SC作戦・休憩時間
秋目と石坂の二人を救出した野瀬隊は車に乗ってハイウェイ・オアシスから高速道路に戻ることにした。野瀬達の車が先頭を走り、望の車がその後ろに続く。駐車場を出て、細い川にかかった短い橋を渡り、百メートルほどの坂を上って高速道路に向かう。ハイウェイオアシスは山を切り開いて作られた高速道路と平地を走る一般道の間にあるので、ちょうど一般道、ハイウェイオアシス、高速道路で階段のような構造になっていた。高速道路からの分岐点には作りかけのバリケードがあり、そこを抜けると井出隊が作業をしている本線に到着する。二台の車が止まると、ヘルメットを被った井出が小走りでやってきた。
「まったく、余計な事ばかりしてくれる」
井出は不快感を隠さず勢いよくヘルメットを取った。押さえつけられていた髪が泡立つハンドソープの様に膨らみ望は思わず吹き出しそうになった。野瀬も微妙そうな表情で怒る井出を見ていた。
「脱走者の次はゾンビの群れか。おかげで半日かけた準備が無駄になった。それだけじゃない。あの群れがここまで上がってきたらナンチャラ作戦は失敗だ。半日どころじゃない、ここ数日の仕事が全部無駄になる。ああ、まったく! 大体お前が、」
井出は、特定の誰かに文句を言おうと野瀬隊のメンバーを見渡した。だがその誰かの姿を見つけることはできなかった。
「浅井は? バツが悪くて車の中か?」
「奴なら死んだよ」
「何? そうか……」
怒りのぶつけ先を失った井出は代わりに自分の髪を強くかき乱した。
「人死が出たか。まったく」
「すまなかった。俺の監督不行届だ」
野瀬が頭を下げると秋目と石坂も小さな声で「すみませんでした」と謝罪をした。
「野瀬、お前が謝る事じゃない。死んだ浅井の自業自得だ。後ろの二人は、キャンプに戻ってから処分があるだろうが、それより今はゾンビへの対応だ」
「わかってる。あの数のゾンビを抑えるのは無理だ。撤退しかねえ。ウチの連中には連絡してくれたか」
「ウチの無線機で全部の隊に状況は伝えた。波多野や大原さんは撤退準備をしている」
「なら俺らもすぐに撤退だな。自衛隊は?」
「それが問題だ」
井出が間違ってコーヒーの粉を口にしてしまったような顔をする。
「真庭は自衛隊が到着するまで俺達がここを死守しろと言ってきた」
「死守? 穏やかじゃねえな。死んでも守れってか」
「館山と木更津の安全な連絡通路はキャンプの維持に不可欠だそうだ。非武装の作業員は高速道路の入り口にある富津料金所まで下がらせ戦闘員や戦える奴はここに残ってゾンビを食い止めろとのことだ」
「俺ら民間人だけでか? ゾンビは千はいるんだ。無理だ」
「全部倒す必要は無いそうだ。バリケードを使って時間を稼ぎ自衛隊が到着するまで高速道路にゾンビを入れるなと言われた」
「簡単に言ってくれるじゃねえか。バリケードって作りかけのあれだろ」
野瀬が分岐点に設置中のバリケードを見てげんなりした。他の場所のように土嚢を積むのではなく、工事用の囲いなどを使って作られており頑丈そうだが、作業は六割程度しか完成していない。道路の半分に壁が立っているが、残り半分には何も無い。先ほど望達が通ってきたように車が通れるスペースが開いたままだ。
「一応、これから補強はさせる」
「今から? 間に合うのかよ」
「群れの進行速度はかなり遅い。最低でも三十分は余裕がある。とは言っても真庭達は今木更津市内にいるそうだ。到着まで一時間はかかるらしい」
「ちっ、つまり俺らで三十分を稼げってことかよ。気に食わねえな」
「ああ。だが合理的だ。今後の事を考えれば弾薬は必要だ。そうでなければいずれ武器はバットや包丁だけになる。大型ヘリがあれば、一万のゾンビに基地が包囲されても一度だけなら逃げ出せる」
「仕方ねえってやつか……」
「そうだ。それでこれからの動きだが、」
野瀬と井出は頭ごなしに命令される不満はあったがそれは脇に置き、今後の方針について意見を交わし始めた。現在ここにある武器や戦える人の数、ゾンビの群れが到着するまでの時間、自衛隊が到着するまでどうやって群れを食い止めるかを真剣に話し合っていた。結論が出るまで少し時間がかかりそうだ。
手持ち無沙汰になった望が足を休めるために車に寄りかかるとその隣に千尋が並んできた。
「野瀬さん達の話、聞こえた? 三十分だって。戦えそう?」
「どうかな。坂道とバリケードを使えば、百や二百のゾンビならなんとかなると思うけど、それ以上は厳しいんじゃないか」
「みんなで逃げちゃえばいいけど、そうもいかないんだよね」
「どうかな。俺は無理はしなくていいと思うけど」
「どうして?」
「そりゃあ……変に欲張って犠牲者が出たら本末転倒だろ」
それだけではなかった。館山の戦力が必要以上に増強されれば、いずれ音葉のいる成田シェルターに危険が及ぶ可能性がある。望は数ヶ月を館山で過ごしここで暮らす人々にも思い入れがあった。成田と館山、どちらも大切だ。衝突だけは避けたかった。そんな事を考えていた望を千尋が少し不思議そうに横目で見た。
「望、心がどこかに飛んでない?」
「えっ、いやごめん。どういうこと」
「心ここにあらずって感じ。いつもと顔つきが違ったから。何か別の事考えていたでしょ」
「そうかな。これからどう戦うか考えてただけだよ。千体なんて初めてだから」
「ふーん。ならいいんだけど」
あまり納得した様子はなかったが、千尋はそれ以上は何も聞かず大人達の方に目を向けた。ちょうど野瀬と井出が今後の方針を決めたところのようだった。
「じゃあそういう事だ。俺は撤退の準備を進める。お前はウチの戦闘班と一緒にゾンビを食い止める。役割分担はそれでいいな」
「こんな命令は無視してえがそうもいかねえからな。やれることをやるさ」
「全くだ。余計な仕事ばかり増えるのは気に入らないが。後は頼んだぞ」
「ああ」
野瀬と井出はお互いに拳を付き合わせて別れた。井出はトラブルがあったらしい重機の方へ向かい、野瀬は望達のいる車のところへやってくる。
「待たせたな。お前らにも聞こえたと思うが、自衛隊の命令でここを守ることになった。井出隊の戦闘班と合流してこれからの方針を考える」
わかりました、と望や千尋、興津が首を縦に振る中、気まずさから車の影に隠れていた秋目が半分だけ手を上げる。
「あの……俺と石坂はどうすれば」
「これからゾンビの群れと戦闘になる。お前らも戦えるか? 石坂、お前は銃の取り扱い訓練は受けてたよな」
名指しされた石坂は戸惑い、何かを言おうとして一度唇を噛み締めた。
「……浅井さんの敵討ちをしたい気持ちはあります。でも俺には無理です。訓練ではまだ銃を扱う資格が無いって言われました。それに、ゾンビが怖くて、まともに戦える気がしません」
「それなら仕方ねえ。お前は井出隊の作業を手伝って連中と一緒に撤退しろ」
「……いいんですか? その、すみません。俺達のせいでこんなことに……」
「色々言いたい事はあるが、それは後だ。少しでも井出隊の役に立ってこい。秋目もいいな」
「はい……わかりました」
秋目と石坂は気まずそうに頭を下げると井出隊の方へ向かってとぼとぼと歩いて行った。途中、石坂が一度だけ不安そうに望と千尋の方を振り返った。望が「気をつけて」と声をかけると、石坂は小さく「悪い」と呟くと、秋目の背中を追いかけていった。
二人が去った後、野瀬がその場に残った全員を見渡す。
「さて、次は俺らだな。まず井出隊の戦闘班長の本張と合流するぞ」
「その必要はないわよ」
少し離れた所からよく通る女性の声がした。振り向くと一人の女性がやって来るところだった。年齢は野瀬と同じくらいの三十代前半。長身に長い黒髪を後ろで束ね、ベースボールキャップにサングラスを身につけている。背中には黒いボウガンと矢筒、腰にはハンドガンのホルスターがあり、その姿はハリウッドのアクション女優のようだった。その女性を見た千尋が「うわっ」と呻き声を上げながら俯いた。
女性は野瀬の前までやってくると、挨拶代わりにキャップのツバに軽く触れる。
「どうも」
「ああ、本張か」
その女性が井出隊で戦闘班長を務めている本張由佳だった。ボウガンの名手で噴火前は映像制作会社でCMやPVなど映像制作をしていたらしい。
「井出さんから聞いたわ。あなた達と一緒にゾンビの足止めですってね。お互い大変ね」
「悪りいな。ウチのミスに巻き込んじまって」
「埋め合わせは映画百本で許してあげる。DVD百枚、あなた達なら簡単に調達できるでしょ?」
「この作戦が終わったら手に入れる」
「楽しみにしてるわ。洋画と邦画の割合は八対二でよろしく。じゃあ、あっちのテントで作戦を練りましょうか」
高速道路上に立てられたテントの一つを指差した後、本張は千尋に気がつき笑顔を向ける。
「あ、千尋ちゃんもいたのね。無事で何よりだわ」
「……どうも、です」
そう言って千尋は視線を逸らす。どうやら千尋は本張が苦手らしい。千尋が隠れたそうにしていたので望は少しだけ立ち位置を変え本張の視線に割り込んだ。少女と少年に拒絶された本張は悲しそうに首を振った。
「私は反対」
「何がだ? ゾンビと戦えってのは真庭の命令だ」
「それじゃない。中学生の女の子にまで銃を持たせる事よ。いくら人手不足だからって。彼女、まだ鞄に大きなマスコットをつけて喜んでいる年齢よ」
「今する話か? 状況によりけりだろ。俺だってガキには戦わせたくねえが今は非常時だ。机に座って勉強をしろとは言えねえよ」
「あの本張さん! 私も戦えます……から」
千尋が出だしは勢いよく、だが尻切れトンボに言った。
「戦えると戦うは別の話よ。野瀬君、この二人は井出さんと一緒に安全な場所に避難させられないかしら」
「今は無理だ。木更津のヘリが手に入れば他の生存者グループをキャンプに呼ぶことができる。大人が増えれば子供は前線から下げられるかもしれねえ。だが今じゃねえ。冠木も西山も貴重な戦力だ」
「そう。理解はするわ」
本張はあっさりと折れた。元々無理な要求だとは理解していたようだ。
「野瀬君、あっちで作戦会議をしましょうか。うちの森下君がドローンを飛ばしているから群れの様子を上から見れる」
「ドローン? そんな物もあるのかよ」
「今回がお披露目よ。高速道路周辺の偵察用に用意したんだけれど早速役に立ってるわ」
「全体像を掴めるのはありがてえ。見せてくれ」
「わかったわ。こっちに」
野瀬は頷くと本張と一緒に高速道路の上に立てられたテントの一つに向かって歩き出した。その後ろに興津も続く。望と千尋もテントに向かおうとすると本張が黒いサングラスのまま後ろを振り向いた。
「ここから先は大人だけ。あなた達は少し休んでて」
「え、でも俺達も戦いますよ」
「わかってる。戦闘には参加してもらうわ。でも作戦会議の間くらいはゆっくりしていて。さっきドローンの映像を見たけどゾンビの群れがここまで来るまで少しだけ余裕があるから」
「そうだな。本張の言うとおりだ。冠木と西山は少し車で休んでろ。作戦会議が終わったら声をかける」
野瀬も本張に合意した。リーダー格の大人二人に言われ、望と千尋は仕方なくその場に残ることにした。とはいっても、外では冷たい風が吹き、井出隊が忙しく撤退準備をしている。あまりのんびり出来る環境ではない。野瀬に言われた通り二人は乗ってきた車に戻り、それぞれ運転席と助手席に座った。
望は扉をしめると足の間に小銃を置き一息つこうとした。だが気が高ぶっていて思った様に落ち着けない。
「急に休めって言われても休めないな。作戦会議があるならそっちに参加した方がよかったかも」
望は愛用の八九式小銃を抱えながらため息をついた。ゾンビとはいえ元は人間。それを平常心で撃つことは望には難しかった。戦闘中はいつもアドレナリン的なものが出てるし、今もある種の興奮状態にあった。車でゆっくりしてしまうとこの緊張感が解けてしまいそうで怖かった。せめて銃に触れていることで戦いの呼吸を忘れない様に努める。
一方、隣の千尋は助手席のリクライニングをわずかに倒しゆっくりと体を休めていた。
「千尋はなんか余裕だな」
「そうかな。望も休んだら。本番前に気持ちを落ち着かせるのって効果あるし」
「本番? ああ、中学で軽音楽部に入っていたんだっけ? ミウと同じ」
「あっちは職業でローカルアイドル。私はただの部活。でもゾンビと戦うのもステージで演奏するのも似てるとこはある。どっちもミスできない一度っきりの本番。望もお姉ちゃんと生徒会なら全校集会とかで話すことあったんじゃない?」
「……俺はしたことなかったな。三年の生徒会長がいたし、それに、同学年には西山もいたから」
「そうなんだ」
望にとって西山千明の思い出話は常に痛みを伴う。それは千尋にもわかっているようだが、彼女は時々、姉の事を忘れさせないために強引にでもその話題を振ってきた。ただ今回はゾンビとの戦いを控えているからか話を掘り下げる事はしなかった。
「そうだ、コーヒーがあった」
努めて明るい声で千尋が後部座席に手を伸ばし新品の缶コーヒーを取り出した。
「波多野さんにもらってきたの。微糖とカフェオレどっちがいい?」
「じゃあ、微糖で」
望はコーヒーを受けとるとタブを勢いよく開けた。中の空気が抜け、コーヒーの豊かな香りが鼻を刺激した。中身は冷たかったが、疲れた体にカフェインと糖分はありがたい。隣に座った千尋も缶を開ける。そちらからはミルクの甘い香りがしてきた。
「缶に感謝だな。世界が完全に崩壊しても若干の間はジュースが飲める」
「ご飯もね。コンビーフとか鶏肉とか。今日の晩ご飯にも肉が出るといいんだけどなー」
「お前って心臓強いよな。ゾンビと戦った後も肉が食べられるんだから。大橋さんなんて食欲そのものが無くなってたのに」
「慣れちゃったのかもね。もう四ヶ月くらい経つし……」
そこで千尋はカフェオレを一口飲む。
「……嘘。本当は怖い。でも頑張らなくちゃって思って頑張ってる。だから望、手を握って」
千尋はあっさり弱音を吐き、そしてなんの脈略もなく右手を差し出してきた。
「なんでさ?」
「気持ちが落ち着くの。私が落ち込んだ時、お姉ちゃんがよく手を握ってくれた。はい」
「はい、って……まったく」
望は空いている左手を助手席側に差し出した。右手と左手では素直に握手する事はできなかったが、望は手首を翻し恋人が並んで歩く時の持ち方で千尋の手を軽く握った。熱心に銃の訓練をしているからか、あるいは食料事情がよくないからか、千尋の手は細く、固く骨張っていた。遠い記憶となった妹の手や千明の手、今でも感触を思い出せる音葉の手よりもずっと細い。
「なんか慣れてる」
躊躇なく手を握られた千尋は少し不満そうな顔をした。
「そうかな」
「普通、女子の手を握るのってもっとドキドキしながらじゃないの。望の握り方、お姉ちゃんにそっくり。私を妹扱いしてるでしょ」
「西山みたいにって言ったのは千尋だろ。それに俺も妹がいるから」
「ふーん。じゃあこうする」
手を握られたままの千尋が体を浮かし、望の腕に抱きついた。それは恋人への抱擁というよりは子犬が母犬に甘えるようで、望は特に避ける理由を見つけられずそのままの姿勢でいた。腕を通して千尋の熱が伝わってきた。車の中とはいえ冬の高速道路の路上なので人肌の温かさが身に染みる。千尋は千尋で、安心し切って目を閉じている。望はやれやれと心の中で呟きながら缶コーヒーをカップホルダーに置き、自分も目を閉じた。コーヒーの糖分と千尋の暖かさで少し眠気が出てくる。このまま寝てしまうのもいいかもしれない、そう望が思った時、コンコンと運転席の窓が叩かれた。ギョッとして外を見ると気まずそうな野瀬と笑いを噛み殺した興津がいた。
「野瀬さん!?」
「あー、いい雰囲気のところ悪りいがそろそろ行くぞ。井出隊のトラックで坂の下の橋まで移動する……行けるよな?」
「い、行けます。もちろんです」
望は慌てて千尋を引き離す。目を開けた千尋は特に慌てた様子はなく。すっと体を起こすと車のミラーで簡単に身嗜みを整える。そして「また後で」と望に言うと、表情を引き締めて外に出た。望はなんとも閉まらない顔のまま、残っていた缶コーヒーを飲み干すと小銃を手に外に出た。




