SC作戦・トンネル内(1)
数百メートルは続く暗闇が目の前に広がっている。
「シュアフィア・クリアリング作戦」の開始から三日後、望は作戦目標である館山自動車道のトンネルの中にいた。電気が通っていない内部は暗く、排気設備が止まっているので空気が淀んでおりカビ臭い。さらに排水機能が動いていないためか所々の側溝から水が道路に溢れ出していた。
トンネルの中にいるのは五人。いつもの野瀬隊の戦闘班だ。望が先頭に立ち、その後ろに千尋、少し離れて野瀬、興津、大橋が続いている。全員、銃で武装し懐中電灯などの照明器具で暗闇を照らしながらゆっくりと前進している。
望は愛用の小銃に取り付けたフラッシュライトの明かりを頼りに一歩ずつトンネルの奥に進んだ。入り口から二十メートルほど入ると闇が深くなり足元も見えなくなる。ライトを左右に振って近くにゾンビや障害物が無い事を確認し、次に上下に振って念のため天井と足下を確認する。特に異常がなければ少しだけ前に進みまた同じ手順を繰り返す。そうやって望達は少しずつトンネルの奥に入っていった。
望の足元で水の流れがライトの光を反射した。
「千尋、足元に小さな川がある」
「え、どこ?」
少し後ろを歩いていた千尋が懐中電灯を地面に向ける。
「本当だ。水が流れてる」
千尋はコンクリート上にできた小さな川を跨ぎ、軽やかな動作で着地した。それとほぼ同時に手にしていた銃を正面やや斜め右に向ける。
「どうした?」
「車がある。ほら曲がり角の先」
「カーブの先か……本当だ。よく気がついたな」
「ジャンプした時にちらっと見えた」
「目がいいな。俺は気がつかなかったよ」
「でしょ? 視力には自信あるの」
望に褒められ、千尋は嬉しそうに笑った。
千尋が見つけた通り、トンネル内のカーブの先に車があった。軽自動車で、随分前に高速でカーブに入り曲がりきれずに壁に激突したようだ。トンネルの壁には何かが擦った跡があり、車は運転席までグチャグチャにつぶれている。ドアは開いていて車内は空っぽだ。さらにトンネルの奥には何台もの車が放置されていた。望と千尋はその場に留まり車の周囲を確認しながら、仲間が追いつくのを待った。
しばらくすると車を照らすライトの数が二つから五つになった。
「冠木、ゾンビか?」
野瀬が興津と大橋を引き連れて望達と横並びになる。
「いえ。でも車がありました。この先で何台も事故ってます」
「真庭の野郎の言った通りか」
野瀬は緩やかなカーブの向こうを覗き状況を確認した。
「ちっ、マジだな。十台から十五台ってとこか。二ヶ月くらい前に俺達が通った時には無かったが……」
トンネルの奥では大型のトレーラーやバス、乗用車が玉突き事故を起こしていた。路上には倒れた人影も見える。望達の近くにある軽自動車はあの事故現場を避けようとしてコントロールを失い壁にぶつかったらしい。これだけ車があればその運転手や乗員がいるはずだが、幸いな事に動いている物は無く、望達のライトや話し声に反応する物もいない。
望が車両を調べようとすると興津が一歩前に進み出た。
「俺が調べるよ」
「いいんですか?」
「冠木君には先頭を歩いてもらってるからね。俺達も少し役に立たないと」
「じゃあお願いします」
興津は「りょーかい」と軽く言いながら銃を構え、玉突き事故の現場から少し離れた軽自動車に近づいた。その後ろ姿をもう一人の戦闘班のメンバー大橋が心配そうに見ている。
「中は無人。この車に乗っていた人はどこに行ったのか」
興津のライトが空っぽの運転席を照らし、次に後部座席に光を当てる。中には誰もいないし何も無い。
「車内には誰もいない。でもエアバックとシートが血で汚れている。これだけの怪我、運転手はもう生きていないでしょうね。大橋、近くにゾンビはいそうか?」
「いない、と思う」
大橋が声と手を震わせながら手にしたライトで周囲を照らした。だが明かりに浮かび上がるのは壁や道路ばかり。ゾンビや人の死体は近くにはない。望、千尋、野瀬も辺りを見渡してみるがやはり何もない。
「ちっ、どこかに歩いて行きやがったか」
「それなら安心ですね。自衛隊が倒してくれてるでしょうから……」
「馬鹿野郎! それじゃあお前の訓練にならねえだろうが」
野瀬の強い口調に大橋や思わず「ひっ」と肩を竦めた。
「ゾンビがいたらお前が撃つんだからな。準備はしておけよ」
「は、はい」
望はそんな大人達のやりとりを片目で見ながらゾンビの姿を探した。周囲に隠れられそうな障害物はない。道路面よりも高い位置にある歩道も金属製の手すりの向こうは空っぽだ。もしゾンビが潜んでいるとしたら一箇所しか思い当たらない。
「野瀬さん、俺車の下を確認します」
野瀬が頷いて返してきたので望は車に近づき片膝を着くと斜め後ろにいる千尋に声をかけた。
「千尋、背中を頼む」
「わかった。どんと任せて!」
後ろにいた千尋が九ミリ拳銃を使い慣れた折り畳み傘のように振り回す。少し不安は残るが万が一しゃがんでいる最中にゾンビに襲われても千尋が何とかしてくれるだろう。今日の千尋はいつも以上にやる気に溢れていた。
「むしろゾンビの一体や二体出て来て欲しいくらい。戦闘班がサボってるなんて言っていた石坂さん達にゾンビの首の一つでも持っていってやりたいから」
「千尋、ゾンビだって昔は人間だったんだ。遺体には敬意をな」
「わかってる。死んだゾンビは人間として扱う。でも動いてるゾンビは敵だから」
「まあ、そうなんだけどさ」
望は少し眉を潜めた後、地面に両膝を着きうつ伏せに近い格好になった。それから車の下にライトを向ける。道路と車体の間には何もなかった。一瞬、タイヤの影で何か小さな物が動いたが虫のようだ。ゾンビはいない。
「クリア。この車は安全だ」
「そっか、つまんないね」
不満そうな千尋が銃を下ろす。車内を確認していた興津がバックパックからスプレー塗料を取り出し、安全が確認されたばかりの軽自動車のフロントガラスに赤い塗料を吹き付け大きな丸を描いた。安全確認済のマークだ。これがあれば後からトンネルに入った人はいちいち車を調べなくて済む。
「こんな感じか。野瀬さん、そこから見えますか?」
「いいんじゃねえか。こっからでもはっきり見えるぜ」
少し離れた所にいた野瀬が車にライトを当ててからオッケーを出す。その隣では大橋が真っ白になるくらい力を込めて拳銃を握っていた手を緩めていた。彼は野瀬隊の戦闘員の中で唯一ゾンビを倒した経験がない。そのため野瀬はトンネル内で安全に倒せるゾンビがいた場合は大橋に経験を積ませると事前に全員に伝えていた。だがその機会はもう少し後らしい。
「じゃあ、先に進みます」
望は銃を構え直すと他の四人の先頭に立ち再びトンネルの奥に向かって進み出した。
「シュアフィア・クリアリング作戦」、馴染みの無い横文字のため参加者のほとんどは単に「作戦」か「SC作戦」と呼んでいた。名前が覚えられる事はなかったが作戦そのものは順調に進んでいた。
現在、百人近くの生存者が館山基地と木更津の基地を繋ぐ館山自動車道という高速道路で作業をしていた。高速道路は高架や防音壁などで他から隔離されているため、出入り口を封鎖し路上の安全を確保すればゾンビを気にせず二つの都市間で物資の輸送が可能になる。参加者は大まかに五つの部隊に分かれており、陸上自衛隊の隊員のみで構成された戦闘部隊が一つと民間人を中心とし道路の封鎖や路上の障害物の撤去を行う作業部隊が四つだ。望が所属する野瀬隊はこの作業部隊の一つとなり、別の作業隊、大原隊と一緒に最初の封鎖対象である鋸南富山インターチェンジの封鎖を行なっていた。ちなみに、残り二つの作業隊、井出隊と平澤達は高速道路の入口の整備、重機を使った路上の車両撤去、そして作業中の作業隊への食料や水の輸送などを担当していた。
インターチェンジの封鎖はかなりの力技で、まず動かせる車を見つけ出し横に置いて道路を塞ぎ、車体の前後や上下の隙間に土嚢を積み上げて壁を作るというものだった。道路一箇所を塞ぐために必要な土嚢は数百に及び、周囲が山なので土はいくらでもあったが、スコップだけでは相当な手間と時間がかかった。しかも、封鎖する場所は高架になって数十メートルほど進んだ所のため、作った土嚢を運ぶだけでもかなりの労働だ。野瀬隊と大原隊の調達隊のメンバーを中心に警備隊や整備隊からの応援が加わって三十名を超える作業員がいたが、朝から作業を始め、昼前にようやく一箇所終わるかどうかの進み具合だった。
土嚢作りの間、野瀬隊と大原隊の戦闘員は銃を持って周囲を警戒していた。と言っても路上にいたゾンビは先行した自衛隊が排除していたのでゾンビが襲ってくる事はなかった。何となく手持ち無沙汰にしていると土嚢作りをしている他の仲間の視線が冷たくなった。野瀬隊に加わっていた高校生組の石坂が望に嫌味を言い、千尋が反論してちょっとした口喧嘩も起こった。何となく雰囲気が悪くなった時、先行していた戦闘部隊の真庭一尉から連絡が入った。近くにあるトンネル内に放置された車が多数あり、その中にゾンビがいるから対処するようにとのことだ。野瀬と大原が話し合い、戦闘に慣れた野瀬隊の戦闘班がゾンビの対処に当たる事になった。
そんなわけで、望はインターチェンジから少し離れた場所にあるトンネルの中にいる。長さは五百メートルほどで遠くに出口の明かりも見える。十台を超える自動車が内部で事故を起こしており、望達はその一台、一台を調べながらゆっくりと進んでいた。ゾンビがいるとしても路上に放置された車の中なので安全に排除する事ができる。望達はいつもよりも幾分か気楽に与えられた仕事に取り組んでいた。




