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SC作戦・トンネル内(2)

「うわっ!?」


 壁際を進んでいた大橋が悲鳴を上げた。切羽詰まったというよりは間違えて犬の落とし物を踏んでしまったような情けない声だ。野瀬が怪訝そうにライトを向けると、腰を浮かした大橋が泣きそうな顔をしていた。


「どうした」

「野瀬さん、ゾンビの、死体があります」

「そりゃああるだろうさ。自衛隊の連中が通った後だからな。で、死んでるのは確かだろうな?」


 大橋が足元の死体にライトを当てる。一応、望と千尋が離れた場所からその死体に銃を向け、興津が大橋のバックアップに向かったが、その必要はなかった。


「だ、大丈夫です。頭が半分くらい吹き飛んでいて、一発です」


 そのゾンビの頭部は鼻から上が吹き飛ばされており、近くの壁には肉片や体液が混ざった何かがこびり付いていた。肉片にはまだ湿り気がある。ほんの数時間前に倒されたようだ。

 興津が大橋の横からゾンビの死体に近づき興味深そうに頭部の破壊痕を、それから無傷の胴体を見た。


「さすが自衛隊さんですね。俺が拳銃で撃ってもこうはならない。一体倒すのに五、六発は使いますから」

「腕前がいいなら路上だけじゃなく車内のゾンビも倒してほしいもんだぜ。俺達が苦労しなくて済むのによ。トンネルの奥を見てみろ。車が結構残っていやがる」

「あれに全部ゾンビが入っていると思うと、げんなりしますね。まったく、どうして自衛隊の人は民間人のためにもう少し頑張ろうと思わないのか。ちょっと車から降りくれればいいだけなのに」


 興津の不満に大橋も同意する。


「キャンプでも事ある事に「いずも」、「いずも」ですもんね。俺も何度か誘われました。軍艦を動かす事よりも生きてる人間やキャンプの生活を良くする事を考えてほしいですよ」

「まったくだな」


 大橋の言葉に野瀬も同意する。

望の見たところ、館山キャンプの民間人と自衛隊の間には浅くない溝がある。野瀬をはじめとする民間人はキャンプの生活向上を目的に活動しているが、自衛隊は護衛艦「いずも」の戦力の強化を重視しているようだ。空母のような見た目の艦船を使って何をするつもりなのか。望にとっても気になる問題だった。幹部会議で郡司や和浦は万が一の時、生存者が海に逃げるために「いずも」が必要だと言っていた。だが、聞く所によると、民間人で「いずも」担当になった人の中には航空機を撃ち落とす対空ミサイルの取り扱い訓練をしている者もいるという。どう考えてもゾンビ相手には必要ない。もし、郡司達が軍艦の戦力をシェルターに向けるつもりなら、いつかキャンプと対立する日が来るかもしれない。そう考えると望の心は暗雲とした。だが今は将来の事よりも近くのゾンビだ。気を取り直して先頭を進む。


 しばらく進むと、車の玉突き事故の現場に到着した。横転したトレーラのコンテナにバスが突っ込み、さらに乗用車が何台もぶつかったようだ。事故直後に炎上した車もあったらしく、車体が焼けているものが何台かあり、天井や壁にも煤がついていた。そして車に乗っていたらしい人間の成れの果てが数十体倒れていた。


「ひどい有様」


 千尋がライトで路上を照らす。ゾンビのほとんどは事故現場の終点(あるいは始点)であるトレーラー付近に折り重なりながら倒れていた。おそらく、トンネルに入った自衛隊はここで一度停車し、接近して来るゾンビを順番に撃ったのだろう。最初に近くにいたゾンビを倒し、銃声を聞いて奥から近づいて来たゾンビを撃つ。さらに倒れたゾンビに足を取られ動きが鈍くなったゾンビを撃つ。それを続けた結果、一定の場所にゾンビの死体が集まりちょっとした山ができたようだ。

 まだ生きているゾンビがいないか警戒していた千尋だったが、いくらライトを当てても動き出す気配はない。やや不満そうに足元の水溜りをわざと踏んだ。ゾンビから流れ出た火山灰色の体液と壁から滲み出た地下水が混じった白い液体がパシャっと跳ねる。


「全部死んでる。これじゃあ戦えない」

「西山、油断はするな。死んだふりをしている奴もいるかもしれねえぞ」

「ゾンビにそんな知能があるんですか?」

「基本的には無い。だが、お前も大原さんが遭遇した笑うゾンビの話は聞いてるだろ。イレギュラーな怪物がいるかもしれねえんだ」

「じゃあ、一体ずつ確認しますか?」

「ああ。だがお前と冠木は先に進め。興津と大橋、お前らで倒れてるゾンビがちゃんと死んでるか確認しろ」

「うへ、俺達ですか」


 興津は表面的には不満そうだったが、命じられた通り視線を路上のゾンビ達に移す。ゾンビが潜んでいる可能性がある暗闇を進むのと、死んでいない可能性があるゾンビを調べる作業、どちらが簡単かと言えば後者だ。

 大橋もそれを理解しており、望達に少しすまなそうにしてから背中に背負っていた伸縮式の剪定バサミを手に取った。本来は手の届かない位置にある植木の選定に使うものだが、今回は離れた位置からゾンビが死んでる事を確認するために使う。興津が銃を構える横で、大橋がハサミの刃で倒れたゾンビの体を突く。できれば頭部を。反応がなければゾンビは死んでいる事になる。

興津と大橋の二人は一番手前で倒れているゾンビに近づいた。興津が頭部に狙いを定め、小さく頷く。大橋はゾンビの頭部にある真新しい銃で撃たれた跡にハサミを突っ込んだ。勢いで死体が揺れたがゾンビの反応は無い。


「こいつは大丈夫です」

「オッケー、じゃあスプレーでマークを描く」


 興津がゾンビの背中に赤いスプレーで丸を描く。安全確認済みの印だ。これで一体分の作業は終わり。ゾンビはかなりの数があるので完了まで二、三十分はかかりそうだ。その間、望と千尋も遊んでいるわけにはいかない。


「冠木と西山は先行して車の中を調べてくれ。倒せそうなゾンビがいたら大橋に」


 そう言うと、野瀬は興津達のバックアップに入った。

 望と千尋は確認作業中のゾンビの死体の山を越え、百メートル近く続いている玉突き事故現場をざっと眺めた。二十台くらいの車両がある。事故は同じタイミングで起きたようだ。館山を目指していた五十人くらいのグループが何らかの事情でこのトンネル内で全滅したのだろう。

 望がコンテナやトレーラーで影になっている裏側の道路を調べている間、千尋は運転席に向かった。砕けたフロントガラス越しに中を見る。


「空っぽ。この車は大丈夫そう。ねえ、望はどれくらいのゾンビが車の中にいると思う?」

「さあ。ドアが閉まってる車は……十台くらいか。一台に二体だと全部で二十体ってところかな。実際にはもっと少ないと思うけど」

「あの山になっていたゾンビの死体は?」

「バスに乗っていた人達だったかもな……」


 ちらりと後ろを振り返ると大橋達が調べているゾンビの中には小さな子供の姿もあった。


「館山まで後少しだったのにね」

「ああ、残念だよな……」


 足元を見ると乾いた白い液体が付着した木製バットが一本落ちていた。どうやら事故に遭った直後、生き残った人間がゾンビと戦ったらしい。武器になりそうな棒や刃物、それに財布や携帯の残骸のようなものが周囲に散らばっていた。事故で立ち往生していた生存者にゾンビの群れが襲い掛かったのかもしれない。いずれにせよ、何が起きたかを知る人間はもういない。事実は一つ。このグループから館山基地まで辿り着けた人は誰もいなかったという事だけだ。そして望達にできる事はまだ生と死の間を彷徨っている者に止めを刺す事だけだった。

望と千尋は車を一台ずつ確認して行った。トレーラーとバスはとりあえず危険はなさそうだ。バスの中には倒されたばかりのゾンビが数体あった。バスの出入り口は開けっぱなしになっているので真庭達が念のために倒してくれていたようだ。そして次の車、バスの後部に追突している車両に小銃のライトを向けると光の中で何かが動いた。


「何かいる! バスの後ろの白いワンボックスカー」


 望の声にゾンビの死体を確認していた野瀬達が顔を上げた。ワンテンポ遅れて車内の存在に気がついた千尋が望のものよりも大きくて強力な手持ちライトを向ける。フロントガラスには大きな蜘蛛の巣状のヒビが入っており、真っ黒な液体が割れ目状に広がり乾いていた。その奥、運転席にあった人影が光に手を伸ばしてきた。一歩前に出ようとする千尋を望は目で止める。


「俺が調べる。千尋は援護を」

「……わかった」


 千尋に背中を任せた望はワンボックスに近づきその運転席を照らした。動いている人影は一体だけ。割れたフロントガラス越しでもわかる。ゾンビだ。助手席にも何かあるがこちらはピクリともしない。後部座席に人影は無く、代わりに家財道具らしいものが一杯に詰まっていた。大きなスピーカーやサイクロン掃除機、羽のない扇風機などがある。家電ばかりで人間はいなさそうだ。念のため、屈み込んで車体の下も確認する。


「下も大丈夫。運転席の一体だけだ」


 運転席のゾンビが光に向かって手を伸ばす。指先に触れたガラスの一部が乾いた音を立てて剥がれた。小さなガラス片はコンクリートの道路にぶつかり砕け、トンネルに乾いた澄んだ音が響く。それをかき消すように醜い呻き声が運転席から発っせられた。ゾンビの声に顔をしかめながら千尋が形だけ銃を向ける。


「私が撃ったらだめ?」

「さっき野瀬さんが言ったろ? 今日は大橋さんにやらせるって」

「むぅ」


 千尋は子供っぽく唇を窄ませる。年相応のかわいらしい動作なのだがゾンビを撃てない不満を表しているのは笑えない。

やがてゾンビの確認作業を中断した大橋が緊張しながらやって来た。野瀬隊の戦闘員の中で大橋だけがまだゾンビを倒した経験が無い。銃器の扱いは十分にできるので安全なゾンビ相手に経験を積ませようというのが野瀬の狙いだ。

 望は大橋のために車中のゾンビを照らした。千尋もそれに続く。二つのライトを当てられ、ゾンビの動きが活発になった。


「大橋さん、運転席のゾンビをお願いします」

「わ、わかった。中にいるのは一人だけ……うわっ」


ワンボックスカーの中から何かを突き上げるような鈍い音がした。運転席にいたゾンビが立ち上がろうとして車の天井に頭をぶつけたらしい。それは五十代くらいの女性だったもので髪は真っ白、肌は火山灰にまみれたように白い。


「ゾンビがいる……」


 目の前の事実を口にした後、大橋は震える手で拳銃を構える。ゾンビは外にいる獲物に気がついたからか、両手をフロントガラスに押しつけ腕をバンバンと叩きつけている。叩かれる度、蜘蛛の巣状の亀裂が徐々に大きくなっていく。時間さえかければいずれ完全に砕け散るだろう。


「大橋! ゾンビは狭い車内で身動きが自由に取れねえ。それに顔を正面に向けている。狙いやすいシチュエーションだ。さっさとやっちまえ」


引き金を引きかねている大橋に野瀬が励ましの声をかける。まだ迷う大橋に望も軽くアドバイスをする。


「大橋さん、一発で当てなくてもいいですから気楽にいきましょう」

「でも、もし外したら? フロントガラスを破って外に出てきたら?」

「その時は俺達が対処します」

「そうそう、まかせてください!」


 千尋が勢いよく握り拳を掲げた。


「さあ、やっちゃってください! 大橋さん、頑張って」

「そ、そうだよな……よし、やります」


 千尋に励まされた大橋は腹を括り銃を両手で構えた。自衛隊の講習通りのきれいな構えだ。突き出した両手で銃を持ち、両足を広げ、目は真っ直ぐに目標に向けている。大きく深呼吸をした後、息を止めて照準をゾンビの額に合わせた。

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