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SC作戦・トンネル内(3)

トンネルに鋭い銃声が響く。鼓膜を貫く残響が何度も耳を襲い痛い。望は思わず顔をしかめ、千尋は手で耳を抑えたが野瀬は眉を少し動かしただけでじっと大橋を見守っていた。


「トンネルの中だと思ったよりうるせえな。で、ゾンビはどうなった?」

「あ、はい。ええと、倒した、みたいです」

「本当か? チームの命が関わってる。報告は正確に。やったんだな?」

「はいっ。倒しました」


 野瀬が望に目配せする。望は銃を構えてワンボックスカーに近づいた。フロントガラスに拳大の穴が空き、運転席の老婆はシートに寄りかかり動かなくなっていた。フロントガラス越しに顔面を確認する。真新しい銃創があり、ポッカリと開いた穴から白い体液が山の湧水のように静かに流れ出て、干からびた女性の肌を濡らしていた。


「頭部を一発。大橋さん、お見事です」


 望の言葉に大橋がほっと息をつく。ゾンビに対する恐怖心はまだあるようだが、自衛隊の講習と試験を優秀な成績でパスしただけあって射撃は精確だ。隣で見ていた千尋が悔しそうな顔をしている。千尋はゾンビ相手でも物怖じしないが射撃の精度は今ひとつだった。車の中で大きく動けなかったとはいえ、ゾンビの額を一発で撃ち抜く腕は今の千尋には無い。望はフォローを入れるため難しい顔をした彼女に近づき耳元でそっと呟く。


「別に競争じゃなから」

「わかってる。でも、もし外を歩いているゾンビがいたら私にやらせて」


 少し拗ねた千尋はライトをトンネルの先に向けようとしてふとワンボックスカーの後部座席に目を止めた。


「どうかしたか?」

「あれってスピーカーだよね。もしかして楽器もあるかな」

「どうかな……ロボット掃除機、コンポ、あれは……除湿機? 楽器みたいなのは見当たらないけど」

「そっか。ミウにお土産ができると思ったのに」

「おい、中に何かあったか?」


 車の中を見ていた二人を野瀬が近寄ってきた。金属製の棍棒のような大きく強力な懐中電灯を車内に向け、そこに押し込まれた家電を見る。


「高そうな家電だな。なんだお前ら、欲しいのか?」

「いや、違うんです」


 望はミウが楽器を探している事を野瀬に伝えてみた。「馬鹿な事」と切り捨てられるかと思ったが、意外にも野瀬は理解を示した。


「楽器にバンドか。ふん、楽しそうじゃねえか。こんなクソみてえな世界だが音楽があれば少しはマシになるかもな。西山も部活でやっていたんだったか」

「はい。ギターでボーカルでした。もしかして野瀬さんもバンドをやってたんですか?」

「おう。大学のサークルでな。ダントーダイってバンドでドラムを叩いてた」


 ダントーダイ、断頭台、趣味の悪い名前だと思ったが望は口にしなかった。そしてそれは正解だった。千尋の表情がトンネル内でもわかるくらい明るくなっている。


「カッコいいバンド名ですね! もしかして、野瀬さんの車でたまにかかってる曲って」

「ああ。昔レコーディングしたヤツだ。よく分かったな」

「たまにコーラスに野瀬さんぽい声がいたので」

「ほんの数曲だがな。まあいい。楽器を探してるなら、俺も手伝ってやる。調達任務の余った時間に近場を探してみるか。俺も久々に叩いてみてえからな」


 野瀬は空中でドラムのスティックを叩く仕草をする。


「本当ですか? ありがとうございます。実はミウが近くの楽器屋をリストアップしてるんです」

「やる気あるみてえだな。いいぜ、基地に戻ったら見せてみろや」


 そんな二人のやりとりを見ていた興津がなるほど、と頷く。


「西山さんみたいな子がどうして野瀬さんの隊に馴染んでるかちょっと不思議だったんだけど、意外な共通点があったんだね。なんか二人ともドクロの入ったTシャツとかリングをしてそうじゃないか?」

「そう、ですね……確かに」

「これは冠木君も油断してると危ないかもよ?」

「えっ、野瀬さんって波多野と付き合ってるんじゃ?」


 しっかりと確認したわけではないが、キャンプでは野瀬と波多野は二人でいる事が多い。休みの日も一緒なのでそういう関係だと思っていた。


「確かに付き合っているみたいだけど、吊り橋効果みたいなもんさ。元々二人ともタイプは別だろ? 共通の趣味がある人がいれば距離がぐっと縮まるのも早い。そうなったら修羅場だね」

「違いますって。俺と千尋は別に何も」

「なら逆に焦った方がいい。こんな世界だ。未来があるかなんてわからないんだから」

「……ありますよ。きっと」

「そうかい?」


 興津が首を傾げた。望はそれ以上何も説明はできず、誤魔化すように大橋の様子を見に行った。


「大橋さん、大丈夫ですか?」

「冠木君か。いや、情けないよな、俺の方が大人なのに」

「最初はみんなそうです。俺も初めてゾンビを倒した時は……その、必死でした。無我夢中で、終わった後に腰が抜けて動けなくなりましたから」

「そうなのかい?」

「はい。ゆっくり慣れていってください。厳しいところがあったら俺がバックアップしますから」

「頼もしいな。がんばるよ」


 大橋が動き出し、一行は再びゾンビの確認作業を始めた。

 車内に取り残されたゾンビは決して多くなかった。一体ずつ、確実に大橋が止めを刺し、興津が車に作業終了のマークを描いていく。問題らしい問題は無かったが、一行の楽勝ムードに水を差す光景はあった。トンネルには数カ所、非常連絡用の電話ブースがあり、その前にゾンビの群れの死体があった。それ自体は先行していた真庭達が倒したものなのでよかったのだが問題はブースの中だ。ライトを当ててみると、中に人影があった。ぐったりと倒れている少女と、電話にベルトのようなものをかけ首を吊っていた女性だ。既に事切れており、それなりの時間が経過していた。


「あれは、ゾンビじゃないですね……」


 大橋が銃を下ろしながら言った。


「ゾンビから逃げてあそこに籠もって、そこで死んだんだろうな。喰われるよりはましだったろうな」

「この人達、つい最近館山まで避難しようとして来たんですよね……。キャンプと連絡が取れればこんなことにはならなかったんじゃ」

「どうかな。俺達は来る者は拒まねえが、こっちから人を出して迎えに行く事はしねえ。残念だがな」

「私、ベルトを外して来ます」


 千尋が倒れているゾンビの群れを迂回し通話ブースの扉を開けようとした。だが中から何かで抑えられているらしく押しても引いても動かない。


「千尋、下がって」


 望は千尋を退けると、銃床で扉のガラス部分を割った。念のため警戒してみるが中の二人が動く気配はない。そのまま扉を破壊し、女性の首からベルトを外した。野瀬隊の全員で二人の遺体を外に出し、トンネルの非常用の歩道の上に並べ、顔をキッチンペーパーで覆った。


「落ち着いたら回収してその辺に埋める。しばらく待ってろ」


 野瀬が黙祷し、他の四人もそれに続いた。

 それからたっぷり一時間かけ、望達はトンネル内を前進し、動いていた車内のゾンビを全て倒した。千尋は母子の遺体と対面した後、すぐに気持ちを切替、ゾンビを倒すと息巻いていたが引き金を引く機会は訪れなかった。

遠くに見えていた小さな光源が次第に大きくなり、ついにトンネルの出口にたどり着く。目の前には障害物も事故車も何もない高速道路が真っ直ぐに伸びていた。左右は両方とも山で、かなりの角度がある斜面の上に背の低い木が繁っている。ゾンビが隠れている心配はなさそうだ。

 望が先頭に立ってトンネルから外に出て周囲を見渡し、安全が確認できると銃を下ろして後ろの仲間達に手を振って合図をした。


「はー、空気が気持ちいい」


 望に続いてトンネルの外に出た千尋はこちらに背を向け、空に向かって大きく伸びをしている。目を閉じて雲越しに大地に注ぐ太陽の光を味わっているようだ。山の間を吹き抜ける風が無防備に立つ千尋のポニーテールを揺らす。それを見た望の胸中に懐かしさが込み上げてきた。二人っきりと生徒会室、開けっ放しの窓から吹き込む風、そして彼女の後ろ姿。思い出の中の少女が振り向きそうになったので望は思わず顔を背けた。改めて顔を上げると、そこには深呼吸している千尋の姿があった。山間を流れる綺麗な空気を味わっているらしい。


「そうか。俺は西山と、トンネルを抜けたんだ……」


 過去をやり直せたわけではないけれど、それでも望はずっと背負っていた重荷の一部が軽くなったような気がした。

やがて他の仲間達もトンネルの外に出て来る。


「はあ、やっと終わった……。俺、しばらくゾンビはいいです」


 心身ともに疲れ果てた大橋が近くのガードレールに寄りかかりながら地面に腰を下ろす。


「お疲れ。少しは自信がついたかな?」


 興津はいつもと変わらない様子でライトのスイッチを切り拳銃を腰のホルスターに収めた。


「どうでしょう。まだ慣れない、ですね」

「怪物とはいえかつての人間だからね。時間はかかるさ」

「そうですか? でも……」


 大橋は何か言いたそうに少し離れた所にいる西山に視線を移動させた。


「あいつらと比べるな。若い分、順応性が高いんだ」


 最後にトンネルから出た野瀬が大きな声で言った。


「少し休んだら戻って飯にしようや。大橋、弁当に肉があったら分けてやるぞ」

「肉……ゾンビ……、いえ、ちょっと食欲が……。俺は栄養バーとかでいいです」

「そうか。お前は銃の腕はいいんだが、メンタルは鍛えねえとだな。さて、向こうで作業している連中に変わりはねえか。ちょっくら確認してくる。お前らはここで待機しててくれ」


 野瀬が無線機を取り出し、トンネルの反対側で待っている仲間と連絡を取ろうとした。距離的には五百メートルほどしか離れていないが間に山があるため上手く電波が届かない。野瀬は何度か無線機を高く掲げた後、「ちょっと上に」と山の斜面を登り始めた。

 野瀬が無線機と格闘している間、他の四人は手持ち無沙汰になる。大橋は地面に座り込んだまま、興津は水筒を取り出し水を飲んでいた。千尋は外の空気を楽しみながら何かを見つけ山の上に目を移した。


「あ、鳥がいる」


 その声にその場にいた全員の視線が空に向かう。そこには一羽の鳥がゆっくりと山の上を旋回していた。興津が額に手を当てながら目を細める。


「トビかノスリかな。双眼鏡でもあればわかったんだけど」

「まだ生きてたんだ」

「これから死ぬんだよ」


 興津の何気ない一言に一瞬空気が凍る。それに気がついているのか、いないのか、興津は鳥を見上げながら言葉を続けた。


「富士山の噴火から動物も植物もどんどん数を減らしている。いずれあんな猛禽類が食べられる動物もいなくなる」

「随分と悲観的ですね。火山灰が落ち着いたら自然は元に戻るんじゃないですか?」

「どうかな、そうだといいね」


表情を変えずに言う興津に千尋は何かを思いついたらしく、銃をしまうとショルダーバッグから赤い個包装のお菓子を取り出した。それから興津の所に行き手に持った物を差し出す。


「興津さん、甘いものです。美味しいものを食べれば気分も晴れますよ」

「おっと、すまない。トンネルの中の事で少しネガティブになっていたよ。ありがとう」


 興津に赤いお菓子を渡すと千尋は路上でへたり込んでいる大橋の所へ行き、二言三言交わした後、同じ物を渡す。そして最後に望の所に来た。


「はい。もう直ぐお昼だけど」


 千尋の手にはチョコレート菓子があった。受験シーズンによく売れる、赤いパッケージのチョコウェハースだ。


「サンキュ」


望はチョコを受け取ると個包装を破り中身を口にした。パリッと軽い食感がしてクリーミーな甘さが口に広がる。キャンプの生活では甘いお菓子を食べる機会は少ない。久々のチョコレートは疲れた体に良く染み渡った。その望の隣で千尋もチョコを食べ始める。


「はあー、やっぱり疲れた時の甘いものはいいな」

「千尋ってチョコ好きだよな。この前のクッキーもココア味だったし」

「そうだよ。お姉ちゃんは酸っぱいものが好きだったから。天邪鬼してたら甘い物好きになってた」


 どこか遠い目をしながら千尋が言った。

 望も知っている。千尋の姉、千明がアイスクリーム屋で最初に目をつけるのはレモンシャーベットで、夏はレモネード、冬はホットレモンが好きだった事を。だが、望は知っている。千尋は甘いもの、特にチョコレートが好き。食事は魚より肉だが揚げ物は嫌い。コーヒーよりは紅茶派で、砂糖やミルクをたっぷり入れるのが好き。歌が好きで機嫌がいいと鼻歌を歌う。寝巻き代わりのTシャツはゴテゴテしたフォントの英語が書かれていたり、ドクロマークがついたりしているものが好き。この二ヶ月、望は千尋と毎日のように一緒に過ごしていた。いつの間にか、千明についてよりも千尋について知っている事の方が多くなってしまった。止まっている時間と先に進んでいる時間、差が出るのは当たり前なのだが少し寂しい気がする。

 ぼんやりと休憩をしていると、リーダーの野瀬が面倒臭そうな顔をしながら斜面から降りて来た。


「みんな集まってくれ」

「どうしたんですか? 何かトラブルですか」


 興津の質問に野瀬は「そうだ」と頷いた。


「警備隊から応援に来てた浅井って野郎がいただろ。そいつが若いのを数人連れてどっかにいっちまったらしい」

「どっかにって脱走? いやいや、いくら土嚢作りが大変だからってちょっと考えられないですよ。外はゾンビだらけなのに」

「そんな大層なもんじゃねえ。酒が欲しいとか言ってサービスエリアに向かったらしい」

「サービスエリア? 確かに途中にありましたけど、まったく勝手な事をするなあ」

「キャンプじゃお酒は禁止されてますものね……俺、酒は弱いですけど今ビールがあったら浴びるほど飲みたいです」


 怒る興津の隣で大橋がわずかに同情的に言った。館山キャンプでは生存に必要な物資が優先されるためアルコールやタバコなど嗜好品の類はほとんど出回っていない。基地内でのトラブルを未然に防ぐためにも、特に酒の持ち込みについては厳しく制限されていた。


「外に出たのをチャンスだと思ったんでしょうね。命の危険があるのに。今まで安全な基地内で過ごしすぎて感覚が麻痺してるんでしょうか」

「安全に慣れる……贅沢な話だな。連中だって館山に来る前は必死にゾンビから逃げていたろうによ。とにかくだ、至急連中を連れ戻してほしいと大原さんからの依頼だ。インターチェンジに戻るぞ」

「やれやれですね。せっかく一仕事終えたのに。浅井さんって野瀬さんよりも年上ですよね? 冠木君や西山さんみたいな未成年が命がけで仕事をしているのに良い年をした大人が、まったく情けない」

「仕方ねえさ。人が集まればトラブルは出てくる。大人の身勝手は可愛気はねえけどな。しかし俺達も舐められたもんだ。連れ戻す時に一発、二発ぶん殴ってやるか」

「どうでしょう。後々禍根が残らないといいんですが。まあ、状況次第ですね」

「そうだな。よし、全員インターチェンジまで戻るぞ」


 野瀬を先頭に興津と大橋がトンネルの中に入って行く。


「俺達も行くか」

「そうだね。でも人間関係のトラブルなら私の出番はないかな」

「いいんじゃないか? 大人の相手は大人にしてもらおう」

「でも、そうすると代わりに土嚢作りだよ? 力仕事で石坂さんに勝てる気がしない」

「別に勝負しなくても」

「私は舐められたら見返してやりたいの」


 また一つ、千尋と野瀬の共通点を見つけてしまった気がした。だが、望は千尋には他のメンバーと争うよりは仲良くしてもらいたかった。


「西山ならきっと喧嘩せずに石坂を味方にしちゃうと思うけどな」

「確かに。お姉ちゃんならそうするかもだけど……」

「今度お菓子を作ったら渡してみたらどうだ? あと、石坂はミウと仲良くなりたいらしいぞ」

「なにそれ?」

「だから二人が話す機会を作ってやれば石坂は千尋に感謝すると思うよ」

「本当? まあ、恩を着せるのも悪く無いかもしれないけど……」


 安全を確認したばかりの場所ということもあり、望と千尋は世間話をしながらトンネルの闇の中に戻って行った。

*2020年10月13日、追記

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― 新着の感想 ―
[一言] そういえばこのサービスエリア1の段階では、まだ人間以外の動物がゾンビ化するか描写が全くないですね。 ゾンビが人間しか襲わないのかはたまた・・w
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