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SC作戦・サービスエリア(2)

 ランチを終えた望はインスタントコーヒーで一服した後、仕事に戻ろうとした。小銃を手に、作業の護衛に戻ろうと本部テントの前を通ると、中から波多野に呼び止められた。


「冠木君、悪いけど午後は封鎖作業の方に回ってもらえないかしら。浅井さん達が抜けて人手が足りないの」


 望は周囲を見渡してみる。見通しがいいのでゾンビが近づいてきても避難する時間は十分に取れる。そもそもこの辺り一帯のゾンビはどこかに行ってしまったらしく、人の喧騒や車が走る音が響いているのに一体も現れていない。護衛に大人数を割く必要はなさそうだ。大原隊にも戦闘班はあるが年齢層が高く、土を掘ったり土嚢を積んだりさせると戦闘力に支障が出そうだ。千尋は力仕事向きではなく、大橋は精神的に疲れ切っている。


「わかりました。どこを手伝えばいいですか」

「助かるわ。行って欲しい場所はあそこ。植木君がいるから彼から作業内容を聞いて」


 望は了解ですと軽く敬礼をし、銃を担いだままインターチェンジの入り口の一つに向かった。そこは本部から一番離れた場所にあり、百メートルかそれ以上は歩く必要があった。高速道路は周囲よりも高い位置を走っているため、ガードレール越しに作業の全景を見ることができた。遠くに見える料金所付近の野原で十人近くがスコップを手に地面を掘り、小石や雑草を除いた土を土嚢袋に詰めている。出来上がった土嚢は一ヶ所にまとめられ、それを一台の軽トラックが四つある高速道路の出入り口に運んでいた。土嚢を受け取った出入り口の作業員はそれを道を塞ぐ車の周囲に積み上げ、さらに木槌や鍋で形を整えている。作業をしている人数は野瀬隊と大原隊、さらに応援で加わった人も入れて五十人近く。富士山が噴火しゾンビで溢れるこの世界でこれだけまとまった人数が活動している光景はとても奇妙に思えた。

 坂を登ったり降ったりしながらようやく目的地にたどり着く。そこで作業をしているのは七名で、積み上げ作業をしてるのが四人、フライパンや木の板で積み上がった土嚢の形を整えているのが三名だった。積み上げ作業をしていた植木が作業を止め、望を見つけ手を振った。


「冠木君、どうかしたのか。ここの警備?」

「作業を手伝いにきました。波多野さんに言われて」

「本当か。助かるよ。石坂君達がいなくなって土嚢を積む人手が足りないんだ」


 植木の言う通り作業はあまり進んでいないようだった。横に置かれた車の前の方に土嚢が一列に積まれているがまだタイヤが見えている。壁は普通に跨げる高さなのでゾンビが来ても止めることは難しい。

 望は銃を近くの壁に掛けると弾倉や応急キット等が入ったショルダーバッグを路上に置き腕まくりをした。


「何をすればいいですか?」

「この紙の通りに土嚢を積んでほしんだ」


 そう言って、植木は道路の壁の一つにテープで貼り付けられている紙を指差した。そこには土嚢の作り方と土嚢を使った壁の作り方が描かれていた。手書きで描いたものをコピーしたらしい。土の選び方、袋への入れ方や積み方などが絵付きで説明されていた。望は積み方の部分を見る。袋の結び目と縫い目の両方を下にして城壁のように交互に積み、上から叩いて土嚢を台形にするようだ。本来は水害対策の積み方らしく、今回は水を通すために排水用のパイプを一番下に置くとある。


「土嚢はそこに」


少し離れた位置に土嚢が五十個ほど無造作に積まれていた。望はそこから一つ手に取り、十メートルほど運んで車の周りに積んだ。大きく見えた土嚢も積んでみると潰れて高さは二十センチくらいにしかならない。既に四段分ほど壁はできていたがそれでも膝の少しし上くらいにしか届いていない。望が土嚢を置いた隣に植木が別の土嚢を積んだ。二人は並んで次の土嚢を取りに行く。


「車を土嚢で覆い尽くすんでしたっけ」

「ああ。車の天井よりもさらに高くするんだ。ゾンビが通れない高さと、群れに押されても崩れない厚みがいるってさ。でも、土嚢は重いし人手は足りないし、明日中に終わるかどうか。この調子じゃ土日も働かなくちゃだよ」

「それは、いやですね……」


 SC作戦は二週間で完了する予定になっていた。インターチェンジは全部で七ヶ所。さらに終点にある料金所の要塞化もしなくてはいけない。普通であれば千葉県の南側に雪が降る事は稀らしいが、富士山の噴火で気温が低下している今年は早ければ十一月には雪が降ると予想されている。そうなるとろくに雪上装備のない館山キャンプの車両では高速道路が使えなくなり大型ヘリコプターを輸送するのは難しくなる。望は心の中でそれでも構わないと思った。館山キャンプに戦力が集まり過ぎると成田シェルターとの争いが起きた時に音葉の身に危険が及ぶ可能性が高くなる。とはいえ、土日も働かされるのは避けたかった。生存者の未来やシェルターの安全も大事だが、ささやかな休日だって大切にしたい。


「俺、頑張ります!」

「そうか。それは助かる」


 気合を入れた望に圧倒された植木の横を通り過ぎ、次の土嚢を両手で抱える。テキパキと作業を続けていると、同じく積み上げ作業をしている五十代くらいの男性達から「たいしたもんだ」とか「若いっていいな。がんばれ」と声援をかけられた。望に負け米と植木も頑張り、あっという間に全ての土嚢が積み上がる。それでも壁の高さと厚みはまだ足りない。


「新しい土嚢はいつ来るんですか?」

「下で作っている人達の作業次第だけど」


 植木がタオルで汗を拭いながら料金所近くでスコップを動かす人達の様子を観察した。


「この感じだとまだまだかかりそうだね」


 植木は腕時計で時間を確認した。午後二時前で昼休みが終わってから一時間も経っていない。だがやることがないのならここにいても仕方がない。


「みなさん、少し早いですが休憩にしませんか」


 植木が積み上げ班の女性、それに積み上げられた土嚢の形を整えている人達に声をかけた。全員、休憩の言葉に表情を明るくしたが、午後が始まって大して時間が経っていないため少し戸惑っていた。


「新しい土嚢はしばらくこなさそうだから大丈夫ですよ。ここは僕と冠木君で見てますから、皆さんはお茶でも飲んで身体を休めていてください」


 植木の言葉に、作業をしていた人達は「じゃあ若い人のお言葉に甘えて」と道具を近くに置き休憩所のテントに向かった。彼らの姿が遠くなってから植木は壁沿いに置かれていたペットボトルを手に取ると望に放り投げた。


「冠木君、これを」


封を切られていないスポーツ飲料だった。キャンプでは甘味は貴重品だ。


「いいんですか?」

「石坂のだよ。しばらく戻ってこないようだから冠木君が飲んで」

「じゃあ、ありがたく」


 望はペットボトルの封を切ると一気に半分ほど飲んだ。植木も近くの土嚢に腰を下ろしペットボトルの水を飲んでいる。


「悪いね、君も残してしまって」

「いいですよ。ついさっきまで昼休みだったので。そういえば植木さんがここを仕切っているんですか? 最年少なのにすごいですね」

「タイムキーパーだけだよ。本当は別の人だったんだけど、浅井さんが仕切り始めて。で、いなくなった後もなんか微妙な空気だったから僕が時計係に立候補したんだ。それはそうと、冠木君」

「なんですか?」

「その、いや何でもない……」


 植木の言葉はなぜか歯切れが悪い。そして何かを迷うように横目で望の顔を伺い始めた。


「どうかしましたか?」

「あ、いや……実は冠木君に頼みたい事があるんだ」


 飲みかけのペットボトルのキャップを強くしめながら植木が言った。


「もしかして折り紙の件ですか? すみません、まだ回収できてないです。次にスーパーに行ったら探してみます」

「いや折り紙の件じゃないんだ。もちろん、それも手に入れて欲しいけど、もっと個人的な物で……」


 植木から個人的な依頼をされるのは初めてだった。数少ない同年代の男子とあまり良好な関係を築けていなかったので距離を詰める良いチャンスだ。


「俺が手に入れられるものならがんばりますよ」

「……助かる。それじゃあ法律関係の本を探してきてくれないか」

「法律、ですか? 漫画とかエロ本じゃなくて」


 さっぱり馴染みのない言葉に望は少し戸惑った。キャンプの男性から娯楽用の本や雑誌を頼まれた事は何度かある。有名なコミックスや男性誌ならスーパーに置かれている事もあり、何度か持ち帰った事はある。だが法律の本のリクエストを受けた事はなかった。


「僕はね、大学で法律を勉強して、将来は弁護士か裁判官になりたいんだ」

「大学って……あの、植木さんは今の状況を、その……」


 望が不安そうにしていると、植木が慌てて手を振る。


「違う。違うよ、冠木君。僕は世の中がどうなったかちゃんと理解しているつもりだ。大学はもう機能していないし、弁護士なんて職業が成り立ったのは昔の話だ」

「そうですか。それでも法律の本を読みたいんですか」

「ああ。まだ諦めていないから」


 植木が言っている意味を掴みかね、望は首を傾げた。植木は望から視線を逸らすと照れ隠しのように別の話題を振ってきた。


「ところで冠木君、浅井さん達が戻ってきたらどうなると思う?」

「どうでしょう。多分、野瀬さんに怒られて、基地に戻ったら真庭さんや郡司さんからも叱られるでしょうね。あと、給料を減らされて晩ご飯抜きとか……、強制トイレ掃除とかでしょうか」

「僕もそれくらいだと思う。今は労働力が貴重だからね。男三人をどこかに閉じ込めて無駄飯を食わせておける余裕は今のキャンプにはないから。でも、もし浅井さん達が大きな罪を犯したら、例えば誰かを殺してしまったら、誰がそれを裁くと思う」


 思いがけない質問だ。望は少し考えてみた。富士山の噴火前なら犯罪を犯せば警察に捕まり裁判所で裁判を受ける。罪によっては刑務所に入るし、重罪の場合死刑だ。だが、今はそういった制度は残っていない。


「……どうなんでしょう。多分、幹部会議の人達でしょうか」

「ああ。僕もそう思う。今の館山キャンプで一番みんなが納得できるのは自衛隊の郡司さんや幹部の人達の決定だろうから。でもいつまでもそれじゃいけないと思う。キャンプにもちゃんとした法律に基づいた裁判が必要だし、罪を犯した人を弁護する弁護士もいると思うんだ。でも生き残りの中にそういった職業の人はいない。だから僕はこの世界でも法律家になりたいんだ。法律とか憲法とか、ルールを明確にすることでキャンプや生き残った人達の生活を良くしたい。人権とか正義とか、曖昧になってしまった価値を残して守りたい。将来、司法制度を復活させるために。少し気取った言い方かもしれないけど……」


 語りながら植木の目は次第に輝き始めた。望はそんな夢を語る一つ年上の男性を一歩引いた感覚で見ていた。望は知っている。今後数十年、地球上では火山と核の冬による寒冷化で人間が暮らすには困難な状況が続く。作物は育たず、家畜は死に絶え、いずれ火山灰や放射線物質由来の病気が蔓延する。ゾンビウイルスがなくとも人類は絶滅するかもしれない。生き延びるには安全な地下のシェルターに篭るより他、選択肢は無い。世界はゆっくりと死んでいく定めにある。


「冠木君、その顔は現実的じゃないって思ってるね」

「……すみません。でも、今の状況でそこまで先の事を想像できませんでした」

「難しいのはわかってるつもりだ。でも、冠木君、何事もポジティブにだよ。僕の祖母はがんで余命半年と宣言されてから十四年生きたんだ。運命なんて案外わからないものさ」


植木の希望は体育館のステージにある巨大な暗幕に縫い針で一本の白い糸を縫い付ける事、そんな風に望には思えた。どんなに努力しても巨大な闇飲まれて消えていくか、そもそも闇が深すぎて針が通らないかもしれない。だが同時に、植木が抱く希望が実現する可能性もあるかもしれないと思えた。小さな一本の糸がいずれ巨大な刺繍を描くのかもしれない。


「……植木さん、すごいですね。俺はそこまで考えたことありませんでした」

「別にすごくないさ。むしろ冠木君や西山さんの方がすごいよ。命をかけてみんなのために食べ物を集めているんだから。僕はただ夢を語ってるだけ。でも、せっかく生き残ったんだ。何もしないで生きていくような横着はしたくない。今できるのは土嚢を積むだけだけど、将来はもっと別な形でキャンプの役に立ちたいんだ」


 照れ臭そうに笑う植木。今度は望には眩しく見えた。


「そうですよね。わかりました。法律関係の本、スーパーには置いてないとは思いますが見かけたら確保しておきます」

「店舗だけじゃなくて事務所にも行くんだろ? きっとそこに六法全書とか小売に関する法律、万引き犯への対応についての本があると思うんだ。とにかく法律っぽい資料ならなんでも構わないから」

「わかりました。なるべく難しそうなのをとって来ます」

「ははは、入門レベルからで頼むよ」

 

 植木が嬉しそうに笑い、それにつられて望も声を上げて笑った。

 それから二人はガードレールに寄りかかりながら雑談をした。話の内容は主に女子のことで、植木が岩清水を気にしていると秘密を打ち明けられ、既に千尋と付き合ってる望にアドバイスを求められた。望が全力でそれを否定すると、今度はいつ付き合うのか、待たせすぎると西山さんがかわいそうだと説教気味に言われた。

しばらくして、下の方から軽トラックが上がって来た。どうやら新しい土嚢を運んできたらしい。植木が休憩所にいる人達を呼ぼうと立ち上がろうとした時、本部から近づいて来る人がいた。眉間に皺を寄せた波多野だった。


「冠木君、ちょっといいかしら? 野瀬さん達がサービスエリアでゾンビと遭遇したらしいの。悪いけど応援に行ってもらえない」

「ゾンビ? あそこは安全なはずじゃ」

「昨日自衛隊が調査した時は人もゾンビもいなかったって話だったけど、どうも浅井さん達が近くにいた群れを呼び込んでしまったみたいなの。結構な数がいるみたい。応援を頼みたいってさ。それと西山さんも連れて行って。ここの護衛は大原隊の戦闘班にお願いするから」

「大橋さんはどうします」

「大橋君は……今日は使い物にならないから置いていって」

「わかりました」


 本部の方を見ると既に千尋が準備を始めていた。前回弾切れしてしまった教訓からなのだろうが、本部のコンテナに保管されている拳銃の弾倉を勢いよくショルダーバッグに詰め込んでいる。


「西山さん、張り切ってるわね。あんなに入れて重くないのかしら」

「危なっかしいんで心配になります。ゾンビが結構な数ってどれくらいですか」

「野瀬さんが言うには二十くらいじゃないかって。浅井さん、秋目さん、石坂君の三人はまだ見つけられてないそうよ。多分、サービスエリアの建物内にいるんじゃないかってさ。このキーを。本部横にある白い軽自動車を使って。あと無線機も忘れずに」


 望はキーを受け取ると、千尋に向かって身振りで車に移動するよう合図をした後、地面に置いていたカバンと壁に立てかけていた小銃を手に取った。ふと、不安そうにしている植木と目が合う。


「冠木、石坂は無事なのかな」

「まだわからないです。でも犠牲者が出たって話はないから多分平気だと思います」


 正直、生存の可能性は五分五分だと望は思った。施錠できる部屋に逃げ込めたのなら無事だろうが、そうでなければ既に三人とも建物内でゾンビに喰われているかもしれない。だが、それを植木に伝える必要はない。今は前向きでいた方がいいだろう。


「あいつの事、頼む。色々と冠木君に突っかかることはあるけど基本いいやつなんだ」

「わかりました。できるだけ連れて帰れるようがんばります」


 望は植木に力強く頷いた後、車に向かって駆け足で向かった。

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