8月25日 シェルター(4)
「シェルター、本当に入れてもらえるんですか?」
音葉がプレハブ小屋の唯一の出口を押さえている男達に不安そうに聞いた。
「君たちはそれを条件に越後先生に手を貸したのだろう? 我々としては不本意ではあるが、運営委員である越後先生にはその権限がある。君達を受け入れよう。最高責任者である私が約束する。もちろん、事前に検査はさせてもらうがね」
路貝が手を上げると、後ろにいた兵士の一人が腰に下げていた大きな受話器のような機械をテーブルの上に置いた。さらに大きな消しゴムサイズの物が三つ入ったケースを置く。
「まず君達がウイルスに感染していないか確認させてもらう。その採血キットで血を取ってほしい。青いキャップを開けて白い部分にある針に親指を当てるだけだ。奥山さん、君は念のため両方の手から採血をしてほしい」
「……もし感染していたら、どうなるんですか」
「感染した状態で発熱もせず行動できているケースは君が初めてだ。研究のためにもシェルターには入ってもらう。だがしばらく自由は保証できない」
「そんな、話が違います」
望が身を乗り出そうとすると兵士二人が銃を向けてきた。望の頭部に狙いを定めた銃口は少しもぶれる事なく、しかも指は既に引き金にかかっている。
「望、大丈夫ですよ。何があっても保護はしてもらえるみたいですから、とりあえず言う事を聞きましょう。これで血を取ればいいんですね」
音葉はケースを手元に寄せると、中から青と白、ツートンカラーの採血キットを二つ取り出した。そして残る一個の入ったケースを望に渡す。望もケースから採血キットを取り出す。青い部分がキャップになっており、それを外すと修正液や小さな接着剤のような先の細くなった容器が現れる。細い部分は筒状になっており、その中に針があった。
「その筒に親指を押し込めば自動的に採血してくれる」
音葉は躊躇なく、まず左手、次に右手の親指に採血キットを当てた。特に表情に変化は無く、傷が小さいのかほとんど出血があるようには見えない。望も自分の右手親指に採血キットを押し込む。チクリと小さな痛みが走ったがそれだけだった。キットを外すと、指が少し赤くなっていたがやはり出血は無い。
「それをこちらに」
採血済みのキットを路貝に渡すと、彼は電話機のような装置にそれを入れた。まず望のキットを入れ、いくつかボタンを操作する。一分もしないうちに装置のディスプレイに「Negative」と表示が二つ出た。どうやら二つの項目について検査をしたらしい。
「おめでとう。冠木望君。君は陰性だ」
それを聞いても望は喜べなかった。自分が感染していない事は何となくわかっていたし、そもそも問題は音葉だ。ゾンビ化は止まっているとはいえ、ウイルスが身体に残っている可能性は十二分にある。
路貝は音葉の採血キットを装置に入れた。まず左手の物。これは陰性だった。そしてゾンビ化している右手から採取した血の検査に移る。採血キットを装置に入れ、スイッチを押す。低い装置の作動音がし、やがてディスプレイに結果が表示された。
「ほう、こちらも陰性か」
「本当ですか? 私の右手にウイルスはいないんですか?」
「ああ、結果は全てネガティブと出ている。これらのウイルスは容易に感染判定ができるのでほぼ間違いなく君の体内にウイルスはいない。予想していたが、この結果に驚いているよ。さすが冠木十三の作ったワクチンだ。奥山音葉さん、君は陰性だ。ウイルスをしっかり克服したようだ」
「そうですか。よかったです……」
音葉はほっとして息をついた。音葉自身、ゾンビウイルスが体内にいないと感覚的にわかっていたが、こうして機械で検査して陰性判定が出た事でそれを確信する事ができた。そんな音葉を見て、望も大きな懸念が一つ消えて安心する。少なくとも感染を理由に音葉と離れ離れになることはなさそうだった。
「さて、これで君達をシェルターに案内できる。付いて来なさい」
路貝は綺麗なターンを決めて背中を見せると、二人の兵士を引き連れてプレハブの外に出て行った。
「望、これで、いいんですよね?」
音葉が少しだけ不安そうに望を見た。
「館山に行った野瀬さん達とか、希美とか、いろんな事を置き去りにして私達だけで安全な場所に行く……それでいいんでしょうか」
「ああ。これでいいんだよ。今は自分達の安全が最優先だ。野瀬さん達は館山の自衛隊が守ってくれるし、希美の事はシェルターに入ったら父さんに聞いてみる」
「そうですね。わかりました。お願いします」
まだ少し迷っている音葉の右手を望は強く握り締めた。音葉は少し困った顔をした後、力の入らない右手で望の手を握り返す。そして二人は手を繋いだままプレハブ小屋の外に出た。
外の様子は一変していた。望達が来た時、ここは暗闇に覆われた無人の空き地だった。しかし今、プレハブ小屋の周囲は複数の軍用車両と銃を持った兵士で溢れていた。車両は全部で六台あり、どれも迷彩塗装が施されている。車体に赤十字が描かれたトラックが二台、車体上面に機関銃を据付けた装甲車が一台、投光器を搭載した車が一台、そしていかにも軍事用なごつい大型車が二台いた。それぞれの車の側には銃を持った自衛隊員がおり、周囲を警戒している。その中の何人かはプレハブ屋から出て来た望に警戒の目を向けていた。
少し離れた所では越後を載せた担架が赤十字が描かれたトラックに収容されているところだった。周りには白衣を着た医療関係者らしい人もいる。どうやら救急車のようだ。望達の乗って来た青い車の後部座席は空になっていたので意識を失ったままの松田一尉はもう一台の赤十字トラックに乗せられたのだろう。
小屋の外にいた路貝のもとに一人の自衛隊員がやって来た。敬礼をし、報告を始める。
「所長、松田一尉と越後委員の収容が完了しました」
「松田一尉の容体は?」
「あまり良くありません。上層階で緊急手術を準備しています」
「そうか。なら急いで戻ろう。冠木君、奥山さん、君達はあの車に乗りなさい」
路貝に言われ、二人は角ばった大型車に向かった。それは高機動車と呼ばれる自衛隊の車両で、小さなトラックの様な作りをしていた。運転席がありその後方に荷台がある。荷台には幌が被さっておりぱっと見は普通のSUVに見えた。大きな段差を乗り越えて荷台に入ると、そこには四名ずつくらいが対面で座れる座席があった。望と音葉が並んで座ると、後から入って来た路貝と護衛の兵士二人が対面に座る。座席は高速バスの予備席のような簡易的な作りをしていたが座り心地は案外良かった。望と音葉がシートベルトを装着すると、路貝が運転手に合図をし、車両が出発する。
舗装されていない地面の上を進むタイヤの振動に身を揺らしながら、望は緊張感が解けていくのを感じていた。今まで、車を運転する時、常にゾンビの襲撃や障害物について考えながらハンドルを握っていた。特に音葉が負傷してからは自分の判断と行動に二人の命がかかっていると思うと気が張り詰めっぱなしだった。だが今は、ハンドルの操作や周囲の警戒に集中する必要は無い。完全武装の自衛隊に守られている安心感があり、握ったままの音葉の手のわずかな暖かさを感じる余裕すらあった。
望と音葉の乗った車は一台の装甲車に先導されながら何も無い空き地を進んでいた。その後ろから赤十字マークをつけたトラックや投光器を搭載した車両が続く。荷台の幌にはビニールで出来た窓があったので望はそこから外を見てみたが暗闇で何も見えなかった。ただ、左右に森も見えないということは広大な空き地の中央を進んでいる事はわかった。やがて、車両の前方から巨大な機械音が聞こえてきた。
「なんの音だ?」
思わず座席から身を浮かせた望だったが、路貝達が平然としているのですぐに席に腰を戻す。音の方向に顔を向けると、フロントガラスの遥か前方に森と切り立った崖が見えた。その森が真横にスライドしている。まるで特撮の秘密基地の様だった。そして「森」が完全に横に移動すると、その向こうに巨大な壁が現れた。高さは十メートル以上ある。
「あれがシェルターのメインゲートの隔壁だ」
路貝が目を白黒させている望に解説した。
「随分と分厚いんですね」
「ここは元々、冷戦時代に核シェルターとして建造された場所だからね。それを破滅の冬に備えたシェルターに改造した」
「破滅の冬?」
「火山の冬と核の冬、二つの破局的な状況が重なる事を我々はそう呼んでいる。詳しくは後で説明しよう」
森の向こうにあった巨大な壁が先ほどの森と同様左にスライドしていく。地面のレールに沿って移動しているようだが、厚みが一メートル近くはあり、移動速度は森の時よりだいぶ遅かった。車列が手前に到着したのとほぼ同じタイミングで隔壁が完全に開いた。中にはまず、隔壁とほぼ同じ大きさのトンネルがあった。直径十メートルの巨大な円筒形でかなり年季が入っている。真新しいLED照明が無ければ廃墟に見えたかもしれない。
「結構古いんですね」
「元々は六十年代から七十年代にかけて作られた施設だからね。再利用に当たって百年は運用できるように必要な改修や補修はしてある。施設構造の安全に関しては心配はいらない」
車列は次々とトンネルの中に入って行く。トンネルを五十メートルほど進むと大きなドーム状の空間に出た。ここの直径は百メートルほどあり、ドームの壁沿いにずらりと戦車や自走砲、ミサイルを搭載した車両が並べられている。
「この成田シェルターは大きく上層と下層に分かれている」
車がドームの中に入ると路貝が解説を始めた。
「上層には主にシェルターを守るための設備がある。守備隊の宿舎や通信設備、戦車などの格納庫だな。この上層部分には五百名近い自衛隊員が働いている」
ドームの壁側は戦車や車の駐車スペースになっていたが、所々に別の空間に続くトンネルもあった。駐車スペースの内側には環状の通路があり、ドーム中央にも円形の何かがあるのでちょうど環状交差点のような作りになっている。
「ドームの中央に丸い部分が見えるだろ? あれがメインシャフトとメインエレベーターだ。あれで地下四百五十メートルに下がった所が下層だ。君達が暮らすことになる居住区や生産設備などがある」
「そんな深くにあるんですか?」
「元々は核シェルターだったからね」
望達を乗せた車はドームの外周を周り、入り口と反対側に向かっていた。後ろに続いていた他の車両はいつの間にか姿が見えなくなっていた。別の所に向かったらしい。
「地下に降りるのではないんですか?」
静かに周りの様子を観察していた音葉が口を開いた。
「君達二人にはまず防疫措置を受けてもらう。その後、別の所にある人員用の連絡エレベーターで下まで降りてもらう」
「防疫措置とはなんですか?」
「簡単に言えば全身の消毒だ。シェルターに入る人間は全員が受ける義務を負っている。本来は事前に署名してもらう同意書に書いてあるのだが、君達はイレギュラーな存在だ。防疫措置が終わった後に必要な書類を書いてもらう。ここからは係の者が案内する。後に下層で会おう」
そう言うと、路貝は望と音葉の二人を下ろし、車ごとどこかに行ってしまった。
車から降りると、そこはある建物の入り口だった。厳密には、シェルター内部の広いトンネルの壁に設置された、建物風の入り口の前だった。屋内なので何の意味もなさそうだが、入り口の前には二本の柱で支えられた屋根がついていた。正面には五段ほどの階段、右側にはスロープもあり、天井さえ見なければ小さな雑居ビルが建っている様に見える。その入り口には白い防護服に身を包んだ人間が二名いた。防護服は内側から与圧される大掛かりな物でボリュームがあり、フェイスシールドにはスモークが入っているため中に入っているのが男なのか女なのかわからない。
防護服の一人が近づいて来る。
「冠木望さんと奥山音葉さんですね。こちらに」
スピーカー越しであったが、声の感じからその防護服の中にいるのは女性だとわかった。彼女に促され望と音葉の二人は建物のような入り口に入る。そこは病院の待合室のような場所だった。クリーム色の明るい床を暖色系の照明が照らしている。左右にベンチが並べられ、正面にはガラスで遮蔽された受付があり、中に防護服を着た人がいた。その受付を中心に、左右に廊下が続いている。廊下にはそれぞれ男性と女性のマークと矢印が壁に示されていた。
「女性はこちらに。男性はあちらに進んでください」
防護服を着た女性が音葉に向かって左側の女性マークのついた廊下を進むように促す。
「別れなくちゃいけないんですか? できれば彼女から離れたくないんですけど」
望は音葉の手を握ったまま防護服の女性に尋ねた。
「この先でお二人には全身の消毒をしてもらいます。衣服を全て脱ぐ必要がありますが、一緒がいいですか」
「俺は構いません」
はっきりと言い切った望に防護服の女性が少し動揺しながら音葉の方を見る。
「どうしますか?」
「……望、私は少し構いたいです」
「一人になっても大丈夫?」
「はい。路貝さんはここまでシェルターの中を見せてくれて、腕がこんな風になった私も受け入れると言ってくれました。ここの人達を信じてもいいと思います。それとも望はそんなに私の身体が見たいんですか?」
「いや、別にそういうわけじゃ」
「では、ここからは別々に行動しましょう」
「わかった。気をつけて」
まるで今生の別れをするような望に、防護服の女性が少し呆れながらこれからの事を説明した。
「大丈夫、離れているのは一時間くらいですよ。これから除染を受けてもらい、それが終わったら医師による健康診断を行います。その後、下層の隔離層に案内します。同じ部屋に連れて行く様言われているのでそこで会えますよ」
それを聞いた音葉は軽く頷くとぱっと望の手を離した。
「わかりました。では望、後で会いましょう」
そう言うと、音葉は防護服の女性に連れられて通路の奥に消えた。望はもう一人の防護服の人物、どうやら男性らしい、に促されて反対側の通路を進む。
しばらく行くと通路の突き当たりに自動ドアが見えた。
「この先に進みビデオの指示通りにしろ」
こちらの防護服の男性は先ほどの女性に比べると少し無愛想な感じだった。フルフェイスのシールド越しにも非友好的な態度が伝わって来る。
「ビデオ?」
「進めばわかる。部屋の天井にはマイクが設置されている。何か質問があれば大声で言え。お前の行動は全て監視されている。おかしな事はするなよ」
防護服の男性はさっさと行けと言わんばかりに手を振った。望は少し不満を感じながら防護服の男の指示通り、自動ドアの先に進む。
そこは近未来的な温泉の脱衣場のようだった。部屋は床も壁もツルツルとした素材でできている。部屋には椅子が五十ほど並べられ、壁際にワイヤーラックが並び、そこに番号の書かれた箱が置かれていた。箱の数は五十ほどあった。入り口の対面の壁に次の部屋に続いているらしい扉があり、その左右に大型のモニターが設置されていた。望が部屋の中に入るとモニターが点灯し明るい音楽が流れてきた。
音楽をバックにモニターに青空が映し出され、さらにCGアニメの男女がにこやかに登場した。二人は頭を下げると穏やかな声でアナウンスを始めた。
『みなさん、ようこそ成田シェルターへ』




