SC作戦・野瀬の戦い(2)
「そこのメガネ、ドローンの映像は?」
野瀬は自分の鼓舞も兼ねて大きな声でバンの助手席にいた男性に尋ねた。突然声をかけられた彼は迷惑そうにディスプレイから目を離す。
「森下です。メガネじゃなくて」
森下はメガネの位置を直しながらノートパソコンを野瀬と本張の方に向けた。ドローンが撮影した動画が映し出されており、百メートルほど上空からハイウェイオアシス周辺を見下ろしていた。
「ご覧の通りゾンビの群れの先頭は一階部分の駐車場にいます。斜面を上手く上がれず足止めを食らってますが、後続のゾンビが合流すれば前のゾンビを踏み台にして無理やり上がって来ると思います。群れの進行方向はなぜかこっちに向いてますから」
「素通りしてくれたら楽だったのに。風に乗った人間の匂いを感知しているのかしら」
「どうでしょう。こっちが風下ですから別の理由があるんだと思います」
「指揮官ゾンビがいるのかもな。あるいはさっき俺達が倒した叫ぶゾンビの指示が残っているのかもしれねえ。どちらにせよ戦いは避けられないか。ならさっさと準備をするぞ。本張、作業員は上に戻してくれ」
本張は頷くと、防衛線を作っていた作業員に高速道路に戻るよう指示を出した。彼らはこれから坂の上にあるバリケードの補強を行う事になっている。これで現場に残っているのは戦闘員九名と後退用の軽トラック二台の運転手二名の計十一名だけとなった。それでもずいぶんな大所帯だ。
野瀬は改めてその場にいるメンバーを確認する。野瀬隊から野瀬、興津、冠木、西山。この内、冠木だけが自前の八九式小銃を、野瀬、興津、西山は井出隊から借りた同じく八九式小銃で武装している。他にも冠木が回転式拳銃、野瀬は二発しか入らない散弾銃と拳銃を、興津と西山が拳銃を装備している。井出隊からは五人。クロスボウで武装している本張と、彼女と似たベースボールキャップを被った尾見という男性、小銃を持った大上と最上、そしてドローン操作要員の森下だ。
彼らを前に野瀬は最後のブリフィーングを始めた。
「井出隊の戦闘員は左側、俺の隊は右側の車で闘う。森下、お前は軽トラに移動してドローンでゾンビの群れの監視を続けて何か動きがあったら報告しろ」
森下は「了解」とメガネを直しながら言い、バンの助手席から軽トラックの助手席に移動した。
「攻撃のタイミングだが、」
野瀬はカラーコーンの位置を確認した。一番遠くにある物はハイウェイオアシスの駐車場内にある高速バスの停留所の横にあった。距離は二百メートルとのことなので小銃の射程範囲内のはずだ。一番信頼している仲間に確認を取る。
「冠木、一番奥のカラーコーンなら狙えるか?」
「はい。大丈夫だと思います」
「ならゾンビが二百メートルより内側に入ったら攻撃開始だ。ゾンビに威嚇射撃は無意味だ。射撃に自信の無いヤツは頭に当てられる距離まで引き付けてから撃てよ。狙う相手は基本的に自分の正面にいるやつだ。倒せるゾンビから倒せばいい。だがもしハゲたスキンヘッドのゾンビや目が真っ赤に充血したゾンビがいたらそいつらを優先して倒せ」
野瀬の言葉に井出隊の反応は鈍かった。どうやら今まで一度もスキンヘッドやレッドアイなど動きの早いゾンビと遭遇した事がないらしい。野瀬は冠木に普通じゃないゾンビがいたら優先的に攻撃するよう指示を出しておく。
「それから後退のタイミングだが、手前から二つ目のカラーコーンか発煙筒だ。あの十メートルラインをゾンビが通り過ぎるか、俺が発煙筒を橋に投げ込んだら全員戦闘を中止して軽トラックの荷台に飛び乗り坂の上にあるバリケードまで移動する。戦いで頭に血が上っていても、発煙筒の煙を見るかゾンビが十メートルラインを割ったら後退だってことは覚えておけ。いいな」
「十メートルは早く無い? まだ橋の半分よ。ロープのトラップもあるからもう少し粘れると思うけど」
本張が橋に張られてたロープを指差したが、野瀬は首を横に振った。
「ダメだ。ゾンビの中には跳躍するタイプもいる。本当なら二十メートルで撤退してえとこだが、ギリギリを見て十メートルだ」
「人命優先ってわけね。異論はないわ」
本張はあっさり納得した。野瀬はもう一度、その場にいる全員を見渡す。同年代の本張以外、全員が年下。十代の子供も二人いる。この中の誰かがゾンビに引き裂かれる未来は見たくなかった。
「いいかお前ら、目的はゾンビを高速に入れない事だが、絶対に死者は出さねえぞ。危なくなったらすぐに後退の指示を出す。いいか。犠牲者は出さねえからな。今日の死人は浅井一人でたくさんだ」
浅井の名前にその場にいた全員の表情が引き締まった。
「よし、配置につけ」
野瀬の言葉に井出隊、野瀬隊がそれぞれ車両を利用した簡単な二層の防衛線に散って行く。といっても細かな配置は指示していないので各自で陣取る場所を決めることになる。野瀬はバンの屋根に上がることにした。その方が遠くまで見渡せるので指揮が執りやすい。登ってみると、実際に視界は良好だった。駐車場の先まで見渡せる。
「冠木、お前もこっちに上がれ。こっちの方が遠くまで狙える」
「わかりました」
冠木がバンの天井にかけられた脚立に手をかける。西山が何かを言いたそうに野瀬を見上げていた。
「西山、お前も冠木のバックアップで上がれ。興津は車内で頼む」
できれば屋根と車内で二名二名で別れたかったが、西山と冠木のやる気を考えると三・一がベストだろう。ワンボックスタイプなので屋根もかなりの面積がある。
上に上がってきた冠木は腹這いになり、小銃に装着されているバイポット(二脚)を展開させて銃を安定させようとした。だが、車の屋根は滑らかな金属製で、しかも微妙な曲線を描いているためうまく固定できない。
「冠木君、これを使うといいわよ」
隣のバンの屋根に上がっていた本張がハンマーを冠木に差し出した。二台は横並びになっているのでほとんど一枚の壁にようになっていたが微妙に隙間がある。腹這いになった冠木からは手が届かなかったので近くにいた野瀬がそれを受け取る。
「こいつをどうするんだ?」
「それで屋根を叩いて凹みを作るの。その穴に二脚をおけば少しはマシになるわ」
「ありがとうございます。やってみます」
冠木はアドバイスの通り、ハンマーでバンの屋根を数回叩き凹みを作った。そこにバイポットの脚を置いてみると先ほどよりは少しマシになる。だがまだ安定感はないようだ。
「望、これを使って」
上がってきた西山がショルダーバッグから包帯を取り出すと小さく千切って渡した。冠木はそれを先ほどの凹みに敷きその上に二脚を置く。
「さっきよりは安定した。サンキュ」
「どういたしまして。そうだ、小銃のマガジンを貸して。どうせ私は五十メートルを切らないと頭に当てられないから。ゾンビが近づいて来るまで私は望の弾係をする」
西山の提案に冠木は「助かる」と礼を言い、自分が持っていた八九式小銃の弾倉を彼女に預けていた。二人の連携は問題なさそうだ。
「興津、中はどうだ」
「いけそうです」
バンの中に入った興津からくぐもった返事があった。
「シートが取り除かれているので中は広いですよ。一人じゃ寂しいくらいです」
「視界はどうだ? 狙えそうか」
「外側の鉄板が邪魔ですけど、射撃用の小さな隙間が何箇所かあります。本当、ちょっとした要塞ですよ」
車内も問題ないらしい。隣の車両では屋根にクロスボウを装備した本張と尾見、車内に小銃を装備した大上と最上という配置になっていた。
「あとは待つだけか」
野瀬は駐車場の向こうにある斜面をにらめつけた。その下でゾンビが蠢いている。歩く屍達が奏でる不協和音は確実に大きくなっていた。もう相当な数がハイウェイオアシスの敷地に入り込んでいるらしい。
隣で腹這いになっていた冠木が八九式小銃のサイトの電源を入れる音がした。野瀬が持っている小銃には搭載されていない、ガラスレンズに赤いドットが表示されるタイプのサイトだ。ちなみに野瀬の小銃には望遠鏡代わりになる三倍のスコープがついていた。
しばらくの間、風に乗ってくるゾンビの呻き声だけが周囲に響いた。野瀬は腕組みをしたままじっと正面を見据えていた。やがて、ドローンで監視をしている森下が叫んだ。
「ゾンビが斜面を上がり始めました!」
野瀬は息を吐き出し、小銃のスコープを駐車場に向ける。落下防止の手摺り付近にまだゾンビの姿は無い。隣では冠木が銃の引き金に指をかける音がした。後方の軽トラックから森下が叫ぶ。
「あいつら他のゾンビを足場にしています。酷いもんです。まるで下手くそな組体操だ……先頭、駐車場に這い上がって来ます!」
遠くで何かが動いた。スコープを向けるとそれは人間の手らしい。地面を掴み、ゆっくりと斜面を這い上がって来る。やがて白く干からびた頭部やボロボロの衣服を着た胴体が現れた。頭は半分割れ、白い頭蓋骨を覗かせている。生きた人間には見えない。そいつは駐車場と斜面の間にある手摺りの下を這ったまま潜り抜け、それからゆっくりと立ち上がった。こちらを認識しているようで迷う事なくゆっくりと前進を始める。その後ろからさらに一体、別のゾンビが姿を現した。今度は若い女性だ。露出の多い手足は真っ白で頭髪が半分抜けかけており動きは一体目よりも俊敏だ。
「ついに来たわね。二体共ゾンビよ。三体目も!」
双眼鏡を覗く本張の声に緊張感が増す。野瀬が小銃のスコープを左右に振ると、斜面のあちらこちらから新たなゾンビが姿を現していた。駐車場まで上がって来たゾンビの数は五体、七体と次々と増えていく。
先頭のゾンビの歩くペースはそれほど早くない。一方、二番目に出て来た女性のゾンビは濁った目に灰色の血液のようなものを血走らせながら早足で橋に向かっている。
「嘘! あいつ、ほとんど走っていない⁉︎」
女性ゾンビが先頭を歩いていた男性ゾンビを追い抜いた。
「ハゲたゾンビは走る事もある。赤目はジャンプもするぞ」
「報告は聞いていたけど、本当にいるのね……」
「注意しろよ。普通のゾンビだと思って相手をすると命取りになる。冠木、あの女ゾンビを撃てるか。倒せるタイミングでいい」
「わかりました」
冠木はバンの屋根に寝そべったまま、銃のサイトを覗き込んだ。狙撃銃のスコープのように倍率があるわけではないのでゾンビの大きさは見たままだ。それでも彼の腕なら十分だった。
女性ゾンビはおそらく二十代前半、もしかしたら十代後半だったのかもしれない。汚れた白いタンクトップには黒く乾いた血の跡が見えるので既に何かを食べた後のようだ。早足で駐車場を進み、最初のカラーコーンの横を通り過ぎた。機敏ではあるが動きは直線的だ。
「撃ちます」
冠木は大きく息を吸い込むと呼吸を止めた。同時に彼の頭、上半身、肘、手も静止し、引き金が引かれた。パンっと乾いた銃声が轟き、遠くの女性ゾンビの右後方で火花が散った。銃弾は命中しなかった。だが冠木は動じる事なく、気持ち銃口を左に傾け狙いを女性ゾンビの胴体に定める。そして今度は二発続けて射撃を行なった。一発目が胴体に命中、その射撃でわずかに跳ね上がった銃口から発射された二発目はゾンビの頭部に命中し花が開くように白い液体が飛び散った。女性ゾンビはそのまま後ろに倒れ込む。
野瀬達とゾンビの群れとの戦いの火蓋が切って落とされた。




