SC作戦・野瀬の戦い(5)
野瀬達が陣取る上バリケードから百メートルほど下った所に下バリケードがある。橋を塞ぐように置かれた二台のワンボックスカーをチェーンで固定し土嚢などで隙間を埋めた即席の壁だがゾンビの足止には十分な効果を発揮していた。高速道路とハイウェイオアシスを繋ぐ道は橋しかなく、それを渡ろうとしてもバリケードに阻まれ先に進めない。しかし、圧倒的な数のゾンビの前には壁も絶対ではなかった。
下バリケードに押し寄せるゾンビの数が増えていく。先頭にいたゾンビが後ろからの圧力に負けてその場に倒れ込み、さらに別のゾンビも倒れどんどんと死体の山を築いていく。それが一定の高さになると坂のようなものになった。動く死体が折り重さなっただけなので歩きにくそうだが、それでもゾンビが前進するだけでバリケードの屋根に上がれるようになった。どこまで計算してやっているのかはわからないが、駐車場の斜面でも同じことをしていたので偶然ではなさそうだ。先程の二体に続き、白衣姿のゾンビが下バリケードの屋根に上がり、立ち上がった。さらにジャージ姿のゾンビがもがきながら四つん這いの姿勢のまま屋根に上がる。
野瀬が小銃に装着したスコープで状況を観察していると隣に立つ興津が口を開いた。
「新手が来ましたね。でもバリケードのお陰で一度に押し寄せて来れない」
興津は小銃を構え、既に引き金を引こうとしている冠木に向かって「俺に撃たせて欲しい」と声をかけた。冠木は二つ返事で了解したが、西山は少し不満そうだ。
興津が銃を発射すると、下バリケードの屋根の上に水面を石が切るように火花が散り、白衣ゾンビが姿勢を崩した。跳弾が足に命中したらしい。ゾンビは体勢を立て直せず、横に倒れ、巻き込まれたジャージ姿のゾンビがバリケードから押し出されて橋の下に落下していく。
「一発で一体、結果オーライですね」
「外れは外れだろうが」
「次は私が!」
西山は膝立ちになり、新たにバリケードの上に上がって来たエプロン姿のゾンビを狙撃する。今度は冠木も黙って見ているだけだった。一発、二発、三発、四発目でようやく頭部に命中する。西山が小さな勝利に拳を握りしめている間に、すぐに次のゾンビが姿を見せた。今度は一体ずつではなく複数が同時にだ。興津が再び銃を構える。
「しっかりとした足場ができてしまったみたいですね。上がってくるペースが早くなった。まるで軍隊蟻です」
「蟻の方が知能が高そうだがな」
下バリケードの上に登ったゾンビは野瀬隊の三人、冠木、興津、西山の射撃で次々と倒れていく。だが倒す速度よりも増える勢いの方が上で、やがてバリケードの屋根の上はゾンビで一杯になった。しかしゾンビのほとんどはバリケードの端で足を止める。高所から低所への移動には落ちるしかなく、ゾンビでも躊躇するらしい。一方で上がってくるゾンビのペースは止まらない、結果として先に登ったゾンビはコインゲームのコインように後ろからきたゾンビに押し出されてこちら側の道路に落ちた。二メートル足らずの落下でもそれなりにダメージになっているらしく、立ち上がったゾンビの動きは鈍い。それでも、よろよろとおぼつかない足取りで人間がいる上バリケードを目指し坂を上り始める。距離は百メートルを切っている。本格的に射撃を始めてもいいタイミングだ。そう判断した野瀬は井出隊にも攻撃の指示を出した。
冠木、西山、興津の三人が慣れた手つきでゾンビを倒していく。先ほどよりも大きな壁の上にいるからか、あるいは後ろにいつも行動をともにしている仲間がいるからか、井出隊の四人の動きもいい。野瀬も加えた八人の小銃射撃によって下バリケードに上がったゾンビや乗り越えたゾンビは次々と撃ち倒されていく。すぐに下バリケードの手前に死体の山が積み上がった。それがちょっとした段差になり、屋根から落ちたゾンビ達への落下の衝撃を和らげてしまっているらしい。落ちたゾンビはすぐに立ち上がりしっかりとした足取りで坂を登り始める。数が増えるに従って、ゾンビを倒す位置も下バリケードの屋根、バリケード付近から坂の入り口、坂を少し登った所と次第に上バリケードに近づいてきていた。と言ってもまだ八十メートルほどの距離があり余裕は十分にある。
本線側で甲高いプロペラ音がした。バッテリー交換を終えたドローンが離陸したらしい。ビデオカメラを搭載したドローンはあっという間に高度を上げ灰色の空の黒い点になった。森下がノートパソコンを手にこちらに走ってくる。
「野瀬さん、バッテリー交換が終わりました。映像、いつでも出せます」
森下が銃声に負けない大きな声で怒鳴った。野瀬は自分の射撃を中断するとバリケードの端に移動し、膝をついて下にいる森下に声をかける。
「状況は?」
「ちょっと待ってください。映像を出します。……ハイウェイオアシスの二階駐車場はゾンビで一杯です。後から合流した奴もいるので千はいます」
「倒し切るのは無理か。リーダーみたいなのはいねえか?」
「流石にこの距離からだと個体の識別までは……あ、まってください。一体大きいのがいます」
「大きいの?」
「大柄のゾンビです。普通の倍、いや、三倍はありそうです」
「そりゃおかしいだろ。ゾンビだって元は人間だぞ。三倍なら五メートル近い巨人じゃねえか」
「でも、でかいんです。空からはっきりわかるんですよ! そいつ、群れをかき分けて橋のバリケードに近づいています」
「こっからじゃ見えねえが……」
「ああ、こいつ下のバリケードに体当たりをするつもりです⁉︎」
その直後、ダンプカーが壁に激突したような大きな音が橋の方からした。野瀬は立ち上がり小銃のスコープを向ける。下バリケードのワンボックスカーが一定の周期で震え、その度に金属が潰れる音がした。巨大な何かが繰り返し激突しているようで、車を固定するチェーンが悲鳴をあげている。ワンボックスカーが揺れる度、屋根に乗っていたゾンビがバランスを崩し、何体かはそのまま橋の下に落下して行った。
異常事態に気がついた本張が駆け寄ってくる。
「何よあれ」
「でけえゾンビが体当たりしているらしい」
「このままでいいの? 何か対応した方がいいんじゃない?」
「対応って言われてもな……」
気がつくと冠木を含めた全員が攻撃の手を止め不安そうに野瀬の方を見ていた。その間にもゾンビは少しずつ坂を上がっている。
「あの音はただのでかいゾンビだ。対策はこっちでやる。冠木、お前らは上がってくるゾンビを倒すことに集中しろ」
できるだけ自信を込めて、少し叱るような声音で指示する。こういう時冠木の存在は便利だ。高校生なので大人から一方的に命令されてもそれほど不自然ではないし、何より周囲の大人に直接怒鳴って彼らの反感を買わずに済む。冠木は納得した風に返事しすぐに戦いに戻った。西山と興津、井出隊の三人がそれに続き再び銃声が響き始める。野瀬は改めて本張、森下と顔を付き合わせた。
「それで、本張、下のバリケードは耐えられそうか」
「車は固定してあるからちょっとやそっとじゃ動かないと思うけど。森下君、映像は見れるかしら……これがゾンビ? 人間サイズじゃないわね。これは想定外よ」
バリケードに上がった森下のノートパソコンには冗談のように巨大なゾンビが映し出されていた。上からなのでよくわからないが全体が灰色なので衣服は身につけていないようだ。大型ゾンビは何度かのタックルを加えた後、下バリケードの下に腕を突っ込む。チェーンで固定されていたはずの車体が浮かび上がり、傾いた屋根からゾンビが落下する。車体の下で小さな火花が散った。本張が「チェーンが完全に破壊された」と嘆く。巨大なゾンビは車体を一メートルほど持ち上げる。本張と森下が悲痛な叫びを上げた。
「嘘でしょ? ゾンビだって元は人間なのに」
「野瀬さん! 大型ゾンビの奴、バリケードを下から引っぺがしました」
「……その報告を受けて俺に何ができるんだよ」
野瀬はモニターから目を離し、下バリケードの様子を肉眼で確認した。車体が持ち上がってできた空間とゾンビの群れの隙間から巨大ゾンビの姿が垣間見えた。車で隠されているため胸から上は見えないが高さは二倍、奥行き二倍、横幅三倍くらいか。おそらく体重は一トンを超えている。パワーがあるのも納得だ。上半身は裸だったが下半身にはボロ切れのような布をまとっていた。野瀬は一応、手持ちの最大戦力に声をかけてみた。
「冠木、なんとかならねえか?」
「今は無理です。邪魔が多すぎて頭が見えません。胴体のどこかなら狙えると思いますけど」
「脚はどうだ。膝を壊して立てなくするとかできねえか」
「周りにゾンビが多すぎで厳しいです。何かこう、障害物を超えて届く武器があればいいんですが」
「そんなものはねえが……」
冠木の言う通り、大型のゾンビが抱える車が頭を、周りのゾンビ達が足をそれぞれ隠しており射線が通らない。唯一狙えそうな胴体は最も効果が薄い場所だ。腹に何発銃弾を叩き込んでもゾンビは止まらないし、あの巨体では足止めにもなりそうにない。
「本張、お前達のボウガンで曲射はできるか。障害物を飛び越してあのデカイゾンビの頭を狙えねえか」
「できないわよ、そんな器用なこと」
「……だよな。てことはだ、俺たちは下のバリケードが崩されるのを見てるしかねえってことか」
大型ゾンビは車を持ち上げたままゆっくりと橋のガードレール側に移動した。そしてゴミを捨てるように車を橋下に落とす。ワンボックスカーは数十メートルを落下し、先に落ちていたゾンビの死体の上に落ち蝋細工のように潰れた。ようやく下バリケードを破壊した怪物の全貌が見えた。崩れた髷にぼろぼろの浴衣を腰に着た相撲取りらしいゾンビだった。その体は全身灰色で、巨大。まるで遠近感が狂ったように周りのゾンビに比べ数倍大きい。
「ゾンビ化した後に巨大化したのかしらね。双眼鏡で見る限り、大きいだけの人間に見える。牙とか翼とかはないみたい」
「あってたまるか。皮膚の強度は人間のままでいて欲しいもんだ。冠木、やれるか」
「……だめです。また車の影に隠れられました。次に姿を見せたら頭を狙います」
相撲取りゾンビは二台目のバンもあっさりと持ち上げ橋から落とす。これで駐車場から上バリケードまでゾンビ達の進路を塞ぐものは何もなくなってしまった。だが視界も開けた。相撲取りゾンビの足元には多くのゾンビがいるが、三メートル近い身長のおかげで頭はがら空きだ。冠木がすかさず頭部を狙って射撃を行う。だが相撲取りゾンビは腕を頭の前に掲げて弾丸を防いだ。
「防御された⁉︎」
冠木は小銃を連射したが、顔の前に垂直に並べられた二本の腕に阻まれ頭部に届かない。相撲取りゾンビは相撲の立ち合いのように身を屈めた。そこに駐車場にいた数百のゾンビが押し寄せ再び相撲取りゾンビの姿を覆い隠す。背中はチラチラと見えたが既に頭は見えない。」
「すみません、逃げられました」
「仕方ねえ。次に出てきた時に確実に仕留めるぞ」
下バリケードが無くなった橋に数百体のゾンビが押し寄せて来る。近くの街の住人だった物なのか、老若男女様々なゾンビがいた。中には四肢を欠損しているものや、頭部にダメージを受けている個体もいる。誰かが戦い、敗れたのだろう。服装も様々で、制服姿の警官や迷彩服姿の自衛官の姿もあった。よく見れば子供の姿すらある。その死者たちがうめき声を上げながら迫って来る様はこの世のものとは思えない光景だった。
「まさに地獄だな……」
野瀬が銃を手にバリケードの前部に戻ろうとした時、急ぎ足で梯子の鉄板を踏む音がした。バリケードの端から井出が顔を出し、そのまま上がってくる。その手には鞘に入ったままのナイフがあった。
「順調か?」
「高速道路からも見えただろ。下のバリケードが突破されたところだ。さっさと逃げた方がいいぞ。何しに来た」
「ちょっとした加勢だ」
「気持ちはありがてえが。まさかそのナイフで戦うつもりじゃねえよな」
「違う、違う。準備しておいた仕掛けで。橋の上のゾンビを吹き飛ばしてやる」
「爆弾でもあるのかよ」
「そんなところだ。まあ、見てろ。とりあえず射撃を一度中断してくれ」
そう言うと、井出は第二バリケードの前面にあるクレーン車に飛び移った。クレーンのブームに身を隠しながら橋の様子を確認する。駐車場から押し寄せるゾンビで橋はいっぱいで、既に相当な数が橋を渡りきり、坂道を上り始めていた。
「数は十分か」
そう言うと井出はナイフでクレーン車に巻きついていた一本のロープを切った。ロープは勢いよい音を立てて千切れ飛び、固定していた何かが路面に落ちたらしくクレーン車の下でガタンと音がした。
「ドラム缶が!」
だれかがそう叫んだ。野瀬がクレーン車の下を見るとドラム缶が一つ、坂道を転がっていくところだった。たしかクレーン車のアウトリガー付近にロープで固定されていた物だ。
井出は続けて別のロープを切る。再びクレーン車の下で音がして、別のドラム缶が坂道を転がり始めた。
二つのドラム缶は転がりながら速度を増していく。一つ目が坂を上り始めたゾンビを蹴散らし、橋の入り口付近に積み重なっていたゾンビの死体に激しくぶつかり動きを止めた。二つ目は一つ目が崩した死体の山を突き抜け、さらに橋に押し寄せていたゾンビの群れの中に消えた。冒険映画でよく見る坂道を転がる丸い岩のようだったがそれにしては大きさが小さい。本当の目的は別にあるはずだ。
「全員、頭を低くしろ! あれを吹っ飛ばすぞ」
井出がポケットから取り出した無線機のスイッチを入れる。一呼吸を置いて、橋の上で大爆発が起こった。赤黒い炎と爆音、そして衝撃波が周囲を駆け抜け、橋にいたゾンビや駐車場付近にいたゾンビを全て吹き飛ばす。さらに手前側にあったドラム缶にも引火し二度目の爆発を起こす。爆発でゾンビらしい物体が多数、空に打ち上げられた。ワンテンポ遅れてガソリン臭を帯びた熱風が上バリケードまで到達し、野瀬は思わず目を閉じ腕で顔を防御した。腕の下から瞼をわずかに開けると、前方は一面真っ黒になっていた。坂の入り口と橋の上から勢いよく黒い煙が立ち上り視界を塞いでいる。そのため橋の上や駐車場の様子はまったくわからない。坂道には火のついたゾンビが大量に転がっていた。何体かはまだ動けるようだが、動く死体は燃えながら立ち上がろうとし、そのまま全ての筋肉を燃やし尽くし倒れた。他にも路上で燃えている何かが多数ある。大量の黒煙、黒焦げの物体、ガソリンと死肉の焼けた匂い、それはまるで爆撃を受けた後のような凄惨な光景だった。
不思議な事に野瀬の脳はその光景を見て少しだけ安堵していた。死者が動くより、死体が散乱し燃えている光景の方が現実的だ。戦争映画や男子学生がこそこそ見ていた海外の動画サイトで見たことがあり、常識の延長線上にあるといえる。もっとも地獄のような状況である事には何の違いもないのだが一瞬だけ、長い夢から覚めたような感覚が頭を駆けた。だがそれは本当に僅かな間の事ですぐに受け入れ難い現実に引き戻される。
「井出さん、先に一言教えてくれりゃ作戦を考えたのによ」
「悪いな。説明し忘れた」
「……あれはガソリンかよ。貴重な燃料を派手に使ったな」
「高速の路上に放置されていた車から抜いた奴だ。キャンプまで持っていく手段がなさそうだったからな。捨てていくなら使った方が正解だったろ?」
上バリケードの近くで何か柔らかい物が勢いよく落下する音が聞こえた。爆風で飛ばされたゾンビの上半身や腕、どこかわからないパーツが時間差で空から坂道に落ちてきているところだった。幸い、上バリケードまでは飛んでこなかったが、近くに落下した上半身だけのゾンビはまだ生きていた。すかさず冠木と西山が止めを刺す。西山の射撃が早かったらしく少女は冠木に得意気な顔をしていた。
「あの二人、容赦ないな。末恐ろしい」
自分のやった事は棚にあげながら井出が言った。そこに本張がやってきて同意する。
「子供が殺生を楽しむのはどうかと思うわ。必要なのは理解するけど」
「別に楽しんでいるわけじゃねえと思うが。まあ、そうだな」
この状況が数年で終わるのならおそらく本張は正しい。だが事態の収束に数十年を要するとしたらどうだろう。その時は積極的にゾンビと戦う方が正しくなるのかもしれない。野瀬は何とも言えない気分になり、井出と本張から目を逸らし煙が立ち込める橋の方を見た。
「あれで二割くらい倒せてりゃいいが」
ガソリンが燃える黒い煙のため橋の様子を確認することはできなかったので野瀬は森下に指示を出し煙の向こう側を確認するためにドローンの高度を下げさせた。双眼鏡を持っている本張も小銃を肩に担ぎ直し煙の方に注意を向ける。そして二人が同時に叫んだ。
「野瀬君、悪い知らせよ、あれが!」
「まだ生きています。でかいゾンビです!」
風が吹き、黒煙が流れた。その向こうに巨大な影、表面を煤で黒く汚し、頭髪が燃え上がった相撲取りゾンビが仁王立ちしていた。頭部は火傷で燃え上がるようで、その目は敏捷なゾンビと同じく真っ赤に輝いていた。




