時かな?」


 千尋の目は笑っていないし声がじっとり湿っぽいというか重たい。

 望は息を整えながら腕時計を見ようとしたが左腕は空っぽで、目の前の少女の左手にはまっている水色のGショックを盗み見る。


「ええと、一時四、いえ五分です……」

「うん。十分遅刻。私は十分前にはここにいた。だから二十分も待ってたの。一応、言い訳を聞きます。どうして遅れたの」

「遅れてごめん。午前は訓練でキャンプの外にいたんだけど」

「いいよね、望は。訓練に参加できて」


 千尋がさらに不機嫌になる。あの一件依頼千尋は戦闘訓練からも外されていた。


「そこは、むしろ罰を与えられないだけラッキーだったというか……。味方に銃を向けたわけだしさ」

「私、ちゃんと謝ったし」

「だから真庭さん達も配慮してくれたんだろ。戦闘員から外されただけで済んだんだから」

「調達隊からもね。私がずっと洗濯なんて人材の無駄遣いだと思わない」


 木更津までのルートが安全確保できたちめ、野瀬隊や他の調達隊はは木更津の簡易拠点を中心に日々新しい店舗やルートの開拓に励んでいる。家電、新しい服や美容用品、本や映画のDVDといった物を持ち帰る調達隊はここ数日キャンプのヒーローで、そこから外された千尋は相当なフラストレーションを溜めているようだ。

 ちなみに牧場の一件は公表されていないので表向きには未成年者を危険な任務に就けないためとされている。そのとばっちりで望も訓練以外は館山基地待機の日々が続いていた。


「いくら何でもあれはやり過ぎだったよ。もう少し反省した方がいい」

「……なんで遅刻した望に私が怒られてるの。そりゃあ、悪かったとは思ってるけど。それで、遅刻の原因は訓練?」


 千尋の声は少し弱々しい。望も事実を指摘しただけなのだが少し申し訳なくなる。


「理由はあるだ。訓練が終わって帰ろうってなった時に生存者が現れたんだよ。東京から避難してきたって五人組が。その人達を基地に案内してボディチェックの手伝いをしてたら小針さんって女性に怪我が見つかって」

「へえ、女の人の身体を調べたんだ。イヤらしい」


 収まりかけた怒りに燃料を追加してしまったようだ。


「違うって。俺は医務室に小笠原さんを呼びに行っただけ」

「ふーん? それでその女の人はどうだったの」

「……結局ただの擦り傷だったよ。五人とも隔離部屋にいるけど数日で自由になるはず」

「それが遅れた理由? 二度寝したら寝坊したんじゃないの」


 千尋が望の濡れた髪を見る。


「まあ、その、こっちに来る前にシャワーを浴びて、髪を整えようとしたんだ。でも使った事のないワックスで上手くいかなくて。結局全部流してきた。そしたらこんな時間に。ごめん」

「普段ワックスなんてつけてないのに、なんで」

「まあ、女子から食事に誘われた訳だし。結局何にもならなかたけど」

「ふーん」


 まだ乾ききっていない髪の毛を見て千尋は納得してくれたようだった。腕組みを解いて腰に手を当てる。


「まあ事情があったのなら仕方ないか。早く来たのは私だし。待たされたことは許してあげる」

「ありがとう。本当にごめん」

「それは許した。でも結構寒かったんだからね」

「冷えるよな……今日は」


 千尋も普段着で図らずともおそろいになってしまったパーカー姿だった。ただし、脚は素足。オーバーサイズのパーカーは太ももの上辺りまで伸びており、そこから下は素肌が見えていた。館山のある千葉県南部は冬でも暖かい地域だが、それでも気温は水風呂より低い。望はきちんと防寒対策をしており、厚手の靴下と保温効果のあるインナーを身につけていた。それに対して千尋はとにかく寒そうだ。

 パーカーの下には当然何か履いているのだろうが望からは見えないので色々と不安になる。望の視線に気がついた千尋は年相応よりもやや細身の脚を見せつけるように軽く伸ばした。パーカーがめくれてショートパンツの裾がチラ見する。


「かわいいでしょ。昨日見つけたの」

「ええと、パーカーのこと?」

「ブーツのこと。最近配ってくれる服の種類が増えたでしょ。今まで実用的なのばっかりだったけどやっとかかわいい物が選べるようになった」

「そういや野瀬さん達がアウトレットモールに行ったって言ってた」

「そう。そこで回収されたやつ。できれば自分で行って色とか選びたかった。こんなの絶対買ってもらえなかったブランドだから。知ってる?」


 千尋がカタカナで早口言葉のようなブランド名を言った。そういえば妹が父親にそんな靴をねだってたような気がする。イタリアの革を使ったおしゃれな靴だとかなんとか。デザインはともかく、しっかりとした革製なので防御力は高そうだ。作りもゆったりしているので武器を仕込むのにぴったりだ。というか本当にナイフの柄が見える。


「聞いたことはある。似合ってると思うよ。千尋らしくて」

「そう。ならよかった」


 千尋の表情が和らいだ。その笑顔は姉の千明に少し似ていた。


「じゃあ行こう。みんな待ってるから」


 千尋は脇に置いてあった大きなトートバッグを手に取ると厚生棟の自動ドアとは反対側に身体を向けた。


「あれ? 今日はランチを一緒に食べるんじゃなかったっけ?」

「そうだよ。これから会場に行くの」

「会場? 厚生棟の中のカフェじゃなくて?」


 厚生棟にでは緑の人魚の看板で知られた喫茶店でバイトをしていた人達が中心となってコーヒーや軽食を提供するカフェを運営しており、持ち込みもできた。てっきりそこで食べるのかと思っていたが違うらしい。

 ちなみに厚生棟の入り口には中に入っているお店を示す看板が掛けられている。カフェ、映画館、薬局、コンビニ、いずれも馴染みのある人気店のデザインに似せてある。カフェは緑っぽい背景に人魚ではなく航跡を残して進む『いずも』が、コンビニは赤と緑の枠の数字の七ではなく館山を表す「T」が描かれている。どれも手書きで、絵心のある誰かが作ったらしくよくできている。


「今日は音楽室で食べる」

「そんな場所あったっけ? 厚生棟のカラオケルームのこと?」

「元々は資料館だったらいしよ。そこの視聴覚室を音楽室って呼んでる。ここのカラオケルームより広いし、防音がしっかりしてるから大きな音も出せる。今日はそこでミウのライブがあるの。お昼もそこで食べるから」

「水島さんのライブだって?」


 水島詩乃、自称ミウは館山キャンプの有名人の一人だ。自衛隊の真庭達と同じく広島から護衛艦『いずも」で関東まで逃げてきた「いずも組」の一人で、元は広島県の小さな市のローカルアイドルだった。彼女が度々歌いたいと言っていたのは聞いていたが本当にライブをしているとは思わなかった。


「もう何度かしているんだよ。私達は調達任務で外にいたから聞きに行けなかったけど。噂になってたでしょ。お客さんが三人なのに十曲歌ったとか、不謹慎だからやめろってクレームがあっても踊り続けたとか」

「……本当に? 全然知らなかった」

「なにそれ」


 千尋はため息をついて呆れた。


「もう少し色んな人と交流した方がいいんじゃない? 浦島太郎になってるよ。長い付き合いになるんだから仲良くした方がいい」

「それはそうだけど……」


 それを千尋に言われるのは意外だった。望が館山に来た当初、千尋は同年代の少年少女達と距離を置いていたし、調達隊に入ってからも大人とばかり交流していた。謹慎で基地から出られなくなって人間関係を改善したらしい。


「嫌なの? お姉ちゃんに聞いてた冠木望はもうちょっと人付き合いのいい人だったんだけど」

「まあ、ほら、訓練とか忙しいし」


 望がこの館山キャンプにいるのは父親の行方を捜しているからだ。もし情報が手に入れば成田シェルターに戻るつもりでいる。いずれ立ち去ると思うと他の人と交流を深めるのが少し申し訳なく思えていた。ただ、その結果当たり前の情報が入らなくなってしまったことは問題だ。少し改めないとと反省する。


「まあこれからだね。早く行こう。みんな待ってる」


 千尋は荷物を担ぎ上げて資料館のある方向に歩き出す。キャンバス地でできた大きなトートバッグでバスケットボールが二個入りそうな大きさだ。軽々と持っているので重くはなさそうだが歩きにくそうではある。


「持とうか?」

「ありがと。割れ物だから気をつけて」


 受け取ってみると重さは無かった。かさのある箱状の物がいくつも入っている感じだ。歩く度にカラカラと乾いた音がする。二人分のお弁当にしては大きい。なんだろうという表情をしていると千尋が軽くバッグを叩く。


「これはランチのサンドイッチとライブで配るお菓子。クッキーとかブラウニーとか」

「ライブでクッキー? まさかステージから投げるのか」

「馬鹿なの? そんなわけないでしょ。ご自由にお取りくださいって置いておくだけ。昨日の夜から仕込みをしていたから疲れちゃって」

「お疲れ。千尋が料理ってめずらしいな。水島さんのリクエストだったの」

「どちらかというと和浦さんかな」


 和浦は海上自衛隊で館山キャンプ唯一のヘリコプターパイロットだ。陸上自衛隊の真庭の様に外に出ている事は少なく調達隊との絡みが少ないので話した回数はわずかだが穏やかでいい人だと聞いている。そして真庭や『いずも』艦長の郡司と並んでキャンプの運営に大きな影響力がある人物の一人だ。そんな人物からクッキーを焼く事を直接頼まれるというのは何か不思議な気もする。


「多分、あの件の罰なんだと思う。ミウの手伝いをすれば調達隊に戻してくれるって言われた」


 千尋の戦闘力が大人顔負けなのは周知の事実だし、館山キャンプでは多少問題があっても使える人材は使う方針なので前線に戻すというのはわかる。ただミウのライブの手伝いが条件というのがわからない。普通、こういうのはトイレ掃除とは生ゴミの分別とか、ゾンビの死体の焼却とか人が嫌がる仕事を割り当てるのではないのだろうか。和浦がふざけただけかもしれないし、あるいは罰という形なら何でも良かったのかもしれない。


 資料館は厚生棟の向こう、本部棟のさらに隣にある。一階部分が展示スペースになっており旧海軍から現代の海上自衛隊の様々な写真や旧式のヘリコプターなどの歴代装備品が展示されていた。案内によると二階部分に小会議室や視聴覚室があり、ミウのライブ会場もそこらしい。

 千尋は何度か来ているらしく迷わず階段を上がりはじめた。望もその後ろをついて行く。二階に上がって少し進むと受付の長机があり、壁には「ミウ・ミニ・ライブ 会場:二階音楽室 開演:一四時〇〇分から」と告知ポスターが貼られていた。受付には中学生くらいの少女が座っており、千尋を見つけると花火のようにぱっと表情を明るくし手を振ってきた。


「西山さん遅いよー。どうしたのかと思った。なかなか来ないから呼びにいこうかって思ってたんだ」

「ごめん。この人がもたもたしてて」

「あ、噂の冠木先輩!」


 受付の子達が自己紹介をしてきたので望も挨拶をして返す。遅れた件も併せて謝ると女の子は「いいですよー」と座ったまままじまじと望を見上げた。


「へえ、これが冠木先輩かあ」

「ど、どうも?」

「初めて近くで見ましたけど、以外とかっこいいですね」


 女の子に褒められて悪い気はしない。自然と頬が緩んだ。だが隣から軽く肘打ちが飛んでくる。


「デレデレしない」


 そして千尋は所有権を主張するように腕を絡めてきた。これはこれで対応に困る。


「じゃあ私達は中に行くからまた後でね」

「もう。別に盗ったりしないって」

「望、早く行くよ」


 引きずられるように音楽室のドアをくぐった。部屋に入っても腕は拘束されたままだ。望はできるだけ丁寧にするっと千尋の腕から抜け出した。少し不満そうな千尋からあえて目をそらし部屋の中を見渡す。

 音楽室の中は既にライブ用のセッティングが完了していた。部屋の前方には一段上がったステージがあり、それと向かい合うように客席があった。客席は四から五脚の椅子と小さな丸テーブルがセットで十組ほどある。壁は風船やリース手作り感溢れる飾り付けがなされており学校の文化祭のような雰囲気だ。


「じゃあ、私はクッキーを並べて来るから。望は端っこの方に座ってて」


 千尋は「じゃあ後で」と壁側で準備をしている女の子達の方に行ってしまった。

 訓練とその後のゴタゴタで腹が減っていたのだが、周りでは同年代の中学生や高校生がライブの準備で動き回っていた。顔見知りもいるそれほど仲がいいわけではないので話しかけづらい。どこかに座ろうかとも思ったが、中学生の男子達が椅子の位置を調整中している。邪魔にならない所に移動しようとした時、高校生組のリーダー格である植木弘誠がやってきた。基地の中だからか、ずいぶんと余裕がありそうだ。


「やあ、冠木」

「植木先輩、こんにちは」

「植木でいいって。君も聞きにきたんだね。水島さんのライブ」

「はい。千尋に誘ってもらって」

「西山さん、人一倍がんばってたからね。今回だって会場の確保から音響設備のセッティング、菓子作りと人の三倍は働いていたよ」

「それは、知らなかったです」

「ははは。西山さん、冠木は訓練で忙しいから邪魔をしないようにって気をつかっていたからね」

「……それも知りませんでした」

「気にすることはないよ。彼女の意図なんだから」


 なんとなく置いていかれた気がして少し寂しい。それに最近素っ気ないとは思っていたがライブの準備に奔走していた事に気がつけなかったのも地味に堪えた。植木がポンポンと望の肩を叩いた。


「君が落ち込んでいるところを見ると安心するよ。外だと戦闘マシーンみたいだから」

「そんな風に見えていました?」

「少しね」

「……へこみます」

「気にしないで。冠木は間違いなくキャンプの役に立っているんだから。僕たちも君には及ばないながらもできることをやろうと思う。だからミウのライブを提案したんだ」

「植木さんが発案者なんですか? なんか意外です」

「正確にはミウと僕達の共同アイデアさ。キャンプの中学生や高校生で何かイベントができないかって考えてる時にミウが路上ライブをしたいって言ったんだ。それを未成年組主催のイベントにしようってしてね。ミウだけじゃなくて西山さんや石坂も乗り気だったし」


 高校生組の一人、石坂鷹斗もその場にいた。戦闘員として訓練を受けていたが高速道路を封鎖する作戦で勝手な行動をしたため前線から外されて、今は警備隊の所属になっていると聞いている。ゾンビに襲われていた時は飼い主に捨てられた犬のようだったが、今は推しのアイドルのステージを成功させるべく、懸命にがんばっているようで、生き生きとした表情でステージ横で音響担当の男子学生と熱心に何かを打ち合わせている。


「外の仕事から外されるとエネルギーが余るみたいだね。西山さんも調達隊に戻りたいんだっけ? ライブが成功したら許可が出るって言ってたよ」

「そうみたいですね……」

「冠木は反対なのか」

「正直キャンプ内にいてくれた方が安心です。あいつは妹みたいなものなんでから。いくら戦えるからって中学生の女の子が外にでなくてもって思いますよ」

「冠木君、そんな事言ってると西山ちゃんに怒られるよ」


 突然横から二人の女子が現れた。顔見知りの高校生組、月船美姫と石清水麻恵梨だ。月船はジャージ姿で腰にマジックやテープの入った作業用のウェストバッグを身につけていた。一方、石清水は艶やかで長い黒髪に日焼けとは無縁の白い肌とお嬢様風な出で立ちに不釣り合いな大きなカメラを持っていた。

 月船が養生テープをくるくるとまわしながら望ニヤニヤと見る。


「世の中がこんな風になっちゃったんだからさ。大切な人とは一秒でも一緒にいたいじゃない。それをわかってあげないと」

「それは、そうかもしれないけど」

「優柔不断だなあ。そんなんじゃいつか愛想尽かされちゃうよ。ねえ、マエリ?」

「はい。さっさっと結婚しちゃえばいいと思います」


 石清水がそう言いながら大きなカメラを構えた。


「そしたら私、たくさん写真撮りますよ」

「あ、うん。その機会はないと思うけど」


 自分が既婚者だとは流石に言えない。


「結婚式か。いいアイデアだと思うな」


 植木が拾わなくていい球を拾いに行く。


「館山キャンプにはポジティブなイベントが足りないと思うんだ。そのためのミウのライブなんだけど、冠木が結婚式をあげたら、きっとみんな喜ぶと思うよ」

「私も賛成! 友人代表で余興するよ」


 月船の言葉に俺にも友達がいたのかと妙に安心した。


「ありがとう。無いとは思うけど一応、お礼を言っておくよ。ところで月船さん達は何か用事があったんじゃない?」

「あ、そうだった。植木。あれを見て。ステージの横断幕、吊り下げ方を修正したよ。バランスもいい感じじゃない?」


 植木は「ちょっと失礼」と言うと、ポケットから定規を取り出しステージ上に掲げられている横断幕に当たりをつけた。左右の位置と床との角度を見比べ、大きく頷く。


「うん。完璧だよ。ステージど真ん中。床とも平行だ」

「よかったー。天井のフックの長さが違ったんで養生テープで固定して修正したんだ」

「テープで固定? 強度は大丈夫だよね。本番中に落ちてきたら大変だよ」

「大丈夫。ガッチガチに固めましたから。むしろ外すのが大変なくらい」

「本当に?」


 植木は半信半疑で横断幕と月船を交互に見る。

 ステージ上の横断幕をよく見ると右側の吊り下げ部分に緑色のテープがぐるぐる巻きになっている。そこ以外は丁寧な作りで、「MiU Mini Live 3rd」の装飾さ!た文字、アイドルっぽい女の子とひまわりのシルエットが切り絵で描かれていた。べースカラーは黄色だが隅っこにサンタクロースとトナカイがいる。全体的に手間暇がかかっているのがよくわかる。


「よくできてますね。誰が作ったんですか?」

「あれかい? 月船さんだよ。入口にもポスターがあっただろ? あれもそうさ」

「すごいですけ。俺も高校の文化祭で色々な看板を見ましたけれど、これほどのクオリティはなかったですよ。でほとんどプロの仕事ですね」

「そんなことないよ。まあ気合いは結構入れたけどね」


 月船は照れ臭そうに笑った。


「でも私一人じゃなくてみんなの共同作業なんだよ。あの横断幕のデザインはミウちゃんだし、植木先輩だって下塗りとか手伝ってくれましたもんね」

「そうだね。みんなの共同作業……なあ月船さん、あの横断幕少し傾いてないか」


 さっきまで平行だった横断幕が微妙に斜めになっている。緑色の養生テープの塊が気持ちほどけかけていた。


「あ、おかしいな。ちゃんと固定したのに」

「……やっぱり一度確認した方が良さそうだね。すまない冠木。僕はちょっとステージを見てくる。行くよ、月船さん」


 植木は月船と一緒にステージに行ってしまい、その場に望は石清水が残された。彼女は肩から下げた大きなレンズ交換式のデジタル一眼レフカメラで横断幕の釣り作業をやり直す植木達を撮影していた。シャッター音がひと段落したところで話しかけてみる。


「そのカメラ、かなり本格的なやつだね」

「わかります? この基地の広報部にあったのをもらいました」


 石清水の話し方は穏やかだが芯が通った感じで、どこか音葉を思い出させた。


「俺の母親がカメラ好きだったんだ。日本各地のお祭りの写真とか撮ってた。小学生の頃に勝手に使おうとして怒られたよ。一本で二十万のレンズを落としたんだから当然だったけど。石清水さんは元写真部?」

「私は帰宅部でした。写真はスマホで撮るくらい。でも今は色々撮ってるんですよ」


 石清水はカメラ本体のモニターを望に見せてきた。そこには館山キャンプで撮影された様々な写真があった。小銃を持って訓練する私服姿の大人達、洗濯する老人、死んだ表情で部屋の隅で体育座りする少年、誰かの葬式、ポンプを直す作業着姿の女性、怪我人の治療をする医療班。笑顔の人よりも泣いている人や無表情な写真の方が多い。そして道路に積もった火山灰や見張り台から望遠レンズで撮影したらしいゾンビの写真もあった。


「すごいな。館山キャンプの歴史だね」

「辛いことや悲しいことばっかりでしたけど。全部忘れてしまうよりはこうして記録を残した方がいいと思ったんです。いつか、笑っては無理でも正面から向き合える日のために」


 石清水はおもむろにカメラを構え、音楽室の壁側でクッキーを並べている千尋と中学生の少女にレンズを向けシャッターを切った。カシャッという音がしてモニターに新しい画像が表示される。


「素敵な顔をしてると思いませんか? やっぱり笑顔が一番です」


 モニターの中の千尋の横顔は屈託のない笑顔を見せていた。クッキーの並べる順番をああでもない、こうでもないと議論している。生存には必要の無いくだらない議論だが、外でゾンビと戦っている時には見せない表情を見ることができた。きっとこういう時間こそが貴重なのだろう、そう思っていると再びシャッターが落ちた。石清水のカメラが今度は望の方を向いていた。


「石清水さん、隠し撮りはどうかと思うよ?」

「いい表情でしたよ。優しそうで、お兄ちゃんで感じ。千尋ちゃんの恋が実るのはちょっと先っぽいですね」

「千尋には見せないでくれよ。俺が保護者面していると機嫌を悪くするんだ」

「じゃあ二人だけの秘密ですね」


 石清水は人差し指を口に当てるとクスクス笑った。


「じゃあ、そろそろ私、受付の方に行ってきます。お客さんが来るシーンを撮りたいんで」


 石清水はカメラを持って音楽室の外に出ていった。

 しばらくして全ての準備が完了した。手伝いをしていた十名ほどの中高生組は、受付や会場誘導のための配置に就く。望も何か手伝おうとしたが断られ、作業を終えた千尋に引っ張られ一番隅のテーブルについた。ステージは見にくかったが、ほどよく目立たない席だ。千尋は紙コップに入れたコーヒーをテーブルに並べ、小さなトートバッグからサンドイッチを取り出した。


「今日のお昼。右からシーチキン、ピーナツバター、イチゴジャムと卵サンド。一番左は生クリームのフルーツサンド」

「結構つくったな。卵に生クリーム?」

「最近牧場から卵とか牛乳が来るようになったでしょ。特別に少し分けてもらった」

「それは嬉しいな。卵なんて久しぶりだ。でも、みんなの前で食べるのはちょっと気が引けるな」

「そうなの。だからライブが始まる前に食べちゃって。できれば開場前に」

「あと五分くらいしかないんだけど……」

「そのためのサンドイッチ。すぐに食べれるでしょ」


 そういうと千尋は早弁する運動部のようにサンドイッチを口いっぱいに頬張った。望も大急ぎで昼食に手を伸ばす。せっかくなので卵サンドから手をつけた。ふわりとしたパンの間に柔らかな卵サラダが挟まっていて、控えめな塩っ気とマヨネーズ、プリッとした白身の食感が懐かしかった。


「うまいな」

「でしょ」


 千尋は望の反応を見て満足そうにしていた。三分も経たずに千尋が用意したサンドイッチはなくなった。欲を言えば生クリームサンドをデザートに味わいたかったが時間がないので仕方がない。

 そして開場時間となりちらほらと観客が入って来た。子供連れの大人や、カップルらしい男女、家族連れ、そして自衛官も何人かいた。見覚えがないので『いずも』の乗組員だろう。会場の五十席はすぐに埋まってしまい、会場整理係が慌ててパイプ椅子を並べていた。開演直前にキャンプのリーダーである陸上自衛隊の真庭と海上自衛隊の和浦が三人の隊員をつれてやってきた。一人は望も何度か話したことがある広田という隊員で、一人は二十代前半っぽい女性隊員、最後の一人は外で何度か見かけたことのある仏男性隊員だった。名前は確か上岡。


「真庭さん達まで来るんだな」

「許可を出したのはあの人たちだし、広島組はミウと仲がいいから」


 真庭達はほぼ満席の音楽室を見渡し、近くにいた高校生と何かを話すとパイプ椅子を持って望達のテーブルにやってきた。


「お疲れ様です」


 休日だが一応上司っぽい立場にいるので、望は立ち上がって真庭に挨拶した。千尋も一応立ち上がって頭を下げる。


「お疲れ様。ここに座ってもいいかな」


 仕事モードの顔つきで真庭が言った。

 望が「もちろんです」と返事をすると、千尋が少し不満そうに席を詰める。


「いやあ、助かるよ。ミウのライブがこんなに人気があるとは思わなかったからね」


 和浦は友好的に手をひらひらさせた。合計七人になったテーブルは少し手狭だ。女性の隊員が「私達がまとめて食べ物を取ってきます」といって広田と一緒に席を外した。

 千尋も席を立ち、人数分のコーヒーをもって戻ってきた。カップをテーブルに並べ、その内の一つを真庭に差しです。


「どうぞ」

「ありがとう。ライブの準備には勢力的に取り組んでいたようだな。植木君から報告を受けている」

「はい。全力でがんばりました。あの、私はいつ調達隊に戻れますか」

「年内に木更津駐屯地からゾンビを排除するつもりだ。その作戦には西山にも参加してもらつもりだ」

「本当ですか! ありがとうございます」


 望は心の中でしかめっ面をした。本人は大喜びしているが、千尋が前線に出ることは賛成も歓迎もできない。しかし野瀬隊が戦闘員不足で困っているのは事実だし、自衛隊と望以外で千尋より戦える戦闘員は館山キャンプには数える程しかいない。女子中学生より体力や筋力で勝る大人は大勢いても、人間の形をしたゾンビを冷静かつ正確に撃ち殺せる者は多くはない。兵士の素質というのもある種の才能の一種であるらしい。


「西山、それに冠木も。ミウがライブが終わったら残って欲しい。次の作戦の件で少し話がある」

「わかりました!」


 目を輝かせる千尋の横で望は手をあげる。


「作戦なら野瀬さん達が基地に戻ってからでもいいんじゃないですか」

「もちろん野瀬隊の力も借りるつもりだ。だが君達二人に特に頼みたいことがある」


 その言葉に望は不安させた。望と千尋は調達隊の野瀬隊の一員で、指揮系統的には自衛隊とは独立している。自衛隊から直接依頼を受けるのは初めてだし、牧場の一件もあったので嫌な感じがした。だがその疑問をはっきりさせる前に、ライブが始まった。音楽室にはスタッフ込みで八十人ほどが集まっている。かなりの盛況だ。ステージ横のスタンドマイクに石坂が立ちアナウンスを始めた。


 「みなさん、本日は貴重なお休み中にお越し頂きありがとうございます」


 石坂は緊張した面持ちでマイクを握ぎり、小さなメモを見ながら演奏中の注意事項を読み上げた。ステージには近づかないこと、飲食は自由なこと、演奏中のスマホはマナーモードにと現在の館山では無意味な内容もあり観客の笑いを誘った。説明が終わると、石坂はメモをポケットに戻し、左手を音楽室の入り口に向けた。


「それではミウ・ミニ・ライブ・サードの始まりです!」


 それをきっかけに、音楽がスタートし、音楽室の扉が開いてミウが登場した。ふわふわしたスカートにひまわりの造花を髪に刺した彼女は歌いながらステージに駆け上がった。


「障子もふすまも開いている〜♪ 出発に日がきーたーの〜♪ お天気もこんなに上々〜♪」


 望はこの曲を知っていた。有名な海外の映画会社が作った雪女アニメの劇中曲だ。大名家に生まれた雪女とその姉が初めての参勤交代で江戸に出発するシーンで使われている。


「私は初めて〜♪ 籠に乗り〜♪、 私は初めて〜江戸にいくのよ〜♪」


 将軍のお膝元できっと素敵な男性に会える、そんな夢見る雪女の妹と侍との結婚なんてウンザリで家に引きこもっていたいという姉の歌をミウは楽しげな振り付けと憂鬱そうな振り付けを使い分けて熱演していた。十人ほどいる小学生が手を叩いてもらい上がり、一緒に歌っている子もいる。ミウがステージで踊りながら一曲目を終えると、大きな拍手が起こった。


「みんなー、こーんにちわー! 今日は来てくれてありがとサンミィー!」


 ミウは指を三本当立てて顔の横に当てた。「サンミー」はミウが所属していたローカルアイドルグループの名前で、三本指のポーズは決めポーズだ。


「今回ででミニ・ライブも「三」回目! またみんなの前で歌えてとっても嬉しいよー」

「ミウちゃーん、待ってましたー!」


 海自の隊員達が統制のとれた声援を送るとミウが手を振って応えた。


「みんなありがとー。さてされ、今のお送りした曲は、ご存じ名作アニメ映画「ハナと雪女」から「わたしは初めて」でした! 実はっ! サンミー時代はこの歌を歌う度にお金を払ってました。でも今は許可なしで歌ってまーす! だから絶対に録音したりネットにアップしたりしないでねー」


 会場で小さな笑いが起こる。


「私、いつもはライブ前に「サン」ラータン麺を食べて気合いを入れるんです。でも館山では食べれません……。そう! 富士山が噴火して私達の人生はメチャクチャ。富士山バカヤローですよね。ではではっ。次の曲は皆様に好評いただいてる私のオリジナル『富士山なんて大嫌い』」


 ミウが手を上げると音響担当のスタッフが次の曲をスタートさせる。伴奏が始まるが先ほど違いピアノの伴奏をスマホで録音したものようで、少し単調で物足りない。それを補うようにミウがシャウトした。


「富士山なんてー、大っ嫌いっーーー!!!」


 その声に会場が湧いた。


 ミウのライブは『富士山なんか大嫌い』、アイドルソング二曲、Jポップ、子供向けの戦隊ドラマの主題歌と続き、最後は有名なJポップが歌われプログラムは終了した。アンコールはサンミーの曲とクリスマスソングで、ミウと観客で「ジングルベル」を合唱してミニ・ライブは終了した。汗を輝かせたミウが深々とお辞儀をするとアンコールの時よりも大きな拍手が起こる。望も力を込めて手を叩いた。

 ミウはもう一度頭を下げ、観客に手を振りながら退場していった。石坂がマイクを手に立ち上がり「以上でライブを終了します。皆様お気をつけてお帰りください」と締めの挨拶をしてイベントは終了。中高生組が誘導し観客が退出する。部屋の外からミウの「ありがとサンミィ」という声が聞こえてくるので見送りをしているのだろう。

 観客が捌けた後、残っていた中高校生組が椅子をまとめたり、空になったクッキーの紙皿や紙コップに残ったコーヒーを集めたりと片付けを開始した。


「作戦についてだが別室で話そう。部屋を取ってある」


 真庭に言われ、ライブの熱狂で熱を火照っていた千尋に目がさらに輝くいた。

 望と千尋は真庭達に連れられて資料館の二階にある会議室に入った。会議室は十人以下が適正の小さな部屋で、机と椅子、それにホワイトボードがあった。先に来ていた広田と上岡、女性自衛官がパソコンとプロジェクターの準備をしていた。


「二人ともそこに座ってくれ」


 真庭に言われるまま、プロジェクターのスクリーンの正面に座る。広田がパソコンを操作すると、スクリーンに青い画像が映し出された。これからプレゼンテーションのタイトルページが出てくるのだろう。

 説明は真庭からと思っていたが、レーザーポインターを手にしたのは和浦の方だった。


「冠木君と西山さん、我々は現在、木更津駐屯地のヘリコプターを回収するバレット・アンド・チョッパー作戦を実施中だ。残念ながら作戦の進捗は思わしくない。そこで事態を打開するための支作戦を考えた。君達二人にも参加してもらいたい。これがその作戦だ」


 妙に楽しそうな和浦がレーザーポインターについたボタンを押すとプレゼンテーションのタイトルが表示された。


「本気ですか?」


 千尋が絶句する。

 そこには「ミウ・クリスマス・ライブ作戦」という作戦名とミウのイラスト、さらに四人の黒いシルエットが映っていた。シルエットの四人はそれぞれ楽器を手にしている。ミウとバンドのイメージ図なのだろう。

 真庭が真面目な顔で作戦の説明を始めた。


「略称MCL作戦。その名の通りクリスマスにミウのライブコンサートを実施する。君達二人にはコアメンバーとして作戦に参加してもらいたい。具体的にはバンドのメンバーだね。西山さんは軽音楽部で、冠木君もピアノを習ってたとか」


 先ほどまで上機嫌だった千尋が真庭を睨めつけた。


「私が参加する作戦ってコレですか?」

「そうだ」

「そんなのって……こんなのって、詐欺じゃないですか。戦闘員に戻れるっていうから頑張ったのに。大人ってズルい! 反則だっ!!」


 千尋の抗議が狭い会議室に響くなか、望は心底ほっとしていた。少なくとも命がけの任務ではなさそうだ。そんな千尋に真庭が制する。


「西山、お前達に参加してもらいたいのは確かだが、作戦の内容を早とちりするな。確かにふざけた名前だが、」


 真庭はそう言って和浦に視線をやった。和浦は「よい名前だろ」と自慢気だ。


「……とにかく、これは一種の戦闘任務だ。命の危険も当然ある。実施場所は木更津駐屯地近く、目的は歌でゾンビを集めることだ。ミウとお前達に駐屯地内にいる二万体のゾンビを誘き寄せる囮になってもらう。音楽でゾンビを集める。それがMCL作戦の目的だ」

「何ですって!?」


 今度は望が絶叫する番だった。

2024年5月1日 全体を修正

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