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8月25日 シェルター(8)

 「国民に、死んでもらう……?」


望は自分の耳を疑った。


 「そうだ。外に大勢の人間が残っている限り、いつかシェルターは襲撃を受け破壊される。その結果、日本人は全滅する。それを回避するには先んじて彼らを排除する必要があった」

 「排除って、同じ日本人をですか?」

 「実際には日本人に限定はしていない。日本国内にいて、シェルターの外にいる全ての人間が対象だった」

 「なんでそんな事を」

 「我々はシェルターに避難するが残された君達は地上で飢えと放射線に苦しみながら死んでくれ、そう言われて納得する人間はいない。君が残された立場だったらどうする? 力づくでもシェルターに入りたいとは思わないか」

 「それは……」


 路貝の言うことは受け入れがたい。だが理解はできた。実際に日垣製薬の研究所にいた屋宜達はシェルターの住人を裏切り者と呼び襲撃を計画していた。他の生存者もシェルターの存在を知れば成田に殺到するだろう。


 「でも、殺す必要があったんですか!? 大勢が死んだんですよ。俺の母さんも、西山も、早見さんも、みんな! 誰も死にたい人なんていなかったのに」

 「亡くなった方の事は申し訳ないとは思っている。だがそれ以外に選択肢が無かった」

 「でも!」

 「望、落ち着いてください。もう済んでしまった事です」


 意外にも冷静に、音葉が激昂して立ち上がろうとする望を抑えた。


 「なんでそんな風に割り切れるんだよ。音葉は何も思わないのか!? こいつらがみんなを殺したんだぞ。音葉の家族や友達だって、こいつが!」

 「違いますよ、望。この人達の説明が正しければ私の家族や友達をゾンビにして殺したのは望のお父さんです」

 「そっ……」

 「そして私のお義父さんでもあります。私達はもう無関係ではいられないんです」


 その一言が望の全身に氷水を浴せた。燃え上がろうとしていた怒りは一気に鎮火し下火になる。


 「私達はもうシェルターの一員です。純粋に見捨てられた側として路貝さん達を非難するのは難しい立場です。シェルターの入居者は施設の目的を理解しその維持のために働く事が義務なんですよね?」


 路貝が無言で頷く。


 「私達があの書類にサインしたことで連帯責任を負わされたんですね。あれもこれも汚いやり方ばかりです。気に入りません」

 「そう感じられることは貴重だよ、奥山さん。だが国を運営するなら時に非情になる事も必要だ。人間を駒のように扱わなければ正しい決断ができない事もある」

 「これがゲームなら私だって迷いません。でもこれは生きた人間の世界ですよ。一億二千万人を殺すなんて極端な決断を下す前にやれる事があったんじゃないですか」

 「それは否定しない。シミュレーションではシェルター内外の住民が協力し合える未来もあった。だが、それが成功する可能性は極めて低い。失敗すれば一万年以上昔から続いてきた日本の歴史が途絶えてしまうのだ。百年、二百年後を考えればこれが最良の決断だ。私は今でもそう思っている」

 「やっぱり、私は好きになれそうにありません」


 音葉は路貝から顔を背けた。反論したかったが彼の言葉を否定するだけの理屈を見つける事ができない。それどころか彼らの行動が正しいかもしれないと思ってしまう。


 「別に好きにならなくてもいい。ただ事実として受け止めてもらいたい。いずれ君達も同じ決断を迫られる日が来る」


 路貝は事務的に、淡々と言った。そこに意地悪さや音葉や望を困らせようという意図は感じられない。

 望も、自分がシェルターの恩恵を受け取る立場になったことを自覚し、これ以上路貝に抗議することはできなかった。だが父親についてはまだ不明確な部分がある。


 「外の人達を殺した理由は、納得はできませんが理解はしました。でも、それならどうして父さんが裏切り者扱いされているんですか。路貝さん達がシェルターの外の人を皆殺しにしようとして、父さんはそれを手伝っただけなんですよね? それなら、ここにいる人達はみんな同罪じゃないですか」


路貝が首を横に振って望の言葉を否定する。


 「それは違う。我々が用意していたのは苦痛なく眠るように死ねる安楽死ウイルスだった。人間を化物に変えるゾンビウイルスではない」


 路貝は再びタブレットを操作した。壁のモニターに文字がぎっしり書かれたプレゼンテーション資料が表示される。字が小さ過ぎ内容は読めなかったが、説明にはイラストが添えられていたので内容は理解できた。仁王立ちする人間のシルエットがあり、そこに「A」と書かれたトゲの付いたボールが入る。それだけでは何も起こら無い。だが、体内に「A」を持つシルエットにさらに「B」というボールが入ると、「A」と「B」が結びつき、ドクロマークを作り出す。ドクロマークが出た人間のシルエットは「四十八時間以内」に地面に倒れる、そんなイラストだった。


 「これが安楽死ウイルスの概略図だ。まず、ある人にAというウイルスを感染させる。これだけでは何も起こらない。そこにBというウイルスを感染させる。感染者の体内でBがAを刺激するとAから強力な毒性を発生する。感染者は中枢神経を急速に侵食され四十八時間以内に眠る様に死ぬ。非常に効果的で人道的なウイルス兵器だ」


 路貝が画面を操作すると日本地図が表示された。各都道府県毎に何かの進捗具合がパーセントで示されている。ほとんどの県で九十五パーセントを超えており、日付は去年の八月になっていた。


 「Aウイルスの散布は各地の水道を利用して数年かけて行われた。この表の通り、去年の段階でほぼ全ての日本人が感染している。そして噴火の当日、我々は日本全国にBウイルスを広めた。航空機からの散布、主要な駅や空港、港での使用、さらに避難所に配布した水や食料にも含まれていた。Bウイルスその物にも強力な感染力がある。我々の予想では約一週間で外に残った日本人の九十九パーセントが亡くなるはずだった。だがそうはならなかった」


 画面が切り替わり、どこかの街の写真が表示される。わずかに積もった灰を踏みしめながら歩くスーツ姿の人々を背景に、肌が白くなった一人の女性が会社員らしい男性に馬乗りになり首に食いついていた。周囲にはスマートフォンを持って揉み合う二人にカメラを向けている人すらいる。


 「噴火翌日の銀座だ。Bウイルスの散布直後、ゾンビ化した感染者が現れた。最初、我々は事故を疑った。安楽死ウイルスは過去に発見されたゾンビウイルスの性質を利用して人工的に開発された生物兵器だからね。Bウイルスの製造過程にミスがありベースとなったウイルスの性質が残ってしまったと考えていた。その場合、Bウイルス用のワクチンが効くのでシェルターにとっては脅威にはならない。実際、ワクチンは有効に機能したので我々はこの件を重要視していなかった。上斎原シェルターが全滅するまではな」

 「ちょっと待ってください」


 話を聞いて疑問を持った望が言葉を挟む。


 「路貝さん達はゾンビウイルスの存在も知っていたんですか?」

 「ああ。知っていた。あれは今から二十年前、国家保存計画が立ち上がったばかりの頃に富士山で発見された物だ。私も、そして冠木十三もその現場にいた」


 モニターの画面が切り替わり、少し古びた写真が表示される。フィルムカメラで撮影した写真をスキャナーで取り込んだ物のようだ。二十名くらいの団体の集合写真で場所は富士山の頂上だった。


 「日本政府は二十年前に世界同時破局噴火の兆候を掴み、それに対応するために国家保存計画を立ち上げた。まず行ったのが噴火する富士山の調査だ。これは第一回目の調査隊の記録写真だ。君の両親もメンバーだった。これが君の父上だな」


 路貝が指差した先には若い頃の冠木十三の姿があった。二十代前半で大学を出たばかりくらいだろうか。その隣には路貝らしい男性の姿もある。写真の中では一部の者は仏頂面をしていたが、多くが笑顔を浮かべており、とても日本の滅亡を防ぐために集まったメンバーには見えない。小さな会社の社員旅行のようだった。そして、望はこの写真をよく知っていた。


 「この写真、見た事があります。家の壁に飾ってありました」

 「そうなのか? 資料は全て持ち出し禁止だったのだが、勝手にコピーして持ち出したか。らしいと言えばらしいな」


 路貝がわずかに頬を緩める。


 「あいつは時々常識外れの行動をする事があった。私達もよく巻き込まれて面倒な事になったよ。そのおかげでフジウイルスを発見できた。いやしてしまったと言うべきか」


  モニターに一枚の画像が表示される。どこかの山の中で、岩で作られた小さな祠があり、その中に漆塗りの箱のような物体があった。


 「我々は富士山調査の過程である遺跡を見つけた。それがこの祠だ。平安時代頃の山の神を祀った物で、中にこの箱があった。その箱と一緒に保管されていた古文書によると中身は不老不死を得る霊薬だそうだ」


 写真が進み、漆塗りの箱の中が映し出される。冠木十三と路貝らしい青年が手袋をした手で蓋を開けると、中には一握りの灰のようなものが入っていた。


 「箱の中にあった物がこれだ。興味本位で灰を分析してみたところ、ゾンビウイルスが含まれていた。発見した場所と古文書にちなみ、我々はこれをフジウイルスと名付けた」

 「富士山に不死の霊薬、まるでかぐや姫ですね」


 大勢の人間を殺したウイルスの名称に言葉遊びが含まれている事を快く思わなかった音葉が皮肉を込めて言った。だが路貝は一切に気にしない。


 「伝説や物語は時に真実を伝える事がある。平安時代の文学作品、竹取物語ではかぐや姫が帝に不死の霊薬を贈ったと書かれている。おそらくそれがゾンビウイルスの事だったのだろう。感染者が不老不死に近い状態になるのは事実だからね。だが結局は知能を失い見境なく人間を襲う怪物に成り果てるだけだ。帝が霊薬を火口に捨てたくなったのも理解できる」

 「……ちょっと待ってください。おかしくないですか? この灰にウイルスが含まれていたのにだれも感染をしなかったんですか?」

 

 音葉が疑問の声を上げる。いくつかの写真では冠木十三や路貝が登山装備のまま箱の横に立っている写真やマスクと手袋だけで灰を容器に移している写真もあった。記録写真という割には大学のサークル活動のスナップ写真のように気楽に写っている物が多い。厳重に灰を管理している様子は無く、当然防護服なども身につけていない。とてもウイルスの感染を防げるとは思えなかった。だが写真に写っている路貝は今もゾンビにならずに生きている。

 

 「フジウイルスは一般的なウイルスとは違う性質を持っている。単体では人間に感染する事も無いし何かをゾンビ化させる事はない。何か別なウイルスに寄生することで、初めて人間に感染できるようになる」

 「ウイルスがウイルスに感染するんですか?」

 「そう考えてもらって構わない。元々、ウイルスは他の生物に感染する事で他力的に増殖する存在だ。フジウイルスの場合、その対象が生物の細胞では無く他のウイルスという点に特徴がある。フジウイルスに感染したウイルスは本来の性質をほとんど失いゾンビウイルスとして書き換えられ、それが哺乳類に感染すると宿主がゾンビ化する、そういう仕組みだ」

 「さっきの安楽死ウイルスと似た仕組みですね。単体では無害で結びつくと毒を発する」


 音葉の言葉に路貝が頷く


 「そうだ。AウイルスとBウイルスは共にフジウイルスをベースに開発された物だ。だから噴火の翌日にゾンビが発生した時、我々はどちらかのウイルスの調整不足を疑った。だが、それは人為的に起こされた物だった。上斎原シェルターが最後に送って来たデータによると、冠木十三はフジウイルスをBウイルスに感染させていたようだ。元々同じウイルスだったため、我々も発見が遅れた。それにより、Bウイルスが本来担っていたAウイルス活性化の機能はほとんど失われ、ゾンビウイルス化した」


 路貝がタブレットを操作すると、白衣を着た冠木十三が顕微鏡の前で困ったような笑顔を作っていた。場所はどこかの研究室で、右下には「研究主任就任記念」と手書きで書かれている。今から十八年程前の写真らしい。望が生まれる少し前。


 「冠木十三は安楽死ウイルス開発の主要メンバーだった。Bウイルスの製造過程にもアクセスできた。彼がフジウイルスをBウイルスに混ぜるのは別に難しい事ではなかっただろう」

 「なぜ父さんはそんな事をしたんですか?」

 「それは我々にもわからない。何か理由があったのかもしれないが今は重要ではない。問題は、冠木十三がフジウイルスを寄生させたのはBウイルスだけではないと言う事だ」


 路貝がタブレットを操作すると再びプレゼンテーション資料がモニターに表示される。そこには一から七までの番号が振られた船のイラストと、それぞれに「F」と書かれたボールが乗っている。


 「これは私が運営委員会向けに作成したフジウイルス対策のイラストだ。Fと書かれたボールがフジウイルス、船の形をした物がフジウイルスが感染した側のウイルスだ。フジウイルスそのもののワクチンは存在しない。だが、フジウイルスが寄生した先のウイルスを叩けばゾンビ化は起こらない。積荷のフジウイルスを船になっているウイルスごと沈めるイメージだ」


 簡単なアニメーションが表示される。「F」のボールを載せた「一番の船」に「ワクチンその一」と書かれた魚雷がぶつかる。小さな爆発が起き、船はボールを載せたまま海に沈んだ。


 「問題は、フジウイルスは感染先のウイルスの性質を変えてしまう事だ。理論上、フジウイルスがインフルエンザウイルスに乗っていた場合、インフルエンザのワクチンを投与する事で対処できる。だが寄生されたインフルエンザの性質が変わっていた場合、ワクチンもそれに対応させる必要がある。冠木十三が作り出し、日本中に放ったゾンビウイルスはBウイルスベース以外にも複数存在しているらしい。実際、上斎原シェルターはそれで全滅した」


 次のスライドでは船の番号が「一a」に変わっている。そこに「ワクチンその一」をぶつけるが船は沈まない。そこで新たに「ワクチンその一a」と書かれた魚雷が登場する。それが命中すると、フジウイルスを載せた「ウイルス一a」は爆発を起こして海に沈んだ。


 「上斎原からの情報では冠木十三はBウイルス以外の七ウイルスをゾンビウイルス化したらしい。各シェルターには基本的なワクチンは保管されている。ベースとなったウイルスの詳細な情報があれば施設で新たにワクチンを開発できる。そのために、我々は冠木十三を見つけ情報を聞き出す必要があるのだ。理解してもらえたかな」


 路貝の言葉が真実だとすれば、この世界にはまだ未知のゾンビウイルスの脅威がある。それが成田シェルターを襲えば、そこで暮らす音葉の命も脅かされるということだ。彼女の命を守るために望ができる事は何か。

路貝の父親を探してこいという命令を無視すればそもそもシェルターにはいられない。言う事を聞いた振りをして後でここから逃げ出しても、音葉の身を危険に晒すだけだし、外の世界にいればいずれ未知のウイルスに感染しゾンビ化するかもしれない。望ができる事は限られていた。


 「……わかりました。父を、冠木十三を探してここに連れてきます」


 望の言葉に路貝が目を閉じながら頷き、以外にも「すまない」と小さな声で呟いた。

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