館山キャンプ・生存者達(2)
千尋と別れた望は男子寮にある自分の部屋に戻った。館山基地には元々数百名が暮らせる寮があり、避難民は一部の幸運な家族連れを除き女子寮と男子寮に分れて暮らしていた。ただし、海上自衛官や民間人でも護衛艦「いずも」の運航要員としての訓練を受けている者は艦内で生活しているため、結果的に男子寮で暮らす人数は百人少ししかいない。部屋には余裕があるため命の危険がある戦闘員の望は特権的に一人で部屋を使用していた。
入浴セットを机の上に置いた望はベッドの上に横になりぼんやりと天井を眺める。富士山が噴火してから最初の二週間、音葉が家を訪れるまで、望は一日の大半をこうしてマットレスの上に寝そべって過ごしていた。あの頃は未来への希望は無く、ただ水と食料を消費して生きているだけの日々だった。今、開けっぱなしの窓からは人々の喧騒が聞こえてくる。仕事を終えた大人の声、鬼ごっこをしている子供の声、台車か何かを転がしながら話している女性の声もする。目を閉じれば噴火前の日常に戻ったような錯覚すら覚えた。
穏やかな時間の中、望は寝返りを打って天井から机の下の登山用リュックサックに視線を移した。キャンプに加わる前から持っていた物で、中には家から持ち出したスマートフォンや生徒手帳、西山から借りっぱなしの本に加え、成田シェルターで渡された衛星電話が入っている。初期の携帯電話のようなごつい見た目をしており、基地に加わった時の検査で没収されるかとヒヤヒヤしたが無事に手元に戻ってきた。毎週土曜日の早朝、望は衛星電話を使って成田シェルターに定期報告を入れている。今までに五回ほど連絡を取っており、その内の二回は音葉が通信先に出てくれた。
「早く声が聞きたい……」
望はベッドの上で目を閉じ、丘の上の家で音葉と過ごした数日間の思い出に浸った。一刻も早く父親を見つけ、音葉の待つ成田に戻りたい、そんな事を考えていると今日の疲れが出たのか、いつの間にか目蓋を閉じていた。
気がついた時、時計の針は十六時四十分を過ぎていた。三十分ほど居眠りをしてしまったらしい。
「まずい!」
夕食前に千尋とミウに会う約束をしていた。千尋の性格を考えれば、部屋に戻ってすぐに休憩所に向かっただろう。スマートフォンは充電できても通信出来ないので「遅れる」メッセージを送る事はできない。望は慌ててベッドから飛び降り、カフェに向かった。
館山キャンプのカフェはかつて売店やレストランが入っていた建物を改装して作られた施設だ。ぎっしり詰めれば百人くらいが食事をできるレストランのテーブルや椅子をそのまま利用して休憩所にしており、男子寮と女子寮に別れた男女が話をしたり、仕事の終わった人々がお茶を飲んだりする憩いの場になっていた。正式名称は休憩所だが、キャンプで暮らす人はカフェと呼んでいる。その名前の通り、壁際には無料のお茶のサーバーがあり、かつての売店スペースでは細々とした日用品の配給もしていた。同じ建物内には談話室や打ち合わせに使える個室、図書館、娯楽施設のビリヤード台などもあり、キャンプにおけるレクリエーションの中心になっていた。
望がカフェに入ると、隅の方にいた二人の少女が顔を上げた。見慣れたポニーテールの千尋と、その友人のミウだ。望を見つけた千尋は機嫌悪そうに眉をひそめ、一方のミウは笑顔で大きく手を振った。
「あ、望君! こっちこっち」
体育館に響くホイッスルのようによく通る声が望を呼んだ。カフェにいた人の中には驚いて顔を上げる者もいたが、大半は「またか」と特に気にしていない。しかも意味がわからない事に、何人かは何かを食べながら望に向かってお礼を言うように軽く会釈した。
「水島さん、どうも」
周りの態度に疑問を抱きつつ、望は二人に近づくと先ず今日初めて会うミウに軽く頭を下げた。
「やだなあ、望君。ミウって呼んでって言ったじゃない」
「でも、水島さんは水島さんじゃ……」
「大丈夫。私はアイドルなんだから。プロとして芸名で呼ばれる事を希望します。さあ、私の名前はー!?」
ミウは楽しそうに開いた手を耳に当てる。その動作に恥じらいや躊躇いは一切なかった。
「……ミウ」
「はいっ、よーくできました! パチパチ、ぱち」
賑やかに手を叩くミウを横目に、望は空いている椅子に座った。
「アイドルって言うけどローカルなご当地アイドルなんでしょ?」
やや不機嫌そうな千尋が呟く。
「そう! 広島県三吉市のローカルアイドル、サンミーのミウだよっ! でもこれからは館山のアイドルにもなるからよろしくね!!」
ミウは本名を水島詩乃という。年齢は望と同じ十七歳。純朴そうな顔つきに豊かな髪とよく通る声が特徴だった。アイドルといってもスポンサーは地元も観光協会で、お祭りで歌ったり、名産品のワインやサメ料理のプロモーションを中心にしていたらしい。どちらかと言えばゆるキャラ寄りの仕事が多く、ミウ自身もほんわかとした雰囲気を持っていた。
「館山のアイドルって……こんな状況で?」
「こんな時だからこそみんなに夢と希望を与える存在が必要なんだよ! 千尋や望君も一緒にやろうよ。千尋と私でユニットを組んで、望君がマネージャーかプロデューサー!」
「いつも言ってるけど、私は無理」
千尋に断られたミウにキラキラした目を向けられ望は大慌てで首を横に振った。
「……まあ、それは置いておいて、」
むすっとしながら千尋が望を睨む。
「遅い。三十分くらい待ったんだけど?」
特に時間の約束まではしていなかったはず、そんな言葉が喉元まで出かかった。だが望はそれを飲み込み頭を下げる。
「ごめん。昼間の疲れが出て寝ちゃってた」
「ちょっとずるい。そう言われたら怒れないじゃない。……遅いからクッキー、ほとんどなくなちゃった」
四人掛けの飾り気のないテーブルの上に、お茶の入った湯呑みと並んで、水色の紙に包まれた蓋付のプラスティック容器があった。中にはチョコとバニラのチェッカー模様のクッキーが入っている。箱の大きさに対して中身はすかすかで、あと三枚しか残っていない。
「これ千尋が作ったんだよー」
ミウが楽しそうにクッキーを一枚口にする。
「珍しいな。キャンプでお菓子なんて」
「この前の調達に行った時、小麦粉とココアを取ってきたの。小さい子達に配ろうと思って」
「製菓コーナーでゴソゴソしてたのはそういうことか」
キャンプでは食べ物や着る物は全て配給制だ。外での調達は保存の効く食料を優先するため、お菓子などの嗜好品など生活に必須でない物はあまり配られない。唯一の例外は調達で、外での食事は適当に食べられる物を食べる事が多く、個包装されているお菓子類は安全なカロリー源としてよく選ばれた。さらに千尋は個人で持ち運べる範囲で自分で好きな物を調達中に手に入れる自由があった。
「望がなかなか来ないから、周りの人に配っちゃった。残りこれだけだから」
「ああ、だからみんな何かを食べていたのか。じゃあ俺も遠慮なく。……うん、美味いな」
「良かった」
少しほっとし千尋の表情が緩んだ。それから懐かしそうに最後の一枚になったクッキーを見つめる。
「お姉ちゃんも望にクッキーを作った事があったでしょ? あの時、私も一緒に作ってたの。その時のレシピに似せてみたんだ。バターが無いからサラダ油で代用したんだけど、どう?」
「あの時は生徒会の役員全員に配ってたから俺のためってわけじゃなかったと思うけど。味は、言われてみれば懐かしい気もする」
「よかった」
望が千明からクッキーをもらったのは今年のバレンタイン。友チョコの一種とはいえ、片思いをしていた相手からのチョコクッキーだ。飛び上がりそうなくらい嬉しかったが、千明にそれを悟られないようポーカーフェイスの維持に苦労した。千尋のクッキーもおいしい。だが、あの時千明からもらった物と同じような喜びを感じる事はできなかった。望が見せたそんな一瞬の表情の変化に気がついたミウが、千尋の注意を引くためポンと手を叩いた。
「あー、そうだ。望君と千尋の二人にお願いしたい事があるの!」
千尋の視線は自然とミウに向かう。
「またアイドルの話? 私は無理だし、望は楽器を弾けない。誘うなら別の人にしたら?」
「メンバーは現在鋭意募集中! でもね、そもそもなんだけど、よく考えたらここには楽器がないの! 探し回ったんだけどラッパしかなかった」
「まあ、ここは自衛隊の基地だもんね。ギターとかドラムがある方がびっくり」
「アイドルといったら歌! 歌といったらバンド! でも、ラッパで歌うのはちょっと無理があるでしょ。ジャズバンドっぽいのならカッコいいけど、トランペットとも違うラッパだし。だから望君と千尋に楽器を手に入れて欲しいの。詳しくはここに書き出したから見てみて」
そう言ってミウが一枚の紙をテーブルの上に置いた。そこにはギター、ベース、ドラムス等といった欲しい楽器リストが書かれていた。しっかりメーカーまで指定されており、さらにスピーカーやマイク、各種ケーブル類、予備の弦、メトロノームなど楽器以外にも五十近い項目がある。かなり気合の入ったリストだ。
普段は二つ返事で調達の依頼を引き受ける望も流石に戸惑った。
「これは……欲張り過ぎじゃないか? いくら俺達が外から物を持ってこれるって言っても。ギターだって銃より大きいだろ? それにドラムスって……ポケットとか、せいぜいリュックに入る大きさじゃないと」
「そうだよ、ミウ。私達が行くのは普通のスーパー。こんな楽器、売ってないって」
「大丈夫だよ、ご両人。そこはミウちゃんがちゃーんと調べたから」
ミウが別の紙をポケットから取り出す。それは千葉県の地図でまだ調達隊が行っていない館山市の北側に赤いマジックで矢印がいくつか描かれていた。
「基地にあった電話帳で調べたの。ここの矢印マークがある場所に楽器屋さんがある。今度調達に行く時、近くを通ったらちょっと寄ってきてくれないかな」
「残念だけど、無理だと思う」
地図を見た千尋は否定的に首を捻った。
「これだけの楽器を持ってくるにはトラック一台が必要だよ? それにこの楽器屋さんの近くにスーパーがない。こんな大きく寄り道をする余裕は調達任務中にないと思う」
「そこをなんとか! 千尋だってまたギターを思いっきり弾きたいでしょ?」
「私は別に弾けなくてもいいけど」
「ああー、酸っぱいよ、千尋。ねえ、望君はどう思う?」
「俺も難しいと思う。外に出るのは命がけだし、調達は生活に必要な物が優先だ。リコーダーとか鍵盤ハーモニカならともかく、本格的にバンドをするための道具を集めるのは無理がある」
千尋と望の二人に否定されてもミウが引き下がることはなかった。
「難しいのは私もわかってる。でも、キャンプには希望が必要だと思うの! 歌は勇気を運んでこれるし、みんなを一つにできる。食料は大事。薬やガソリンも大事。でも歌だって大事なの。私を信じて力を貸して。きっとみんなを幸せにするから!」
根拠は何もなかったがミウの力強い言葉に望はつい説得されてしまった。
「……まあ、野瀬さんに相談するくらいならできると思うけど」
「本当!? ありがとう。私も和浦さん達に相談してみるから」
「いや、和浦さん、忙しいと思うよ? このキャンプのリーダーの一人だし」
和浦は元海上自衛官で広島からの避難してきたグループの中心的な人物だ。アイドル活動中にゾンビに襲われたミウを助けたのが和浦とその友人の陸上自衛官で、その三人組が各地を逃げ回りながら生存者を集め、最終的に広島で護衛艦「いずも」を手に入れて関東まで逃げてきたらしい。そのため、ミウは広島組の生存者に顔が利く。だからと言って楽器を回収するために調達隊を出す許可がでるとも思えなかったが。
「そっかー、そうだよね。じゃあ、いっそ私も調達隊に入ろうかしら。そうすれば楽器も選び放題だ!」
「……ミウには無理だと思うよ?」
「そうかなあ? これでも私、いずもに乗る前はゾンビと戦ってたんだよ。マイクをヌンチャクみたいにして」
「うん、でもそれは最後の手段にした方がいいわ」
カンフー映画のようなエアヌンチャク捌きを披露するミウと、呆れながらもノリに着いていく千尋。仲良さそうに話す二人を横目で見ながら望はプラスティックの湯呑みに入ったお茶を飲んだ。殺伐とした外の世界から基地に戻って、こうして親しい友人達の他愛のない日常を見るのが今の望の二番目の癒しだった。一番目はもちろん音葉との通話だ。
二人の少女はお喋りに夢中になっている。普段はガラスのような鋭さと危うさのある千尋だが、こうしている時は年相応の幼い少女の顔になる。保護者のような温かい目を向けていると、気がついた千尋が眉を潜める。
「何?」
「いやなんでもない。ちょっと新しいお茶もらってくるけど、いるかなって?」
「そう? じゃあお願い」
千尋が残っていたお茶を飲み干し湯飲みを望に渡す。
「私も、わたしも!」
ミウも賑やかに湯飲みを突き出してくる。
「了解。じゃあちょっと行ってくる」
望は三人分の湯飲みをトレーに載せ、カフェの入り口近くに置かれたお茶のサーバーに向かった。午後五時を過ぎたこともあり、仕事を終えた人々で賑わい始めている。既に食堂はオープンしており夕食が食べられるのだが、開店直後は混雑するのでカフェで時間を潰し少し遅れて行った方がゆっくりと食事ができるからだ。それなりに広いスペースなのでお茶のサーバーから千尋達の姿は見えなかった。
警備隊や整備隊の大人達に混じってお茶のサーバーの列に並んでいると後ろからポンポンと肩を叩かれた。振り向くと同年代の少女二人がいた。
「こんばんは、冠木君」
「月船さん、それに石清水さんも」
後ろにいたキャンプで暮らす二人の女子高生だった。月船美姫が高校二年生、石清水麻恵梨が高校一年生だった。キャンプにいる数少ない高校生組で、望が千尋とミウ以外で唯一友好的に会話ができる同年代の少女達だ。世間話をしたり、お菓子や化粧品を頼まれたりしている。
「冠木先輩は誰かと来てるんですね」
おっとりとしたお嬢様といった感じの麻恵梨が望のトレーを見ながら尋ねた。
「水島さんとちひ……西山と話してたんだ」
「冠木君は西山さんと仲良いんだね。あの子、私達とは全然なのに」
美姫が少し不満そうにする。
「ははは。西山は少し気難しい所があるから。でもいい奴だよ」
「そうかもだけどさ。無愛想なのよね。自分の事、あんまり話さないし。最初は一緒に洗濯係だったのに、いつの間にか調達隊に入ってるし」
千尋はキャンプに来た当初は塞ぎ込んでおり、同年代の少女との交流から距離を置いていたらしい。調達隊に入ってからは前よりも明るくなり他人とも積極的に交流するようになった。だがその相手は大人や小さな子供が多く、同年代の美姫や麻恵梨は含まれていない。以前理由を聞いてみたところ、ゾンビと命がけで戦っている千尋と、安全なキャンプの中で守られて暮らすだけの美姫達とでは話が合わないかららしい。
「そうだ冠木君、また一つお願いしてもいいかな」
美姫がやや上目遣いで体を寄せてくる。その豊かな胸の一部がトレーを持つ望の手に当たった。
「もちろん。取ってこれるものなら」
望は紳士的に美姫から距離を取ってから頷いた。極力、頼まれごとは下心抜きで引き受ける事にしている。キャンプの役に立つ事で自分がシェルターの存在を隠している事への後ろめたさが少し軽くなる気がしたからだ。それに、人から話を聞くには色々な人の信頼を高め、繋ぎを作っておいた方が都合がいい。実際、キャンプに避難してきた人が洗濯係に配属された後、美姫達に頼んで話を聞く機会を設けてもらった事がある。
「それで、何が欲しいんだ?」
「私達、リップクリームが欲しいの」
「いいけど、基地内の売店で配ってなかった?」
「地味な薬用のやつじゃなくて、可愛いのが欲しいの。ちょっとカラーの入ったやつ。私はベリー系の色が欲しい」
「私はローズ系がいいです。あと少しうるみ感のあるやつ」
月船と石清水のリクエストを聞いて望は困惑した。
「いまいち違いがわからないな。赤系って事だよな? 見つけたら取ってくるようにするけど、俺、そういうのに詳しくないぞ?」
「何種類か持って来てくれたら嬉しいな。いっぱいあれば女子で分けられるから」
「わかった。努力はしてみる」
「さすが冠木君! 頼りになる」
「冠木先輩、よろしくお願いします」
それから望は雑談をしながらお茶の順番を待ち、三人分を汲みなおすとトレーを持って千尋達のところに戻ろうとした。ふと、誰かからの敵意を感じ足を止める。視線を向けるとそこに同年代の少年が立っており、こちらを睨みつけていた。階段の近くにいるので二階から降りて来たところのようだ。石坂鷹斗という少年で、年齢は知らないが高校生で野球部に所属していたと聞く。がっしりとした体格と坊主頭が特徴で、キャンプでは警備隊に所属していた。たしかまだ銃の訓練は受けている途中で見張り要員だったはずだ。
少年は「けっ」っと吐き捨てるとわざわざ望のところにやって来た。
「お前さ、調子に乗ってんじゃねえぞ」
望より一回り大きい石坂に凄まれ、望はトレーを持ったまま苦笑した。
「どうしたんだよ、急に」
「ちょっと銃が使えるからってさ。いつも女を侍らせていい身分だよな」
どうやら美姫達と話していたのが気に入らなかったらしい。石坂と美姫達はキャンプ内で近いグループに所属しているので縄張り争いに引っ掛かったのかもしれない。
「別にそんなつもりはないけど」
「俺はお前がそうやって余裕ぶっているところが気に入らないんだよ」
「そう言われてもな……」
なぜ石坂が望に絡んでくるのか、本当に理由がわからなかった。
「だいたいお前はいつも水島と、」
「石坂君、何をしてるんだい」
また別の少年が現れる。今度は落ち着いた雰囲気でいかにも優等生といった感じだった。植木弘誠という十八歳の少年で、かつては都内の高校で生徒会長をしていたらしい。館山キャンプで暮らす高校生グループのリーダー格だ。ちなみに、望はグループとは行動を共にしていないのであまり親しくはない。
「なかなか戻ってこないと思ったらここにいたのか。冠木君と何かあったのかい?」
「……なんでもねえよ」
「じゃあ、罰ゲームのお茶汲み、頼むよ? みんな喉を乾かしているから」
「わかってる」
石坂は一度望を睨めつけた後、お茶の列に並んだ。その背中を植木がやれやれと見送り、それから望の方に向き直った。
「冠木君、僕達は二階でビリヤードをしてるんだけど君もどうだい? もしよかったら西山さんと水島さんも誘って」
水島という名前が出た時、お茶の列に並んでいる石坂がピクッと反応する。
「ありがとうございます。植木先輩。でも、俺と西山はこれから野瀬隊のみんなと夕食に行くので今回は遠慮します。水島さんには声をかけておきます」
「そうか。君に参加してもらえないのは残念だよ」
植木は大して残念そうでもなく言った。
「機会があったらぜひ君も一緒に」
「考えておきます」
「よろしく。そうだ。そういえば、冠木君は頼めば調達をしてくれると聞いたけど本当かな? それなら僕からも頼みたい事があるんだけどいいかな?」
「……いいですよ」
望は基本的に頼まれれば断らないようにしていたのでこの引き受ける事にする。ミウのように突拍子もない事を言い出さない限り力になりたいとは思っていた。キャンプで暮らす人々の娯楽や希望になるのなら命を賭ける価値もあるだろう。
「ありがとう冠木君! 頼みたいものは……」
そこで植木が少し口籠った。
「実は、折り紙を、手に入れて欲しいんだ」
「折り紙ですか。あの鶴とか兜を折る紙ですよね。小さい子供用ですか?」
「それもある。でも僕の目的は千羽鶴をみんなで折ることさ。世の中が早く良くなる事を願ってね」
会心の策を君主に進言した軍師のように誇らしく、植木が言った。
「千羽鶴ですか」
「不思議そうな顔をしているね。無駄だと思うかい?」
「……どうでしょう。千羽鶴でお腹は膨れませんしゾンビも倒せません」
「冠木君、何事も前向きに考えた方がいい。僕の従姉はソフトボールをやっていてね。高校三年の最後の大会に臨んだんだが雨が降りそうだったんだ。そこで従姉達は全員でてるてる坊主を作った。その数、実に千体。写真を見せてもらったけど壮観だったよ」
「はあ」
「結局、天気は雨。試合は延期されててるてる坊主は効果がなかったとみんなが思った。でも、従姉達は延期された試合を快勝、準決勝まで進んだんだ、試合を見ていた監督は、コンビネーションが格段に良くなってるって言ったらしい。でも特別な練習はしていなかった。理由をかんげて、最終的に千体のてるてる坊主のエピソードにたどり着いたんだ」
「……はあ、そうですか」
「つまりだ、一見無駄に思える事も何かの役に立つってことさ。僕は千羽鶴をみんなで折る事でチームワークが強化されると信じている。是非、君にも参加してもらいたいな」
「……時間があれば。折り紙、見かけたら取ってきます」
「ありがとう。助かるよ」
鶴を何万羽折ったところでゾンビはいなくならないし、火山灰が晴れる事もない。そんな暇があるなら銃の扱い方でも訓練すればいいのに、そう望は思ったが口には出さなかった。キャンプで暮らしていくには住人と良好な関係を築く必要がある。そこには当然植木達も含まれているのだから。とはいえ長々と話す理由も気分も無かったので、望は「それじゃあ」と言って千尋達のところに戻ろうとした。その時、一人の男が望の名前を呼んだ。
「冠木望君! いないか? 冠木望君、おお、ここにいたか」
それは迷彩服を着た二十代くらいの男性だった。見覚えはあったが名前がぱっと出てこない。
「なんですか? ええとあなたは?」
「自分は陸自の広田だ。野瀬さんが冠木君を幹部会議に呼んでいる。悪いが今から本部棟に来てくれないか」
「俺が? 今からですか?」
「ああ。議論がまとまらなくて、野瀬さんが君の意見を聞きたいと言っている」
幹部会議はキャンプのリーダーが集まり今後の方針を決める会議だ。「いずも」の艦長や生き残った国会議員、医者、警官などで構成されている。一介の調達隊員でしかない望はあまり関わる機会が無く、リーダー達と話した事もほとんどない。
「急かしてすまない。だが、悪いが今すぐ来てくれないか?」
望を呼びにきたという広田は少し急いでいるようだった。走ったからか息を切らせているし、一刻も早く戻りたそうな様子だ。
「俺、こんな格好ですけどいいですか?」
望は風呂上りの「Danger Shark」と書かれたサメのパーカーのままだった。広田は一瞬困惑したがすぐに「問題ない」と言った。
「わかりました。このお茶を友達に届けてからでいいですか?」
「できればすぐにきて欲しいんだ。誰かに頼めないか?」
「ええと……」
望が周囲を見渡すと、なぜか石坂が列から出て来た。目を合わせたいのか反らせたいのかわからない挙動不審な様子で望の前に立つ。
「水島の所だろ? 俺が行ってやるよ」
「え? 石坂君が?」
先ほどまで望を睨めつけていた石坂が何故と思ったが、手伝ってくれるというなら断る理由は無い。
「じゃあ、頼めるなら、よろしく。西山にも俺が野瀬さんに呼ばれたって言っておいて」
「おう」
石坂は無愛想にトレーを受け取ると、少し緊張した面持ちで千尋達がいるテーブルの方に歩いて行った。望は少し首を傾げながらも広田と一緒に本部棟に向かう。
「君を探しに寮や食堂に行ってか、最後にカフェについたんだ。予定よりも時間を使ってしまった。悪いけど急ぎで頼む」
「わかりました」
風呂上りで汗をかくのは嫌だったが、望は広田に従って駆け足で本部棟に向かう。妙に急いでいる広田の様子を見て、ある危惧が頭を横切る。
(まさか、俺の正体がバレたなんて事はないよな)
広田は相談と言っていたが、一介の戦闘員で高校生の望に聞くような事があるのか疑問だった。多少銃が使えるとはいえ、キャンプの中ではミウや植木の方が影響力がある。一方で望には隠している事がある。成田シェルターから来た事は誰にも言っていない。安全なシェルターの存在、ワクチンとゾンビウイルスの事、火山灰と寒冷化の事、もしそれらがキャンプの人間に知られたら質問責めを食らうだけでは済まないだろう。最悪、裏切り者として殺されるかもしれない。
(万が一の時はここから逃げ出さないとか……)
望は護身用の拳銃を部屋に置いて来た事を後悔したが既に手遅れだ。駆け足と緊張で妙な汗をかきながら本部棟の建物に入った。
・2020年10月13日 全体を修正&改定
・2020年11月9日 63話と64話が重複していたので64話を削除(ご指摘いただいた方、ありがとうございました!)




