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SC作戦・野瀬の戦い(1)

 野瀬憲孝のせのりたかは冷たい冬風を浴びながら、自分が何をしているのか分からなくなった。なぜ高速道路の追い越し車線に生身で立っているのか、なぜ肩に銃を担いでいるのか、受験シーズンまで二ヶ月を切った今、問題児ばかりの担当生徒達の成績はどうなっているのか。教え子達には何としてでも志望校に合格してほしい。この大切な時期に俺は予備校を離れて何をしているのか……。


「野瀬さん?」


 冠木望に声をかけられ、野瀬は我に返った。冠木はかつて担当していた生徒達と同じ年頃の少年だが、野瀬の生徒ではない。それどころかこの数ヶ月間高校生らしい勉強は何もしていないはずだ。今は、非常時なのだから。


「なんだ」


 いつものドスの効いた低い声を少年に向ける。恐ろしい教師を演出するために始めた厳つい声音は今では野瀬が自分を見失わないためのアイデンティティーになっていた。真庭や年寄り連中には無礼だと非難されたが変えるつもりはない。キャンプの子供が怯えてしまうことはあったが冠木は慣れたもので顔色一つ変えること無く少し離れた所に留まっている軽トラックを指差した。


「移動はあのトラックですよね?」

「ああそうだ」

「だってさ。行こう千尋」


 冠木が隣にいた別の少女、西山千尋にそう言うと二人は並んで軽トラックの方へ移動を始めた。一見、高校生と中学生の年の差カップルにも見えるが二人が背負っているのは野瀬と同じ八九式小銃だった。冠木は自前の、西山は野瀬と同じくここで作業をしていた井出隊から借りたものだ。どちらにせよ、未成年の子供が持つような物ではない。

 野瀬は軽トラックに乗り込もうとする少年と少女を見守った。少年が先に荷台に上がり、少女に手を貸そうとする。少女は四キロほどある小銃に加え、大きなショルダーバッグを肩に掛けていた。野瀬は知っていた。あの中には大量の拳銃の弾倉が入っている。そんな殺風景なバッグに水色のチャームが揺れていた。何かのキャラクターらしい。


「子供を戦場に出すな、か」


 野瀬は少し前に同僚の本張に言われた言葉を思い出した。基本的に彼女の意見には賛成している。高校生の冠木はともかく、中学生の西山まで戦闘に駆り出すのは間違っている。だが事実として二人は貴重な戦力で野瀬隊の活動には不可欠だった。先日スーパーでゾンビに奇襲された時も、冠木はもちろん、西山がいなければ間違い無く犠牲者が出ていた。


「今は仕方ねえ。とはいえ、ガキ達に甘え過ぎか。この戦いが終わったら少し考えねえとな」


 西山が冠木の手を借りてようやくトラックの荷台に上がる。その背中は小さく、食糧事情が良くないからか手足も細く頼りない。それでも野瀬は彼女に銃を持たせている。

荷台に上がった西山は当然のように冠木の隣に座った。既に座っていた同じ隊の興津が二人に何かを言う。冠木は赤面し「違います」と否定し西山はすまし顔で受け流している。さっきまで二人は車の中で抱き合っていたのでそれを揶揄されたのだろうか。その光景に野瀬はほんの数ヶ月前、職場で同じような出来事があった事を思い出す。ゴールデンウィーク明けの頃、担当していた高校英語のクラスで授業前にある男女が付き合っていた事が周りに発覚し、ちょっとした騒ぎになっていた。あの時も男子は照れ、女子の方はすまし顔をしていた。その女子生徒とは噴火後に合流することができ、しばらく行動を共にしていたが、冠木と出会う前に命を落としてしまった。野瀬の手元にいて守れなかった生徒の一人だ。


「俺はまた繰り返そうとしているのか」


 西山も冠木も野瀬に守られているだけの子供ではない。現実には野瀬や他の大人が二人の子供に守られる方が多い。それでも、野瀬は子供を危険に晒している現状について考えずにはいられなかった。


「野瀬さん、全員乗りました」


 興津が軽トラックの荷台から言った。野瀬は「わかったと」返し、駆け足で軽トラックの荷台に飛び乗る。今は余計な事を考える場面ではない。これからの戦いは千を超えるゾンビが相手だ。自分の指示がひとつ間違えば仲間に犠牲が出る。それだけはなんとしても避けたかった。例え子供に頼ってでも死者を出さない。自分が今できるのはそこまでだ、そう野瀬は納得することにした。


 野瀬が荷台に乗ると、軽トラックがゆっくりと進み始めた。目的地はハイウェイオアシスに向かう途中にある橋。軽トラックは高速道路の分岐点からハイウェイオアシスに続く分かれ道に入り、そこに設置中のバリケードを通り抜ける。鉄パイプの枠組みに金属製のパネルが並べられており、土嚢のバリケードに比べるとかなり頼もしい。しかしまだ建造中のため、壁は道路の半分くらいまでしか囲えていない。ここはこれから井出隊が補強する事になっていた。バリケードを抜けるとその先は緩やかな坂道になっており、まっすぐ橋まで続いている。

 野瀬は荷台にいるメンバーを見渡した。格好はバラバラだ。作業着姿の者もいればアウトドア用品で身を固めた者、ジャケットにジーンズの者もいる。共通点は全員が手には小銃を持ち武装している事。少年兵までいてまるでゲリラかテロリストじゃないか、野瀬は心の中で自嘲し、同時に二人に作戦の説明がまだだった事を思い出す。


「冠木、西山、そういえばお前達には作戦を伝えてなかったな」



 長年の予備校講師で鍛えた声は車のエンジン音に負けず仲間の耳に良く届いた。


「今回はここにいる六人に先行した本張達三人を加えた九人で戦う。目的はゾンビの足止めだ。自衛隊が来るまで群れを高速道路の本線に入れなければいい。作戦は三段構えで行く。まず一段階目がこれから行く橋だ」


 野瀬はトラックの荷台に立ち上がり、前方に見える小さな橋を指さした。長さは二十メートルほど、幅も片側一車線と小さな橋だが、高さは十メートル以上ある。つまり、ハイウェイオアシスと高速道路は高さ十メートルの崖で区切られていた。防衛戦にはおあつらえむきの地形だ。


「この坂の下、あの橋の手前に簡易的な防衛線を敷く。ゾンビを橋に誘い込みできるだけ数を減らし橋を渡り切りそうになったら全員トラックに乗って坂の上のバリケードまで後退する。ここまでが第一段階だ。第二段階は坂の上、分岐点に設置されたバリケードまで戻りそこでもう一度戦闘だ。バリケードにゾンビが取り付きそうになったら全員で高速の入り口までトンズラする」

「第三段階はどうなるんですか」


 西山が手を上げる。その姿がかつての生徒達と重なり野瀬は口の中を一度噛んでから質問に答える。


「トンズラが第三段階だ。坂の上のバリケードでもゾンビを防げなくなったら尻尾を巻いて逃げ帰る。作戦は失敗だが、犠牲者を出すわけにはいかねえからな。いいか、死者は一人も出さねえ。出したくねえ。特に西山、今日は突っ走るのは無しだ。いいな」

「もちろんです。でも私の今日の目標は百体です。ゾンビを倒して高速道路を守ってみせます!」


 西山が威勢よく宣言し、隣の冠木に宥められる。普段の西山を知らない井出隊の二人は好戦的な彼女に目を丸くしていたが、慣れている興津は声を出して笑った。


「くくくっ、西山さんが百なら俺も百十体くらいはがんばらないとな」

「興津さんずいぶん控えめですね。ちょっとしか増えてないじゃないですか」

「なあに、一人百体でゾンビの群れもほぼ全滅さ。一割増しくらいでちょうどいいんだよ」


 興津が笑いながら言うと、井出隊の二人もそれなら俺たちもと意気込む。


「頼もしいな。だが無茶はするなよ」


 野瀬はそんな彼らを嗜めることはしなかった。士気が高いことはいいことだ。やがて坂を下り切った軽トラックが停車する。目的地の橋の手前には二メートル近い高さの壁が出来上がっていた。


「へえ、立派な物ですね。とても十分ちょっとで作ったとは思えない」


 興津が軽トラックの荷台から橋の手前に作られた防衛線を見て感心した。橋の手前には二台のワンボックスカーが横並びで置かれていた。橋の幅よりも少しだけ横幅があり、しっかりと道路を塞いでいる。橋側の側面には鉄板が並べられ、さらに屋根の上に簡単に上がれるように脚立がついている。先に来ていた井出隊の作業員達がまだ作業をしており、橋のガードレールと車のタイヤをチェーンで固定しているところだった。作業の指揮をしているのは井出隊の戦闘班長の本張だ。


「よし、全員降りるぞ。運転ご苦労だったな」


 軽トラック運転手に礼を言うと、四十代くらいのその女性は「いえいえ。後退まで待機しています」と言いエンジンを切った。途端に、今まで聞こえなかった空気の振動が耳に入ってくる。


「嫌な音」


 西山が耳を押さえながら表情を歪めた。彼女のいう通り、ざわざわとしたノイズのような物が周囲の大気を震わせていた。


「ゾンビの声と足音だ。さっきよりもずっと大きい。近いな」


 冠木が駐車場の向こうに視線を向けた。その先は急な斜面になっており、下れば一般道や一般道用の駐車場がある。既にゾンビの群れの先頭がそこに到着しているのだろう。

野瀬の前で荷台から降りようとした西山が小銃を強く握りしめた。その肩を冠木がぽんと軽く叩く。


「あんまり気負うなよ。千体は多いけど、ゾンビはゾンビだ。冷静に立ち回れば大丈夫だよ」

「励まされるのは面白くないけど……ありがとう。今は素直にお礼を言っておく」


 西山が荷台から降り、それに冠木も続く。野瀬が最後に地面に降りるとちょうど防衛線の構築が終わったようだ。作業の指揮をしていた本張がボウガンを手にやってきた。先にこちらにきていた戦闘員の一人、尾見という男も一緒だ。もう一人の井出隊の戦闘員は森下というドローン担当のメガネの男性で、彼は障害物となったバンの助手席に座ってノートパソコンを操作していた。サングラスをかけたままの本張が軽く手を上げて挨拶をする。


「お疲れ様。ちょうど無線を入れようと思っていたところよ。少しは休めた?」

「ああ。コーヒーを飲むくらいの余裕はあった。助かったぜ。こっちの首尾は?」

「ご覧の通りバリケードは大体できたわ。あとトラップもね」


 本張が橋の方を指差す。左右のガードレールの間に頑丈そうなロープが何本も張られていた。ちょうどゾンビが歩いて来るとつまずく高さだ。


「手際がいいじゃねえか」

「私達は館山に来る前に病院に立て篭ってたの。その時の経験よ。ゾンビは馬鹿だからね。それとあのカラーコーンを見て。一番奥にある赤いのがここから二百メートル。それから五十メートル毎にカラーコーンを設置したわ。二十メートルから手前は二十メートル、十メートルで、一番手前の橋の真ん中にある黄色いヤツがここから五メートルね」

「なるほど。攻撃と後退タイミングが目視で分かるってわけだ。この短時間にしては大したもんじゃねえか。バリケードも凝った作りになってやがる」


 道を塞ぐ二台のバンのスライドドアは外され、車体の下にスペアタイヤや土嚢、何かのガラクタと一緒に詰め込まれていた。これならゾンビが下に潜る事はできない。


「ええ。でも私達井出隊ができるのはここまで。さっき決めた通り戦闘の指揮は野瀬君に任せるから」

「いいのか? 人数はそっちの方が多いぞ」

「銃を使った経験は数えるほどだし、大群と戦った経験は無いもの。こう言うことは慣れている人に任せるわ。それに私、ホラー映画が苦手なの」

「……わかった。対ゾンビ戦は俺達の得意分野だ。任せろ」


 野瀬は自信を込めて断言したが、本心では逆の事を考えていた。確かに調達隊の中では一番ゾンビとの戦闘経験は多いが、あくまでも民間人の中ではに過ぎない。真庭達自衛隊連中に比べれば戦闘力の差は歴然だし、高校生の冠木をエース起用せざるを得ない程度の経験だ。群と戦った経験もせいぜい数十体。千体は桁が違う。それでも野瀬は期待されている頼れるリーダー像を演じ続けた。


「期待しているわ」


 お世辞ではなく本心から本張は言っているように聞こえた。野瀬は自信あり気に頷きながら、一方でこの借り物の衣装の着心地が悪くなった。本当の自分は柄の悪さが売りの予備校講師で決して戦闘のプロでは無い。そんな自分がいつの間にか生存者グループのリーダー格になり、やっと辿りついた館山キャンプでも銃を持って戦う民間人の指揮官のような立ち位置になってしまっている。


「迷うなって方が無理だよな」

「何か言った?」

「いや独り言だ」


 野瀬は迷いは心の中にだけ留め、現状を確かめるためドローンの映像を確認する事にした。

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