8月25日 シェルター(5)
モニターのアナウンスが続く。
『シェルター内部に入る前に、みなさんにはこれから国家保存特別法第百八条に基づく除染及び医療検査を受けていただきます。モニターの指示に従って行動してください。スムーズな除染及び検査実施のため、みなさんのご協力をお願いします』
モニターの中で男女のアニメーションがペコリと頭を下げた。
『これから十ステップの防疫措置を受けていただきます。オリエンテーション、脱衣、液体除染、自己除染、光除染、乾燥、着替え、健康診断、検体採取、完了確認の十ステップです。所要時間は約一時間です。集団行動となりますのでお子さんのいらっしゃる方は……』
これから受けるべき除染や検査の内容と手順がアニメーション付きで説明されていく。望は近くの椅子に座ってそれを見ていたが、映像と一緒に流れてくる穏やかなBGMのおかげで眠たくなってきた。十分ほどして映像の説明が終わり、次のステップが始まる。
『それではここからステップ二に入ります。これから液体除染を受けるにあたり、みなさんには身につけている衣服、アクセサリー、補聴器等を全て外していただきます。脱いだ衣服等は箱に入れて保管され、別途除染の後、返却されます。まず一人一つ、箱を選んでください。選び終わったら親指を正面の白いプレートに当ててください』
説明が進むに従って、モニターにアニメーションが流れる。リュックサックを背負った親子が壁側に移動し、二つの箱の前に立つ。二人は親指を立てると箱の正面にある白いプレートに当てる。すると、表面に「山田太郎」と「山田次郎」の名前がそれぞれ現れた。親子はリュックサックをそのまま箱にいれ、さらに衣服を全て脱いだ。説明が終わるとモニター上に「箱を選んでください」の文字が表示される。
「箱? ええと、これでいいのか?」
望は近くにあった箱の前まで移動し、その白いプレートに親指を当てた。するとそこに「冠木望」の文字が浮き出て、カチっと音がする。それを合図に映像が次の場面に切り替わる。
『それでは皆さん、身につけている物を外して箱の中に入れてください。衣服、下着、メガネ、コンタクトレンズ、補聴器、アクセサリー、ヘアピン、ヘアゴムなど身につけている物を全て外箱に入れてください。結婚指輪もここで外してください。視力や聴力に問題が生じる方は係の者が案内します。外した上でしばらくお待ちください』
望はアナウンスに従って身につけている物を外して始めた。ホームセンターで手に入れたウインドブレーカーや軽登山靴、制服のシャツにズボン、下着類、全て外して箱の中に入れた。西山の形見の腕時計を外すのは少し躊躇われたがそれも箱の中に入れる。身につけていた物を全て外すと、体を隠す物が何もなくなったのでなんとなく居心地が悪い。監視カメラで見られてるとなればなおさらだ。
『箱の中身は除染の上、後日みなさんの部屋に運ばれます。それでは準備のできた方から奥の部屋に進んでください』
二台のモニターの間にあった自動ドアが開く。望は全裸のまま、その先に進んだ。
そこは学校のシャワールームに電話ボックスを並べたような不思議な部屋だった。ボックスはガラス張りで中に何本もの配管が通っている。
『これより液体による除染を行います。除染は複数の液体を用いて行われます。人体に害はありませんが、目や口に入ると痛みや体調不良を生じる恐れがあります。除染中はまぶたや口を閉じていてください。それでは、一人ずつ除染ボックスの中に入ってください』
望は一番近くにあったボックスに入る。真ん中に立つとボックスの扉が閉まり、中に設置された小さなモニターから次の指示が流れた。
『足を肩幅に開き、両腕を上げてバンザイの姿勢を取ってください』
同時にモニターに全裸の男性のアニメーションが映り、笑顔で足を広げ、両手を上げた。望も同じ格好をしてみる。
『それではこれから除染を開始します。目と口を閉じてください。それでは始めます』
「え? うわっ!!」
突然、ボックスの前後左右から温かいシャワーが吹き出してきた。3Dスキャナーで頭の天辺から爪先までスキャンするように横一列に吹き出す液体が、上から下まで全身を洗って行く。脇の下あたりでくすぐったくなった望が避けようと動くと、センサーが追尾しているらしく液体も同じ方向に放出された。
『除染中は動かないでください』
「そんな事言われたって」
モニターのアナウンスに反論をしてみるが、もちろん反応は無い。望は仕方なく、むずがゆさを我慢しながら指定された姿勢のまま全身に温かい液体を浴びた。液体は望の上から下まで念入りに何往復もしながら汚れを落として行った。センサーで目や口の部分は検知しているらしく、そこに当たる勢いは柔らかかったが、それ以外の部分にはかなり強烈に液体が浴びせられる。それは五分ほど続き、望の全身の汚れをくまなく洗い流した。
『お疲れ様でした。これでステップ三、液体除染は終了です。次はステップ四、自己除染です。次の部屋に進んでください』
「……早く服が着たいんだけど」
天井に設置されたカメラはしっかりと望の方を向いている。望は手で前を隠しながらアナウンスの指示に従って次の部屋に進んだ。
それから望は、シャワールームに進み、備え付けられていたシャンプーとボディーソープで頭と体を丁寧に洗った。モニターからはブラシを使って爪の中まで洗う様指示が出され、完了まで結構な時間がかかった。次に全裸のまま電話ボックスのようなドライヤーに入り全身を乾燥させ、紫色の光で満ちた怪しげな部屋で三分待機した後、やっとロッカールームで衣服を身につける事ができた。
支給された服は路貝が着ていた物と同じで、宇宙船の制服のような白い服でジャージの様に伸縮性がある素材でできていた。衣服と一緒に靴と身分証代わりになるというスマートウォッチの様な物も渡された(厳密には名前の表示された箱に入っていた)。それらを身につけた後に軽めの防護服を着た医者らしい男の健康診断を受け、それから血や鼻の粘膜などを採取された後、エレベータを使って地下に降りた。
エレベーターは第九層で停止し、扉が開く。そこは広めのホールだった。ホールの前方と左右にそれぞれ別の場所に通じているらしい扉が見える。エレベーターの前には簡易防護服を着た男が二人いた。手ぶらだったが腰には拳銃のホルスターが見える。
「冠木望だな?」
男の一人が低い声で言った。上にいた防護服と違い、こちらはフェイスシールドにスモークが入っていないため表情がしっかりと見える。二人の男はあまり友好的では無いようだった。
「そうです」
望が近づこうとすると手を前に差し、止まれの仕草をする。
「こちらに来なくていい。右の通路をまっすぐ進み、九〇一号室に行け。部屋に着いたら左手につけた認証バンドを扉の横にあるパネルに近づけろ。鍵が開く」
「あの、奥山音葉って子は来てますか?」
「行けばわかる」
二人の男は無愛想で質問に答えてくれそうな気配は無い。
「……わかりました。九〇一号室ですね?」
望は指示に従って壁の案内板を見ながら指定された部屋に向かって歩き始めた。それによると、ここはシェルターの居住区の一つで、九〇一から九八十までの八十の部屋があるらしい。エレベーターホールを中心に左右に居住用の区画があるようだ。ホールの正面には商業区、裏側は保管区があるらしい。
この階層には大勢の人はいないらしく、廊下を進む望の足音が広い通路に反響した。シェルターの内部は空調が効いており、長袖の服を着ていても不快感はなかった。ただ、空気に少し消毒の匂いが混ざっている気がする。内部の作りは想像よりもずっと快適そうだった。シェルターという単語を聞いて下水道の中のような薄暗く狭い空間を思い浮かべていたが実際には明るくゆったりとしている。通路の幅は乗用車が通れるほど広く、高さも三メートル近くある。所々に窓がありその向こうには夜の森が見えた。
「ここって地下だよな?」
窓に近寄ってみると、それは窓型の高解像度ディスプレイだった。木々や地面に灰が積もっているので外の映像をリアルタイムで映し出しているらしい。さらに通路を進む右側に両開きの大きな自動ドアが現れた。その上に第九一居住区と書かれたパネルがあり、その下に小さな字で九〇一〜九一〇と表示があった。その反対側には同じような大きな扉と第九二居住区、九一一〜九二〇の表示がある。部屋は十で1つの居住区を構成しているらしい。通路はまだ続いていたのでこの先に九四〇までの部屋があるのだろう。
両開きの扉をくぐると番号のついた扉が現れた。そこからはホテルのように扉がずらりと左右に並んでいる。一番手前の左側が九〇一号室だ。扉横のパネルに手首の端末を近づける。ピッと電子音が鳴り、扉が開くと少し和風な雰囲気の玄関が現れた。玄関にはすでに一足の靴が置かれていた。望の物よりも一回り小さなそのサイズには見覚えがある。
「音葉、いるのか?」
靴を脱ぎながら声をかけると、奥の方からパタパタと足音がする。
「望?」
扉が開き、音葉が顔を出す。望と同じ様に白い服に着替え、シャワーを浴びたからか、髪は綺麗にまとまっている。長袖から出た右手には薄手の手袋がはまっていた。元気そうなその顔を見て、望はほっと息をつく。どうやら路貝達はきちんと約束を守ってくれているようだ。
「良かった。ちゃんと会えた」
「なかなか来ないから不安でしたよ。何か手間取ったんですか?」
「健康診断前にちょっと待たされたからかも。音葉はいつここに?」
「ええと、十分くらい前です」
音葉が部屋の上の方に視線を移動させる。玄関からは見えないがそこに時計があるらしい。
「なんだ、あんまり変わらないな」
「そうでした。最近、二人でいる時間が多かったですから感覚がずれてたのかもしれません」
そう言って音葉は小さく笑った。それを見て望はもう一度安堵する。これでゾンビや無法者達から音葉を守る事ができる。これからは命の心配をする事なく人間らしい生活が送れる。そう思った時、どっと疲れが湧き出てきた。
「大丈夫ですか? 体調が優れませんか?」
「ちょっと疲れただけだよ。朝からずっと動きっぱなしだったしさ」
「そうですね。とりあえず中に入って下さい」
音葉に連れられて部屋に入るとそこは少し広めのリビングだった。洋室だったがどこか和の雰囲気があり、壁の大型モニターの横に日本画が飾られている。中央にテーブルがあり、椅子が四脚あった。部屋の奥にはカウンターキッチンも見える。
「ここがリビングで、他に部屋が四つ、シャワールームとトイレがあります」
「結構広いんだな」
「家族向けだそうですよ。他にも単身者用の部屋もあるそうですが」
「そうなんだ……。そういえば上で四十八時間の隔離期間があるって言われたけどここで過ごすのかな?」
「そう見たいですね。向こうの和室に布団も敷いてありましたから」
音葉が扉の一つを開けると、そこには六畳ほどの和室があり、中央に布団が二組ぴったりと並べて敷かれていた。
「えっと、音葉が敷いてくれたの?」
「いえ。私が来た時には準備されていました。それは後にして、とりあえずご飯を食べませんか? シェルターの人達が用意してくれています」
音葉に促され、望はリビングに戻った。先ほどは見落としていたが、テーブルの上には二つの平たい箱とポットが置かれていた。
「私を案内してくれた人が持ってきてくれました。お弁当箱と緑茶だそうです。これからまだやる事があるのでその前に食べておいてくださいとのことです」
「これから? もう夜の十時過ぎなのに」
「入所するための書類にサインが必要なんだそうです。とりあえず冷めない内にいただきませんか?」
「そうだね。そういえば今日は朝ご飯以外ろくに食べてなかったよ」
望はテーブルについて弁当箱を開ける。飛行機で出される機内食のように、大きなプレートの上にいくつかの透明な容器があり中にご飯やハンバーグ、温野菜、味噌汁、果物などが入っていた。容器には保温機能もあるらしくほのかに温かい。
「うお、いい匂いだ」
料理の容器を開けると甘いデミグラスソースの香りが広がった。ちゃんとした料理の香りがする。
「さすがシェルターだ。まともな食事なんて何週間ぶりかな」
「丘の上で私達で作った料理は酷い出来でしたもんね。カレーは水っぽいし、ご飯はこげるし」
「あれはあれで楽しかったけどな」
ハンバーグに箸を入れると中から肉汁がじわっと溢れ、表面のソースを巻き込んで容器の下に流れた。そこから漂う湯気がなんとも香ばしい。口に運んでみると豊潤な牛肉の味に全身が歓喜した。今まで食べた中で一番美味しいハンバーグかもしれない。
「うん、これは、すごい」
「本当に美味しいですね。シェルターに来て良かったかもしれません」
それから二人はボックスの料理を全て平らげ、ポットに入っていたお茶で一息ついた。お腹が膨れて眠くなったところで、部屋のチャイムが鳴る。
『路貝だ。入ってもいいかな』
望が音葉を見ると、彼女はコクリとうなずいた。壁にあったインターフォンのパネルを操作し、部屋のドアを開ける。そこにはブリーフケースを持った路貝と、黒い服を着て銃を装備した護衛らしい兵士二人が立っていた。兵士の手には見覚えのある白い箱が一つずつあった。おそらく望と音葉が脱衣所で脱いだ衣服が入っているのだろう。さらに野瀬の車に置いてきたはずの二人のリュックサックも箱の上に置かれていた。
「食事はどうだったかな?」
「美味しかったです。ごちそうさまでした」
「それは良かった。部屋に入ってもいいかね?」
「どうぞ」
望は路貝と護衛をリビングに入れる。テーブルの片側に望と音葉が座り、路貝がその対面に座った。護衛の兵士二人は箱とリュックサックをリビングの隅に置いた後、路貝の後ろに立った。武装していたが、両手は後ろで組んでおり銃は肩から吊り紐で下げているだけなのでプレハブにいた兵士よりも威圧感は無かった。
路貝は手にしたブリーフケースから五十枚近い書類の束を取り出し、それを半分に分けると望と音葉の前に置いた。
「これから君達の入所手続きを行う。疲れているだろうがもうしばらくがんばってくれ。まずはこの書類に目を通して欲しい」
音葉はそれをパラパラとめくり、ある紙を見て目を丸くした。
「あの、これって?」
その一枚には「婚姻届」の文字が書かれていた。
2020年6月8日 九〇一号室に入って来た兵士が箱を運んできた描写を追加




