館山キャンプ・幹部会議(3)
手を上げたのは稲本という幹部で、元々は農業高校で教師をしていたという温和そうな四十代の男性だ。キャンプでは他の教職経験者の老人達と協力し、中学生以下の子供を対象にした授業を行なっている。キャンプ内にある館山臨時学校の校長というのが彼の立場だ。
「あの、一つ良いですか?」
「稲本さん、構いませんが学校に関する事でしたら作戦説明の後にしていただけませんか?」
「いえ、この「シュアフィア・クリアリング作戦」に関係のある案件です」
それを聞いた和浦がおやっと首を傾げる。教育関係者の稲本が軍事作戦に口を挟む事は今までなかったからだ。ちなみに陸自の真庭一尉も驚いていたが、それは稲本が聞いたばかりの作戦名を正確に言えた事に対するものだった。
稲本が発言を続ける。
「皆さん、武器やヘリコプターの心配をされていますが、食料について少し考慮していただきたい事があるのです。牛や豚、鶏といった家畜の事です」
その発言を受けて、会議室に「そういえば」という雰囲気が流れた。以前にも議論に上がった事があったらしい。
「穀物や野菜については調達隊の皆さんに集めてもらった種があります。来年の春や火山灰が晴れてからでも栽培を再開する事は可能です。ですが家畜は全滅してしまったらそれっきりです。運良く野生化してくれていればいいのですが、これから来る厳しい冬を生き延びられる可能性は高くないでしょう。人間による保護が必要です。冬が来る前に、まだ家畜が生き残っている間に、館山キャンプに連れてくる必要があると思うのです」
「確かに一理あります。ですが家畜が無くとも当面の生活はできます。一方で弾薬やヘリコプアーがなければキャンプそのものが全滅する可能性が高まります。申し訳ありませんが、家畜の捜索と保護は作戦終了後に検討するべき課題ではないでしょうか」
「それでは手遅れになります。それに、「シュアフィア・クリアリング作戦」と同時に家畜を集める事もできます。これを見てください」
稲本が席を立ち、ホワイトボードの横に移動した。
「館山自動車道の近くに有名な牧場があります。人里からは離れていますし土地も広いので、おそらく何種類かの動物が生き残っているはずです。第二段階が完了した時点で、調達隊を一つ、この牧場に派遣できませんか?」
稲本が指差したのは有名なレジャー施設を兼ねた牧場だった。望も小学生の頃に行った事がある。確か、名物のアイスクリームを食べ、たくさんの種類の羊を見て、妹の希美が子豚のレースに参加していた。その牧場の事は関東出身の幹部達も知っており、「なるほど」と同意の声も上がった。それを受けて、今まで黙っていた郡司が口を開いた。
「ふむ、真庭一尉、木更津市内の探索に使う調達隊を一部隊派遣するのなら問題はなさそうだが。調達隊の責任者として君はどう思う?」
「……そうですね。牛や豚の輸送となると少し手間がかかりそうですが、館山自動車道を確保した後ならできると思います。ただ、牧場の調査、生き残っている家畜の確保や輸送で数日のロスは出ます」
「郡司さん、少し発言いいか?」
橋村が腹の肉を揺らしながら手を上げる。
「家畜が大切な事はわかる。だが、動物の飼育には人間とは別の食料が必要になるだろう。キャンプは人間を食わせていくだけで精一杯なのに、動物の面倒までみれるのか? 食料を確保するために食料不足になったら本末転倒だ。稲本さんはその点、どう考えてるのか」
「橋本さん、そこは理解しています。ですが、人間と家畜では基本的に食べる物が異なります。緊急的に人間用の穀物を与える事はできますが、長期的には家畜用の飼料を手に入れる必要があります」
「つまり、家畜を確保しただけでは終わらない、という事だな?」
「それは、そうですが……でも牧場に行けば飼料は残っているはずです」
「では一往復では終わらない。何度も館山と牧場をトラックが行き来する必要があるというわけだな」
「……そうなります」
「では無理だ。そこまでのリソースは割けん」
断言する橋本に、稲本が食ってかかる。
「そんな! 今動かないと生き残っている動物も全滅してしまいます。来年から肉や牛乳、卵が一切手に入らなくなるかもしれませんよ!?」
「それは困るが、弾切れでゾンビと戦えなくなる方が恐ろしいではないか。命あってこそだ。それにタンパク質なら魚や大豆からでも取れるだろ。どうかな笹尾さん」
それから幹部達の間で家畜をどうするかの議論が始まった。どちらかと言えば好意的な意見が多かったが、正直なところ望にはどうでも良かった。牛や豚という単語が出てくるたび、空いた腹がぐうっと鳴る。どこで飼育するのか、輸送用に専用トラックがいるのではないか、そもそも動物がゾンビウイルスに感染しない保証はあるのか、やはり無視するべきではなど色々な意見が飛び交う。最終的にキャンプ唯一の正規の医師である女医の中里が栄養面からも卵や豚肉があった方が好ましいという発言で方向性が決まった。議長の郡司が議論をまとめ、決定を下す。
「皆さんの意見はよくわかりました。ではこうしませんか。作戦の第二段階が終了時に偵察隊を牧場に派遣します。もし動物が生きているのなら現地にある施設を使って家畜がしばらく生き延びられるようにする。そして木更津での作戦が全て完了し、まだ道路が使えるようならキャンプまで動物を連れてくる、いかがですか」
「私は弾薬とヘリを優先してくれるなら異論は無い」
特に激しく反対していた橋本が納得したのを確認し、郡司が和浦に進行を渡す。和浦は伊達眼鏡の位置をくいっと直すと会議室にいる全員を見渡した。
「では、第二段階終了後、偵察隊に生存している家畜の調査に行ってもらいます。稲本さんには現場まで同行してもらいますがよろしいですね?」
「もちろんです。牧場に行く時は是非私も行かせてください」
「ありがとうございます。派遣する偵察隊は今までの実績から野瀬さんのところから出してもらいたいのですが、どうですか」
「それもこっちに振るのかよ」
野瀬が大きくため息をつきながら後ろにいる波多野と望の方を向いた。望は頷いて返す。成田から館山に移動した時、何度が山の中を通過したがほとんどゾンビはいなかった。牧場にいるとしても従業員の成れの果てくらいで数は多くないだろう。数十体なら野瀬隊の戦闘員だけで十分に対処できるはずだ。波多野も「大丈夫でしょうね」と言ったので野瀬は「しゃあねえか」と言いながら幹部会の方に向き直る。
「わかった。木更津南の料金所を抑えたら、行ってみる。偵察だけなら俺達と稲本先生、車二台で十分だろう」
「ありがとうございます!」
要望が通ったからか、稲本が嬉しそうに言った。
「ゾンビの排除まではやるが、牛や豚の世話は稲本さんに任せるぜ。俺達は動物の扱い方なんて知らねえからな」
「もちろんです。その点については村上さんと整備隊に事前にお願いが……」
まだ会議は続きそうだったが、和浦の作戦の話が決着したところで調達隊の各員は退出を許された。四つの調達隊の主要メンバー、十名ほどが一斉に会議室を出る。望はその列の最後尾について行った。本部のビルを出る辺りで先を歩いていた大人達がニヤニヤしながらこちらを振り返ってきたのを不思議に感じていると、外に出た辺りでよく知る顔を見つけた。
建物の車寄せにポニーテールの少女が腰掛けていた。望の姿を見つけるとゆっくりと立ち上がりズボンについた埃を払う。
「遅かったね」
「千尋、待ってたのか。夕食は?」
「望が出て来るのを待ってた。クッキーを食べたからそんなにお腹空いてないし」
「水島さんは?」
「ミウは植木さんや石坂さんと一緒に行った」
「そっか」
先を歩いている野瀬や他の調達隊が生暖かい視線を二人に送ってくる。望は恥ずかしいやら気まずいやらで思わず右手を額に当てた。ますます千尋との仲が疑われそうだ。
「……ごめん、迷惑だった?」
「いや、そんな事ないよ。ちょっと驚いただけ。俺達も行こうか」
「うん」
千尋は軽やかな足取りで望の横に並ぶ。二人は他の大人達から少し離れたところを歩きながら、夕食を取るため食堂に向かった。季節はすでに十月。肌寒い海風がゆったりとしたパーカーの広い間口から吹き込み体温を奪う。望が体を震わせると、隣の千尋が身体を寄せてきた。望は離れようと思ったが、触れている腕の温もりが思ったよりも心地良く、結局食堂までくっついたまま歩く事になった。
***
幹部会議に呼ばれた数日後の夜八時頃、冠木望は上下ジャージ姿に衛星電話を手に館山基地の外れにいた。
館山基地の全長は一・五キロほどあり、大部分を数百メートルの長さを持つヘリコプター用の滑走路が占めている。その周辺は離発着する航空機の安全を確保するため広大な草地が広がっていた。冬が近いため、ほとんどの草は枯れており、歩くたびに乾いた音がするため、うまい具合に誰かが近づけば直ぐに気がつける。寮や本部のある場所からは数百メートル離れている上、周囲に遮蔽物が無く見通しがいいため、こっそりと何かをするにはうってつけの場所だった。
そんな誰もいない基地の外れで望は夜のランニング中という体裁を取りながら衛星電話で成田シェルターと連絡を取っていた。
『へえ。それで二人で仲良く手をつないで食堂に行って、一緒にご飯を食べたんですか』
通信機の向こうからトーンを抑えた音葉の声がする。そこに静かな怒りを感じた望は大慌てで言い訳をした。
「違う! 手は繋いでない。たまたま腕が触れただけ。それに、食事はいつも調達隊のメンバーで食べてるから。千尋だけじゃなくて野瀬さんや波多野さんも一緒だった。本当に他意はないんだ」
『望、私は悲しいです』
冷たい声音だ。
『あなたを送り出した時、最悪の結末も考えていたんです。もし望が外で死んだら私は一生あなたを想って生きていこうと決めていました。十代で未亡人になる決意をしていたんです。でも、まさか浮気されるなんて思いもしませんでした。そうですよね、私達の関係は所詮二週間くらいですもんね』
「だから誤解だって! 俺は音葉一筋だ。信じてくれ!!」
思わず望は声を張り上げてしまい、ハッとして周囲を伺う。見渡す限り、動くものは無い。遠くに見える建物の明かりも米粒サイズに小さく、とても声が届く距離にはない。
『それで、千尋さんと仲良くなった以外に報告事項はありますか?』
音葉が事務的に言った。望も自分がまだ今週の報告を終えていない事を思い出す。
「……いや。さっきので終わりです。「シュアフィア・クリアリング作戦」で二週間かけて館山自動車道を確保して、その後の「バレット&チョッパー作戦」で木更津駐屯地にある弾薬とヘリコプターを回収します。作戦完了は十一月の上旬。道路が使えればその後に牧場で確保した家畜を館山まで運びます』
『わかりました。タンポポについてのアップデートはありますか』
タンポポとは望の父、冠木十三を表すコードネームだ。
「ありません。東京駅から避難してきた人に話を聞きましたが、タンポポに関する情報はありませんでした」
『わかりました。次回の報告はいつになりますか?』
「来週、俺も「シュアフィア・クリアリング作戦」に参加しますが予定では金曜の夜には基地にいますので、同じ時間に連絡します」
「わかりました。もし定刻での通信が難しい場合はできるだけ早く連絡を入れてください」
衛星電話の向こう側からカタカタとキーボードを叩く音が聞こえる。音葉が報告書を作っているのだろう。望は電話がつながっている内に誤解を解こうと恐る恐るパートナーに声をかけた。
「あの、音葉、怒ってる? ごめん、俺もちょっと言葉が足りなかった。千尋は大切な仲間だけど妹みたいなものだから。それだけはわかって欲しい」
キーボードを叩く音が止まる。しばらく沈黙が流れた後、音葉が口を開いた。
『別に怒っているわけではないですよ。ちょっと面白くなかっただけです。仕事の報告以外は女の子の話ばかりなんですから。千尋さんと手を繋いで、ご当地アイドルからバンドに誘われ、女子高生にリップクリームをお願いされて。他には何もありませんよね?』
「ありません……」
『そうですか。自分の夫が女性から人気があるのは悪くはない、そう思って納得することにします』
「本当に何もないんだ。キャンプには女性の方が多いから自然と話す機会が増えただけで」
『わかってますよ。ちょっとからかっただけです。それに、望がそっちで元気にやれているようで安心はしてます』
「俺は大丈夫だよ。ゾンビと戦う事もそんなに多くないし、野瀬さんや興津さんみたいな大人も一緒だから。そっちはどう? 暮らしには慣れた?」
『……』
一瞬、音葉が口籠る。
「音葉?」
『いえ、私もここの生活には慣れましたよ。色々話したい事は多いんですけどアジサイについて話せる内容がほとんどなくて』
音葉は成田シェルターについて話す事は一切許可をされていない。成田の名前も使えず、通信ではもっぱら「アジサイ」というコードネームを使っていた。
「そうだよな……」
『あ、でもこの前、針条さんと話しましたよ。素敵な方ですね。生徒会での望の話を色々と聞かせてもらいました』
「針条さんって、利木先輩の事だよな。変な事を言っていないといいんだけど」
それから望は電話の向こうの音葉と他愛のない会話をした。内容は望の日常生活のことばかりだったが、音葉と同じ時間を過ごせる事が望にとっては何よりも嬉しかった。そしてあっという間に通信を終える時間が来る。
『それじゃあ望、そろそろ時間です』
「もう? もっと話していたいのに」
『私もです。でも決まりですから。来週も楽しみにしています。それと無茶はしないでください。冷静に、慎重に、特に安全には気をつけてくださいね』
「ああ、気をつけるよ。音葉も身体に気をつけて」
望はもう少し話を引き伸ばせないかと話題を探そうとしたが、それより早く音葉が別れの言葉を切り出した。
『それじゃあまた。おやすみなさい』
「……ああ。おやすみ。また来週」
そして通話が切れる。望は何の音も発しなくなった衛星電話を名残惜しそうにショルダーバッグに入れると、しばらく枯れ草の上に座ったまま余韻を味わった。基地を囲む柵の向こうに真っ暗な海が見える。耳を澄ませば寄せては返す波の音も聞こえる。その心地良い自然の音楽に音葉の声を思い重ね、目を閉じた。
十分程そうしていた後、望は立ち上がると軽くストレッチをしたあと、ランニングをしながら寮に戻った。一応、運動を理由に夜間外出をしているわけだし、急がないと浴場の終了時間に間に合わなくなるからだ。望が枯れ草を踏む音が遠ざかり、やがて消え、周囲には波と風の音だけが取り残される。
それから五分後、望が座っていた辺りの地面で影が動いた。風とは違う方向に枯れ草が揺れたかと思うと、すっと何かが音もなく立ち上がった。それは迷彩服を着て全身に枯れ草の偽装をつけた男性だった。男の顔には真っ黒なフェイスペイントが塗られており、そこに浮かび上がった白い双眸が望が走り去った方向をじっと見ていた。




