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8月25日 シェルター(7)

 父親がゾンビウイルスを広めた、それを聞いた望は呆然とし、奈落の底に落ちるような感覚に襲われた。まさかと思う一方で心のどこかでは否定しきれない。多くの人がゾンビになる中で自分が生き残れた事、そして音葉がゾンビ化から回復した事はあまりにも都合が良すぎる。冠木十三かぶらぎいっさは少し変わった名前以外に特徴は無く、家でも普通の父親だった。ゴルフ場で屋宜に父親が最重要人物だと言われた時、違和感を覚えていたが、ゾンビウイルスをばら撒いた犯罪者だとすれば納得できる。


「本当なんですか? 望のお父さんがゾンビウイルスを広めたって」


 言葉を失っていた望に代わり音葉が路貝に尋ねた。


 「我々も今日まで半信半疑だった。だが奥山音葉さん、君の存在のおかげであの情報が真実である可能性が高まった」

 「あの情報?」

 「全滅したシェルターからの最後の通信だ」


 そう言って路貝はタブレット端末を操作する。壁のモニターとタブレットがリンクし、ある動画の再生が始まった。

シェルターの中に似た部屋が映し出される。部屋は薄暗く、真っ赤な警告灯が点滅している。遠くの方でサイレンや大勢の人が駆け回る音も聞こえていた。何か緊急事態が起こっているようだ。やがて画面の中央に路貝と同じ白い服を着た中年男性が現れる。男性は憔悴しきった表情で、目は落ちくぼみ、頭からは血を流していた。


 『私は上斎原かみさいばらシェルター所長の山本玄一郎だ。我がシェルターは内部から発生した感染者によって壊滅寸前だ。我々の持っているワクチンでは居住者のゾンビ化を止められなかった』


 山本と名乗った男性は悔しそうに歯を食いしばった。


 『原子炉が機能停止したことで全ての隔壁が開状態で固定され、感染者の隔離にも失敗した。現在はわずかな生存者が司令室の入口にバリケードを築き防戦しているが突破されるのも時間の問題だ。我々はもう終わりだ。だが、皆に伝えたい。この惨劇を招いたのは冠木十三だ』


 その名前を聞き、望が体をびくっとさせる。動画に映る山本の顔に浮かぶ苦悶と怒りから父親への憎しみの深さを知った。


 『Bウイルスがゾンビウイルス化したのは事故では無かった。ヤツが意図的に操作していたのだ。冠木はBウイルスを含め少なくとも七種類のウイルスにゾンビウイルスを載せていた。我々が生き残るには冠木を探し出しウイルスを特定しなければならない。冠木十三を探せ。奴が全てを知っている』


 動画の中で大きな銃声が響き渡り、画面の隅に銃を持った兵士が映り込んだ。


 『所長、突破されました。ゾンビが!』

 『もはやここまでか。皆、あとは頼んだ』


 白い服を着た中年男性はカメラに向かって敬礼し、拳銃を引き抜くとこめかみにその銃口を当てた。画面の奥からゾンビ化した女性が山本に襲い掛かろうとする。


 『日本国万歳!』


 そこで路貝がタブレットとモニターの接続を切る。壁のモニターに「信号なし」の文字が表示され、路貝の手元にあったタブレットから一発の銃声と何かが倒れる音がした。だが望達からは何も見えない。その後も人々の悲鳴や銃声が聞こえていた。


 「ここまででいいだろう」


 路貝は動画を停止し、黙祷をするようにわずかに目を閉じた。だがすぐに目を開き、説明を始める。


 「上斎原シェルターは岡山県にあった特別避難所だ。今から十日前に全滅した。所長の山本さんは国家保存計画に初期から関わっていた信頼できる人物だった。豪胆で思慮深く、私も何度も助けてもらった。その彼が最後に残したメッセージで冠木十三の名前を上げた。これが我々が望君の父親を疑う理由の一つだ」

 「……路貝さん、いくつか聞いていいですか」


 望は自分でも不思議なくらい気持ちが落ち着いていた。先ほどまで次々と明らかになる新しい情報で頭がパンク寸前だった。だが動画でゾンビに襲われている人を見て頭がリセットされた。シェルターや父親の存在も結局はゾンビに溢れた世界とつながっている。望にとっての日常の延長線上にある。なら物事はシンプルだ。いつも音葉に言われているように冷静に状況を観察し、やるべき事をやればいい。


 「俺にとって父は、ただのサラリーマンでした。家では母さんや妹に頭が上がらず、料理と掃除が下手で、でも時々化学や英語の勉強を教えてくれる普通にいい父親でした。父さんがゾンビウイルスに関わっていたなんて想像もできません。本当にあなた達の言う冠木十三は俺の父親なんですか?」


 父親の名前は珍しく同姓同名がいるとは思えなかったが、まずそこから確認したかった。


 「それは間違い無い。我々は君の父親を昔から知っている。今から二十年前、国家保存計画が立ち上がった時、そのメンバーの一人だったからね。君が生まれた時に写真を見せてもらった事もある。希望という言葉を二つに分けて子供につけるという話も聞いた。だから望君、我々が探している男は君の父親で間違いない」

 「わかりました。でも、どうやってゾンビウイルスを作って日本中にばら撒いたんですか? 父さん一人でそんな事ができると思えません。父はサラリーマンで、それこそ、会社やあなた達の命令でやったんじゃないんですか?」

 「ふむ、それについては順を追って説明する必要がある。聞かない方がマシかもしれんが、いずれ知ってしまうのなら隠しても無駄だろうな」


 路貝の顔に影が射した。心なしか、後ろにいる護衛の二人の兵士も居心地悪そうにしている。


 「君達はどうしてシェルターが作られたと思うかな」

 「なぜって、それはゾンビから身を守るため……いや、でも父さんがウイルスをばら撒いたのなら……噴火から身を守るためですか?」

 「その通りだ」

 

 路貝はうなずいたが望の中で何かが引っかかった。音葉も同様に感じたらしく疑問を口にする。


 「待ってください。確かに富士山の噴火は酷い災害でした。でも地下深くに避難する必要があるとは思えません。火山灰は大変ですが、ゾンビさえいなければ外の世界はまだ安全なはずです」

 「奥山さん、残念だがそれは違う。富士山の噴火だけならその通りだった。富士山周辺に大きな被害が出て、関東周辺に降った灰の除去に莫大な費用と時間を要するだろうが地上を放棄するほどでは無い。だが、現実はもっと悲惨だ。このシェルターは世界同時破局噴火とそれに続く破滅の冬から国民と文化を守り、日本という国を存続させるために作られた」

 「破滅の冬?」


 聞き慣れない単語に音葉が首を傾げる。


 「火山の冬と核の冬、二つの災害が重なった状態を我々はそう呼んでいる」


 路貝がタブレットを操作する。再び壁のモニターと接続され、百科事典のような物が表示された。それは七万五千年前にインドネシアで起こった大噴火によって当時の人類が壊滅的な被害を受けたという記事だった。


 「そこにある通り、地球上で大規模な火山が噴火した際、大量の噴出物が大気中に放出される。それが太陽の光を遮り、地表に寒冷化をもたらす。それが火山の冬だ。小規模な物は百年に一度ほどのペースで起こっており、その度に人類社会は大きな影響を受けた。作物の不作が社会を不安定にし、結果として戦争や革命が起こる事もあった。だが、今回の噴火はそれらの比では無い」


 路貝はタブレットを操作し別の動画を音葉と望に見せた。それは過去のニュース番組だった。一つ目はアメリカのニュースで、八月三日の富士山噴火をレポートしていた。ヘリコプターから撮影された映像で、煙を上げる富士山、火砕流に飲み込まれる街、灰塗れになって逃げ惑う人々などが英語の字幕と共に映されていた。


 「この映像……空港で見ました」

 「空港か。成田かね?」

 「いえ、羽田です。私は噴火の次の日に飛行機に乗ってオーストリアに行く予定だったんです。結局、乗れませんでしたけど」

 「それは幸運だったな」


 路貝がタブレットを操作すると、ヨーロッパの街並みが映し出された。


 「富士山が噴火した数時間後、世界各地の火山で同時多発的に爆発的な噴火が起こった。ヨーロッパではイタリアとアイスランドで特に大きな噴火が発生している。欧州連合は日本と同じ様に政府要人と選ばれた市民のためのシェルターを用意していた。だがその情報が漏洩し、シェルターへの避難完了前に内乱状態に陥った。その混乱の中で移民や旅行者は強盗やリンチの対象になりひどい有様らしい」


 画面には暴動で焼かれる街が映し出されていた。食料品店を襲う群衆、それに発砲する警官、警官に車で体当たりする若者、炎上する建物、地面に横たわったまま動かないアジア系らしい観光客、まさに地獄のような光景だった。


 「ひどい……」

 「それでも日本やヨーロッパはまだ被害が軽い方だ。東南アジアと北アメリカでは有史以来最大規模の大噴火が起こっている。さらに悪い事にアメリカの防衛システムは噴火を他国による核攻撃だと誤認し、報復措置としてロシアや中国の主要都市に核ミサイルを撃ち込んだ。ロシアと中国の大部分は壊滅したが生き残った潜水艦や移動式の弾道ミサイルでアメリカに反撃、双方に大きな被害が出ている。日本にも数発飛んできたがこれは運良く対処できた」


 次に路貝が示した画像は衛星写真だった。中国らしい大陸の上で大きなキノコ雲がいくつも上がっている。さらに廃墟となったモスクワやサンフランシスコの写真も表示された。教科書に載っていた原爆後の広島や長崎と異なり、どの街も大きなビルが原型を保っていた。だが、路上には車も人もいない。妙にきれいな道路の先には、何か強力な力で吹き飛ばされたのか、大きなビルの一辺にかつて車や何かだった物が吹き溜りに溜まる落ち葉のように折り重なっていた。


 「インドやパキスタン、中東でも核の使用が確認されている。世界中で行われた核攻撃によって多くの塵が大気中に放出された。世界同時破局噴火に比べれば微々たる量だがな。これによって地球には核の冬も訪れる。塵によって太陽の光が遮られ、植物が育たなくなり、一時的な氷河期が来る。火山の冬と核の冬の同時進行、科学者の試算では最短で十年、最長で百年はこの状態が続く。人類の歴史を終わらせる可能性すらあるこの危機を我々は破滅の冬と呼んでいる。そして、破滅の冬から日本人を守り保存するのがこのシェルターの目的だ」


 路貝の説明に望は圧倒された。想像以上に深刻な世界の様子にこれからどうすればいいのか分からなくなる。だがすぐに思考を切り替える。世界がどうなろうと関係ない。今は自分の手の届く範囲で出来る事をするだけだ。大切なのは音葉を守る事、そして父親が何をしたのかしっかり理解する事だ。


 「シェルターができた理由と世界がとんでもない事になっているのはわかりました。でもどうしてゾンビウイルスの感染が富士山の噴火と同時に広がったんですか? 父さんもメンバーだったという日本保存計画と何か関係があるんですか?」

 「その説明をする前に君達に一つ確認をしたい。我々の最優先事項は日本人の存続だ。入所者の人権はある程度保障されるが、あくまでも目的は個人の自由や生命ではなくシェルター全体を維持し続ける事だ。入所者はこの目的を理解し、それを達成するために運営委員会の決定に従う義務を負っている」

 「さっきの書類に何度も書かれていた内容ですね」


 同意書や誓約書、特別避難所入所規則などにそのような事が繰り返し何度も書かれていた。


 「その通りだ。君達も既にシェルターの一員で、組織を維持する義務がある事を忘れないでほしい。既に我々は同じ船に乗っている」


 そこで路貝が一度言葉を区切り、望と音葉を一人ずつ見つめた。その目には強い意志とわずかな迷いがあった。これから路貝が口にする事は世界が壊滅したよりも悪い事かもしれない、望はそう覚悟した。路貝がゆっくりと話を始める。


 「さて、一つ思考実験をしてもらいたい。これから核の冬と火山の冬、二つの冬がやって来る。日本全国で食料不足と日照不足による健康被害が起こり、放射能を含む塵も黄砂と共に大陸から飛来する。ゾンビはいない。だが絶望的な世界だ。最初の一年は今までの備蓄でなんとか生活は維持できる。だが二年目以降、飢餓によって毎年数百万人の死者が出る」


 それはほぼ事実に聞こえた。今のヨーロッパがまさにその状態に向かいつつあるのだろう。


 「幸いな事に、日本各地にはこの成田や上斎原など複数のシェルターがある。そこには食料工場や医療設備が整っており、住人は隔離された状態で百年間の生存が可能だ。だが収容能力は全てを合わせても数万人。対して日本の人口は約一億二千万。つまりシェルターに収容できるのは国民全体の一パーセントにも満たない。そうなった時、シェルターに入れなかった人々は何をすると思う?」


 望の脳裏に先程のヨーロッパで起きた暴動の写真、そして日垣製薬の研究所にいた屋宜達が思い浮かんだ。彼らは自分達を見捨てた政府とシェルターの住人に復讐すると言っていた。

 

 「シェルターを攻撃する、ですか」


 望の言葉に路貝が頷く。


 「そうだ。では我々はシェルターを守るためには何をすればいいと思う? 望君、君ならどうする?」


 望は考えてみた。昔見たタイタニック号を題材にした映画では船員は救命ボートが足りない事を乗客に知らせずに脱出活動をしていた。一等の客が脱出完了をした後、真実を知った三等の乗客が慌てるがもう手遅れというシーンがあった。だがその手は使えない。船に救命ボートが人数分ある事は期待できても、一億二千万人分のシェルターがあると国民を納得させるのは不可能だ。別の映画では地球全体を襲う巨大な津波から人類を守るため方舟を作っていた。あの映画では地上は全て洪水に洗い流されてしまうので生存者と争う心配をしなくてもよかった。だが、今の仮定では毎年一千万人が餓死しても、日本人が全滅するまで十年以上かかる。それだけ時間があれば、必ず安全な方舟やシェルターに人が殺到するだろう。ならばできる事は限られている。

望は自分の考えを口にする前に、音葉の意見を聞いてみようと思った。だが彼女はなぜか怒りに近い表情をしており、それを隠すように俯いていた。望は音葉に声をかけるのを止め、路貝に向き直る。


 「……シェルターの存在を隠してはどうでしょうか。誰にも知られ無い様にすれば襲われる心配もありません」

 「それができればいいな。だがある日を境に国の主要な人物が数万人も行方不明になればいずれ誰かがシェルターの存在に気が付く。シェルター建設に関わった者も大勢いる。彼らには守秘義務があるが、自分の命がかかっているとなればその秘密を公開するだろう。シェルターの存在を秘密にしておくことは不可能だ」

 「では、自衛隊でシェルターを守るですか? 実際、そうしていますよね」

 「そうだな。だがそれにも限界がある。数十人や数百人の襲撃ではここの守りは突破できない。だが、数万人に攻められればわからない。外の世界にはシェルターに入れなかった自衛隊もいる。戦車や爆弾を使えば正面の隔壁を破る事は難しく無い。一億人の敵から武力でシェルターを守り続ける事は不可能だ」

 「じゃあどうすれば。みんなに理解を求めるとか、交代でシェルターに入るとか……」


 悩む望を見て、路貝は同情に近い目を望に向けた。


 「望君、君は善良な人間のようだ。それは美徳だがこれからの世界を生きていくには少し優し過ぎる。奥山さん、君は大分前から答えがわかったようだね」


 音葉は空になったコップを両手でギュッと握りしめた。透明のプラスティックカップが歪み、折れ曲がった部分が白く変色した。そして音葉は息苦しそうに眉を寄せながら路貝とその後ろの兵士達に顔を向ける。


 「まさか、あなた達は……あなた達が」


 音葉は最後まで言い切れず、ぎゅっと唇を噛む。だが望はなぜ音葉が苦しそうなのかがわからない。言い出せ無い音葉に代わって路貝が重々しく口を開いた。


 「我々は破局の冬を生き延びるために二十年かけてあらゆる可能性を探った。噴火を止める方法、被害を小さくする方法、氷河期においても人類が生き残る方法、あらゆる手段をだ。冗談に聞こえるかもしれながいが、火星への移住や超能力で噴火を鎮める方法、タイムマシンの開発なども検討した。そして二つの対策に辿り着いた。一つ目は、日本という国の維持に必要な人間と日本文化を継承できる人材を可能な限り多くシェルターで保護すること」


 そこで路貝は言葉を切る。音葉は次の言葉から目を逸らしたいのかぎゅっと目蓋を閉じた。


 「そして二つ目。地上に残った国民に死んでもらうことだ」

 

 抑揚なく放たれた言葉に望は父親の時以上に絶句した。


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