館山キャンプ・生存者達(1)
食糧調達を終えた野瀬隊は館山キャンプへの帰路についた。調達隊を構成する五台の車が人気のない館山の街をゆっくりと進む。先頭は野瀬が運転する青い乗用車。助手席には望が、後部座席には千尋が座りそれぞれ周囲に目を光らせる。その後ろに回収班と物資を載せた三台のトラックが続き、最後尾に戦闘員の興津と大橋が乗る車がやはり周囲を警戒しながら殿を務める。車列は十キロほどの距離を一時間以上かけて進み館山キャンプに到着する。
キャンプの拠点となっているかつての海上自衛隊館山基地は、その外周をぐるりと工事現場の仮囲いに使われる金属パネルで覆われ、さらに鉄パイプや鉄板、脚立を組み合わせて作った即席の見張り台が立ち並んでいる。見張り台には警備隊の隊員がおり、双眼鏡で周囲を監視していた。
車列が基地の正門に到着する。館山基地への入り口は二重になっていた。元々あった基地の正門と、その前に設置された土嚢や可動式の侵入防止柵で作られたバリケードだ。正門左側には守衛室の入った建物、右側には機関銃を据え付けたしっかりとした作りの見張り台もある。野瀬隊の車列が近づくと、見張り台にいた自衛官が大きく手を振る。野瀬が応えて車の窓を開けて手を出すと、それを合図にバリケードと門が開いた。五台の車は門を抜けると守衛室の入った建物の裏側に周り、そこで全車が停止する。隊長の野瀬が無線機で指示を出すと、調達隊の全員が車外に降りた。そこに、守衛室の建物から出てきた警備隊員が合流する。人数は合計で五人。警備隊員の一人は陸上自衛官で、他の四人は避難民から採用された大人達だった。それぞれ、手には銃を持っている。万が一、調達隊に感染者がいた場合はここで対処するためだ。さらに五人に遅れて白衣を着た女性も建物から出てきた。
「みなさん、お疲れ様です」
警備隊員の一人、陸上自衛隊の宇佐士長が笑顔で野瀬に挨拶をする。まだ若い隊員で、護衛艦「いずも」に乗って広島から逃れてきた生存者の一人だ。いつもは朗らかな彼だが今は表情が冴えない。
「何かあったのか?」
野瀬が尋ねると宇佐は表情をさらに曇らせた。
「さっき大原さん達が帰ってきたんですが、犠牲者が出たんです」
「何人だ?」
「三人戻りませんでした」
「一度に三人もか」
調達隊が結成された当初は毎日のように犠牲者が出ていたが、最近は出ない日の方が多かったのでショックなニュースだった。
「誰がやられた?」
「北畠さん、三島さん、それに安藤さんという女性です」
「北畠さん? 確か奥さんもキャンプにいたよな?」
「はい。さっき大原さんが報告に行きました」
「やるせねえな……。何があった? 大群に襲われたのか? それとも赤目の奴か?」
「変わったゾンビがいたとか。笑うゾンビらしいです。ひとりでぼんやりと突っ立っていて、人間が近づくと突然笑い出し、その声に連れられて大量のゾンビが集まって来たそうです。そのゾンビはすぐに撃ち殺されたんですが、気がついた時にはもう包囲されていたそうです」
「仲間を呼ぶゾンビか。やっかいだな。見た目に何か特徴はあるのか?」
「私は詳細は聞いていないのでわかりません。後で報告書が回ると思います。野瀬さんのところは全員無事のようですね」
「ああ。危ない場面はあったがなんとかな。とりあえず検査を始めてもらっていいか?」
「了解です。小笠原さん、お願いします」
宇佐に呼ばれ、やや遠巻きに野瀬隊を監視していた警備隊の中から白衣を着た女性がやってきた。年齢は二十代前半で以前は長かった髪をバッサリと切り、手には野瀬隊の名簿を挟んだクリップボードを持っている。
「野瀬さん、お疲れ様でした」
小笠原が野瀬にペコリと頭を下げる。彼女は館山基地に来る前の野瀬隊のメンバーの一人だった。元々看護学校生だったこともあり、今はキャンプの衛生隊の看護師見習いとして働いている。基地の外に出た人間は帰ってきたら必ず看護師や医師のメディカルチェックを受ける必要があった。感染者をキャンプ内に入れないためだ。今日は小笠原が当番だったようだ。宇佐同様、彼女の顔にも疲労が見られる。
「おう、そっちもお疲れだな。大丈夫か?」
「慣れませんね。人が帰って来ないのは。もう何度も見てきたはずなのに……。私、安藤さんとは何度か話した事があったんです。映画が好きな方で、もう一度大きなスクリーンで見たいって言ってました。調達隊にも映画のDVDを探すために志願したって」
「そうか……。まったく嫌な世の中だぜ」
そこで二人の会話が止まる。小笠原は何かを言おうとして、野瀬隊のメンバーを待たせている事に気がつく。
「あ、ごめんなさい。皆さんを立たせっぱなしでした。これから検査をしますね。まず野瀬さんに確認をさせてもらいます。隊員にゾンビに噛まれた方はいませんね?」
「ああ。大丈夫だ」
「よかったです」
心の底から、小笠原が言った。
それから小笠原は野瀬やサブリーダーの波多野といくつかの確認事項を済ませると、調達隊のメンバーそれぞれの体をチェックし始めた。といっても、望が成田シェルターで行ったような精密な医療検査があるわけではなく、目視でゾンビに噛まれていないか見るだけだ。横一列に並んだ調達隊員の列を小笠原がさっと往復して前と後を見て、だれも噛まれていないことを確認する。
「はい。検査終わりました。みなさんありがとうございます。宇佐士長、第五調達隊の隊員十五名、検査完了しました」
「ごくろうさまです」
小笠原が宇佐に形式的に報告し、入場検査は終わりだ。小笠原は野瀬達にぺこりと頭を下げると、健康チェックの結果を記入した紙を持って衛生班のある建物に向かった。それを見送った波多野は回収班にトラックに乗るように指示を出す。
「みなさん、もう一仕事です。素早く荷下ろしをしてしまいましょう。それじゃあ野瀬さん、私達は倉庫に荷物を届けてきます」
「おう、夕食の時にな」
サブリーダーの波多野に率いられた三台のトラックは食料を保管する倉庫に向かった。倉庫はかつてのヘリコプターの格納庫を改修したもので、基地や近くのホームセンターから集めたラックがずらりと並べられ、キャンプで暮らす数百人が消費する食料や日用品が保管されている。
トラックを見送った戦闘班は、他の警備隊員と別れ、宇佐と一緒に駐車場の隅にある安全確認区域に向かう。そこには土嚢を積んで作った小さな部屋があり、中には大きな缶が置かれていた。望や千尋は自分の自動小銃や拳銃から弾丸を抜くと、宇佐の前で缶に向かって引き金を引く。カチッと乾いた音が鳴り、銃の中に弾丸が入っていない事を宇佐が確認する。全員分の作業が終わると宇佐は「お疲れ様でした」と言って守衛室に戻って行った。
武器の安全確認が終わった後、野瀬、興津、大橋、望、千尋の五人の戦闘員は車を基地の駐車場に移動させ、そこから徒歩で武器係がある建物に向かう。武器係は基地全体の武器を管理する部署で、望達戦闘員はキャンプの外に出る前にここで銃を受け取り、帰ってきたら預ける決まりになっていた。今日使用した弾丸の数の申請をしたあと、一人ずつ係に銃を預ける。銃はシリアル番号で管理されているので、常に同じ物を使うことができる。望は西山の形見である回転式拳銃には思い入れがあったので特別に大切にしていた。武器を返したら戦闘班の仕事はほとんど終わりだ。
「じゃあ俺はこれから本部に報告に行く」
野瀬が面倒臭そうに言うと、興津が「毎度お疲れ様です」と返した。
「まあ、大原さんとこに比べりゃ屁でもないがね。部下を失った報告なんてしたくねえや」
「俺達も野瀬さんにそんな事はさせたくないですよ。それじゃあ、俺と大橋はガソリンを入れておきます」
「おう、頼む」
野瀬が興津に青い乗用車の鍵を渡す。
「あの、なら俺も行きましょうか?」
望の言葉に興津が首を横に振った。
「今日ゾンビを倒したのは殆ど冠木君と西山さんだ。 君達は十分に働いたんだから今日はもう休んでいいよ」
「そうですか? でも俺達だけ終わりっていうのもどうかと」
「気にする事はないさ。俺らよりもドライバーの窪蔵さんの方がたくさんゾンビを倒してるんだ。俺と大橋は戦闘班なのに肩身が狭いんだよ。だからせめて給油くらいはやらないと晩ご飯が美味しく無いのさ。君達は空いてる内に風呂にでも入っててよ。あ、今なら混浴でもいけるかもしれないね? 西山さんに背中でも流してもらったらどうだい?」
「ちょっと、興津さん!?」
「はははっ、冗談だよ。それじゃあ、お二人さんに野瀬さん、また夕食の時に」
興津は車の鍵を指に引っ掛けてくるくると回しながら大橋と駐車場に戻っていった。
「まったく。興津は口が悪りいな」
「野瀬さんが言います?」
千尋に真顔で言われ野瀬が苦笑いをする。
「俺のはキャラ作りだ。少し荒っぽい方が行儀の悪いガキが授業に集中したからな。その時の癖がなかなか抜けねえ……。やれやれ、早く調達隊なんてやめて塾講師に戻りたいぜ……。じゃあ俺は本部に行く。また後でな」
「はい。お疲れ様でした」
野瀬を見送り二人っきりになると千尋がじっと望の方を見つめてきた。
「ん?」
「望は私とお風呂に入りたいの?」
「千尋まで! いきなり何を言うんだよ」
「私は別に構わないけど」
「冗談でもそういう事はやめよう。前にも言ったろ? 俺には心に決めた相手がいるんだ」
「……知ってる。奥山さんでしょ? 野瀬さん達から聞いた」
千尋は冷ややかな視線を望に向ける。
「ちょっと不公平だと思わない? お姉ちゃんも奥山さんも、二人とも亡くなってるのに。どうしてお姉ちゃんじゃなくて奥山さんなの?」
「……西山の事も大切には思ってるよ」
千尋の気持ちを考えれば無理もない反応だ。姉の千明が最後に想い、遺書まで残した相手が別の女の思い出に生きているのだから当然だ。実際には音葉はまだ生きているのだが、それを言えないのがややこしい。
千尋はじっと望を睨んだ後、大袈裟に「はあ」っとため息をついてから表情を緩め、腕にはまった水色の腕時計を軽く撫でる。かつて姉の千明が身につけていたもので、望が形見として渡した物だ。
「まあいいわ。望、彼女が欲しくなったらいつでも言って。私がお姉ちゃんの代わりになるから」
そう言うと千尋はくるりと望に背を向けるポニーテールを揺らしながら女子寮の方に向かって行った。その後ろ姿はやはり姉の千明によく似ていた。だが別人だ。
「なんだかなあ」
望は情けない声を出しながらがっくりと肩の力を落とした。




