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館山キャンプ・調達任務(1)

 富士山が噴火し、日本が死の列島となってから二ヶ月余りが過ぎた。かつて一億二千万人以上いた人口の九割以上が動く死者となり、わずかに生き残った人々は飢えや恐怖と戦いながら、堅牢な博物館や刑務所、高層ビルの上層階、郊外の農場などに逃れキャンプを形成していた。その中の一つに、千葉県南部にある館山基地を拠点にする館山キャンプがある。海に囲まれた守りやすい地形に加え、広島から逃れて来た護衛艦「いずも」と数十名の自衛官のおかげで館山キャンプは十分な自衛力を備えていた。ラジオを使って積極的に避難民を呼び寄せた事もあり、キャンプの人口は十月時点で四百名を超えていた。しかし、日々増加する生存者の数に対して基地に備蓄された食料は不十分で、これから訪れる長い冬を超える為、キャンプからは毎日のように食料調達の部隊が外に派遣されていた。


 館山基地から東に十キロほど離れた場所に複数の店舗が集まった地区がある。スーパーマーケットのある交差点を中心に、周辺に園芸店、コンビニ、ガソリンスタンド、飲食店などが建ち並び小さなショッピングセンターのようになっていた。

スーパーマーケットの隣に位置する園芸店に一人の少年がいた。カーゴパンツに厚手のミリタリージャケットを羽織り、予備の弾倉や救急キットを入れたショルダーバッグを肩から下げている。腰には大型のサバイバルナイフと回転式拳銃のホルスター、黒いGショックを身につけた手には愛用の八九式小銃が窓から差し込む光を受けて鈍く光っている。館山キャンプから出て来た調達隊の戦闘員、冠木望かぶらきのぞむだ。

 一階から二階に上がったばかりの望は一本しか無い廊下を見渡しゾンビがいない事を確認する。


「二階、大丈夫そうです」


 一階にいる仲間に声をかけた望は彼らが上がって来る間に近くの窓から道路向かいにあるスーパーの裏手を見た。そこでは仲間の調達隊がトラックを横付けし、店内から食料品を運び出している。十名ほどの男女が缶詰や乾麺、コメなど保存の効く食料を、店の倉庫から持ち出しトラックの荷台に積んでいる。それを見守るように、銃を持った二人の人物がいる。一人は小太りな三十代の男性、もう一人は髪をポニーテールにした十代半ばの少女だ。望の視線はその少女の所でピタリと止まる。彼女の名前は西山千尋にしやまちひろ。かつて望の恋人だった西山千明にしやまちあきの妹だ。


「西山が心配か?」


 階段を登って来た男が望に尋ねた。三十歳前後で、ラクビー選手のように大柄な肉体に無精髭を生やし、色落ちした金髪にレミントンの散弾銃とぱっと見は強盗のように見える。だが、彼がこの調達隊のリーダーだ。名前は野瀬憲孝のせのりたか。望とは館山キャンプ以前の知り合いだ。


「あいつは頑張り過ぎなんですよ。さっきだって勝手に前に出て」

「あれは少し危なかったな。だが、二体倒した。あの年で大したもんじゃねえか」

「千尋はまだ十五歳ですよ? 中学生の女の子まで銃で戦う必要はないと思います」

「……そうだな。だが人手が足りねえのは事実だ。戦えるなら高校生だろうが中学生だろうが戦ってもらわねえと。悔しいが西山は俺よりも戦いに向いてやがる。ゾンビから三メートルの距離で正確に銃を撃てるなんて並の度胸じゃないぜ」


 ゾンビとの戦闘では距離をとる事が大切だ。一度でも噛まれればウイルスに感染してしまうので、できるだけ遠距離から仕留めるのが好ましい。一方、ゾンビを倒すには正確に頭部を破壊する必要があり、銃の扱いに慣れていない生存者にとってはかなり高いハードルだった。安全のため距離を取れば撃っても当たらず、命中率を上げるために近づけばゾンビに噛まれる可能性が高まる。ゾンビに噛まれる恐怖を押さえながら至近距離から正確に銃を撃てる民間人はキャンプの中にはわずかしかいない。野瀬が率いる調達隊でそれができるのは、望と千尋の子供二人だけだった。


「まあ、しばらくは西山がゾンビと戦う事はねえさ。この辺の店の物資を全部回収するにはあと何日もかかる。その間はああやって回収班の護衛をしてもらうさ」


 調達隊は強力な銃器を装備した戦闘班と物資の回収を行う回収班の二班で構成されている。今回の野瀬隊の目的はスーパーに残っている食糧の回収だった。通常、食料調達は一つの店舗に対して何日もかけて行われる。初日に店内や周辺のゾンビを排除し、それから数日かけて使えそうな物を館山キャンプまで運ぶ。ここのスーパーで調達をするのは今日が初めてで、戦闘班の望達はトラックが到着する前に店内のゾンビと戦っていた。普通、食料のあるスーパーには逃げ込んでゾンビ化した人やそれを追って来たゾンビなどが二、三十体はいることが多いがこの店舗ではわずか八体だった。望を先頭にした野瀬隊の戦闘班五名は難なく八体のゾンビを排除した。


「西山さん、若手のいい刺激になってるって聞きますよ」


 野瀬の後ろから階段を登って来た細身の男が笑いながら言った。その手には自衛隊の九ミリ拳銃が握られ、背中にカメラバッグを背負っている。調達隊の戦闘員兼記録係の興津直樹こうづなおきだ。


「最近、キャンプにいる高校生が熱心に働いてくれるのは冠木君や西山さんのおかげだって聞きましたよ」

「興津さん……。頑張るのはいいんです。でも、あいつは勇気と無謀を勘違いしてるんですよ。今回だって、俺に任せておけばいいのに勝手に隊列を崩して」

「わかるよ。だから野瀬さんも園芸店の捜索から外してスーパーに居残りさせたんだろ?」

「すげえ不満そうだったけどな」


そう言って野瀬も笑った。スーパーのゾンビを一掃し、トラックの回収班と合流した野瀬達は手の空いた戦闘班で近くの店舗を捜索する事にした。外にゾンビはいなかったが、中には残っている可能性がある。千尋は当然のように捜索に志願したが、野瀬の命令で回収班の護衛に回された。その時の彼女の顔と態度を思い出し望も苦笑いをする。


「年上の俺にも自分の意見をしっかり言えるのはいい事だぜ。西山は将来、大物になる」

「俺は、千尋が無事でいてくれればいいんです」

「ならさっさと終わらせて戻ろうぜ。あとはこの二階だけだ」

「そうですね。ぱっと見、ゾンビはいなさそうですが……」


望は表情を引き締め、廊下の先を見る。園芸店の二階は小さな物置とオフィスが二部屋あるだけだった。物置の扉は開けっぱなしで中に人気は無く、ガラス張りのオフィスも見た感じゾンビはいない。


「ゾンビがいるとしたら奥の部屋ですね」


 望は先頭に立ち、灰と埃がうっすらと積もった廊下をゆっくり進んだ。元々は倉庫だった建物を改修したらしく、足を下ろす度に薄い床が軋んだ。空は火山灰の層で覆われているが、まだ昼間なので窓から差し込む光でも十分に周囲を見渡す事ができる。視界は悪く無い。土とカビの匂いはするが、ゾンビ特有の腐ったチーズのような臭いは無い。

 望は廊下の突き当たりに辿り着く。扉には店長室のプレートがかけられていた。耳を澄ませると扉の向こうから何かが動く音が聞こえる。足音のようだ。


「この先、何かいます」

「数は多そうか?」


 後ろから続いて来た野瀬が散弾銃を構えながら小声で尋ねた。


「一体か、多くても二体だと思います。興津さん、後ろはどうですか」

「こっちは大丈夫そうだよ。事務所の机の下にゾンビがいるような気配もない。階段の下も大丈夫だ」

「じゃあこの部屋で終わりってわけだな。冠木、悪いがまた先鋒を頼めるか」

「わかりました。任せてください」


 望は頷きながらドアノブに右手をかける。


「行きますよ?」


 後ろの二人が頷いたのを確認した後、望は勢い良くドアを押し開き、一歩下がって両手で銃を目の高さに構えた。部屋の中には一人の男がいた。園芸店の制服を着た初老の男性だ。頭髪は全て落ち、その干からびた顔や手は火山灰のように白い。ゾンビ、それも動きのいいタイプだ。


 「スキンンヘッド、一体。俺がやります!」


 望は素早く照準をゾンビの頭部に合わせる。

 初老のゾンビは両手を前に突き出し、駆け足の速度で向かって来た。望の後ろで興津が「ひっ」と声を上げる。慣れない者にとって、動きの早いゾンビはそれだけで脅威だ。だが戦い慣れた望の相手では無い。躊躇なく引き金を二度引く。乾いた銃声が園芸店の二階に響き渡り、弾丸が狙い通りゾンビの頭部に命中、額と左目から入った二発の弾丸は脳と後頭部を吹き飛ばした。顔に風穴が開いたゾンビは駆け足の勢いのまま床に倒れ、頭部からこぼれ落ちた体液に滑ってヘッドスライディングした後、そのまま動かなくなった。

 望は素早く部屋の左右を確認する。他のゾンビはいないようだ。


 「……これで終わりみたいです」

 「後ろからも何も来ません」


 後方に銃を向けて警戒していた興津が報告する。それを聞いた野瀬が散弾銃を握りしめていた手の力を緩めた。


 「これでこの建物も制圧完了だな。冠木、興津、ご苦労だった」


 その言葉を聞いた望は銃を下ろし安全装置をかけた。


 望達三人は店長室の中に入る。まず望がショルダーバッグからキッチンペーパーを一枚取り出し倒したばかりのゾンビの顔に掛けながら改めて服装やネームプレートの名前を確認する。


「この人、店長だったみたいですね」

 

 デジタルカメラを持った興津がやって来て、店長の死体をカメラに収めた。


「真面目さも良し悪しだね。仕事なんてせずに家にいれば家族と一緒に死ねたのに」

「いや、家族に食われるか、家族を食うか、そっちの方が悲惨だったかもしれねえ。少なくとも、その爺さんはこの部屋でゾンビになって誰も食わなかったんだ。死に方としては上々だろうよ」

「そうかもですね。誰にも迷惑をかけないって大事ですもんね。冠木君、僕がゾンビになったら誰かを傷つける前に頼むよ?」

「嫌ですよ。だから噛まれないでください」

「はは、努力はするよ。でも、どうせなら君に殺されたいな。冠木君なら一発で楽にしてくれそうだ」


 軽口を叩いてはいたが、決して笑い事では無い。望が館山キャンプに加わってから倒したゾンビは既に百体を超えている。そして中にはかつてキャンプの仲間だった者もいた。

 望が館山キャンプに合流して驚いた事がある。何とキャンプに集まった生存者のほとんどにゾンビとの戦闘経験が無かった。襲われた事や追われた事はあっても立ち向かって倒した経験がある者はごく少数だった。さらに生存者の六割以上が女性で未成年者も八十名近くいた。侍精神を発揮したのか、多くの日本人男性が女性や子供を守るために戦って命を落とし、結果として戦闘力の低い者の方が生き残って館山まで辿り着けたようだ。


「興津、俺からも命令だ。ゾンビに噛まれるなよ。これ以上戦える男が減ったらガキ共に無理やり銃を持たせる事になるからな」

「確かに、それは嫌ですね。大人としてカッコ悪い」


「いずも」の自衛官は生存者を兵士にしようとしているがあまり上手くいっていない。食料調達のため数十人が訓練を受け、基地の外に出て行ったが、初日から多くの犠牲者が出た。興奮して弾が切れている事にも気付けずゾンビに喰われた者、慣れない銃で自分や仲間を撃つ者、ゾンビと相対し恐怖で錯乱する者、散々な結果だった。キャンプの指導者達はすぐに方針を改めた。何ヶ月もかけて兵士を育成してた自衛隊と違い、今は悠長に訓練する時間は無い。だが生存者の中にも望のようにある程度の経験のある者や、千尋のように子供ながらも冷静に敵と相対し戦闘が行える兵士向きの人材がいる。そういった人物に優先的に強力な武器を持たせ戦闘員とし、残りは回収班は護身用に警察署から回収した威力の低い回転式拳銃やナイフ、バットを持たせるに留めた。

 そんな環境で望はすぐに頭角を現した。噴火後に音葉と一緒にゾンビや人間と戦った経験に加え、成田シェルターで渡された八九式小銃が妙に体に合った。狙って撃てば当たる、当たり前だが難しい基本技術を身につけていた望は館山キャンプでちょっとした有名人になっていた。


 三人は店長室、そしてオフィスを一通り調べたが特に目ぼしい物は見つからなかった。救急箱と非常用持ち出し袋、それに町内の地図があったのでそれをバックパックに詰めて作業は終わり。最後に興津が記録のためデジカメで部屋の中を撮影している間、望と野瀬は階段の手前で待っていた。


「そういえば野瀬さん、種子は回収しましたか?」

「ああ。二階に上がる前にな。まあキャンプには畑はねえし、これから冬になる。農業ができるのは春になってからだろうさ」

「春……そうですね」


 今は十月になったばかりなので、来年の春までは半年ほど時間がある。武器も食料も十分にあるとはいえ、ゾンビだらけの環境で半年も生き残れるか、それは誰にもわからなかった。望は余計な不安を忘れるため腕の黒いGショックで時刻を確認した。


「もうすぐ二時ですね。スーパーの回収が終われば今日は終わりですか?」

「ああ。二度目の回収は明日でいいだろ。日が落ちるのも早くなっている。無理はする必要は無えさ」

「それは良かった! 今日は戦闘もありましたからね。さっさと帰って眠りたいです」


 撮影を終えた興津がデジタルカメラをバッグにしまいながら二人と合流する。その手には封を切られたばかりの菓子があった。銀紙の中に乳白色のホワイトチョコレートが見える。


「興津、それはどうした?」

「さっきスーパーから持って来ました。野瀬さんも食べます?」

「お前、ゾンビの死体を見たばかりなのに良く白い物を食えるな」

「さすがにもう慣れましたよ。冠木君は?」


 興津は指先で板チョコを折ると望に差し出した。


「ありがとうございます。でも今はいいです」

「そっか」

「おい興津、食べる前に手を拭け」

「おっと、そうでした。さすが野瀬さん、元教師ですね」

「ただの塾講師だよ」


 野瀬は寂しそうに視線を床に落とした。噴火前、彼は小中学生向けの塾講師をしていたらしい。月曜から土曜まで授業を持ち、教え子は百人以上いたそうだ。だが。野瀬が館山まで連れてこれた生存者の中に彼の教え子は一人しかいなかった。野瀬の様子を見て失言に気がついた興津が頭を下げる。


「すみません。無神経でした」

「いや、気にしてねえさ。それより、さっさと戻るか。ゾンビがいないなら俺たちも回収班を手伝って、」


 その時、外から銃声が聞こえた。小銃、猟銃、拳銃などが次々と発砲される。三人が慌てて窓に駆け寄り外の様子を見ると、スーパーの倉庫から複数のゾンビが外に出て来たところだった。それを太めの戦闘員を中心にした調達達のメンバーが迎え撃っている。野瀬の持っている無線から切羽詰まった通信が入った。


『野瀬さん、大変よ。ゾンビが出た!』


 野瀬隊のサブリーダーの女性、波多野の声だ。


「なに? スーパーは制圧済みのはずだぞ。外からか?」

『いえ倉庫の中。棚で塞がれた部屋があって、そこからゾンビが出て来たの!』

「くそっ、数が少なかったわけだ。被害は!?」

『今のところないわ。外に出て来た奴らは私達で対処してる。でも、西山さんが囮になって半分近いゾンビを建物の中に連れていったの』 

「何? 西山が!?」


 それを聞いた瞬間、望は走り出していた。


「冠木! くそっ、俺達も行くぞ」


 野瀬の声を背中で聞きながら望は二段飛ばしで階段を降りる。遠くの方から断続的に銃声が聞こえる。


「千尋のやつ、無茶はするなって言ったのに。無事でいてくれよ」


 一階に降りた望はそのまま外に飛び出し、道路を挟んで向かい側にあるスーパーに向かった。

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