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8月25日 シェルター(2)

 しばらく車の中で過ごした後、望はこれからゴルフ場に越後を迎えに行くと音葉に説明した。彼の任務を手伝えば報酬としてシェルターに入れると話したが、音葉は半信半疑だった。しかし取り敢えずゴルフ場へ行く事には合意する。

 望は進路をゴルフ場に取った。すでに太陽は地平線の向こうに消えており、道沿いの町は暗闇に包まれていた。電力を失った街灯はただのオブジェと化しており、火山灰の層によって月明かりも遮られていたため、頼りになるのは車のヘッドライトだけだった。道を走っていると、時々、住宅の玄関に設置されたバッテリー動作やソーラーパネル付きのセンサーライトが作動する事があった。ライトで照らされる度、望は車を止め生存者を探したが特に成果は無かった。

 慎重な運転を三十分ほど続けるとゴルフ場の正門が見えてきた。

 

 「越後さんって人、まだ無事でしょうか」

 

 音葉は懐中電灯を手に、助手席の窓から外の様子を伺っている。ゴルフ場のクラブハウスは正面の扉が開けっぱなしになっており、一階の窓ガラスも何枚か割れていた。ガラスの破片や折れたゴルフクラブらしい物が地面に散らばっていたが、灰に覆われており詳細はわからない。地面を照らすと真新しい足跡が無数に残っていた。ゴルフコースに向かったようだ。


 「ヘリコプターの所に集まったゾンビはこの建物にいたのかもしれませんね」

 「あの時も数十体いたけど、他にもいないといいな。越後さんは武器は持っているけど足を怪我して動けない。あの人がいないと俺達はシェルターに入れてもらえない。無事だといいけど」

 「さっきも言いましたけど、信じられると思いますか? 国民のほとんどを裏切った人達ですよ? もしかしたら都庁の生き残りを殺したのもあの人達かもしれません」

 「その可能性はある。でもシェルターに入れるならそれが一番安全だよ。もう食料や寝る場所に困ったり、ゾンビに怯えたりせずに済むんだから」

 「それは、そうですけど……」


 望自身、越後の言葉が本当なのか自信はなかった。だが、自分一人では音葉を守れない事が痛いほどわかってしまった今、たとえリスクがあってもシェルターに保護してもらえるのならそれを頼りたかった。この世界にいても、遠くない将来にゾンビや屋宜達の様な無法者、食糧不足や病気で命を落とす可能性は高い。

 望は車をゴルフ場のコースに入れた。ヘリの墜落地点はゴルフ場の中央付近にあり、途中いくつかのコースを横切る必要があった。昼間は見えていた煙などの目印は一切ない。ただ、地面には望や屋宜達が残したタイヤ跡があるので道に迷うことはなかった。


 「シェルターの人達は富士山が噴火する事も、ゾンビウイルスの事も秘密にして、自分達だけで安全な場所に逃げたんですよね。約束を守る保証なんて無いですし、それどころか、口封じに殺されるかもしれませんよ」


 音葉はまだシェルターについて懐疑的だった。


 「多分、大丈夫だよ。俺の父さんは関係者で重要人物らしいから。いきなり殺される事はないと思う。音葉だってうちには何度も遊びに来てたんだ。父さんも覚えているはず」

 「ずいぶんと楽観的ですね」

 「そうでもないよ。ただ、それが一番いいと思ってるんだ」


 望は命を懸けて音葉を守るつもりだったが、同時に自分一人の命では吉敷のような訓練を積んだ相手や大量のゾンビはどうしようもない事もわかっていた。そしてシェルターには父親がいるらしいので可能性は低く無い様に思えた。


 「おじさんは望や希美、おばさんに噴火の事は何も言わなかったんですよね?」

 「……ああ。でも、父さんは何も言えなかっただけだと思う。今年に入って急に防災用品が家に増えていたし、突然会社からサプリや飴を持って帰ってくるようになった。今思えば、あれにワクチンみたいな物が入っていたのかもしれない」


 望の父親は子供にあまり干渉しないタイプだったが、サプリを食べる事だけはなぜか強制されていた。全く口にしなかった母親はすぐにゾンビ化し、食べていた望は発熱もゾンビ化もしなかった。おそらくワクチンの様な物が入っていたのだろう。

 

 「音葉も、あのビタミン塩飴を食べたらゾンビ化が止まったんだよな」

 「そうです。一緒に飲んだのは解熱剤や痛み止めですから、効果があったとすればあの飴ですね。あれ、希美も食べていたんですよね」

 「毎日強制的に。食べないと小遣いを減らすって言われてたから」

 「なら、きっと希美も無事ですね。もしかしたら、越後さんが知っているかもしれません」

 「そうだといいな。希美か……」


 父親が関係者でサプリや飴にワクチンが含まれていたのなら妹の希美も生きている可能性が高い。だが最後に妹がいたのは長野県。ここからは遠く離れている。今は音葉を優先する、そう決めた望は運転に意識を集中した。

 

 車が墜落現場のあるコースに到着する。望が出発した時よりも明らかに多い死体がコース中に転がっていた。望達がいない間に近くにいたゾンビが集まって来ていたらしい。暗闇なので動いているゾンビ、死んでいるゾンビ、そして生きている人間の区別がほとんどつかない。望はうっかり越後を轢いてしまわないよう、地面を凝視しながら人型の物を避けて車を進めた。


 「望、ヘリコプターの所で手を振っている人がいます」


 音葉に言われて顔を上げると、ヘリの残骸を背に座っている人影があった。車のヘッドライトを当てると、眩しそうに手で顔を覆った。


 「越後さんだ。無事だったみたいだな」


 望は車を老人の側に寄せると、武器を手に外に出た。音葉は右腕は思うように動かず、左腕にも重たい鎖が巻きついたままなので武器は持たず、懐中電灯だけを手に望に続く。

 二人の姿、特に音葉を確認すると、越後は「ほう」と声を上げた。


 「驚いたぞ、冠木少年。本当にその子を救出するとは」

 「越後さんも、ご無事なようですね……」


 言外に音葉を助けられるとは思っていなかったと言われ、望は少しむっとした。


 「来てくれて助かった。あれからまたゾンビが群れで現れてね。戦えば戦うほど銃声を聞きつけて他のゾンビが現れ、終わりが見えなくて大変だったよ。弾丸も残りわずかで次の群れが来たら自殺しようかと考えていたところだ」


 越後は手にしたスコープ付きの小銃を軽く振って見せた。周囲には空になった弾倉や薬莢がたくさん落ちており、相当な数のゾンビと交戦した事が伺われる。ふと望は越後の近くの地面に横たわっている人影に気が付いた。それは迷彩服の男性で、肌には血色があり、意識はない様子だったが微かに胸が上下している。


 「その人は?」

 「あのヘリのパイロットだよ。松田一尉という。墜落の時に死んでしまったと思っていたがまだ息があったのでね。ここまで引きずってきた」

 「足を負傷している割には元気ですね」


 大量のゾンビと戦い負傷者を守る事ができたのなら、一緒に音葉救出に来る事もできたのではないか、そう思った望の口調は少しだけキツくなった。


 「君こそ子供のくせに大したものじゃないか。どうやってその子を救い出したのかな? 持っていた武器は役に立ったのか?」


 越後は反抗する男子小学生を見守る担任のような生暖かい視線を望に向けた。馬鹿にされている様な気がしたが、怪我人の老人に突っかかるのも大人気ないと思い、素直に質問に答える事にする。


 「借りた武器には助けられました。グレネードを使って施設の正門を破って、そこにゾンビの群れを誘導したんです。奴らは混乱し、その隙を突いて音葉を助けました」

 「ゾンビを誘導したと? さすがあの冠木十三の息子だな。やる事が突拍子もない。それで彼らはどうなった?」

 「ゾンビの撃退に失敗して、施設を放棄して逃げていきました。確か、北に行くと言っていたと思います」 

 「そうか。もう二度と関わりたくは無いものだな。まあ任務が完了すれば会う機会もないだろう」


 そう言うと、越後はずっと握っていた小銃から手を離し膝の上に置いた。望の後ろにいた音葉はそれを見てほっと力を抜く。


 「さて、冠木望君、そちらの少女を助け出せたわけだから次は私の任務に協力してくれるね?」

 「そのつもりでここに来ました。何をすればいいんですか?」

 「そうだな。私と、この松田一尉をある場所まで運んでもらいたい。距離はここから四十キロほど離れた所だ。車なら一時間程度で行けるはずだ」

 「一時間、これからですか?」


 望が背後に控えている音葉を見ると彼女は首を横に振って否定した。


 「もう夜です。今から知らない場所に移動するのは危険です」

 「ふむ。君は、音葉ちゃん、だったかな」

 「……奥山です。夜は見通しが利きませんし、事故で道が通れなくなっている場所もたくさんあります。移動は明日の朝まで待つべきです」

 「そうかもしれん。だが早く松田一尉を医者に見せたい。この数時間意識が戻らんのだ。明日までは保たないかもしれん」

 「医者? そこにはお医者さんがいるんですか」


 音葉が怪訝そうに首を傾げ、すぐにはっと目を見開く。ワンテンポ遅れ望もその単語の意味を理解した。この世界できちんとした医療設備と医者がいるような場所は限られている。


 「まさか、あなたが行きたい場所というのは⁉︎」


 望達の反応に越後は満足そうな顔をする。


 「そう。私が向かいたい場所はシェルターだよ。あそこに戻れれば最新の医療設備と医師がいる。松田一尉は優秀なヘリのパイロットだ。できれば助けたい」

「本当に、そんな場所があったんですね」


 音葉は不快感を隠さず、越後を睨めつけた。


 「気に入らないだろうね。それは理解できるよ」

 「……あなた達は私達を、大勢の人を見捨てたんですね。自分達だけ安全な場所に隠れて、みんなが病気になってゾンビに襲われるのに何もしなかった。私の家族も、友達も、みんな死んだ。なのに、あなた達は……」

 「君のご家族については残念だった。だが、あれは必要な決断だったのだ。いずれ君達にも理解できる。それで、どうかな。松田一尉の為にもこれからシェルターに向かってはくれないか?」


 怒りを露わにする音葉と対照的に望は冷静でいられた。音葉を守る為にはシェルターに入る事が大事で、過去に越後達が何をしたかはこの際問題にしたくなかった。


 「越後さん、本当に俺達をシェルターに入れてくれるんですよね? あなたを連れて行って、その場で撃ち殺されたりはしないと約束してもらえませんか」

 「安心しなさい。私はシェルターの運営委員会の一人だ。私の権限で君達をシェルターで保護する事を約束しよう。それに君は冠木十三の息子だ。我々からお願いして来てもらいたいくらいだよ」

 「俺の父はシェルターにいるんですか?」 

 「……ふむ。その件については機密事項も含まれているのでここでは話せん。だが冠木十三が我々にとって重要人物である事は間違いない。シェルターに行けばある程度は説明できるだろう」

 「わかりました。俺と音葉を本当に保護してもらえるのならあなたをシェルターまで連れて行きます」

 「待ってください」


 望の言葉を音葉が遮る。


 「越後さん、望は関係者だからわかります。でも私も入れるんですか?」


 望の影に右半身を隠しながら音葉が尋ねた。


 「もちろんだ。嫌な言い方かもしれないが、若い女性は多い方がいい。我々は藤咲君を失ったからね。バランスを取る為にも君に来てもらえると助かる」


 越後は少し離れた斜面に倒れた女性の死体に視線を移し目を細めた。望がゴルフ場に到着した時に倒した女性のゾンビだ。


 「あの人は、ゾンビ化していたので私達が倒しました」

 「分かっている。非難するつもりは無い。ゾンビになってしまった人間を戻す術は我々にも無いからな」

 「……なら私はどうですか?」


 そう言って、音葉は右半身を車のヘッドライトの光線の中に入れた。白化した右腕がくっきりと照らし出される。越後は最初、音葉の腕が白いのはライトのせいだと思った。だが目が慣れて来ると音葉の右腕と肩や首回りの色が違う事に気がつき驚愕する。


 「それは! なんと……ゾンビに噛まれていたのか。ヘリにワクチンが残っているはずだが、そこまで進行していてはもう手遅れだ。残念だが……」 

 「いえ、大丈夫です。これは五日前の傷ですから」

 「五日前? それは本当なのか。噛まれれば二十四時間以内にゾンビ化するはずだが?」

 

 音葉はホームセンターでゾンビに噛まれた事、それから望が父親から持たされていたビタミン塩飴や他の薬を一気に飲んだらゾンビ化の進行が止まった事を説明した。それを聞いた越後は興奮気味に音葉の腕を見つめた。


 「なんと! さすがは冠木十三だ。我々以上の情報を持っている。その飴はまだあるのかね」

 「いえ。私が全部使ってしまいました」

 「それは残念だ」


 とは言ったものの、越後はさほど残念そうな素振りを見せない。


「だが、奥山さんの体内には強力な抗体が残っているはずだ。これで君をシェルターに入れる理由がもう一つできた」

 「モルモットは嫌ですよ。他人に身体を弄りまわされるのはもう嫌ですから」


 音葉の格好を見た越後は、救出される前に起こっただろう事を想像して不憫に思ったのか、興奮して上がっていた声のトーンを落とす。


 「最善の努力はしよう。だが、シェルターの住人は全員が組織の維持の為に尽くす義務を負う。日本人を存続させるための組織だからな。その為に個人の自由が制限される事は覚悟してもらいたい。それでどうかな。私と松田一尉をシェルターまで運んでもらえないかね」

 「……今すぐに、ですか?」

 「そうだ」


 望と音葉はしばらく話し合った後、越後の要求を受け入れる事にした。意識の戻らない松田一尉の様子はあまり良さそうには見えず、急いだ方が良いと思えた。それに、ヘリには十分な武器弾薬が残っており小規模なゾンビの群れなら強引に突破できそうな事も二人の背中を後押しした。どこに向かえばいいか尋ねた望に、越後はこう答えた。「成田空港に向かえ」と。

*2020年5月30日 全体を小規模改定

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