館山キャンプ・調達任務(2)
園芸店の一階に降りた望は体当たりの勢いでドアを開け外に出た。道路を挟んだ向かいにあるスーパーの裏手で回収班がゾンビと戦っている。強力な銃器を持つサブリーダーの波多野、戦闘員の大橋、トラック運転手の窪蔵の三人を中心に戦闘が繰り広げられており、地面には既に多数のゾンビが倒れていた。他の回収班員は三人の横で回転式拳銃やバット、バールなどを構えてゾンビの接近に備えている。
ゾンビはトラックをつけているスーパーの搬入口から出て来ていた。外にでた瞬間に撃とうとすると物資の回収に必要なトラックに被害が及んでしまう。そのため回収班はゾンビがトラックから離れてから攻撃せざるを得ず、近距離での戦いを強いられていた。
波多野が拳銃で一体のゾンビを倒す。しかしそこで弾切れ。波多野は急いで弾倉を交換しようとする。その横で窪蔵が猟銃を撃つ。弾丸はゾンビの胴体に命中するが致命傷にはならない。窪蔵も急いで次の弾丸を装填しようとするが、銃を持った二人が抜けた事で守りに綻びが生じた。ゾンビは残り四体。その内の一体がバットを持って震えている回収班の男に近づいていた。
(あれは、まずい!)
望はスーパーの敷地に入った所で足を止め、小銃に外付けした照準器を覗き込んだ。現れた赤い小さなドットを回収員に近づくゾンビの頭部に合わせ引き金を二度引く。頭部から白い液体が飛び散り、ゾンビの身体はぐらりと揺れ崩れ落ちた。その近くにいたゾンビの胴体に大橋が自動拳銃の弾丸を命中させる。ゾンビは後ろに大きくのけぞるがまだ倒れない。そのゾンビが頭を戻した瞬間、望が小銃の引き金を引く。狙いはやや外れ、鼻の辺りに命中した。それでもゾンビは後ろに吹っ飛び、そのまま動かなくなる。他にも銃声が何度が響き、残ったゾンビを波多野と窪蔵が倒していた。これで見える範囲に動いているゾンビはいない。
望は回収班全員の顔を確認した。ぱっと見た所、怯えたり青ざめたりする者はいても怪我人はいなさそうだ。だが西山千尋の姿はない。
「冠木君! 西山さんがまだお店の中にいる!」
望を見つけた波多野が銃を下ろしながら叫んだ。
「まったく! 俺が迎えに行きます」
「気をつけて。多分十体くらいは西山さんが連れて行った。スーパーの正面はシャッターが下りてるからそこのトラックの横から倉庫に」
「わかりました。行って来ます」
望はすぐにスーパーに向かって駆け出した。
トラックの脇を通り倉庫に入る。回収班が慌てて逃げ出したからか、倉庫の中は混沌としていた。そこら中に段ボールが落ち、逃げる時に投げつけたのか梱包用のカッターやガムテープが床に落ちていた。周囲を警戒しながら早足で進むと、破損した缶詰の箱からツナ缶が溢れていた。近くにはまだ動いているゾンビもいる。缶詰を踏んだゾンビが転倒し、棚に頭から突っ込んで抜けなくなったらしい。望は無表情で銃を構え、手をバタバタさせているゾンビの後頭部に銃弾を打ち込んだ。ゾンビが静かになるのとほぼ同時に、望に呼応するように店の方から二発の銃声が聞こえた。
「千尋!」
望は小銃を背中に背負い、武器をSAKURA 360J回転式拳銃に持ち変える。望の腕前では重量があり反動の大きな小銃を動きながら撃つ事はできない。だが拳銃なら、走りながらでも目標にある程度命中させる自信があった。全力疾走で店内に飛び込むとそこはパンコーナーだった。千尋が倒したのか数体のゾンビが倒れている。一体は特売品コーナーのカートの下敷きに、他の二体は床に落ちた腐ったパンの山の上に折り重なるように倒れていた。いずれもしっかりと頭部を撃ち抜かれている。さらにゾンビの死体の横には真鍮色をした弾丸が詰まった細長いペンケースのような物が落ちていた。拳銃の弾倉だ。千尋はここで銃弾を撃ち尽くし、弾倉を交換しようとして失敗したらしい。望はパンコーナーを抜け、走りながら周囲を見渡す。店内のあちらこちらにゾンビの死体があった。千尋は店内を逃げ回りながら一体づつ数を減らしていったらしい。
「千尋! どこだ」
望が叫ぶと店の奥からキャスターが床を滑る音がした。すぐに何かにぶつかりジャンと音がする。
「望、こっち! この、近づくかないで!」
少女が叫んでいる。千尋の声だ。望は百メートルを走るペースで声がした方に駆けた。コーヒーコーナー、アルコールコーナーを抜け、会計コーナーに入る。周囲にはレジや袋詰めをするサッカー台、そして店の出入口があった。その出入口の近くで一人の少女が三体のゾンビに囲まれている。いずれも成人男性のゾンビだ。少女はショッピングカートを使ってゾンビを近づかせないようにしていたが、三対一のため徐々に隅に追い詰められていた。その後ろには自動ドア。電気の通っていないドアはガラスの壁となって少女の退路を塞いでいる。
望は走りながら大声で叫んだ。
「頭を下げろ!」
千尋ははっと顔を上げ望の接近を確認すると、近くのゾンビに力一杯カートをぶつけ怯ませ、その場に屈んだ。同時に望は回転式拳銃の引き金を引く。こちらは自衛隊の八九式小銃と違って警察用の武器なので殺傷能力は低い。正確に頭部に命中させても頭蓋骨に負けてゾンビを止められない事もある。望は二体のゾンビに二発ずつ、最後のゾンビ一に発、発砲した。弾丸は全てゾンビの頭部に命中する。二体のゾンビはそのまま床に倒れた。だが、銃弾を一発しか撃ち込まなかった最後の一体だけはまだ立っている。頭をぐらぐらさせ目の上にぽっかりと空いた穴から灰色の液体を流しながらも、その手を足下でうずくまる千尋に伸ばす。
「触らないでって!」
千尋は床に膝を着いたまま腰からナイフを抜き、ゾンビの眼球部分を狙って力一杯突き上げた。少女の非力な一撃ではあったが、千尋に覆いかぶさろうとしたゾンビ自身の勢いもあり、ナイフは眼球とその先の脳を貫く。ゾンビは目と口を大きく開いたまま動きを止めた。戦いは終わった。だがゾンビだった死体がそのまま千尋に倒れかかる。十五歳の少女にはナイフ一本で成人男性の死体を支えるのは難しく。そのまま押し潰されそうになる。それを望が止めた。
望はゾンビの肩を掴むと後ろに引っ張った。膝立ちの千尋が握りしめていたナイフからゾンビの頭部が抜ける。望はゾンビの死体を千尋から少し離すと、既に倒れていた他のゾンビの横にゆっくりと寝かせた。それから望はまだ膝を着いたままの千尋の腕を強引に引いて立たせた。
「望、少し痛い」
腕を強引に引かれた千尋が望を睨みつけた。望は一瞬だけ怯む。恐ろしかったとか眼力があるとかではない。その目と顔が、かつて望が好きだった少女そっくりだったからだ。
「……怪我は無いか? どこも噛まれていないな?」
「そんなヘマはしない」
望は手を離すとつま先から頭のポニーテールまで千尋の体を確認する。見た所、怪我は無いようだ。
「その場でくるっと回って。背中を見せて」
「大丈夫だって言ってるのに」
文句を言いつつ、千尋は素直に両腕を広げて一回転した。首の裏、腕や手、背中足、どこにも噛まれた跡は無い。それを確認し望はほっと息をついた。ショルダーバッグには念のためワクチンを入れてあるが、確実に効くとは限らないし、助かっても望は館山キャンプにいられなくなる。ワクチンや成田シェルターの存在を外部に知られるわけにはいかない。
「ね? 平気だったでしょう。私だって実践は三回目。今日だって九体倒したんだから」
「……ゾンビとの戦いはスポーツじゃないんだ。スコアを競ってるわけじゃない」
「でも、野瀬隊なら望が一番、次が私なのは事実でしょ」
「……そうだけどさ、また無茶をして。どうして一人で囮になったんだ?」
「荷物で隠された大きな冷蔵庫の中にゾンビが二十以上いた。一気に外に出たら外にいる人達を守り切れないと思ったから私が半分連れて店に入ったの。外の人達に被害はあった?」
「……なかったよ。ゾンビは波多野さん達で倒した。危ない場面もあったけどな」
「なら私の判断は正しかったってことでしょ」
「それは、そうだけど」
実際、千尋の取った行動はベストではなくともベターではあった。外に出て来たゾンビは十体前後。もし倍の数だったらおそらく望が到着する前に数人の犠牲者が出ていただろう。千尋の咄嗟の行動でだれも傷つかなかったのだから褒めてもいいところだ。だが望は千尋が戦闘で活躍する事を素直に喜べなかった。
「頼むから無茶はしないでくれ。君に何かあったら俺は西山に顔向けできない」
「私だって、やり過ぎだったとは思ってる。いまさら手が震えてきたし」
千尋は顔を逸らしながら左手で望の服の袖を掴んだ。その手は目でもわかるくらい酷く震えている。
「ゾンビが怖いんじゃない。ただ……あんなに間近で顔を見たのは、初めてだったから」
「ナイフでゾンビを倒したのも初めてか?」
千尋は無言で頷く。
「まったく。無理はしなくていいんだ。君はお姉さんとは違うんだから」
「それもわかってる。でも私はできることはやりたいの。怪我をして泣いてる私を守るためお姉ちゃんは死んだ。もうあんな思いは嫌」
望は千尋の肩を軽く叩いた。
「今のままでも千尋は十分みんなの役に立ってるよ。焦らなくてもいいさ」
「ありがとう……あれ、足も震えてきた。十対一は、流石に怖かったな」
一度決めたらリスクを考えず突撃する、千尋の姉はそんな性格をしていた。千尋はそれを真似ているようだが、自然に振る舞うと結果的にそうなっていた姉と違い千尋の場合は意識してリスクや恐怖心を殺しているようだ。その分、終わった後の精神的な反動が大きい。前回の調達でも勇敢にゾンビと戦った後、車の影に蹲って泣いていたのを望は知っている。
「まったく……」
望は成田シェルターにいる妻の音葉に心の中で謝りながら、千尋の背中に手を回した。
サッカー台に座った千尋が息を整えていると、望の無線機が鳴った。
『冠木、二人も共無事か?』
「野瀬さん、はい大丈夫です。千尋も俺も噛まれていません」
『そいつあ良かった。ほっとしたぜ。ゾンビは?』
「全部倒しました」
『よし、こっちはゾンビの死体を片付けてから回収の続きをする。お前らも早めに合流してくれ』
「わかりました。これから外に出ます」
通信を切った後、改めてスーパーの中を見渡す。戦いでアドレナリンが出ていて気がつかなかったが、屋内には嫌な匂いが充満していた。長い間、締め切られた店内では陳列されていた肉や魚などが強烈な腐臭を発していた。さらに耳をすませば大量の蝿が飛び交う音すら聞こえる。
「早いとこここから出たいな。千尋、大丈夫か?」
「ありがとう。もう落ち着いたから」
そう言うと、千尋はサッカー台から降りるとしっかりとした足取りで立った。
「外に行く前に銃を回収させて」
「武器を落としたのか?」
「弾が無くなったから投げつけたの。私は望と違って一発必中ってわけにはいかないから。六体くらい倒したらそれで弾切れよ」
千尋は合計で四十五発の弾丸を持っていた。銃に入った九発と弾倉が四つ。その一つは交換に失敗して床に落ちていたので三十六発を使っている。最初にスーパーに到着した時の戦闘と合わせると、千尋一人で八体ほど倒している。一体当たり五発以下。兵士になりたての少女の戦果としては十二分だ。だがそれが返って望の心を重くする。
「……キャンプに帰ったらしっかり整備しろよ」
「わかってる」
なまじ戦えてしまうから千尋はどんどん危険に飛び込んでいく。今の望は成田シェルターの人間としての身分を隠しながら父親の行方を追っているところだった。だが、その任務よりも千尋の事で気を揉む事が多い。かつての恋人の妹を守りたいのだが、彼女は自分から進んで身を危険に晒している。今回だって望がいなければどうなっていたか。これではもし父親の行方が分かってもキャンプを離れられない。
(いっそキャンプでじっとしていてくれればどれだけ楽か)
パンコーナーで弾倉を拾った千尋が慣れた手つきで拳銃に装填するのを見ながら、望は深くため息をついた。




